第12話-06 苦い夜明け


 緋女は巨人の一撃に弾き飛ばされ、なすすべもなく崖に身体を叩きつけられた。

「緋女ッ!?」

 ヴィッシュの悲痛な叫びが聞こえたのはこの時だ。緋女の身体が軋む。何本もの骨が音を立てて砕ける。口から鮮血が吐き散らされ、壊れた人形のようにして緋女の身体が地面へと滑り落ちる。それでもなお握りしめて離さない太刀が、岩にぶつかり乾いた音を響かせる。

 緋女が苦悶の呻きを漏らした。どうやら肋骨が折れている。肺を圧迫するか、あるいは刺さっているやも。一息ごとに堪えがたい苦痛が緋女を襲う。手足が動かない。戦いたいのに。怒りはまだ燃えているのに。身体が言うことを聞かないのだ。

 激戦の末に、緋女はたった一撃、巨人の打ち込みを喰らった。直前で太刀で受け、真っ二つにされることは防いだが、その圧倒的な膂力りょりょくは木の葉のように小さな緋女に致命傷を与えるには、充分すぎるものだった。

 ――強い。こいつ……あたしより強い!

 緋女が歯を食いしばり、必死に視線だけを持ち上げて、巨人ゴルゴロドンを睨みつける。

 そのゴルゴロドンが、胸に溜めた息を吐く。

「力量ならば、お嬢が上だ」

 緋女は目を見開いた。まるでこちらの考えてることを読まれているかのよう。巨人は静かに先を続けた。

「筋力と体力ではわしが優ろうが、技の冴えと速度ではお嬢に及ぶべくもない。そして剣の勝負は一撃必殺の世界。体格の有利などは技量と剣速でいくらでも覆せるものよ」

 ――じゃあ、なんであたしが負ける?

「覚悟の差だ。最後の一瞬、お嬢は迷った。斬るか、斬らぬかを」

 ゴルゴロドンの巨体が。

「おぬしの剣には義が足りぬからだ!!」

 山脈の如く立ち塞がる。

 太刀打ちできぬほどに巨大すぎる頭上の存在が、緋女を押し潰さんばかりの大音声で滔々とうとうと説いていく。緋女が今まで考えもしなかった、目を逸らし続けていたことを。

「お嬢の剣には、致命的に欠けているのだ。

 何を切るか?

 何故切るか?

 すべからくこうすべし、という確たる基準……ありていにいえば、斬る動機がな。

 ゆえに、剣を振るときといえば、仲間を傷つけられたり、怒りに駆られたり、なんとなく仕事で入用になったときばかり。

 無論、感情を否定はせぬ。大切なことだ。剣に気迫も乗るだろう。立ち上がり得ない身体を奮い立たせることもできるだろう。

 だが、情に任せた剣は、往々にして迷う。

 ひとの感情は時々刻々うつろいゆき、そのたびに矛先が変わるからだ。

 それが太刀筋を鈍らせる。ほんの僅かな鈍りではあるが、達人同士の戦いではその僅かな差がすべて。

 ゆえに! 同等以上の力の持ち主には、とたんに勝てなくなる!! 心当たりはないか!?」

 緋女の唇が震えた。

 脳裏に浮かんだのだ、ある女の顔が。この国に来てから唯一の敗北。技量において緋女を完全に上回った、生涯で最強の敵。

 道化の仮面――シーファ!

「つまり……おぬしの剣は、所詮、弱いものいじめに過ぎぬのだッ!!」

 激情が、緋女の意識を赤一色に塗り潰した。

 ――テメェ……言いやがったなァ―――――ッ!!!

 痛みも苦しみもかなぐり捨てて、緋女が太刀を杖に立ち上がる。立たなければ。戦わなければ。やつを斬って勝たなければ! 精神力が彼女を突き動かす。雄叫びを上げんと口を開く。

 しかし絶叫の代わりに飛び散ったのは、どす黒く染まった血の塊だった。

 血が大地を打つ。緋女がくずおれる。前のめりに倒れ伏す。

 とどめの一撃を打ち込まんと、巨人が剣を振り上げた。

 そのとき。

「プランBだ!」

 叫びながらヴィッシュが飛ばしたつぶてが、巨人の顔面に命中した。とたん、真っ黒なタール状の液体が巨人の目を塞ぐ。完全な不意打ちに一瞬気を削がれたゴルゴロドンの足元で、今度はぼそりと少女の声。

「《暗き隧道すいどう》。」

 どんっ!

