回顧08-02 火之来の娘(下)




「当然と言えば当然なのですが、私のお父さんはこの火之来病院の跡取り息子でした。烏丸町に生まれ、烏丸町に育ち、私のお母さんとなる人と出会い、幸せな結婚をしました。お母さんが私を身籠った時、お父さんは泣いて喜んだと聞きます。周囲の誰しもに祝福され、絵に描いたような幸せな家庭がそこにあったそうです」


 懐かしむような、そして慈しむような、繰絡さんの柔らかな声が病室の中に響く。


「けれど喜びの陰で、お父さんはとある悩みに苛まされていました。えへへ、こうして含みを持たせたところで、とっても当たり前の悩みです。梨沙ちゃんも身をもって体感された通り、この烏丸町は、烏丸町の子供たちは、物理的に括られているのですから──自分の大切な子供の未来が、その中で一番尊いであろう成人するまでの青春が、こんな辺鄙な田舎町の中だけに限られてしまう。愛する自分の子供に、そんな閉じた青春を送らせても良いものだろうか。そうやってお父さんは、毎晩眠れずに悩んだと聞きます。十円ハゲが三つも出来るほどに」

「あの、必要ですか? 十円ハゲのエピソード」


 繰絡さんの声の中を揺蕩たゆたっていた私の意識が、唐突な冗談に引き戻される。迷いつつも突っ込みを入れると、繰絡さんは満足気な笑みを浮かべた。


「お父さんはずっと、生まれてからずっとずっと──この火之来病院を誇りに思っていたそうです。この田舎町の生命線と言っても過言ではない、火之来病院の後継ぎである自分自身をも、とても誇らしく思っていたそうです」


 悲しみなど一欠片も落とさず、あくまでも笑顔で繰絡さんは続ける。


「けれどもこの時は、この時ばかりは──火之来病院の存在を、その中核に組み込まれている自分の役割を、とても疎ましく、そして恨めしく感じたと言います。火之来病院さえ無ければ、極々一般的な職に就いてさえいれば──今すぐにでも愛する妻とお腹の中の赤ちゃんを連れて、烏丸町の外に移り住めるのに、と。こうして悩み悩んだ末にお父さんが出した結論によって、お母さんとお腹の中の私は、この烏丸町を離れて別々に暮らす事になったわけです」


 淀みない口調から、繰絡さん自身が今もお父さんの存在を誇りに思っている事がひしひしと伝わってきた。静かな言葉の中に、確かに秘められた強い想い。お父さんに対する恨みの念なんて、微塵も感じさせない穏やかな眼差し。抱えるべき事情をすべて消化しきった後の、健やかで柔らかな微笑み。屶鋼の役目とロクに向かい合おうともしない私とは、そもそもの次元が違うのかもしれない。聖人のように透明な眼差しを浮かべて佇む繰絡さんを見て、私は素直にそう思った。


「けれど梨沙ちゃん、私のお母さんは最後まで猛反対だったみたいですよ。『離れて暮らして何が家族なのよ』と泣き崩れるお母さんを、お父さんは心を鬼にしてこう一喝したそうです。『お前は子供と一緒にディズニーランドに行きたくはないのか! 初めて夢の国を訪れる幼子の姿を、その目に焼き付けたくはないのか!』──と。その結果、お母さんがこの町を出る決意は固まりました」

「あ、あの……それって笑っても良いところですか」

「えへへ、私の話をどう感じるのかは梨沙ちゃんの自由ですよ」


 病室に差し込む日差しが、いつの間にか夕陽のだいだいを帯びていた。真実とも脚色ともつかないエピソードを織り交ぜながら話す繰絡さんの横顔も、淡いオレンジ色に染まっている。夕陽の色というのは、どうしてこんなにも淋しげなのだろう。


「んー? 梨沙ちゃん、なんだか元気が無いですね。これを言うと台無しですが、別にお父さんと会えなかったわけじゃないですからね。お父さんの方から私たちに会いに来れば良いだけの話ですから──私は別に、悲しい話だと思ってこの昔話をしているわけではないのですよ」

「でも、やっぱり理不尽だと思います。この町のせいで、『烏丸返し』のせいで、繰絡さんの家族が離れ離れになってしまったのは事実ですよね」

「離れ離れなんて、この世の中には溢れ返っていますよ。仕事に分かたれても、経済に分かたれても、戦争に分かたれても、病魔に分かたれても──お互いがお互いを忘れなければ、それは大した事ではありません」


