私の望む物語、
ベームズ
心の距離の縮め方。
「……5寸釘?」
今、僕の数歩先にいる女が右手に握っている物を目にして、ふとその単語が頭に浮かんだ。
「……そう、これは5寸釘………」
ニコッと、満面の笑みをした女が、手に持つそれを僕に見せびらかすかのように突き出す。
「……何をするものか、分かるかしら?」
首を傾げ、問いかけてくる女。
「……えっと、呪い?」
5寸釘と聞いて、まず思い浮かぶのが、『恨みを持った相手に見立てたワラ人形に、それを突き刺し、トンカチを使って木に打ち付ける』という、呪いに使われる道具を意味するものだと思う。
僕もそう思い、女の問いかけに、手に持ったワラ人形をトンカチで木に打ち付けるジェスチャーを入れて答えた。
すると女は、
「プ……」
吹き出して、
「アハハハハハハハハ‼︎ 面白い答えね‼︎」
……腹を抱えて笑いだした。
「……何? 違うの?」
女の態度に若干の苛立ちを感じ、機嫌が悪くなる僕。
「ごめんごめん……別にあなたの答えをバカにしたつもりはないの……そうよね、5寸釘と聞いてパッと思いつくのはそれよね」
女は、なんか可哀想なものでも見るように、こちらを見てきた。
「……バカにするだけなら帰るけど?」
少しでも仕返しをしてやろうと、回れ右して立ち去ろうとする僕。
「あぁ待って待って‼︎違うの‼︎今のはあなたのジェスチャーがあまりに可愛かったからついにやけちゃっただけで……」
どうやら、可哀想なものではなく、可愛いものを見る目だったようだ。
「……じゃあ何に使うのさ?」
誤解ならと、仕方なく振り返って、もう一度だけ話を聞くことにする僕。
……絶対バカにしてると思っていながら振り向いてしまうあたり、なんだかんだ言って僕は、この女に甘いのだと自覚する。
「ちなみに、もししょうもない使い道だったら、散々僕の答えを笑ったこと、謝ってもらうから……」
あんなに僕のことを笑ったのだから、それはもう、たいそうな使い方があるのだろうと、彼女がその手に持つ凶器の使い道への期待が高まる。
「わかったわかった」
よほど自信があるのか、僕の出した条件に、余裕そうに頷く女。
「全裸土下座で。」
「全裸⁉︎」
「……冗談」
「だよねー……」
だからちょっと意地悪言って困らせてみた。
ホッと、胸をなでおろし、微笑んでくる女。
「じゃあ改めて、これの使い道、教えてあげる……」
そう言うと、女は、5寸釘を握った右手を、頭の上に振り上げた。
「さっきは笑ったけどね、あなたの言った回答で大体合っているの……」
そこで一瞬、彼女は少し寂しそうな表情になる。
「……えっ?」
思わず気の抜けた声が出てしまう僕。
「それって、つまり恨みを持った相手を呪いにかけるっていうこと……?」
「うん、そう……」
女は、眉を寄せて、悲しそうな笑みを作り、コクリと頷く。
……だが、そう言って頷きながら振り上げた手に力を込める彼女の動作は、なんだか嫌なことを予想をさせ、顔が青ざめるのを感じる。
「呪いなんて、一体誰に……?」
僕の知っている彼女は、誰とでも仲良くできる明るい性格で、特定の誰かに恨みを持つような人間ではない。
そんな彼女が呪いたいほど誰かを恨むなんて……
考えられない。
そう思い、問いかける僕。
「まぁ呪いというよりこれからするのは儀式みたいなものだけど……」
「――……に……ね」
すると女は小声でブツブツと何かを言った。
「えっ⁉︎ 今なんて……?」
僕の問いかけに、クスクスと笑いながら、眉を寄せて苦しそうな表情をする女。
「そう、これは呪いなんてそんな曖昧なものじゃなくて……」
5寸釘を持った手に込もる力がさらに強くなると同時に、彼女の目に何か、尋常じゃない覚悟のようなものが宿っていくのを感じる。
「えっ⁉︎ちょっ、何をするつもり?」
見るからに普通じゃなくなっていく彼女の雰囲気に、僕は、これから彼女が何をしようとしているのかを直感で察し、それが現実になる前に止めなければならないと、慌てて彼女に駆け寄る。
