034:弱気とヒーローと親父の夢

 コントローラーに変化があったことでの高揚も、浮かれた叫びに応えたケダマを撃退する内に冷え、誰に見られていたわけでもないが恥ずかしさの方が増してくる。

 辺りが静かになると、腰が抜けたように、道はないが道標の石を背もたれにして座り込んでいた。


 好奇心は最弱冒険者をも殺す。俺限定か。

 ちょっとだけのつもりで、少し難度の上がるだろう場所へと踏み込んだ。

 血塗れたズボンを見下ろす。一歩で、これだ。

 小さな穴の開いた布の隙間から覗く肌には、塞がったばかりの傷跡が生々しい。


 危うく大けがを負うでは済まないところだった?

 それがどうした。終わり良ければ全て良しって言葉もある。


「もう奥には入らない。ちょっと遠目に様子を見ておこうと思っただけだし。今日のところはこのくらいで勘弁してやる」


 枝葉に区切られた空を見上げた。

 春先といった気候の、穏やかな日差し。明るい青空に浮かぶ薄っすらと白い雲をじっと見ていると、ゆっくりと移動している。


 成長するにつれて部屋で遊ぶことが多くなり、長いこと、こんな風に過ごしていない。小さいころに、家族旅行で自然豊かな景勝地に行って過ごしたときの感覚と重なった。それらの思い出が頭を過ると、ちくりと胸に迫るものがある。


 ついでに、頭頂部にも生暖かいものが迫っていた。

 葉が擦れるカサカサとした、この音。


「ホカムリよ。お前さえ、頭の上にいなけりゃしみじみと浸れたものを……」

「ケキェ?」


 枯れ葉でほっかむりしたケダマのような魔物だ。

 枝から糸を伸ばして下がったところ、ちょうど俺の頭に着地したようだ。


「人の頭でモコモコと落ち着いてんじゃねええっ!」

「き、キェムーッ!」


 休憩しすぎたか。

 立ち上がって見渡すと、ぽつりぽつりと魔物が集まり始めているのが見えた。

 謎コントローラーは、アクセスランプに手を触れなければ元通りだ。


「覚えてろよ。後でじっくり問い詰めてやるからな」


 コントローラーを道具袋に仕舞い、血で汚れた手ぬぐいは、水筒から多めに水をかけると固く絞って腰ベルトに引っ掛けておく。


「ここからなら採取場所の方が近いかな」


 昼も回ってしまったし、今日のケダマ草採取は一袋にしておこうかな。

 あとは草刈りとカピボー退治で大人しく過ごすとしよう。

 できるだけカピボーらを駆除しながら、俺は森の中を移動した。




 奥の森から離れると、何事もなくケダマ草を引きちぎり、草野郎どもを狩って一日の業務を終了した。

 本日もお疲れさまでした。


 昨日ほどの稼ぎがあればなあと淡い期待を抱いていたのだが、それ以上の稼ぎだった。奥の森方面まで突っ切りながらだったからか、キツッキとホカムリが結構混ざってくれていたんだ。

 なんと、2926マグだ!