 離れ離れという言葉が、私に影を落とす。私のお父さんとお母さんは、記憶の中のどこにも見当たらない。何度も必死で探したけれど、欠片さえも見つけられた事が無い。忘れてしまったら、どうすれば良いのだろう。忘れてしまった私は、どれだけ薄情な人間なのだろう。


「梨沙ちゃんには、とってもご立派なお爺様がおられます。本日初めてお会いしたばかりの私が言うのも軽率かもしれませんが、宗一郎さんは、これ以上無いほどに深い愛情を梨沙ちゃんに注いでおられます。少なくとも私は、本日お会いした短い時間の中でも、そう確信を得るまでに至りました」


 すべてを見透かしたかのように繰絡さんが言う。その先回りの仕方が、どことなく内灘さんに似ていると感じた。


「そして梨沙ちゃんは、愛される価値のある人間です。昨晩、梨沙ちゃんは二度も命を懸けました。ミシャグジ様から新太さんを守るため──そして、ツクヨミ様から私を守るため。誰かの為に命を懸けられる梨沙ちゃんは、決して弱い人間ではありません。ましてや薄情などでは、断じてありません」


 繰絡さんが断言した。雄弁と言っても差し支えないほどに、力強く断言した。ひょっとして読心術でも使えるんじゃないかと疑ってしまうくらいに、幾重にも先回りして、私の心を包み込もうとする繰絡さん。


 けれど、それでも私は──それでも私は、罰を求めているのではないか。許される事を、赦されてしまう事を、心の底で恐れているのではないか。


「全部……全部全部どれもこれも、すべて私のせいですから。私が強ければ、きっとアラタは巻き込まれなかった。私が聡ければ、きっと神様なんて現れなかった。私じゃなければ、きっと爺じは後ろ指を指されずに済んだ──違いますか? 違いませんよね。なのにどうして誰も、ただの一人も、『全部お前のせいだ!』って罵ってくれないんですか?」


 沸き立つ激情に視界が滲んだ。自分でも訳が分からないくらいに、煮えたぎった感情だった。「ごめんなさい」、すぐにそう言えばいい。今ならまだ間に合うはずだ。「当たり散らしてごめんなさい」と、そしてただ「気遣ってくれてありがとう」と、それだけを言えれば、丸く収まるはずなのだ──。


 至極簡単なはずの言葉を、使い慣れた社交辞令を、いつまでも言葉に出来ない私の激情は、ただただ嗚咽へと変わっていく。


 どうして私はいつもこうなんだ。感情をこじらせて、自分を拗らせきった、醜いエゴの塊。情緒不安定で、支離滅裂で、自分勝手で救いようのない子供。


「良いじゃないですか、全部梨沙ちゃんのせいでも。全部梨沙ちゃんのせいで、何が悪いんですか。それが罪だとしても、たとえ罰に値するとしても──梨沙ちゃんを赦す人が居るのでしたら、甘えちゃえば良いじゃないですか。甘えられる人が、すぐ傍に居るのですから、甘えなくちゃ損ですよ梨沙ちゃん」


 あっけらかんと繰絡さんが言った。私のせいで良いと、赦されてしまえば良いと、肩透かしのように言った。その華奢な指先がするりと伸びて、私の涙を掬い取る。


「涙が溢れるのは、梨沙ちゃんが真っ直ぐに生きている証です。梨沙ちゃんの心が、透明で居たがっている事の証です。純粋な梨沙ちゃんの心が、擦り切れて痛がっている──無垢で在る事を恥じる必要も無ければ、変える必要さえ少しもありません」

「けれど繰絡さん……その生き方は、ズルじゃないんですか? 私は、皆に迷惑を掛けるばかりで、爺じにもアラタにも、重荷を背負わせるばかりで──」「尋ねた事がありますか?」


 繰絡さんの人指し指が、私の唇に触れた。そして私の唇を、右端から左端へとなぞる。その仕草は、「お口にチャック」だった。


「道を尋ねるみたいに、気軽に聞けば良いのですよ。『私の事をどう思っていますか?』『私は不必要な人間ですか?』と、聞いてしまえば良いのです──どうですか? 『嫌い』と答える新太さんの顔が、一瞬でも頭に浮かびますか? 『要らない子供だ』と答える宗一郎さんの顔が、一瞬でも頭に浮かびますか?」


