第6話‐3 邂逅

 庁舎を出ると、


「なあ、今の話どう思う?」


 と、蒼矢が隣を歩く二階堂に尋ねた。


「毎日食べても飽きないなんて、とっても美味しいパンなんだろうな」


「そっちじゃねえよ! 黒髪の女のこと!」


 素なのか意図してなのかわからない二階堂の発言に、蒼矢は呆れながらもツッコミを入れる。


「ああ、そっちか。そうだな……その黒髪の女性が、この一連の事件に関わってるのは間違いないと思う。まあ、ただの人間とは思えないけどな」


「ああ。十中八九、妖怪だろうぜ」


「とにかく、職員用の駐車場を調べてみよう。何かわかるかもしれない」


 二人は、庁舎の裏手へと向かう。


 しばらく歩いていくと、職員用の駐車場に到着した。利用者用の駐車場程ではないが、そこそこの広さがある。


「結構広いな……」


 つぶやいて、二階堂はどう捜索したものかと思案する。


 しかし、どう考えても手分けした方が効率的なのは明白だった。


 しばしの沈黙の後、二階堂は庁舎側から、蒼矢はその逆側から捜索を始めることにした。


 二人は、ほぼ同時に駐車場内へと足を踏み入れる。すると、何かを感じ取ったのか、不意に蒼矢が立ち止まった。


「どうかしたのか?」


「……あ、いや。何でもねえ」


「そっか」


 二階堂は、さして気にも留めずに建物側へと歩いていく。


「何だ? さっきの妙な感じ……」


 眉をひそめてつぶやく蒼矢だったが、気のせいかと思い直し、二階堂とは反対方向へと歩き出した。


 感覚を研ぎ澄ませて、駐車場内をくまなく歩く。はたから見れば、駐車場をうろつく不審な人物にしか見えないだろう。だが、どこにあるかわからない妖怪の痕跡――妖気の残滓ざんしを探るには、この方法が一番なのである。


 しばらく捜索するも、特に目ぼしいものは見つけらず、駐車場のほぼ中央付近で二人は合流した。


「何かあったか?」


「いや、何も――?」


 なかったと言いかけた二階堂は、すぐ近くの駐車スペースに何かを感じて視線を向けた。


「何かあったのか?」


「あったというか、何か変な感じがするんだ」


「変な感じ……?」


 蒼矢は、二階堂が指摘した場所に近づき意識を集中させる。すると、何もない空間に浮かんでいる高濃度の妖気の欠片を感じた。


(何だ、これ?)


 意識をそれだけに集中させると、次第に正体が判別できるようになる。


「……これ、結界の残骸か? いや、違う。結界の存在が強調されてる――?」


 と、蒼矢は分析するようにつぶやいた。


 基本的に結界には残骸など存在しない。術者が結界を解除した瞬間に、その存在自体が消滅するからだ。


 しかし、例外もある。結界を張る妖怪が未熟な場合である。結界を構成する妖気を均一にできないことが多いため、解除の際に残骸が残りやすいのだ。


(あれ? この感覚、さっきの妙な感じに似てるような……?)


 既視感を覚えた蒼矢が思案していると、ふいに甘い香りが鼻腔をくすぐった。


 その直後、


「何かお探しですか?」


 二人の背後から声をかけられた。


 どこか楽しそうな声音は、若い女のものである。


 二階堂にもわかるくらい濃度を増した甘くかぐわしい香り――キンモクセイの香りが辺りにただよう。


 二人は、同時に弾かれたように振り向いた。


 そこにいたのは、艶やかな長い黒髪が魅力的なスタイルのいい美女だった。


「――っ!?」


 二階堂は息を飲む。


 気配どころか、足音さえも聞こえなかった。本当に、『突然現れた』としか言いようがない。


「……なあ、蒼矢。彼女の気配に気づいたか?」


 小声で蒼矢に確認すると、


「いや。声かけられるまで感じなかったぜ」


 蒼矢は平然と答えるが――もちろん、小声で――、その声音は驚きを隠しきれていなかった。


「何かお探しですか?」


 目の前の女が、もう一度同じ質問をする。


 肉感的な唇から紡ぎ出される声に、二階堂は本能的な部分を刺激され、濃い深緑色の瞳に吸い込まれるような錯覚を覚えた。


(……ヤバい!)


