第14.5話-05 拒絶



 長征通りから拷問通りへ。降りしきる雨の中、ひた走るヴィッシュとドックス。背後には執拗に追いすがる“神智くらげゾフィザリア”の群れ。何度も追いつかれ、触手に触れられそうになるのを、ヴィッシュが咄嗟に斬り払い、あるいはドックスが駆けながらの速射で射落とし、なんとか予定地点まで辿り着く。

「こっちだ」

 足を滑らせながら丁字路を曲がれば、そこは審判通りの細路地。路地の真ん中に刀を担いで仁王立ちするは、赤毛の剣士緋女。彼女の横を走り抜けざまにヴィッシュは叫ぶ。

「頼む!」

「任せな」

 と不敵に笑う緋女の視界には、わらわら押し寄せるクラゲたち。

 直後、緋女の肢体が炎の噴き上がるが如く跳躍した。

 跳んで斬る。壁を蹴り再び跳ぶ。跳んでは斬り、斬っては跳び、縦横無尽に剣を閃かす早業で、10匹近くものクラゲどもが両断される。その間ほんの一呼吸。これを見てたじろぐ“神智くらげゾフィザリア”たち。その恐怖の視線を一身に集めながら、緋女は背中を丸めて着地する。

「狭いとこの方がいいってこういうことかあ。やっぱ賢いなあいつ。斬り漏らす心配ないもんな」

 ゆらりと花咲くが如く身を起こし、緋女は咆哮した。

「おらおらどんどん来いやァーッ!!」



   *



 緋女が敵を食い止めている間にヴィッシュは路地の奥へ。予定通りの地点に《風の翼》で舞い降りるはカジュ。ほとんど初対面のドックスが戸惑い警戒しているので、ヴィッシュは軽く紹介してやった。

「俺の仲間。術士だ」

「カジュでーす。《一時停止》担当しまーす。」

「ヴィッシュさん、これは一体……?」

 眉をひそめているドックス。無理もない、彼にとっては急すぎて状況が掴めまい。だが納得いくまで説明してやる時間はない。いつ緋女の妨害を“神智くらげゾフィザリア”が突破してくるか分からないのだ。

 ヴィッシュはカジュに合図の視線を送り、彼女に術の準備を始めさせながら、ドックスの両腕へ手を添えた。混乱するドックスの目をじっと見上げ、低く落ち着いた声色で、ゆっくりと説明してやった。

「いいか。あのクラゲのようなものは、“神智くらげゾフィザリア”という魔獣なんだ。お前に取り憑き、記憶を吸い取って、スエニのふりをしていた」

「ゾフィ……ザリア……?」

「ああ。俺も今回初めて知ったよ。すごく珍しいやつらしいぜ」

 ヴィッシュがニコと微笑みを挟む。つられてドックスも笑ってしまう。笑おうと思って笑ったのではない。単に習慣化した社交辞令的な愛想笑いが出ただけだ。笑いながらドックスは唇を小さく震わせた。何か言おうとしている。舌がもつれる。ヴィッシュは彼が自分の言葉を紡ぎ出すのを、目をそらさず、辛抱強く待った。

「じゃあ……あれは……スエニじゃない……?」

「そうだ。スエニじゃなかったんだ」

「じゃあ……僕は、どうすれば……?」

「大丈夫だ、俺たちに任せろ。カジュの術でお前とクラゲとの魔法的な繋がりを断つ。すると敵はお前を奪い返そうと姿を現す。そこを討ち取る。

 すまないが囮役をやってくれるか? お前にしかできない、とても大事な役目なんだ。どうかな?」

「あ……はい……」

「よし、よく言ってくれた。心配は要らない、分からないことがあったらカジュに聞けばいい……」

「ヘイ、ボス。第2波。」

 カジュの《発光》の杖が、路地の向こう――緋女が頑張っているのとは反対側を指す。杖の灯りに照らされて、雨の夜空にざわめく影がある。“神智くらげゾフィザリア”の一部が大きく迂回し背後に回り込んできたのだ。このままでは挟み撃ちになる。

「俺が食い止める。後は頼む!」

「あいさー。」

 ヴィッシュが得物を抜きながら敵に向かって駆け出したちょうどその時、カジュも魔法陣を完成させた。暗い石畳の上に青白い光の環が浮かび上がり、カジュの意識に合わせて次々に幾何学模様を描きはじめる。