 私がかぶりを振って否定すると、繰絡さんは「えへへ、そうだと思いました」と、頭を撫でてくれた。むず痒さと照れ臭さの中に、じんと灯るあたたかさがあった。


「なんだか、カウンセラーみたいです。いえ、カウンセリングとか、受けた事ないですけど」

「うーん、そこはお姉さんみたいとか、せめてお母さんみたいと言って欲しかったですね」


 よく分からない落胆を見せて、繰絡さんは眉間に皺を寄せた。そして私の涙が完全に止まったところで、繰絡さんは昔話の続きを再開する。私の涙など、まるで無かったかのように──この昔話が、一度も脱線しなかったかのように。


 その優しさのほんの欠片だけでも、私はいつか手にする事が出来るだろうか。


「さてさて、やがて時は流れて、ついに逆輸入の時が訪れます。成人を迎えた私がいの一番にした事は、大学の夏休みを利用してこの烏丸町を訪れる事でした。私の方からお父さんに会いに行く事の意義、両親の生まれた故郷をこの両目で見る意味──それはそれは様々な想いがありましたが、正直に申し上げますと一番の動機は、子供たちの括られたこの烏丸町という土地への興味そのものでした」


 私は、その告白をやや意外に思う。てっきり、成人を迎えると同時に家族で暮らし始めた、とか、そんな話の流れを予想したのだけれど、そう簡単なものでもないのだろうか。


「その頃の私は、大学始まって以来のオカルトマニアとして名を轟かせていましたからね。既に成人を迎えていたわけですから、この身をもって『烏丸返し』を体験する事は叶いませんでしたが、この町は私の知的好奇心を満たすのには理想的な場所でした」

「オカルトマニアって……繰絡さん、どれだけ物好きなんですか。名を馳せるどころか、轟かせていたなんて」

「えへへ、不純な動機ですよね。この町から出たいばかりの新太さんや梨沙ちゃんにこの話をするのは、少々気が咎める気もします」


 少しばかりの誤解を発見した私は、直ちに訂正しにかかる。


「この烏丸町から、どうしても出たいってわけじゃないんです。確かに不便も多いですが、地獄も住み処と言いますか、住み慣れた場所ではありますし──いえ、もちろんこの町の事は嫌いですけれど、私が本当に嫌いなのは、それよりも自分自身ですから」


 すらすらと言葉を並べる自分に、少なからずの驚きを覚えた。自己分析が出来たというか、自己解釈が進んだというか──要するに、捻れていた私の心の一部が、自然とほぐれたような気がしたのだ。複雑に絡まっていた糸の一部が、たった今自然に解けた。もしかするとこれは、昨晩から続く奇想天外な出来事の賜物であり、そして何よりも、私の目の前に居る繰絡さんのおかげなのかもしれなかった。


私は思い付くままに言葉を続ける。大袈裟に言うならば、天啓を得たかのように吐露し続ける。


「私は、アラタに甘えたんです。中途半端に、酷く中途半端に、アラタに甘えてしまったんだと思います。私の憂鬱や陰鬱を、十年以上も身近で感じていたアラタは、私をこの烏丸町から連れ出そうとした──連れ出そうとしてくれた。アラタがこの町からの脱走を何度も試みていた動機が、まさか他ならぬ私の為だったなんて、昨晩に初めて知ったんですけどね」


 繰絡さんは、本当に興味深そうに何度も頷きながら、私の話を聞いてくれた。それこそ、本物のカウンセラーみたいに。


「梨沙ちゃん、アラタさんが居て良かったですね」


 決して冷やかしではなくそう言っているのが、繰絡さんの表情から伝わってきて、私は照れながらも正直に頷いた。だから決して意趣返しというわけではなく、私も思わず聞いてしまったのだ。自然の流れに乗って、思いついたままに問い返したのだ。


「繰絡さんも、内灘さんに救われているんですか?」


 なんとなくだけれど、繰絡さんと内灘さんの関係は、男女のそれでは無いような気がする。そもそも内灘さんは、息子さんも居ると言っていたし、逃げられたとはいえ奥さんも居たはずだ。いやでも、まさか繰絡さんがその原因だったりしたらどうしよう。聞いてしまってからの不安が頭をもたげた。


「えへへ、もちろん救われていますよ。この烏丸に逆輸入したばかりの、右も左も分からない私に声を掛けて下さったのが先生です。けれどミシャグジ様というとっておきの隠し玉を、つい昨日まで私に内緒にしていた事は許しがたいのですけどね」


