第12話‐02 朝ぼらけの詩


 巨人ゴルゴロドンは、傷ついた緋女を家まで送ろうと申し出てくれ、緋女もまた、ウチで飯でも食べていってよ、なんて誘ったものだから、第2ベンズバレンの街は大混乱。

 なにせ屋根より高いこの背丈である。城門をくぐるのははなから無理。城壁を乗り越えることは可能だが体重で壁を崩してしまう。それでとった手段が、河を渡って東側の港から上陸すること。一番深いところでも胸のあたりまで濡れた程度で足が付いてしまうのだから、堀の役目もあったものではない。

 上陸したらしたで大騒ぎである。第四通りの後始末人ヴィッシュの家の、となりの空き地に巨人が腰を落ち着け呑み始めると、見物人がどうと押し寄せ、存外愛想がよい巨人ゴルゴロドンからお流れの杯が振舞われ、なし崩し的に酒盛りが始まり、歌が始まり踊りが始まり、果ては出店が営業を始める始末。もう完全に通りを挙げてのお祭りである。

 当然のごとく役人が兵隊引き連れ問いただしてきた。その巨人は魔物ではないのか、と。言い分至極もっとも。危うく剣呑な空気になりかけたが、

「ちょっとデカく育ちすぎただけのひとです。」

 という、カジュ説得によって事なきを得た。

 なにしろカジュの天才ぶりは、今やこの街でも有名である。あのセレン魔法学園の副校長を唸らせたとか。この若さで歴史に名を残す大発見を成し遂げたのだとか。その偉い学者先生が言うんならそうなんだろう、ということで収まった。そんなわけない。

「ヌフ! わりと柔軟ファジィな街だのう」

「適当でいいよなー」

 ヴィッシュの家の隣の空き地に向かい合って胡坐あぐらをかき、上機嫌に酒を酌み交わすゴルゴロドンと緋女。実際、緋女が犬に変身することも、もうこの街の住人は誰ひとり気にしていないのだ。もとが流れ者でできた街だからだろうか、異物もすっと受け流してしまうようだ。

 緋女は左手で杯を傾け――彼女の腕はカジュの魔法でもう治されている――中身が空だと気付くと、母屋の窓に向かって声を張り上げる。

「ねー! ヴィッシュ、ごはんもっとー!」

 眉間に皺を寄せているのは、母屋の台所に立つヴィッシュである。木窓のところにのし歩いていき、今や大宴会場と化した空き地を睨む。酔っ払いどもの真ん中で、緋女はもうべろんべろんになっている。

「冗談じゃねえ! 備蓄の食糧ぜんぶ食い尽くす気か!?」

 なにしろ迎えた客が巨人。胡坐をかいてなお、頭が3階建ての屋根に届いているほどの身長。食べる量も飲む量も生半可なものではない。ヴィッシュが懸命に料理しても、ゴルゴロドンにとってはほんの一口なのだ。

 その一口を、ゴルゴロドンはチョンと指先で口に入れ、地鳴りのような唸り声をあげる。

「ウーム。貴公、料理人なのか?」

「狩人だ。料理はただの趣味だよ」

「なんと! 趣味でこの腕前とは! 実に、うまい!」

「おう?」

「かつてリネットで高名な宮廷料理人フランソワの料理を食べる機会があったが……あの味に優るとも劣らぬ! いや全く見事なものだ。ゴル族の戦士ゴルゴロドン、まこと感服つかまつった!」