 土を消滅させトンネルを掘る《暗き隧道》の術。それがゴルゴロドンの右足の真下に大穴を作り出す。当然ゴルゴロドンは体勢を崩し、横倒しに倒れ始める。いったんバランスを崩せば、この巨体である。途中で踏みとどまることは不可能。

「ヌオオオ―――――ッ!?」

 重力に引かれてゆっくりとゴルゴロドンの身体は転倒し、落着の瞬間、爆発めいた砂煙を巻き起こした。砂交じりの猛風の中、ヴィッシュが緋女に駆け寄り担ぎ上げる。ふたりの姿が砂煙に呑み込まれていく。

 そこへ“刃糸吐きブレイドスピナー”ムードウが駆けつけた。だが辺りは砂と暗闇に閉ざされ、鼻先さえ見えないありさま。ムードウは苛立ち、もうもうと立ち込める砂塵に向かって喚きたてた。

「ゴルゴロドン! 友よ! 無事か!? 生きているのか!?」

「ここだ、ムードウ! わしはここだ! 目が見えぬ……」

 ムードウは煙を掻き分けるようにして声の方へ近づいて行った。そうこうするうちに砂埃が収まり始め、ようやく視界が開けた時には、もう、ヴィッシュたち3人の姿は影も形も残ってはいなかった。

 ムードウは、倒れたゴルゴロドンの側に寄り、目潰しにやられた目を診てやった。一瞬の緊張の後、ムードウはほっと胸を撫でおろし、ゴルゴロドンの頬に手を乗せた。

「大丈夫だ。これは薬剤で洗えば落ちる。待っていろ、少し在庫があったはずだ」

「おお……友よ。大丈夫なのか。敵は、後始末人たちはどこだ」

「逃げたようだ。お前が無事でよかった……」

 と労うムードウの声が、言葉尻とは裏腹に、まったく“よかった”ふうではない。彼が薬を探しに行く足音を聞きながら、ゴルゴロドンは頭を抱える。

 ――ああ、いかん。お説教に夢中になって大魚を獲り逃すとは。偉そうに他人ひとのことを言える身分ではないなあ、わしも。



   *



 戦いは終わった。全体的に見れば作戦はほぼ成功。敵戦力の中核は破壊し、拠点も機能の大半を喪失せしめた。主要な目的はあらかた達成したのだからヴィッシュたちの勝利といってよいはずだったが、この勝利に喜びはない。

 3人は街道沿いの岩場まで撤退し、そこで苦い朝を迎えた。

 緋女の怪我は極めて重篤なものだった。全身の裂傷からの深刻な量の流血。骨折箇所は数えきれず。内臓には致命的な損傷。命があったのが不思議なほどである。緋女でなければ即死していただろう。

 それほどの大怪我も、カジュの術をもってすればたちどころに全快する。

 だが、魔法で傷は治せても、心までは癒せない。

 意識を取り戻し、昨夜の戦いを思い出してからずっと、緋女は岩の上に座り込んだまま、ぼんやりと地平を眺め続けていた。一言も口をきかず、ろくに身じろぎもせず。これまでになかったことだ。ヴィッシュはもちろん、カジュでさえ、彼女のこんな姿を見たことはなかった。

 朝食の支度を手伝うかたわら、カジュがそっとヴィッシュに耳打ちする。

「大丈夫かな……。」

 だがそれに対してヴィッシュは淡々と一言。

「ほっとけ」

「は。」

 カチンと頭にきて、カジュが僅かに目を細める。表情はほとんど変わらないが、猛烈な怒りの気配が肌身から針のように鋭く放たれている。ヴィッシュは取り合わず、黙々と兎をさばき、刻んだ野草を擦り込んでいく。

 保存食のビスケットと、兎の香草焼きで陰鬱な食事を済ませる。誰も何も言わない。

 それからヴィッシュは布切れに消し炭で文章をしたため、丸めて結わえて持ちやすくすると、緋女の側に寄って行った。

「緋女、仕事だ。重大な任務だぞ」

「……うん」

「これをコバヤシに届けてくれ。最悪の場合、街で戦闘になる。そのための備えが書いてある。この情報は極めて重要だ。お前に任せる」

「わかった」

「届けたら戻ってこい。夕方にプロピオン宿場の東の丘で落ち合おう」

 緋女は億劫そうに立ち上がり、街道を駆けて行った。

 じっとその背を見送るヴィッシュを、横からカジュが不機嫌に責める。

「ちょっと。」

「ん?」

「優しい言葉とかないんすか。」

「む……」

「ちょっと冷たくないすかね。」

「……こんな時に必要なのは言葉じゃない。仕事だ」

 その言葉を実践してみせるかのように、ヴィッシュは野営の片づけに取り掛かった。いつものように手際よく。しかしいささか荒っぽく。いつになく雑なその手つきが、彼の内心の動揺を如実に語っている。カジュの目から、怒りが融けた。

「緋女は今、嫌になってる。何故戦うのか、何と戦うのか、それと向き合うことに疲れている。ここが正念場なんだ。心底嫌気がさしちまったら、あいつはもう、立ち直れなくなる。その前に動き出すしかない……なんでもいい、少しでも前に進むしかないんだ」