 声を掛けたというのが、ナンパ的な意味合いではないことを祈りながら、私は言う。


「ミシャグジ様は道祖神どうそじん──でしたっけ? 道祖神とか産土神うぶすながみとか、少しも聞き慣れない言葉ばかりです。七福神くらいなら、無知な私でも言えますけどね」

「そうですね、その説明も必要ですね──昔話に脱線していては、先生とさして変わりませんし、続きはまたの機会にして、話を先に進めましょうか。何しろ、時間は有限ですから」


 図らずも話題が戻ろうとしていた。繰絡さんの昔話には、後ろ髪を引かれる思いがあったけれど、私は無言で頷く。繰絡さんの言う通り時間は有限で、今向かい合うべき現実は、疑う余地も無く現在進行系で進んでいるのだ。そう思えるようになっただけでも、少しは成長したのだと自惚れても良いだろうか。


「では、私に与えられた役目の一つ、『報告』はこれでお終いにして、私に与えられた二つ目の役目をお話しましょう。その役目とは、言わずもがな梨沙ちゃんの『保護』です。梨沙ちゃんの血の味を覚えたツクヨミ様が、梨沙ちゃんを探し出して再襲撃する可能性は拭い去れませんからね。既にお気付きかもしれませんが、私の能力は守りに特化しています。私に出来るのはせいぜい、縫ったり結んだり、縛り付けたりほどいたりが関の山です。もしよろしければ、梨沙ちゃんのボディスーツも特別価格にて編み上げますが、いかがでしょうか」


 繰絡さんの申し出を丁重に断りながら、私はぞっとする。あのぴちぴちのボディスーツを着る羽目に陥った私を想像して──ではなく、ツクヨミ様の方から私を襲撃してくる可能性があるという事実にだ。内灘さんは文明の利器であるGPSによって私を見つけたわけだけれど、ツクヨミ様は血の匂いによって私を探し出す事が可能なようだ。なんとも原始的な神様じゃないか。


「先生と新太さんが攻め、私が守備を固める。宗一郎さんに至っても、事を納める為の一環として行動なさっているとも考えられます。さすが先生、抜け目の無い適材適所の采配です」


 内灘さん、アラタ、繰絡さん、爺じ──私が巻き込んでしまった四人。いや、巻き込まれてくれた四人。


「あの、根本的な質問に立ち返りますが、どうして繰絡さんと内灘さんは、そこまでしてくださるのでしょうか? 『仕事だから』とか『依頼だから』というのはさておいて、一体何のメリットがあって私に関わってくださるのでしょうか」


 卑屈や遠慮の類を抜きにして、申し訳無さとか自責の念だとかの一切合切も抜きにして、単刀直入に問いかけた。こうして何の打算もなく話す事だけが、繰絡さんの優しさに対する唯一の誠実のようにも思えた。


「そうですね。先生に関してはよく分かりませんが──私に関して言えば、面白いからです」

「はい?」


 予想だにしない答えに、喉元から素っ頓狂な声が上がった。肩口の傷に右手を添えて暫し考えてみるも、面白い事など一つも見当たらない。昨晩に見舞われた不測の出来事に対して、何かあるとすればただ、恐怖と後悔だけだ。


「私は生粋のオカルトマニアですからね、新しい事を知るのが、新しい不思議と出会うのが、楽しくて仕方ありません。もちろん昨晩のように、恐怖を覚える事もあります。目の前にある死を感じ、知的好奇心よりも恐怖心が勝ってしまう事も、ままある事です。けれどそれでも懲りずに、この世界の不思議をもっと知っていきたいと思います。先生の言葉を借りると胡散臭さが増してしまいますが、『オカルトは、目に見えた瞬間にはオカルトでは無くなる』のですよ。つまり私は、この世のオカルトを一つ一つ減らしていく事が、心の底から楽しいのです。誤解を恐れずに言いますと、未開を切り拓く科学者のような愉悦を覚えるのです」


 目の前の繰絡さんは、やはりあどけない少女のような笑みを浮かべたままで、爛々と目を光らせながら、嬉々とした声をもって語り続けた。


「それに私は、梨沙ちゃんの事を気に入りました。梨沙ちゃんはとても天邪鬼で、とてもひねくれた可哀想な女の子だと思いますが、それ以上に優しい人だと思います。昨晩の私は、ミシャグジ様という新しいオカルトと、屶鋼梨沙という優しい女の子を同時に知ったわけです。ですから私は、ツクヨミ様に梨沙ちゃんの亡骸を捧げて、『それで全て良し』としたくはありません。この気持ちを、梨沙ちゃんに尽くす動機と呼んで差し支えが無いのならば、是非とも動機の一つとして挙げさせて頂きたいと思います」


