第21話-04 サイレントライン



『ご……る……!』

 巨人が倒れる。大の字に投げ出された巨大な腕が兵舎の屋根を押し潰す。地響きとともに舞う砂塵の奥で、赤い眼光が数度かなしくままたき――消える。

 物言わぬむくろへとかえった親友の、頬骨のそばに緋女は降り立つ。羽毛のように柔らかに、慈しむように穏やかに。巨人殺しジャイアントキリングの再現をの当たりにして勇者軍は興奮を一気に沸騰させる。嵐のような称賛が渦巻き緋女を包み込む。しかし緋女は一顧いっこだにしない。ただ眼をじっと爪先へ向け、太刀の切っ先を砂に落として、どこかくすんだ緋色の髪を虚しく風に揺らすのみ。

 言葉は無い。

 必要ない。

 はがねの如き屈強の背が、隆々りゅうりゅう膨らむ雄々しき肩が、常軌をいっした熱量で砂すら融かしはじめた炎の剣が、百万言ひゃくまんげんを費やすよりもなお雄弁に物語る。焼け付くような激情とあい。握ったつかきつきしませ、暗雲の湧き上がるように振り返り、怒りに燃えた灼熱しゃくねつの眼で背後を屹度きっと刺し穿つらぬけば、そこにゆるせぬかたきがひとり。巨人の肩から振り落とされ、術の発動も間に合わぬまま地面にしたたか打ち付けられて、ようやく今、震えながら身を起こした不死の術士――

 ――ミュート。

「オォォォアアァァァァァァアッ!!」

 緋女が疾走はしる! 緋女が咆哮ほえる! 一陣の熱風と化して吹き寄せた緋女の太刀が縦に横にと閃き冴える! わずか一瞬、時間にして百分の一秒にも満たぬ刹那の果てに、ミュートは七つの肉片と化して腐血とともに破裂した。破裂である。緋女の太刀があまりに速すぎ、激しすぎ、斬られたミュートが爆発的に弾け飛んだのである。

「ぐっ」

 頭の右半分と右肩のみになったミュートが、くぐもった声を漏らす。最前から構築し続けていた術がようやくこのとき発動。《転送門ポータル》……異界を経由して長距離を移動する禁呪。空中へ開いた闇色の門の中へ、ミュートの肉の数片が飲まれて消えた。



   *



「っが!」

 魔王城第3防壁……その見張り塔のひとつへ転移したミュートの肉片は、空中の《転送門ポータル》から投げ出されて床へ潰れ落ちた。すぐさま全精力を傾けて肉体の再生にとりかかる。地獄から亡者を引きずり出し、これを練り上げて身体の部品と成す。こんな邪法に頼れば亡者どもの拒絶と抵抗が激しく魂を掻きむしり、生皮をぐような苦痛に絶え間なくさいなまれることになる。頭、首、胸、肩から腕……拷問のようにゆっくりと襲い来る激痛。ようやく口をきけるまでに再生が進んでも、飛ばすのは薄汚い唾罵だばばかり。

「クソッ……クソォッ……! クソッ! クソッ! クッソがァァーッ! どいつもこいつもっバカどもが! おれ以外全員バカばっかりだクソがァァッ!!」

 わめき、ののしり、呪いの言葉をき散らし、ようやく再生できた上半身で、見張り塔の胸壁パラペットい登る。

 痙攣けいれんするまぶたを気迫でこじ開け見下ろせば、戦況は最悪だ。巨人とミュートを撃退したヴィッシュたちは精鋭を引き連れ第一層西方面を前進中。第二層南東方面では、カジュが企業コープス術士部隊と互角の競り合い。そして勇者軍公称10万が西門、北門、南東門の3ヶ所から死霊アンデッド軍を踏み潰しつつ押し寄せてくる。

 このまま行けば、西と北の敵軍はほどなく第2城壁を突破し、中の死霊アンデッド軍を前後から挟撃し始めるだろう。おそらく、もってあと半時間。その前に敵の侵攻を遅滞させねばならないが、それには機動力のある大型死霊アンデッドが必須。ところが頼みの綱の不死竜ドレッドノート骨飛竜ボーンヴルムは既に東側戦線に投入済みで、しかもカジュひとりを相手に大損害を受けている。