 それにヤブリンのやつ150マグも持ってやがった。ありがとう藪スライム。


 千マグをあっさり達成してしまったか。

 今の内とはいえ、明日もそこそこ頑張れば次の宿代十日分は確保できる。

 そんな俺の安堵を乱すように、タグの内訳をさっと確認した大枝嬢は、はっとしたようにウロを開いて焦り声をあげる。


「タロスさん! どうされたんですか、ヤブリンなんて。まさか奥の森に?」


 また、誰の名前だよ。タロスだってワロス。俺の名前は、そんなに変幻自在なほど、こっちの人には言いづらいんだろうか。

 おっと話に集中しよう。


「いえ、奥を探索はしてないです。境目の石のところだけで。覗いていたら襲われたので仕方なく……」


 もごもごとしてしまった。これでは思い切り悪いことしたみたいじゃないか。

 わ、悪いことはしていない。強いて言うなら、警戒を怠ったのが悪いっていうか、身をわきまえず行動したのが悪いっていうか……。


「まあ、そうでしたカ。そんなところには滅多に居ないのですが、繁殖期ですし気を付けていただかないと」

「はい、申し訳ないです……」


 おかしいな。大枝嬢の態度に、何か引っかかるものがある。


「あのーそんなに大変な魔物なんですか? でも確か、モグーも奥の森面に居る魔物ですよね」

「面?」


 モグーが森の外まで出てきたことは珍しかったようだが、あの時は何も言われなかった。


「モグーの強さは低ランクといったところですからネ。危険なのはヒレと葉くらいでス」


 大枝嬢にとっても弱いのか。あの回転葉に切り倒されそうで天敵に思えるのに。

 俺ものすごく時間かけたんですけどって、その硬いヒレを切りつけていたからだ……。


「ヤブリンは足も遅いし噛みつくだけで、単体ではケダマと大差ありません。ですが……」


 いやいやいや、ケダマより随分と硬かったから! 硬いというか膝の高さほどある草の塊だし、どこが本体か分かりづらいから手こずったし!


 続いて声を潜めた大枝嬢から出た内容に、顔が引きつった。


「通常、背後にはツタンカメンが四、五匹ほど控えているのでス。もし近くにもう一組いれば、低ランク冒険者が一人で行動するのは危険ですヨ」


 おぉ、レベル6のツタンカメンがいるのか。蔦を背負った陸ガメもどきだが、甲羅は固めた樹皮だ。そこまで硬そうには思えないけど、ここではどうだろうな。

 ええと特殊攻撃は、そうそう麻痺効果のある蔦攻撃だ。


 ケムシダマと同系統の臭いがプンプンするぜー!


 それが何匹も……すぐに引き返してよかった。おや、なんだか、ヤブリンに感謝したくなってきたぞ?

 今さらながら冷や汗をかきつつ、ギルドを後にした。





 洗濯は憂鬱だった。

 たらいの水に汚れが広がるのを溜息と共に眺める。

 こうも頻繁に魔素洗剤を使う羽目になるとはな。先見の明ありすぎ。


 部屋に戻って洗濯物を干すと、パンツ一丁でベッドに寝転がる。すーすーする。

 夜は少し冷えるんだよな。部屋着が、欲しい。

 人の欲とはなんと果てしないものだろうか。


「おっとお休み前に、コントローラーのワクワク尋問タイムだ」


 ベッドの上に胡坐をかくと、道具袋の中身をぶちまける。

 コントローラーを手にすると、光へ指を乗せた。

 アクセスランプの上部、中央部分の狭い範囲に文字が現れ、横に流れていく。


 今まで気が付かなかったのはなぜだ?

 あちこち触ったが、こんな風にならなかった。だったら、変化したってことだ。

 いったい、何がトリガーだったんだろう?


 表示された項目に変化はないが、マグの数値は昼間に確認したときよりも増えていた。となると、やはり獲得量なんだろう。常に横から掻っ攫っていたもんな。

 タグの残額との違いから、これがマグの総獲得量だとして、一定量に達したから変化が始まったとか? キリが良さそうなのは一万だろうか。

 レベルも16と中途半端だから、こっちも関係するかは分からない。カイエンとのレベリングのせいで数えるどころではなかったから、数値が正しいなら助かりはするが。


「さあ、吐け。吐かないともっと辛い目に合うぞ?」


 指を触れたまま、また無意味と思いつつ引っくり返したりボタンを押したりコマンド入力してみたり試すが、当然のように何も起こらない。脅し文句も、意味はないようだ。


「なんて口の堅い奴だ。いいだろう、敵ながら天晴な奴よ」


 虚しくなって溜息をつくと、道具袋を片付けた。

 変化があったんだし、これから時々確認すりゃいいか。


 小さなサイドテーブルへ置こうと手を伸ばすと、視界が歪んだ。

 眩暈?

 失血のせいかな。あ、これが体内のマグが減って起こるやつなんじゃないか?

