1話 『人生の転換点』

 ふわりと気持ちのいい風が頬を撫でる。

 いつの間にか、少年はどこまでも続くような広い草原で立ち尽くしていた。


「気がついた?」


 突然後ろから声をかけられた少年はぽかんとした表情を声の主であろう少女へと向けた。

 少女の年齢は少年と同じくらいだろうか。

 細く引き締まった身体、そしてそれを包むのは透明感溢れる白い肌。

 街を歩けば誰しもが目で追ってしまうと言って過言ではないほど綺麗だが、何故か彼女の顔の部分だけがもやがかかったように不鮮明だ。


「どんなときでも自分のことを信じて、周りの人を助けてあげて。私はそういうあなたが好き」

「君は?」


 状況が理解できない少年はそう聞くことしか出来なかった。


「私は──。あなたの名前は?」


 彼女の言葉はノイズがかかったように少年にとっておそらく大事であろう部分だけが聞こえない。


「オレの名前は・・・名前は・・・」


──あんまり無茶はしないでね


 自分の名さえ分からない少年を慈しむように抱きしめた少女が最後に耳元でそう呟いた気がした。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「おーい、生きてるかーい?」


 医療用ベッドへと横たわる少年に白衣を着た女が眠そうに声をかける。


「名前・・・オレの名前は・・・」

柊崎くきさき 悠馬ゆうま。それが君の名だ」

「そうだオレは・・・って生きてるのか?」


 白衣の女は悠馬が目覚めたことを確認すると、めんどくさそうに溜息をつきながらどこかへ事務的に連絡を始めた。


「被検体003、柊崎 悠馬が目覚めました。どの数値も問題なく、記憶の継続も確認。後はこちらで進めます」


 長い眠りから覚めたような感覚を覚えながら、記憶の整理をなんとか終わらせた悠馬は恐る恐る目の前にいる白衣の女性に説明を求めた。


「すみません、ここどこですか?オレ親の虐待で死んだと思うんですけど」


 おそらく自分が死んだという事実をこうも簡単に言ってのける悠馬に面食らったのだろう、白衣の女の顔が一瞬間抜けなものへと変わる。

 しかし、どうやら彼女は職務に一定の責任を持つタイプらしく、すぐさま話を続ける態勢へと戻った。


「ここは病院という認識で構わないよ。君はどこまで覚えてるのかな、最後の記憶は?」

「意識が薄れる寸前、誰かが部屋に入ってきたような・・・気がした」


 まずは緊張を解して、話しやすくする方が先か。

 堅い雰囲気が苦手な女はバツの悪そうな顔を浮かべながらそう考え、自らの自己紹介から始めることにした。


「私は君の担当医の西村にしむら 恭子きょうこ。気軽にキョーコって呼んでくれればいい、好きなものはイケメンと美男子。君は?」


 イケメンと美男子の違いはなんなのかという疑問をぶつけることをなんとか抑えた悠馬も恭子と同じように自己紹介をする。


「名前はもう知ってるだろ、好きに呼べばいい。好きなものは特にない」

「まったく、周りの人の話だと君は愛想がいいと聞いていたんだが?」


 何故ただの医師にすぎない目の前の白衣の女、キョーコが自分の周りのことを知っているのか。

 どういう風の吹き回しか両親を思い浮かべたが、あの両親に限って子供の見舞いなど来るはずもない。

 というか、この状態を作り出したのは他でもない彼らなのだから。

 そこまで思い至るまでわずか二秒半、


「周りの人って誰のことですか?両親とかですか?」


 そうではないことを分かっていながらも悠馬は一縷の希望、両親の改心を願ってそう聞いた。


「何言ってるんだ、君は自分でも言った通り親の虐待により死にかけたんだぞ?ジョークだとしても笑えないな」


 やはり予想通りの答えがキョーコの口から返ってきた。


「さて、何から説明したものかな・・・とりあえず話しながら君を連れていかなければならないところがある。ついてきてくれるかい?」

「嫌って言っても連れていきそうだな」

「君、可愛くないなー。顔はそこそこなのに勿体ない」


 否定しないということは肯定と同意だ。

 悠馬は密かに不審感を覚えながら、キョーコのあとを追い歩き出した。


 延々と白い廊下を歩き、上階へと上がりながら彼女から彼へ伝えられた話は俄には信じられないものだった。

 それもそのはず、2016年4月、親の虐待により瀕死の状態へと陥った悠馬をこの病院が引き取り、治療を試みたが意識が戻らず、当時実験段階であったコールドスリープにより6年の間凍結されていたというのだから。