 ――ダメだ。戦力がまるで足りねえ。

 ここまで接戦を演じていたかに見える死霊アンデッド軍だが、実のところ余裕はない。すでに予備戦力まで使い果たし、継戦能力の限界に達していたのだ。とはいえ苦しいのは勇者軍とて同じこと。ここでもうひと支えできれば、いずれ援軍が……魔貴公爵ギーツ率いる魔王軍本隊や四天王たちが戻ってくる。一気に形勢逆転できる。そこまで耐え抜きさえすれば。

 戦力だ。手駒がる。敵の快進撃にくさびを打ち込めるだけの実力を備えた、四天王と同等以上の手駒が……

〔僕が出よう〕

 その時、低く沈んだ少年の声が、ミュートの耳にそっと流れ込んだ。



   *



 魔王城地下の研究室で、魔王は屹度きっと地上をにらみ上げた。彼は《真竜ドラゴン》の製造作業に一段落つけ、手指の血汚れを洗い落とし、防御の呪文を縫い込んだ戦闘用の黒衣に着替え、すでに万端準備を整えている。魔王の目に揺らめくものは、暗い暗い怒りの炎。

「雑兵の10万ごとき相手じゃない。僕が戦えば済むことだ」

〔ダメだ〕

「なぜだい? 合理的な理由があるなら聞きたいね!」

〔お前ともあろう者が、そんなとげのある言い方してるからだよ!〕



   *



 ようやく再生しかけた脚で立ち上がりながら、ミュートは口の端に優しく笑みを浮かべた。よろめき、胸壁パラペットを支えに踏みとどまり、慎重に慎重に膝と腰を伸ばしていく。おかしな形に曲がって癒着していた関節が、骨の爆ぜる音を立てながら、どうにか動かせる程度にほぐれだす。

「なあクルス。お前気付いてねえだろ? 今、自分がどんだけ動揺しているか。

 一見常に冷静沈着、何事にも動じないようでいて、お前は誰より繊細だ。今までずっと、細かい出来事にイチイチ傷ついてきたじゃねえか。

 ヴィッシュはそのへんちゃーんと心得てるぜ? だから力ではなく心を攻めた。お前を焦らせ、戦場に引っ張り出すために。おそらくは一撃必殺の罠を仕掛けたうえでな。

 分かるか?

 勇者の剣や剣聖奥義が奴らの手に渡った時点で、魔王おまえは無敵でもなんでもねェんだ」

〔だから僕に見捨てろと言うのか!?

 たったひとりの親友が、なぶり殺しにされているのを!?〕

「そのとおりだよ!!」

 ミュートは天を仰ぎ見て声高に呪文を編み始める。皮肉だ。“たったひとりの親友”……友を守りたい一心で魔王が発した悲痛な叫びが、かえってミュートの心に火をつけた。

「あるじゃねえかァ! 兵隊のタネが、ここによォ!」

 振り上げた右手に狂気の赤光をまとい、手刀を胸壁に突き入れる。鋼鉄を凌駕する強度を持つはずの亡者の壁が、煮凝りゼリーのように柔らかに彼の腕を飲み込んでいく。これは彼独自の死術ネクロマンシー。死骸に自身の一部を《融合》させて、歪んだ生命を吹き込む禁呪。

 魔王城の防壁は、魔王が地獄から引きずり出した亡者によって出来ているのだ。つまりは死体。数え切れぬほどの死体の山。これを材料にすれば造れる。死霊アンデッド兵を、その気になれば何百万でも。

〔やめろミュート! それはただの死体じゃない。《死》の御許から《悪意》によって収奪されたけがれのおり、いわば《悪意》の結晶だ。制御しきれるものか! 君の方が飲み込まれるぞ!〕

 魔王の警句をミュートは肌で実感している。一寸深く亡者の中へ分け入るごとに、全身を恐るべき激痛が貫く。爪を無限に鉗子ペンチで剥がれるような。目玉を刃物で何百回もえぐり取られ続けるような。これは肉体ではなく心が喰い破られていく痛み。少しでも気を抜けば待っているものは魂の破滅だ。

 それでも退けぬ勝負なら――笑って強がるほかはない。

「オタオタしてんじゃねーよ、大将。

 王様ってのはなぁ……

 民が死のうが……

 国が滅ぼうがっ……!