 ドックスはヴィッシュを追いかけようと一歩踏み出すが、その行く手をカジュの杖が阻んだ。

「陣から出たらダメっすよ。」

 と、カジュは足元の魔法陣を凝視したまま淡々と言う。彼女は自分の仕事に集中していた。ドックスとは目を合わせようともしなかった。そもそも人付き合いの苦手なカジュであり、今日初めて会った人物とふたりだけで取り残されては無理からぬことだ。

 だがこれが後に仇となってしまった。もしドックスの様子に注意を向けていれば、気付くことができたかもしれない。

「スエニ……じゃない……なら僕は……どうすれば……?」

 ドックスの顔面に張り付いたまま凍り付いた笑みの、奥で静かに蠢きだす狂気の気配に。



   *



 ヴィッシュは地を這うかというほどに身を低くかがめながら、“神智くらげゾフィザリア”の群れに駆け寄っていく。抜き放ちざまの切り上げで手近な一匹を狙うが、これは宙へふわりと浮いてかわされる。

 その隙に敵の2匹ばかりがヴィッシュの左右をすりぬけ、ドックスを目指して飛んでいく。

 が、その2匹が突如、空中で真っ二つに切り裂かれ、ただのぬめる肉塊と化して落下した。

 あまりに唐突すぎる仲間の死に、クラゲたちがたじろぎ、動きを止める。何が起きたか分かるまい。無論、これはヴィッシュの仕掛けた罠である。

 この細路地を決戦の場と決めたヴィッシュは、道の特に狭いあたりを選び、あらかじめ刃糸ブレイド・ウェブを張り巡らせておいたのだ。左右を挟む2階建ての家屋、その屋根の突起や窓の手すりなどに引っかけて、上から下まで全部で5往復。そうと知らずに突っ込んできた獲物は、不可視の鋼線によって身体を切断される。

 安全に抜けられる場所は、足元の僅かな隙間のみである。さきほどヴィッシュが走るとき、異様に身をかがめていたのはこのためだったのだ。

 前回の戦闘で分かった敵の弱点は2つ。1つは、身体が柔らかいために刃糸鞭ワームウッドが極めて有効だということ。もう1つは、どういうわけかあまり高くは飛べないらしいということ。こちらの攻撃に対して上空へ逃げる手もあったはずだが、剣がギリギリ届く高さより上には一度も昇ろうとしなかった。最高高度は高く見積もっても2階建ての屋根程度。この高さまで罠を張れば、空中からの突破は不可能。

 そうとは知らない“神智くらげゾフィザリア”たちは、どうしてよいか分からず数秒硬直。その隙を待ち構えていたヴィッシュが間髪入れず剣を繰り出し、2匹ばかりをたちどころに切り捨てる。正気に返った1匹が触手をしならせ打ちかけてくるが、その軌道を見切ったヴィッシュはすんでのところで転がり避けた。

 これでいい。緋女とヴィッシュで前後はがっちりと塞いだ。あとはのらりくらりと敵をいなしながら、カジュが術をかけ終わるまで時間が過ぎるのを待てばいい。

 とはいえ。

 周囲の“神智くらげゾフィザリア”10匹ほどが、一斉にヴィッシュへ目を向けた。どうやらこの路地の突破を諦め、ひとまず目の前の敵を排除する方針に出たか。剣をぶら提げ、荒い息を吐きながら、ヴィッシュは強がりへらへら笑い。

「へへ……やっぱ楽はさせてくれねェか?」

 クラゲの触手が来る。ヴィッシュは鋭く息を吐き、石畳を蹴って跳躍した。



   *



 ヴィッシュと緋女が敵を食い止めている間に、カジュの術式構築は猛然と進行していた。ドックスの精神外殻配列パターン解析完了。世界内外接続ルート確保。自己了解系をマナ・プール内の一時的作業領域にマッピングし、“神智くらげゾフィザリア”本体の隠れ場所を特定。

 ――ほい発見。ちょろいね。

「もうちょっとっすよー。」

 と忙しく手指を走らせながらカジュが告げるが、ドックスの耳には聞こえていない。彼は青い魔法陣の中心にひざまずき、ただひたすら、小声で何か呟き続けていた。石畳を叩く雨滴を濁った眼で見降ろしたまま。行き場のない想いを我ひとりの胸に抱え込んだまま。



 ふと気が付くと、ドックスは光も音もない黒一色の世界の中に、ただひとりで立っていた。

 あたりを見回す。どちらを見てもあるのは闇。己の手を見る。足元を見る。不思議なことに、灯りひとつないこの世界において、なぜか自分自身の存在だけはぼんやりと浮かび上がって見える。ドックスはたまらない不安感に呼吸を乱し始めた。

 ここはどこだ?