「――――‼︎」
――女を止めるため、手の届く距離まで近いた瞬間、女の口がまたブツブツと何か言った気がしたが、うまく聞き取れなかった。
僕の手が、5寸釘を持った彼女の手に届くほんの一歩手前、そこで彼女は手に込めた力を全身に拡散させ、そのまま勢いよく手を振り下ろした。
「――姉さん‼︎」
必死に叫び、姉を止めるべく伸ばした僕の手は、姉の腕をつかむことなく虚しく空を切る。
そして僕の姉――相沢葉月は、自身の胸に、5寸釘を深く突き刺した。
釘の刺さった彼女の胸からは、勢いよく血が吹き出し、周囲を真っ赤に染め上げる。
「……ごめんね」
……そう言い残し、床に倒れる姉。
姉の周りには、血でできた赤い水たまりが広がって行く。
「……姉さん‼︎どうして‼︎どうしてこんなことを⁉︎」
姉の血にまみれながら、なんとか応急処置をしようと、釘の刺さった場所に手を乗せる。
「私は、私自身がずっと憎くて、恨めしくて、仕方なかった。」
みるみるうちに衰弱していき、今にも消え入りそうな弱々しい声で、力なく理由を語る姉。
「どうして⁉︎ 僕は……」
今目の前で起きている現実が受け入れられず、どうしていいのか、頭がパニックを起こしている。
「僕は、姉さんのことが好きなのに……」
目からは涙があふれ、ぼやける視界の中、申し訳なさそうに涙を流す姉の顔だけが、やたらと目に焼き付いてくる。
「私もよ、私もあなたのことが好き。」
「だったら……」
と、続けようとした僕の言葉は、傷口に当てた僕の手に、姉の手が触れたことで、飛んでしまう。
姉は、「でもね」と、目で訴え、避けられぬ現実を語る。
「私達は血の繋がった姉弟、この気持ちは許されないものなの……」
葉月が申し訳なさそうに言ってくる。
「でも、そうと分かっていても、この気持ちは抑えられないよ‼︎ 僕は血の繋がりなんて気にしない‼︎」
たとえいけないものだと分かっていても、抑えられないのが感情というものである。
「私もよ、私も……でもね、あなたの気持ちを伝えられた時、少なとも私は、あなたの姉として、この気持ちを抑えなければならなかった。でも、それであなたと距離ができると思うと、割り切ることができなかった。」
僕の手に乗る姉の手から、力が抜けていく。
「私は、自分の気持ちも抑えられないような弱い自分が許せない。そして、どんなに思いが強くても、それを阻む私の体に流れるこの血が憎くて仕方ないの。」
最後の力を振り絞って言葉を紡ぐ姉。
「これからずっと、あなたに辛い思いをさせるくらいならいっそ、この体に流れる血を全部抜き取って死んでしまいたい……そして、新しく強い自分に生まれ変わってあなたとやり直すのよ……」
そこで姉の手から完全に力が抜け、手が地面に落ちる。
「これは……それに必要な……こ……と……」
「そんなめちゃくちゃな……そんな考えでこんなバカなことをしたの⁉︎ そんなことあるわけないじゃないか‼︎ 姉さんがいなくなったら、僕はどうすればいいのさ‼︎」
僕には姉の葉月しかいない、葉月こそが自分にとっての世界そのものであり、存在理由だ。
そんな存在を失ったら、僕は……。
涙を抑えられない僕に、葉月は優しく微笑み、
「……これは……お願い……私のことは……忘れなさい。自分の気持ちも抑えられない、こんな……弱い私のことなん……て。」
そう言って、悲しそうに笑った葉月の目が閉じる。
「姉さん⁉︎姉さん‼︎」
体を揺するも、もう二度と、姉の目が開くことはなかった。
「そんなこと……できるわけないじゃないか……」
流れ出る涙が止まらない、
視界はぼやけ、血の気がなくなりどんどん白くなっていく姉の顔がどんな表情をしているのかも、はっきり見えない。
「……姉さん」
返事はない。
僕は、すでに生き絶え、冷たくなっていく姉の手を握りながら、姉の側でうずくまり、泣き続けることしかできなかった。
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