 コントローラーは、うんともすんとも言わないんだし、さっさと寝ちまおう。


 火を消して横になり目を閉じると、弱気が襲ってきた。

 怪我だけじゃなく、病気をしたらとか色々な不安がのしかかる。

 頼れる親族や友達はなく、これまで学び築いてきた勝手知ったる足場もない。価値観の違うだろう世界に居て、今のところは大したことは起きてないが、今後どんな間違いをするかも分からず手探りだ。


 これからも、こういったことは度々あるだろう。例え無茶しようとしてなくても、何が起こるか分からないのは、元の世界でも違いはない。


 冒険者としては最弱でも、気持ちだけは強くありたい。

 ありたいんだけどな……。




 ◇◇◇




 視界はうすぼんやりとしている。

 なんだか遠く、それでいてすぐそばにある光景だ。


 見覚えのある人物。二人の背中が目の前にある。

 彼らは日に焼けて明るい居間の畳に、肩を並べ胡坐をかいて座っている。

 暑い夏の日だ。

 開いた障子からは、眩い日差しが彼らの手前に四角い光の枠を作っている。

 クーラーはなく、外からの風と古い扇風機がガタガタと首を回して二人の髪を揺らしていた。


 親父と、小さな俺だった。


 自分の背中が見えるというのも妙なことだ。

 他愛のない話をしている二人をじっと眺めていると、この時のことを徐々に思い出した。




 物心ついて間もないだろうか、それとも幼稚園には上がっていたかな。

 親父が俺にビデオを見ようと言って、テレビの前に二人で陣取っているのだ。


 親父は黒く四角いプラスチックの塊を俺に見せて、にこにこと笑顔を浮かべながら、その前時代の記録媒体であるビデオテープを再生機へと押し込んだ。スリットがテープを吸い込むように呑み込むとガチャッとはまる音がし、テレビ画面にはノイズが走る。数秒の後に映像が流れだした。


 手書きのような文字で書かれたタイトルが、回転しながらズームして画面を埋め、勇ましい進軍ラッパのようなイントロがかぶさる。

 俺は大きな音にビクッと肩を震わせた。


「お父さん、なにこれ。古い、映画?」

「ドラマだよ。お父さんが太郎と同じくらいの歳に憧れていたヒーローだ」

「ふぅん」


 色褪せた写真のような色合いで映し出されたのは、大げさな動作を見せる特撮ヒーローだった。古ぼけた映像には、ちらちらと埃のようなものが掠め、「見過ぎてテープが伸びた」だとか親父は呟いている。


 時に俺の反応を窺うように親父はこちらを見下ろしながら、「怖い怪獣だろう?」「でもヴリトラマンは負けないぞ」「ほらきた必殺技だ!」など合の手を入れる。


 俺は不思議なものを見るように目を見開いたまま、なんとなく頷いていた。

 全身ぴちぴちスーツの破廉恥なヒーローと、奇怪な着ぐるみ怪獣が四肢を振り回して睨み合いながら、ぐるぐると走り回っているだけにしか思えなかったんだ。そんなところばかりが気になって、肝心の話は覚えていない。

 今でも解説できるのは、隣で一生懸命に語っている声を覚えているからだ。




 ラスト・アルハゲ星からやってきた宇宙治安部隊員のヴリトラマンは、太陽系に配属され、地球の日本を拠点にすべく人気のない場所にテレポートした。

 そこは滅多に人の通らないド田舎の細い国道だったが、景色が良く時にバイカーが訪れる。運悪く、その時ツーリング中のタロウを、なんとヴリトラマンが押しつぶしてしまった。


「いやぁ悪いね。私の命を手にしてヒーローになってよ!」


 こんなところで死ぬよりはと渋々要求をのむタロウ。

 しかしタロウは、なんの戦闘訓練も受けたことのない一般人。ただのサラリーマンだ。ヒーローになるような精神性に乏しいからと、印度の霊峰で修行をさせられるなど、タロウの日常は急変してしまう。


 どうにかタロウが日本へ戻ると、悪い怪獣が海から現れ日本を襲っているところだった。ヴリトラマン・タロウとして変身した正義のヒーローは、派手な改造バイクで東京湾へと走る。


 湾沿いに到着し怪獣との戦闘シーンというところで、なぜか砂の山を背景にした殺風景な工事現場に移動していた。

 そこで二者は向かい合うと、謎のポージングで威嚇合戦を始める。動き出したかと思えば普通のパンチやキックを繰り出し距離を取り、最後はヴリトラマンの掲げた右腕が光に包まれる。必殺技『ヴリトラソード』という名のチョップが叩き込まれ、怪獣を滅殺しフィニッシュだ。