 そんなSF映画じみたことを突然言われて、はいそうですかと言えるほど悠馬とて馬鹿ではなかった。


「まあ、驚くのも無理もない。しかしこれは紛れもない事実なんだよ。それが今から分かるはずだ」


 目的地へと着いたのかキョーコが足を止め、悠馬の方へと向き直り不敵に笑う。

 そして、悠馬の方へと白いネックレスのようなものを投げて寄越してきた。


「それ、首につけておいてくれ。私からの入学祝いだ」

「入学祝い?」

「そうだ。君はコールドスリープが終わってから、意識の覚醒まで1年を要した。つまり身体は高校入学程度に成長している」

「もういい、分かった。中3ぶっ飛ばして高校入学ってことね」


 もはやコールドスリープという得体の知れないものの話を聞いた後ならその程度驚くほどでもない。

 キョーコから渡されたネックレスのようなものを首へと装着した悠馬は話の続きをどうぞという意味を込めて、手を前に出すジェスチャーをした。


「残念だが時間だ、パートナーと仲良くな」

「は?」


 突然、キョーコの姿が視界から消え上空から空中へ放り出されたかのような感覚が悠馬の身体を襲う。


「ぎゃぁぁぁぃぃぁぁぁぁぁぁっ!!」


 迫り来るであろう地面との衝突に向け悠馬は身を固くする。

 その程度ではなにも変わらないことなど分かってはいても、本能的にそうしてしまうのだ。

 やってくる衝撃に備え、最悪の場合へ向け、決心を固めようとしたときコツンっと足が硬い地面に触れるのを感じ、悠馬は目を見開いた。


「あれ・・・空が近い、高層ビルの屋上?」


「まったく・・・悪い予感が当たってしまったわね。こんな頼りにならなそうな人がパートナーなら今まで通りソロでいいのだけれど」


 悠馬の背後から急にそんな美しい声が聞こえてくる。

 反射的に声のした方を向けば目の前に紺色のブレザーに白いスカートそして濃い黒のストッキングという、どこかの高校の制服と思しき姿の少女が立っていた。


「すまん、誰?もしかしてパートナーってやつ?」

「呆れた、もしかして何も聞いていないの?」


 女は本当に心の底から呆れてしまったようで、長い黒髪と新雪のように白い肌が映える美しい顔立ちに似合わないため息をこぼす。


「色々聞きたいことあるんだけどさ、質問いいか?」

「五分以内に収めてくれるなら」


 悠馬のそんな要望を至極めんどくさそうに女は了承してくれた。


「とりあえず、お前の名前は?」

「他人に名前を聞くなら、まず自分から。使い古された言葉を言わせないでくれるかしら」


(か、可愛くねー・・・)

 悠馬の彼女に対する第一印象が決定した瞬間だ。


「オレは柊崎くきさき 悠馬ゆうま。なんか色々あってこんなとこ連れてこられて、正直何が何だかよ分からん」

「私は九条くじょう 紗乃すずの。他の質問は?」


 どうやら紗乃は質問に淡々と答えるつもりのようだ。


「病院から急にこんなとこに来たんだけど、どういうカラクリなんだ?」

「簡単に言えば・・・そうね、ワープよ」

「わ、ワープ・・・。マジかよ」


 コールドスリープの次はワープ、キョーコによれば眠っていた時間は6年のはずだが、世界が自分の想像以上に進歩していて悠馬はまったくついていけない。


「時間切れ、5分経ったわ。次は私からの質問、あなた制服の下に何も来てないようだけど任務クエスト経験は?ランクは?A/D/Sどのタイプなの?」


 またまた知らない単語を並べられた悠馬は思わず口を開け、いかにも頭の悪そうなアホ顔を晒してしまう。

 それで大体を察したのか、紗乃は諦めたように屋上の端のほうへと歩き始める。


「私達・・・おそらくはあなたも、普通の人間にはない力を持ってる。その力は強大で、使用者次第で善悪どちらにでも利用できる」


 紗乃は歩きながら1つ長い深呼吸をして続けた。


「この力を使って人々を守る者もいれば、逆に人々を殺し、自らの欲のために力を振るうものもいるわ。そしてその力を不適切に使う人間を止め、被害を食い止めるのが私たちの仕事」


