第五十四話 時をかけるバイト①

 ―― 大丈夫ですかっ!?  聞こえますかっ!? 大丈夫ですかっ!? ――


 薄れる意識の向こうで知らない人の声とサイレンが響く……。


 ―― 大丈夫ですかっ!? ――


 なにが? ……なに……が?


 遠くで車のクラクションがずっと鳴っている。


 うるさいな。早く止めろよ……うるさいな……。


 踏切の音だ。カンカンカン……うるさいな。


 ちがうな……これ、なんの音だっけ? ……うるさいな……。


 人の話し声が聞こえる。

 女の人の声だ、それも数人。人が寝ているのに何を騒いでいるんだ?



 うるさいなっ!!



「オゥエェェェェェエエエエっ!」

「ちょっ!? ソフィっ! あんたなにやってんのよっ!」

「時計見てたら目ぇ回ったぁぁぁぁオロロロロロぉ」


 きったねぇなぁ。あいつ、また吐いてんのかよ……あいつ? あぁ、ソフィリーナか……。


 その瞬間、ボンヤリしていた意識が急に鮮明になる。


 俺はなにを? 気を失っていたのか? なんで?


 一体なにがあったのかわからない。でも記憶はハッキリしていた。


 メームちゃんとシータさんの死闘が終わり、色々あって俺はシータさんにキスをされて、それで……。


 床に寝転がっているのか? 上半身を起こして辺りを見回すのだが、そこは知らない場所であった。


 真っ白な空間の中に幾つもの時計が見える不思議な場所。

 時計の針の刻む音がカッチカッチと一定のリズムで聞こえてくる。

 無数にある時計がそれぞれ奏でる針の音、どこかで鳩時計の鳴き声が聞こえたかと思えば、ゴーンゴーンと鐘の音が鳴る。

 しかし、これだけの時計がありそれぞれのリズムで時を刻む音を鳴らしているはずなのだが、俺の元に届くころにはそれは一つの音となる。


 まるで俺の心臓の鼓動に合わせるかのように……。


「あーあ、どうすんのこれ? 歯車にかかっちゃってるじゃない」

「これバレたら絶対に怒られるよ。下手したら首よ」

「はぁぁぁぁぁ、掃除するしかないかぁ……ソフィっ! なに寝てんのよっ! あんたのゲロなんだから自分で片付けなさいよっ!」


 時計の森の向こうから聞こえてくる女達の声、そうだソフィリーナ。あいつまたゲロ吐いて、ローリンやぽっぴんもいるのだろうか? ソフィって呼んでるから飲み仲間かもしれない。あれ? でもここって魔闘神のいる十二宮だよな?


 俺は不思議に思いながらも時計の間から覗きこむと、そこにはスーツを着たOLらしき女子が5人、その中の一人は黒髪のOL状態のソフィリーナであった。


「うぅぅぇぇぇ、気持ち悪いよぉ」

「いいからちゃんと拭きなさいよ。あとこれ、この歯車持ってて、失くさないでよ」

「うぅーん」


 あれ? なんかこの光景……知っているような?


 ソフィリーナはOLから歯車を受け取ると上着のポケットに適当に放り込んだ。

 そして複雑に組まれた歯車の装置を解体していき、ソフィリーナのゲロの掃除を終えるとOL達はゾロゾロとここから出て行く。


「あーあ、もうこんな時間だよ」

「もう終電終わってんじゃんサイアクー、今日あんたんち泊めてよ」

「えー、彼氏の家近いんでしょー? そこ行けばいいじゃーん」


 その後ろをフラフラとついていくソフィリーナだが、千鳥足である為どんどん引き離されて置いて行かれてしまった。

 俺はなにが起きているのかよくわからず、後を追うのだがその時ソフィリーナのポケットから落ちた物に気が付いた。


 それを拾い上げた時に俺はこの光景を思い出した。


「これって……ソフィリーナが言っていた。飲み会の帰りに、時の管理棟に忍び込んだって話にソックリだよな? じゃあ、これって……」


 俺は手にした歯車を見つめながら気が付く、それはメームちゃんの胸に埋まっている時の歯車と同じ形であることに。

 歯車なんて大体同じに見えるかもしれないが……いや間違いない。これは間違いなくメームちゃんの胸の中にあった時の歯車だ。


 そこで俺はようやく今自分が置かれている状況を理解した。


 俺は今、なぜだかわからないが元居た世界の過去に戻り、ソフィリーナが時の歯車を失くした瞬間に立ち会っている。と言う事はつまり、これをこのまま元に戻せば万事解決なんじゃないのか?

 そう思うのだがこの装置、なにがどうなってるのかまったくわからない。勝手に分解したら絶対元に戻せないだろうな。


「くっそぉ。あいつを追いかけて事情を説明して元に戻させるしかないか」


 俺は急いでソフィリーナ達の後を追うのだが、建物の出口を見つけるのに相当時間が掛かってしまった。

 ようやく出口を見つけて外に出ると俺は既視感を覚える。いや、ここは俺の知っている場所だ。

 近所の区立図書館。外観はまさしくそれであり、敷地内も俺の知っている場所であった。

 敷地から出ても一緒。つまり、時の管理棟なるものは区立図書館の中にあるってことなのか、もうてんで意味がわからない。


 深夜なので門はとっくに閉まっていた。

 俺は門を飛び越えてソフィリーナ達を探すのだが姿は見えない、完全に見失った。

 いや、行先はわかっている。今が本当に過去だと言うのなら、ソフィリーナの目指す場所は一つしかない。そう、俺のバイト先のコンビニだ。

 だったら急げ、まだ間に合うはずだ。俺は走り出すのだが踏切の所で遮断機が下り始める。


「くっそ、人が急いでいる時になんだよっ!?」


 いや待て? おかしくないか? 夜中だぞ? もう終電は終わっているはずなのに、なんで電車が来るんだ?


 まあ貨物車であるとか、回送車だとか、或いは点検車だとかそういうのもあるし、とにかく早くしてくれ。

 苛々していると踏切の向こう側に見える人影に気がついた。


 あれは? ……ぽっぴん?


 白いワンピース姿のぽっぴん。身に着けているのはそれだけで、杖も持っていないし裸足で靴も履いていなかった。


 ぽっぴんの顔に表情はなく、ぼーっとこちら側を見つめるとゆっくりと右手を横に上げて指差す。

 なにを指差したのか? 俺はそちらの方を見るのだが特に変わったことはない。再びぽっぴんの方を向いた所で電車が轟音を鳴らしながら通過し終え、遮断機が上がるとぽっぴんの姿は消えていた。


 一体なんなんだ? 気味が悪いと思いながらも今はそんなことをしている場合ではない。ソフィリーナと俺が異世界に飛ぶ前に追いつかなければと、俺は再び走り出した。






 目の前にはトラックが突っ込みグチャグチャになったコンビニがあった。

 突っ込んだ衝撃で壊れたのか、トラックからはクラクションの音がずっと鳴り響いている。

 俺は震える足でそこに近づこうとするのだが、なぜだかその場を動けなかった。



 遠くで聞こえるサイレンの音……。



 そうか……俺は……死んでいたのか。



 そして俺は気を失った。



 つづく。

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