 後ろの玉座にドッシリ構えて!

 他人ひとをコキ使うのが仕事だろうがァーッ!!」

 赤光がミュートの全身からほとばしる。光はうねり、分岐し、蔦葛つたかずらの如く物見塔の外壁をい降りて、魔法力線を亡者どもの中へ刻み込んでいく。やがて重々しい地響きと共に、塔そのものがうごめきだす。緩やかにしなり、高く伸び上がって頭をもたげ、束縛の鎖を引きちぎるように周囲の城壁を蹴散らして、一個の巨大な死霊アンデッドとなって進み出る。

 その姿はさながら、妄執を糸としてりあげた狂気の縛縄ライン。対峙する全ての者に死の沈黙サイレンスを強いる大蛇。

 名付けて、“妄黙の骨蛇サイレントライン”。

つらけりゃ目を塞いでな」

 妄黙の骨蛇サイレントラインの頭にもう胸までも融け込んで、ミュートは魔王を守る城そのものと化す!

「ここはおれの戦場だァ―――――ッ!」



   *



 おおおおお!

 おおおお、おおおおおおお!

 。魔王城のいたるところで城壁が不気味に蠕動ぜんどうを始めた。ぶ厚い城壁が真ん中から膨らみ、まゆを思わせる球体を作り、やおらまゆを内から破って怪物が躍り出る。あるいは天高く伸び上がり、あるいは地の生者たちをき潰し、口々に咆哮を響かせる魔物ども……10匹を超える骨の大蛇、妄黙の骨蛇サイレントライン

「おっ……応戦しろォべっ!?」

 勇ましく号令かけたひとりの騎士を、直後、妄黙の骨蛇サイレントラインが食いちぎる。飛び散る鮮血。駆け抜ける恐怖。果敢に抗戦を試みる者も少なくないが、まるで勝負になっていない。長時間に及ぶ戦いで疲れ果てたところに凶悪な大型魔獣の急襲だ。たちまち勇者軍の中に悲鳴が轟き、大混乱が巻き起こる。

「みんな落ち着けっ。」

 カジュは仲間たちの頭上を飛び越えながら《石の壁》を打ち立てた。いましも勇者軍の隊列にみつかんとしていた妄黙の骨蛇サイレントラインが、頭から《壁》に突っ込んで瓦礫がれきに埋もれる。

 しかしこの程度で仕留められるわけはない。瓦礫がれきの下では、早くも蛇が藻掻もがき始めている。死術士ネクロマンサーミュートがなりふり構わず投入してきた切り札だけに破壊力も耐久性も一級品。小技の応用で片付けられる相手ではない。倒しきるには相応の術が必要……だがカジュにはその余裕がない。

「キャハ!」

 甲高い狂笑と共に、敵がカジュへ殺到する。ネズミ頭の偽獣法師イミタティオン、その数のこり24人。

 達人級の術士30人を相手に4時間近く戦って、仕留められたのはわずか6人。なにしろ味方への援護射撃も絶やさず撃ち続けてのことだから、これが精一杯だったのだ。

 このまま何時間でも粘り通してジワジワ数を削ってやるつもりだったが、その前に戦況が変わってしまった。妄黙の骨蛇サイレントラインを早くなんとかしなければまずい。だがカジュが蛇どもの相手に回れば偽獣法師イミタティオンは喜んで勇者軍への法撃を再開する。

 敵から飛んできた《光の矢》を《盾》で彼方へ弾きつつ、カジュは額に汗を浮かべた。

「どうしたもんかな……。」



(つづく)

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