 紗乃の声はそこだけどこか特別な意味を持っているかのように力強く響いた。


「今日の任務クエストは私1人でやる。柊崎くんは私の後ろでこれから自分がどういうことをすることになるのか、しっかり見ていればいいわ」


 悠馬は紗乃の言葉に反応することが出来なかった。

 言いたいこと、聞きたいことがなかった訳では無いが状況をありのまま受け止めることで精一杯だったのだ。

 自分が彼女と同じカラーの制服を着ていることさえ《制服》という言葉が彼女の口から出た時に気づいたのだから。


 無言を肯定と考えた紗乃はどこからか取り出した二振りの赤い日本刀を腰へと帯刀し、慣れた手つきで流麗に抜刀する。

 その一挙手一投足の美しさに目を奪わていた悠馬の前で、彼女が刀を向かいのビルへ振るうこと4回。

 空気が叫ぶ様な音が一瞬聞こえ、向かいのビルの側面にちょうど人2人が入れる程度の正方形の穴が生まれた。


「ちょっと待て、あんな遠いとこ斬ったのか?」

「言ったでしょ、私達は特別だって。跳ぶわよ」

「いやいやいや、なにするつもりだよ。いや、分かるけど分かるけど!無理だってぇぇぇ!」


 紗乃が刀を素早く納刀し、悠馬の襟首を掴み体勢を低くする。

 彼女の脚から筋繊維が膨らむ音がバチバチと聞こえ、2人は夜のビル街の中を高速で文字通り飛び、つい数秒前穿たれた正方形の穴の奥へと着地した。


「お前バカか!?一体なにやって──」


 悠馬の抗議の言葉は紗乃の手によって塞がれ、消しさられてしまう。

 そんな悠馬の声を頼りに無数の銃弾が飛来する。


「バカはあなた。死にたくないなら、そこの影で静かにしておいたほうが身のためよ」


 そう小声で伝えてきた紗乃は悠馬を置き去りにフロアの奥、銃声の元凶へと一気に駆け出す。


「マジで映画かなにかかよ・・・、要するにあれだろあの銃持った強面のおっさん全員倒さなきゃいけないんだろ・・・」


 悠馬は紗乃が心配という気持ち半分、単純な興味半分で跳弾の危険性さえ忘れ、物陰から顔を出し自分なりに状況を纏める。

 そんな素人の心配など関係なく、壁、天井、障害物を上手く利用する3次元的な動きで弾幕を避けながら紗乃は一気に標的との距離を縮める。


 しかしそんなことが出来るのもある程度の距離があればの話だ。

 紗乃が近づけば近づくほど銃弾が彼女の身体を捕らえるまでの時間は短くなるが、彼女が壁や天井へと移動するのにかかる時間は変わらない。

 必然、距離が10mにもなってしまえば亜音速で飛来する銃弾を避けることは不可能になる。

 そんなことを直感で理解した悠馬は思わず紗乃に向かって叫んでいた。


「おい!九条!そこから先はもうお前でも避けれねぇだろ!無茶すんな、身体能力を多少強化してんだろうけど刀じゃ銃には勝てねぇよ!」


 悠馬の声に紗乃が反射的にちらっと後ろを振り向く。

 銃弾が飛び交う戦場の中で、その0コンマ数秒は致命的だ。

 至極当たり前のことに今更気づいた悠馬は目の前で女の子が銃殺されるという最悪の展開を予想し、思わず目を逸らす。


 しかし、そんな悠馬の鼓膜を震わせたのは人の身体が急に力なく地面へと倒れ、ぶつかる鈍い音ではなく鉄と鉄がぶつかり合う甲高い音と、1人の女の子の美しい笑い声だった。


「あなた、そんな面白いこと言えたのね。私の刀は銃より強い、今からそれを証明してあげる」


 悠馬の方へと可愛らしく笑った紗乃は後ろから迫り来る銃弾を振り向きもせず、まるで煩わしい羽虫を払うかの如く自然に全て斬り落とす。


「うっそーん・・・」


 もうそこからは一方的だった、飛んでくる銃弾を斬り、避け、作業のように峰打ちで相手の意識を刈り取っていく紗乃を見守ること2分。

 汗一つ見せない紗乃が散歩帰りのように涼しい顔で戻ってきた。


「お疲れ様、怪我はない?」

「怪我する要素どっかにあったか?」

「それもそうね、全部私が片付けたもの」

「はいはい、オレは足でまといですよ」


 悠馬は自嘲気味にそう呟く自分を見る紗乃の雰囲気に一瞬だけ違和感を感じたが、彼女に対する第一印象が第一印象なだけあってすぐにただの偶然と切り捨てた。


任務完了クエスト・コンプリート、敵味方共に死傷者0。以降のことは処理班に任せます」


 紗乃がどこかへとそう告げて数秒後、悠馬の身体を空間転送による慣れない感覚が再び襲う。


 そんな感覚から解放され、目を開けた悠馬の前に現れたのは広いキャンパスのような場所だった。


「ようこそ、理を越えし者デュナミス育成機関、ディケーへ。あなたが数日で死なないことを願ってるわ」


 それだけ言い残し紗乃はディケーと呼ばれた学校のような建物へと1人歩いて行く。

 短時間で理解が追いつかないことばかりを経験し、放心していた悠馬は遠くへ消えて行く彼女の姿をただ眺めていた。



「あいつについて行った方がよかったかな・・・。まあ、なんとでもなるか」


 紗乃の姿もとっくに消え、ようやく我に返った悠馬もまた彼女が向かった建物へと向かった。


 彼は九条 紗乃と初めて出会った今日という日をこれからの人生で忘れることはないだろう。

 何故ならこの日が彼、柊崎 悠馬にとっての人生の転換点ターニング・ポイントなのだから。

 そのことを彼自身が自覚するのはまだまだ先の話になるのだが。






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