 そう直感した二階堂は、自我を保つために手のひらに爪をたてるように強く右手をにぎる。


「……ええ、人を捜してまして。柏木充さんという方なんですが、ご存知ありませんか?」


 二階堂は警戒しながら、あえて捜している人物の名前だけを答える。


 女は微笑みながら、柏木を知っていると告げた。そして、どこにいるのかも。


「すみませんが、案内していただけませんか?」


 二階堂が尋ねると、女は笑顔を崩さずうなずいて、駐車場の入り口とは反対側へと歩き出した。


 平然と彼女の後をついていく二階堂と、それを追う蒼矢。


「誠一。お前、何考えてんだよ?」


 自ら危険に飛び込むようなまねをして、と。


 蒼矢は、女に聞こえない程度の声音で二階堂に告げた。


「それはもちろん、柏木さんを助けることだよ」


 それ以上でもそれ以下でもないと、二階堂はあっけらかんと答える。


「それに、危険なのはいつものことだろ?」


「そりゃ、そうだけど……。ここ、たぶんあいつが張った結界の中だぜ?」


 何が起きるかどころか、無事に結界の外に出られるかどうかさえわからないと、蒼矢は危惧する。


「だったら、なおのこと彼女に聞かないとだな」


「……わかったよ」


 と、蒼矢はため息をついて諦めたように言った。


 しばらく歩いていくと、景色はいつの間にか駐車場から森の中へと変わっていた。


(フウコさんの時と同じ……。やっぱり結界の中ってことか)


 視線だけで周囲を確認した二階堂は、この場所が敵のフィールド内であるということを改めて認識した。


 しばらく進むと、広間のような場所に着いた。


 女は立ち止まって振り向くと、


「ようこそ、我が食料庫へ」


 と、優雅な所作で告げた。


「食料庫……?」


 二階堂はつぶやいて、彼女の後ろに視線を向ける。


 等身大の人形のパーツのようなものが、いくつも無造作に積み重ねられているのが見えた。いや、等身大の人形ではない。よく見ると、それはバラバラにされた人間だった。別の場所できれいに血抜きされた後に運ばれたのだろう、周囲に血痕はまったくなかった。


 眼前の光景に、二階堂だけでなく蒼矢までも絶句する。


 腐敗臭もしないそれは、どんな方法で保存しているのかはわからないが、本当に人形のようにきれいな状態を保っているのである。

 

「……何だよ、これ?」


 蒼矢は、ようやくそれだけを口にする。


「何って、私の食料よ」


 女は、さも当然のように言ってのける。


「食料って……それ、人間じゃねえか!」


「ええ、そうよ。だって、人間なんて私達妖怪の食料でしょ?」


「お前と一緒にすんな!」


 嫌悪感を言葉にのせて、蒼矢が吠える。もちろん、戦闘モードになるのも忘れない。


「てか、やっぱり気づいてたのか」


「そりゃあね。だって、貴方の妖気、だだもれなんだもの」


 そう言って、彼女はくすくすと笑う。


「……やっぱり妖怪か」


 と、二階堂は感情を圧し殺してつぶやいた。


「そう言えば、自己紹介がまだだったわね。私は蛇目じゃのめあい。ああ、覚えなくていいわ。貴方達は、これから私に食い殺されるんだから」


 そう言って、蛇目あいは高らかに笑う。


 奥歯を強く噛み締めた蒼矢は、武器を出現させて臨戦態勢を取る。しかし、隣に立つ二階堂がそれを制止した。


「柏木さんはどこに?」


 二階堂が静かに問えば、


「ああ、貴方達が捜してる人間ね。ここよ」


 そう言って、あいは自身の後ろの木を指さした。


 そこには、一人の男が吊るされている。しかし、肌は陶器のように白く、生気は感じられない。


 柏木の生存が絶望的だと悟った二階堂は、悔しさに歯噛みする。


「その表情、いいわ~。貴方はどんなふうに鳴いてくれるのかしら?」


 そう言って、あいは恍惚の表情を浮かべながら二階堂を値踏みするように眺める。


 そのねっとりと絡みつく視線に、二階堂は言い知れぬ恐怖を感じた。その瞬間、封印していた記憶が、当時感じた恐怖とともによみがえる。


 鼓動が速くなり、息が荒くなる。次第に、目の前にいる妖怪が記憶の中のそれと重なり、どちらが現実なのかわからなくなってくる。


「誠一?」


 相棒の様子がおかしいことに気づいた蒼矢が声をかけるも、二階堂からの反応はない。


「おい! しっかりしろ!」


 しかし、蒼矢の声は二階堂には届いていないようだ。


 蒼矢は舌打ちをすると、瞬時に瑠璃色の勾玉を作り出し二階堂のベストのポケットに忍ばせた。


「あら、案外もろいのね」


 あいが興ざめしたようにつぶやくと、蒼矢は殺意をむき出しにして彼女に向き直った。


「絶対許さねえ!」


 低くうなるように告げる。その瞳の色は、いつもの濃い藍色ではなく金色へと変わっていた。


「人間に味方してる妖怪なんて、私の敵じゃないわ。血祭りにしてあげる」


 余裕そうにそう言うと、蛇目あいは変化へんげを解いて正体を現した。

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