 なぜこんなところに?

 他に誰かいないのか?

「スエニ」

 助けを求めて口から出たのは妻の名。スエニ、スエニ、繰り返し呼びかけ、返事がないのを知ると、彼は闇の中を歩き始めた。妻を探さねばならない。大切なひとなのだ。この暗闇の中で、どこへ行けばいいのか、一体何が待っているのか、なにひとつ分からないが。それでも行かねばならないのだ。

 やがてドックスは走り出した……

「スエニ。僕がどれほど君が好きだったか、百万回も伝えたかったけれどその機会はなかった。君の思いやり深さが好きだった。努力家で勉強熱心なところも。人付き合いが苦手で、特に初めて会う他人とはうまく話せないけれど、それでも意志をやりとしようと懸命に話しかけに行く、その健気さが愛おしかった。これはみんな君に言ったことだ。でも足りはしない。5回や10回伝えたところでなんだというんだ。この何十倍も……何百倍も……僕は囁くつもりだった! 20年、30年という時をかけて、少しずつ……少しずつ……」

 暗闇の中に、雨が降りだす。大粒の雨が石くれのようにドックスの頭を打ちのめす。全身ずぶぬれになり、あざだらけになり、それでもドックスは止まらなかった。彼は聡明な男だ、既に分かっていた。どれほど探し求めようと、もはや二度と妻に会うことはできないのだという真実を。

 だからどうした。

 正しさがなんだ。

 愛を追い求めるこの脚を、現実ごときが止められるというのか!

 声なき声でそう吼えた途端、雨粒がことごとく鋭い鋼鉄の針に変わった。降り注ぐ何万もの針がドックスの全身に刺さる。刺さる。容赦なく刺さる。一瞬のうちに彼は噴き出した鮮血にまみれた。身じろぎするごとに、一足踏み出すごとに、身体中に突き立った針が互いに擦れ、傷口を抉り、さらなる激痛が彼をさいなんだ。零れ出た涙は血に混ざり、ぬめりながら一滴、また一滴と足元に垂れた。

 これでいい。

 ドックスは、笑っていた。

 苦痛に涙を流しながら、同時に彼は笑っていた。

 暗闇の中に、小さな光を見出したのだ。

 ずっと、ずっと、探し求めていた光を。

「そうだ。この痛みこそ……」



 そのとき、カジュの術式が完成した。

「《一時停止》。」

 彼女の呪文に応え、魔法陣の青光が煌々と輝きを増す。良い出来栄えだ。カジュは自信満々に鼻息を吹く。

 だがその直後、にわかに魔法陣が血赤色に染まり、ぱきん! と音を立てて砕け散った。

「は。」

 カジュが驚き、一瞬硬直。

 ――失敗したっ。

 と認識するや、さすがにカジュである。すぐに我に返り、探査の術をかけて失敗の原因を探りはじめる。数秒後、カジュは絶句した。予想だにしない事態だった。

 

 “神智くらげゾフィザリア”の本体が《一時停止》を感知して妨害に出ることはもちろん承知の上。それゆえ少々のことでは打ち消されないよう、何重にも対抗措置を施しておいた。

 だが被害者自身が治療の術を拒むなど全くの想定外。当然、何の対策もしていない。念じさえすれば術を打ち消すことは確かに可能。可能ではあるが……

 ――なんなんだこの人。治りたくないのか。

 眉をひそめて顔を上げたカジュは、そこに驚くべきものを見、弾かれたようにその場を飛び退いた。いつのまにか立ち上がっていたドックスが、血走った眼を見開き、大きく開いた口から唾液を零しながら、小刻みに痙攣している。

 その喉の奥から――毒々しい赤と青に染まった半透明の触手が溢れ出て、周囲をぺたりぺたりと手探りしていたのだ。

 ドックスの精神内に潜んでいた“神智くらげゾフィザリア”が、本体を実体化させようとしている。それはすなわち、ドックスに残された僅かな存在感が食い尽くされようとしていることを意味する。このまま実体化させればドックスは死ぬ……いや、それどころか、この世界にことになる。

 もはや一刻の猶予も……ない!

 カジュは小さな胸いっぱいに、力強く息を吸い込む。

 ――えーい、愚痴ってられるか。ここはボクの持ち場だっ。



(つづく)

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