「へえ、そうかい」

 とヴィッシュは鼻を鳴らした。物欲しげに空いた杯をくわえた緋女を指さして、

「おとなしく待ってろ。もうすぐ次が焼きあがる」

 それから奥に引っ込んで、鼻歌など歌いだすのだから分かりやすい。宴会場でおこぼれにあずかっていたカジュは呆れ顔。

「ちょろい……。」

「それな」

「ヌフハハハ!」

 そこに焼き上がりを知らせるヴィッシュの声。

「カジュ! 皿持ってこーい!」

「ほいほい。」

 空き皿の2、3枚を拾い上げて、カジュが酔っ払いを掻き分け家に戻っていく。

 その背を微笑ましく見下ろしながら、ゴルゴロドンはちょいとお猪口ちょこを――その実、ヴィッシュの家で水くみに使っている壺である――傾け、心地よさげに目を細める。

「お嬢、楽しい仲間を持っておるなあ」

「そうだね。あっちこっち旅してきたけど、なーんか最近、居心地よくってさー……」

 ごろり、と緋女は大の字になった。地面から巨人の顔を見上げ、問いかける。

「ね。お前、どこから来たの?」

「ドラグロアだ。魔王戦争のころ、たまたま王と姫君の行列を魔王軍からお守りしたことがあってな。こんなでくのぼうに、騎士の位をくださったのだ。ヴルムだの鬼だのを相手にずいぶん戦ったものだった。

 しかし戦争が終わると、どうもこの、大きすぎる身体が疎まれるようになってなあ。なにせ100人前は食うものだから。

 だんだん居づらくなってきたので、ふらっといとまを頂戴してしまったのだ。それからは特にあてもなく、勝手気ままな浮雲暮らしよ。

 なあに、ドラグロアに恨みはないのだ。王は良くしてくださったし、別れを惜しんでくれる友もいたしな。しかしまあ……なんというか……戦がなければ、戦士なぞは無駄飯喰らいよ。わしの方でいたたまれなくなってなあ」

 と、遠い目。

 緋女がゴルゴロドンの膝に手を触れる。

「新しい居場所を探してるんだ?」

「ん?」

 ゴルゴロドンが目を丸くする。

「いや」

 2、3度口をぱくつかせ、

「うむ……」

 気まずそうに頭をぞろりと撫で、観念して苦笑する。

「まあ……そんなところだ。

 それよりお嬢の話を聞きたいのォ! あの剣は穿天流の分派と見たぞ。荒ぶる鬼神のようでいて、その実一片の無駄もないきれいな重心移動だった。もういっぺん見せてくれぬかのォ!」

「よしゃ! 見とけよ見とけよー、こだっ!」

 背筋のバネだけで跳び起きて、足捌きを実演してみせる緋女。そのしなやかな筋肉の、引き締まっては緩み、緩んでは絞られ、柔に剛にと千変万化するさまの美しいこと、さながら片時も姿をとどめぬ炎のよう。

 ゴルゴロドンは背中を曲げてカタツムリのように丸まって、地面に頬を擦り付けながら緋女の動きを観察する。

「ウウーム……い!!

 そうか。踏み出しの前に、既に身体の芯は動き出しておるのだな。おおっ、鮮やか鮮やか!」

「お前の薙ぎ払いも、アレやばいよな。あんなデカい剣あんな速度で振れるの、あれ筋力じゃねーよな?」

「おっ! 分かるかね? 嬉しいのう! しからば型を披露して進ぜよう。あー諸君、酒宴中悪いがちょいと場所を空けて……そうそう。ではゆくぞ! こうしてな……こうだ! ここでおへその下あたりをグッと固めるのがコツだ」

「こう?」

「もう少し脚がこう!」

「こうか!」

「さよう!」

「すげえ速い下段。これ怖いな」

「なにぶん身長が高いのでな、たいていの相手は下におるのだ。人間同士でなら相手の踏み込みにせん取るのに使えるぞ。それからな、それからな、たとえばこういう型ならば……」

 剣術談義は大盛り上がり。達人ふたりが目の前で見せてくれる演武に衆人はやんやの大喝采。誰からともなく我も我もと参加者が増え、いつのまにか緋女とゴルゴロドンの剣術教室が始まった。なにしろ荒っぽい港町のこと、喧嘩の腕を磨きたいという血の気の多い若衆はいくらでもいる。