「経験者かく語りき……か。」

「ああそうさ。だがあいつは俺とは違う。緋女は強い。緋女は必ず立ち上がる」

 荷物をまとめ、肩に担いでヴィッシュは立った。悲痛な目に切々たる願いを込めて。

「まあ見てろ」



   *



 緋女は走った。

 走り、走り、走って……走った。

 息が切れる。四肢の筋肉が心地よく引き締まっていく。街道は流れてせせらぐ小川となり、田園風景は融け崩れて輪郭を失う。空も大地も草木も鳥も、みな油絵具のように混ざりゆく中で、ただ駆け抜ける緋女だけが鮮烈に、赤。

 彼女は気付いているのだろうか? これほど精神的に落ち込み、肉体も疲れ果て、士気も下がり切って、それでもなお、誰より速く走れるのだということに。彼女は向き合っているのだろうか。腰にいた太刀を一振りすれば、いかな強敵もたちどころに両断できるのだという事実に。

 これほどの力を持ちながら。

 いや、これほどの力を持てばこそ。

 力の使いみちを自らえらばねばならない――あまりにも単純で、残酷な現実。

 緋女は足を止めた。

 苦しく肩で息しているのは、走り疲れたせいではない。首筋から陽炎が立ち昇っているのは、熱に浮かされているせいではない。胸の中に耐えがたい衝動がある。敗北。勝負。ヴィッシュ。カジュ。ゴルゴロドン。ややこしい状況。ポケットにしまい込んだ手紙、託された仕事。

 もうだめだ。爆発しそうだ!

「ォォォォオオオオアアアアアッ!!」

 緋女は雄叫びを上げ、剣を抜いた。

 乱暴に大上段に振り上げ、力任せに振り下ろす。刃が唸る。空気が裂ける。世界そのものまで真っ二つにしてしまいそうなほどの恐るべき威力。もう一度。もう一度! もう一度!! 振り回す。繰り返す。ただがむしゃらに、あてもなく、胸から湧き出る暴力の衝動に任せて凶器で虚空を打ちまくる。見る者が見れば戦慄するだろう。妙技に舌を巻き、あるいは恐れてひれ伏すだろう。だがそれがなんだ。竜をたおした。達人に勝った。それが一体なんだというんだ!

「こんなんじゃダメだ! ダメなのに……

 一体、あたしはどうすればいいんだよ!?」

 斬りたいものを斬れないんじゃない。

 斬りたくないものを、斬ってしまえる。

 板挟みが緋女の心を疲弊させる。

 緋女はとうとう、その場にへたりこんでしまった。

 動く気になれなかった。

 街に着いてコバヤシに手紙を渡せば、緋女は戦場に戻らなければいけない。戻れば戦わなければいけない。ゴルゴロドンに太刀打ちできるのは緋女だけだ。分かっている。緋女がやるしかないのだ。

 だから、もう、動けない。

 緋女はその場に座ったまま、しばらくぼんやりと空を眺めていた。白い綿雲がゆったりと流れていく。鳥が数羽、直剣を思わせる軌道で飛びぬけていく。風がそよぐ。遠くで林がざわめき、また、静かになる。

 どれほどの間、そうしていただろうか。完全に呆けた緋女は、街道を馬車が来るのにも気付かなかった。道端にあぐらをかいている緋女を見とがめ、荷馬車が止まった。馬と目が合った。かなり歳をとった馬らしく、瞳はすっかり濁ってしまい、落ち着きというより諦めと無関心の色だけを残していた。

「あれェ……ひょっとして、あの、緋女さんっすか?」

 荷馬車の御者が、馬車の上からぐいと身を乗り出してくる。緋女は目をしばたたかせる。

「……誰?」

「いやァー、すんません! 一方的にこっちが知ってるだけでェ。あの、第2まで行くんすか? ひょっとしてお仕事? 魔物狩りのっ?」

「そうだけど」

「マァジィー!? すっげーっ! あ、良かったらァ、乗ってってくださいよ! 今、荷台あけるんで。ね、ね!」

 そう言いながら、御者の青年は荷台に飛び移り、木箱を隅に寄せて座る隙間を作り始めた。緋女は茫然と立ち上がる。今さらになって、第2ベンズバレンまで行くと正直に言ってしまったことを後悔しはじめていた。なにしろ彼女は嘘が付けない性格。咄嗟のときには、つい思ったことがそのまま出てしまう。

 緋女が二の足を踏んでいると、突然、ぼとぼとと重い音がした。老馬が元気よく大量の糞を落としたのだ。たまらない悪臭が無遠慮に鼻を衝く。まるで、こんなところに留まるな、さっさとどこかに行け、と馬糞に笑われているみたいだ。

 緋女が顔をしかめていると、御者の青年が荷台から身を乗り出して、馬の足元の糞を覗く。

「ローディじいちゃん、今日も健康的だなァ」

 そして御者は、人懐っこく笑いながら手を差し伸べた。

「どうぞ緋女さん! ひとりくらい増えても大丈夫っすよ。コイツおじいちゃんだけどォ、パワーあるんで!」



(つづく)

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