 見終えた後、俺は目が点になっていた。

 ぽかんと口を開けたまま静かな俺を、見惚れているとでも思ったのか、親父は腕を組んで背を反らし鼻高々に宣言した。


「どうだっ、格好いいだろう? こうやって、大変な境遇にもめげず、困難にも知恵を絞って立ち向かうタロウは、まさにヒーローの中のヒーローなんだ!」


 清々しいドヤ顔だった。

 残念ながら俺にはその辺の格好良さは微塵も理解できなかったが、か細く頷いていた。


「……うん」




 荒唐無稽な設定で、あの時は目に映る奇妙なことしか頭に残らなかった。

 含蓄のあるストーリーがあったといっても、最後は結局必殺技で一撃必殺だもんな。初めからそれ使えよ、なんて考えていたのだ。

 もちろん、こんな擦れた言い方ではなく、今の言葉でいうなればだ。


 だけど――。

 今なら、少し理解できる気がする。


 親父が呼びかけていた『タロウ』は、俺のことだったのだと思う。

 何かを期待するように向けられた視線は、俺にそうあってほしいと願っていたんじゃないかと、そう思えた。




 ◇




 懐かしい夢を見たな。

 多分、初めて親父が番組を見せてくれたときだ。


 その後も、度々見せようとしていたが逃げていた気がしないでもない。

 だって見聞きする機会は、いくらでもあったのだ。もう洗脳だろ。間違いない。


 あらすじだけでなく、映像や掛け声の記憶が鮮明な理由は分かっている。

 後に親父は、LDからDVDやブルレと復刻版が発売される度に買ってやがるからな。居間から、ことあるごとに必殺技を雄叫ぶ声が漏れ出てくるのだ。


 そんな時には、母さんは台所の食卓で本を読んで暇を潰していた。


「仕事で大変な時のストレス発散みたいだから、そっとしてあげてね」


 後が面倒だから悪いわね~と、軽い声で念を押されたもんだった。




 目を開ければ、変わらず異国の宿屋だ。いや異世界か。

 怠さを振り切るように起き上がり、のろのろと服を着る。


 これがホームシックというやつだろうか。なってもおかしくはない。

 今まで自宅から家族と離れたことといえば、学校関係の旅行や合宿で一週間程度だったが、そのくらいじゃ帰りたいとは思わなかった。クラスのやつらと騒ぐのも楽しかったし、携帯ゲーム機もあったしな。

 そう、見慣れたものに囲まれた小旅行で、家に帰れることを疑いもしなかったからだ。こんな状況なんて、初めての体験だ。


 そういえば、こっち来てからゲームを遊びたいとも思えないのは不思議だ。

 じっとしている時間がないからだろうか。必死だし。


 それに自分の部屋と呼べる場所も、ないからかもな。長期で予約できるようになったとはいえ、宿は十日ごと。俺は稼ぐだけで精一杯。そして、必要なものはまだまだある。

 知らず、ため息が出る。これが生活苦ってやつなのか。

 重くなった気分を振り払って、部屋を出た。




 朝飯にありつくと、今の現実へと意識を切り替えていく。

 こんな仕事してりゃ頻繁に怪我くらいするだろう。だから次は装備を買おうと思っていたが高いもんだ。少しくらい、雑貨に回してもいいよな。昨日の反省を踏まえて、マグ回復の魔技石は買っておくべきだと思ったんだ。


 体内マグの流失による眩暈は、立ちくらみや疲労から来るものとどう違うか言葉にするのは難しい。貧血の経験もないから、それと近いかどうかも分からないが、わずかにふらつくだけで動いていると気が付かない。そのくせ、休んで自然と回復するまで続くらしく面倒だ。まあそれは減った量によるのかもしれない。

 翌朝も体が重いし、この宿屋バグってね?

 本当にゲームだったら、一晩寝るだけで全快なのにな。


 よし、決めた。

 マグ小回復の魔技石は250マグだ。昼休憩には道具屋へ行こう。

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