「何この状況。」

 と茫然立ち尽くすのは、焼き肉の皿を持ってきたカジュ。周囲の酔いどれどもが彼女の小さな手に棒切れを握らせてやり、

「やってみ、やってみ」

 と囃し立てる。

「なんでだよ。えいっ。」

 つっこみながらも見様見真似で大上段から素振りを披露するカジュ。その一生懸命なたどたどしい動きに、周りみんなで大拍手。

「「カジュちゃんかわいーい!」」

「あたりまえだ。」

「何やってんだ?」

 続いて眉をひそめるのは、酒瓶を抱えてきたヴィッシュ。もちろん緋女が無理やり剣を押し付ける。

「おらー!! ヴィッシュくんのー! かっこいいとこ見てみたいー!! シュヴェーア剣術いってみー! はい、雄牛の構えーっ!!」

「ムッ!」

「あもう全然ダメ」

 バキッ、と緋女が棒を一振り、容易くヴィッシュの構えを崩す。がら空きになった胸に緋女が飛び込んで行って、力いっぱい抱き締める。ほおずりまでしてしまうくらいだから、酒が緋女の自制心をすっかり奪いきっている。

「切先ブレてるんだよー♡ だから懐に入られるー♡」

「うるせえよ……お、おい、離れろよ」

「やーだーよー♡」

「うっとうしいので《大爆風》。」

 炸裂した風の爆発が、宴会場の全てを吹き飛ばした。その一部始終を眺めながら、巨人ゴルゴロドンは祭り太鼓の轟くようにして呵々大笑しているのだった。



   *



 その夜。

 陽が沈むと、てんやわんやの宴会も潮の引くように静まって行った。出店も片付けられ、人々もねぐらへ帰り、空き地や路上には酔い潰れたのんだくれが10人ばかり転がるのみとなった。その中には酔い潰れたヴィッシュやカジュの姿もある。

「みんなだけ先に酔っちゃってさァ」

 緋女は口を尖らせて、杯の酒をズルリと啜る。彼女の胡坐を枕にしているカジュの頭を撫でてやる。不明瞭な寝言を漏らして、カジュが夢の中で笑っている。

「いつもちょっと寂しいんだよな。最後、あたしひとりだもん」

「強者の孤独か。酒も剣も同じよな」

 頭の上から巨人ゴルゴロドンの声がする。見上げてみると、ゴルゴロドンがくだんの壺から酒をちびちびやっていた。緋女がつぼみの解け花開くように破顔する。

「今日は寂しくないよ」

「ヌフッ。わしもだ。礼を言うぞ。ほんとうに旨かった。そして楽しかった。

 ……望外の思い出を得たよ」

「ね。お前さ、狩人、やってみない?」

「ほう?」

「お金、稼げるし。けっこう楽しいよ」

「この身体だしなあ。受け入れてもらえるかな?」

「だいじょうぶだよ。ヴィッシュに『おねがい?』って言うし」

「んん?」

「『なんとかして?』って」

「ヌフ! 頼りにしておるのだな」

「こいつが『まあ見てな』って言うとね、いっつも、なんとかなるんだよ」

 実際のところ、魔王戦争が終わって居場所を失くした兵隊に、後始末人はちょうどいい稼業である。

 なにせ魔王軍の勢いはすさまじいものであったから、通常の軍備ではとても対抗しきれず、どこの国もにわかな増員を余儀なくされた。しかし勇者に魔王が倒され平和が戻ってみれば、それほどの軍勢を維持する余力がない。必然的に失業した元兵士が溢れる。故郷に戻って畑仕事ができる者はまだ良かったが、戻る故郷さえ失くした者や、潰しの利かない身体になってしまった者も少なくなかった。

 裏の荒事屋や野盗に身をやつす退役兵がごまんといる中で、後始末人という仕事は彼らの大きな受け皿となった。切った張ったしか能がない荒くれ者が、辛うじて社会と折り合いをつけるための、貴重な手段のひとつなのだ。