 慇懃無礼という四字熟語がこんなにも似合う人は他に居ないな、とひしひしと思った。失礼も度を過ぎれば称賛に値するのだと、繰絡さんは私に気付かせてくれる。包み隠さずに打ち明ければ、羨ましささえも感じてしまう。だって私が同じ事を言ったら、おそらくは憎まれ口にしか聞こえないのだから──。


 こういった思考回路こそが、私が天邪鬼たる最もな証拠なのだけれど、照れ臭さを隠すためにあえて言わせてもらった。口元をぎゅっと結んでから、「私が生贄になって、全てを終わらせる選択肢もあるんですね」、と。


「生贄というのは言葉が違いますけれど──そうですね、選択肢としてはゼロではありません。けれど、私は梨沙ちゃんを信じています。梨沙ちゃんは、同じ時代に、同じ国に生まれ、こうして出会い、話し、触れ合った相手に──『それでも私には関係ありません』などと嘯く人ではないと、守る価値の無い畜生ではないと、私は信じています。梨沙ちゃんがそういった犬畜生でも無い限り、私の中でその選択肢はゼロに等しいものです」


 いつの間にか私は、目の前の女性から揺るぎない信頼を勝ち得ていたようだ。それが不思議でもあり、むず痒くもあり、嬉しくもあり、重たくもあった。逡巡の末に私は、繰絡さんへと答える。せめてもの誠実を貫くように、私自身と向き合うように、目の前の信頼へと本音で応じる。


「繰絡さん、ありがとうございます。ご期待に添えない答えかもしれませんが、正直に言いますね。もしも私が逆の立場だったら、命さえも危ういこんな状況に、自ら勧んで関わっていくとは思えません。目の前で誰かが苦しんでいても、たとえば死にかけていても、自分が大事で逃げ出すに違いありません。もしかしたら、繰絡さんが苦しんでいても──それこそアラタが苦しんでいても、私は我が身可愛さに見捨てるかもしれません」


 私と繰絡さんの視線が、夕陽の中で交わっている。言葉の一つ一つを発する度に、取り消してしまいたい恐怖があった。自分の本音を伝える事がこんなにも恐ろしい事だったなんて、一体誰が教えてくれただろうか。期待される事の重さと、失望される事の軽さが、いつだって表裏一体で連なっていると、どうして誰も教えてくれないのだろうか。


「繰絡さん、それでも私は、畜生でも犬畜生でもないつもりです──だって、私が言ったのですから」


 あの宝物庫を思い浮かべて、私は続ける。屶鋼の歴史のすべてを思い浮かべて、私は続ける。


「『私がきちんと、責任を取ります』──私のこの口がそう言ったんです」


 自分がどれだけ都合の良い事を言っているのかは分かっているつもりだ。弱さを棚に上げ、狡さを隠そうともせず、挙げ句には絢爛けんらんな大言壮語に酔っているだけなのかもしれない。こんな私に、繰絡さんは失望するだろうか。冷笑に付して撥ね退けるだろうか。


 数秒先に訪れるかもしれない拒絶に、私は覚悟を固める。

 けれど、私に向けられたのは、歪み一つ無い微笑みで──。


「そうですね、梨沙ちゃんのお口が言ったのですよ。そして、新太さんがこうも言っていましたね。『リサは約束を破ったりしないよ。基本的にコイツ、有言実行だから──』と」


 私は目を丸くして記憶を手繰り、ややあってどうにか思い出した。昨晩の私は、アラタのその言葉を、微妙なフォローだと受け止めたのだったっけ。けれどそうか、アラタの言葉に秘められた重さに、私が気付かなかっただけなのか。そしてその重さを、繰絡さんは見逃さなかったのか。


 重ね重ね私は、自分の愚かさを知る。私が擦り抜けてきた想いや、踏み躙ってきた想いの重さを知る。ただでさえ鈍いくせに、背を向けたり目を背けたりと──それこそ本物の馬鹿者じゃないか。


「えへへ。私は梨沙ちゃんの言葉を信じるだけですね。がきんちょの梨沙ちゃんがゆっくりと大人になるのを、末永く見守る事にしましょう」


 あたたかな言葉と共に、繰絡さんが私の頭を撫でる。「お母さんみたい」と私が笑い、「やっぱりお姉さんでお願いします」と繰絡さんが笑った。



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