 巨人ゴルゴロドンは顎を撫でた。真剣に迷っているのがありありと見て取れた。

「魅力的な提案だのォ……

 しかし……

 ウム。わしには、ちょいと、やらねばならぬことがあってなあ」

「そっかあ」

「ありがとうよ、お嬢。おぬしの厚意は、ありがたく受け取っておくよ。

 ……ああ、いかん。もう、いかん。

 なあ、お嬢。初めておぬしを見たときから、こう……むらむらと、湧き上がる衝動があるのだ。もう辛抱たまらんのだ」

 ドン、とゴルゴロドンは胡坐の両ひざに手をついた。

 緋女が口の端に笑みを浮かべる。

「オメーもかよ。実は……あたしもなんだ」

「これは奇遇な。ではふたり同時に言ってみようか?」

「名案」

「しからば」

 巨人、立つ。

「一太刀の!」

 緋女、受けて立つ。

「手合わせを!」

 ふたりの剣気が天を撃つ。

「「所望する!!」」

 互いを真剣の間合いに捉え、ふたりは夜の街に対峙した。

 ゴルゴロドンは低く唸った。大上段に構えた巨大剣、これをかすらせでもすれば彼の勝ちだ。なのにそこへ至る勝ち筋が見えない。振り下ろせばかわされ脚の腱を斬られる。フェイントをかければ見切られ懐に飛び込まれる。蹴りで攻める奇手はかえってこちらの体勢を崩されよう。

 ――想像以上よ。なんたる業前わざまえ

 緋女の額にもまた脂汗が浮かんだ。下段に降ろした自慢の太刀、一撃で命を獲る自信はある。だが相手には隙が無い。これほど巨大な身体の脚にも、脇腹にも、小手にも、針を通すほどの油断もない。打てば先を取られる。つまり死ぬ。

 ――やべーわコイツ。めちゃくちゃ強え!

 こう攻めれば、ああ取られる。ああ捌けば、そう来る。脳内でふたりは激しく剣戟を交わし、絶え間なく殺し、殺され、斬っては斬られ、斬られては斬り、数千の勝敗を分かち合った。それは会話であった。お互い剣の至境に達した者同士でなければ交わしえぬ言葉による、深く愉しい語らいだったのだ。

 呼吸いきが止まる。

 見つめ合う。

 夜風が過ぎる。

 月光が、刃に明々映える。

 長い長い対峙の末に、ゴルゴロドンは胸の息を心地よく吐き出し、剣を下ろした。

「フゥー……良い、立ち合いであった」

 緋女も肩の力を抜いて太刀を収める。

「はぁー……いや、まじでな」

「さぁーて! 疲れたら眠くなったのう」

「あたしもー」

「ここらで眠らせてもらおうよ」

「だいじょうぶ? こんな狭いところで寝られる?」

「なあに、慣れている。こうしてな、膝を丸めて横になれば、どこでも寝られるのだ。城ではいつもこうしていたものだ。おやすみ、お嬢……」

 ゴルゴロドンは横になるなり、すうすうと穏やかな寝息を立て始めた。まるで乙女のように品のいい眠り方。この寝方といい、穏やかな酒の飲み方といい、型を大事にした剣捌きといい、確かに身体は常人離れして大きいかもしれないが、見かけによらず繊細な男なのだ。

「おやすみ、ゴルゴロドン」

 緋女はカジュのそばに寄って行き、彼女を包み込むように抱いて一緒の毛布にくるまり、ほどなく眠りに落ちた。



 翌朝、緋女が目を覚ました時には、もうゴルゴロドンは消えていた。

 少し遅れてヴィッシュが目を覚ますと、緋女がひとり、毛布を手からぶらさげて、空き地の真ん中にぼんやりと立ち尽くしている。

「おはよう。巨人の旦那は?」

「これ読んで」

「これって?」

 緋女が脚元を指さす。

 そこでやっとヴィッシュは気付いた。緋女の隣に並んで立ち、地面を見降ろす。

 土を削り、空き地いっぱいに、別れの詩が刻まれていた。


 朝ぼらけ 君の寝顔に さようなら

 さえずる鳥に しぃっと指立て


「とぼけた詩だぜ」

 と苦笑するヴィッシュに、

「腹減った」

 と緋女。

「朝ごはん」

「手伝え」

「おう」

 ヴィッシュは家に戻っていく。緋女も後に続いたが、なにか後ろ髪を引かれる気がして、空き地の詩をかえりみる。

「愉しかったよ。今度会ったら、またやろうな」



(つづく)

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