第2話 目覚めて

 俺が目を覚ましたとき、世の中は大変なことになっていた。


 およそ300年ぶりの富士山の噴火と同時に起こった東海大地震。富士山の火山灰は首都圏へと降り注ぎ、関東一帯で停電が起こり、東名高速および中央自動車道が絶たれたことにより物流も麻痺、首都圏の機能は完全に停止し、大混乱に陥ったそうだ。

 そうだ、と伝聞系なのは俺はその現場を見ていないからで、現在はその混乱もある程度収まっているからだ。


 俺は半年間、眠っていた。


 俺が意識を失った後、富士山の噴火の影響はすぐに首都圏まで及び、被災地直下である富士山周辺はさらにひどい状況で、そんな中で俺が生き延びたのは、医者曰わく奇跡だった。


「きっと神様の加護ですよ」


 目を覚ました俺の担当になった、若くてかわいい看護士の加藤さんは俺の足をマッサージしながらそういった。

 富士山から流れ出した溶岩流は、俺の住んでいる街一帯を襲ったが、どういうわけかきれいに俺の家は避けられていた。

 富士山の噴火は最初の爆発後、二時間ほどでいったん収まり、その際に唯一無事な建物として捜索され、そこで倒れていた俺は助けられた、とのことだった。

 その後、隣県のこの病院に運び込まれ今に至っている。


「やっぱり、神社にはそういう力があるんですね」

「はは……そうなんですかね」


 曖昧に笑うしかない。


「だって、あり得ないじゃないですか。富士山が噴火して溶岩が流れて、それで、富士山を祀っている神社だけが無事だったなんて」

「まぁ、出来すぎですよね」


 そう。俺の家は、富士山を祀る浅間神社の総本山だった。

 もっとも、宮司をしているのは母方のじいちゃんで、父親は普通の会社員をしていたから普段暮らしているのは境内の裏手にある狭い平屋だった。

 ただ、自分の部屋の欲しかった俺は、母親の実家兼社務所で、今はじいちゃんしか住んでいないその家の一室を、自分の部屋のように借りて寝泊まりしていた。


「そうですよ。柊斗くんは神様に護られたんです」


 富士山を奉る神社の総本山だけが被災を免れ、神職の孫だけが生き残った。

 誰だって、人ならざるなにかの力を疑うに決まっている。


「柊斗くんのケータイに、誰かから連絡とかきましたか?」

「いやぁ、こないですね」

「そうですか……」


 しかし、その神社はもう存在しない。

 富士山は、最初ほどではないもののその後も噴火を繰り返し、今では神社も飲み込まれてしまった。 

 だから、噴火から俺が助かったのは奇跡としかいいようがない。

 あとから噴火の直後の実家周辺の写真を見せてもらったが、境内部分だけがきれいに溶岩流から避けられていて、社務所にいた俺は助かったのだった。

 神社の裏手にあった両親の住む家やその周囲はすべて溶岩に飲み込まれ、両親の生死は不明だった。

 本来なら俺と一緒にいたはずのじいちゃんは、その日はちょうど病院に検査入院していたため、こちらも生死が分からない。

 ばあちゃんは、俺が生まれる前に他界している。

 俺が住んでいた富士宮という街そのものが今ではもう全てが溶岩の下になっていた。

 そして近い親戚はみんな今回の噴火でやられてしまった、というのが俺の現状だった。

 俺に残されたのは、俺が運び出されるときに一緒に持ってこられたスマホだけだった。


「あの……言いにくいんですけど……これからのこと、考えないといけないかな〜って」

「そう、ですよね」


 目が覚めてから早一ヶ月。

 目覚めた当初は、自分の置かれた状況や住んでいた町の変わりようを現実のものとして理解できなかった。

 そもそも、半年間眠り続けた俺の身体は起き上がるのも辛いほど弱り果てていたため、周囲の状況どころではなかった。目を覚ましたときの全身のけだるさと、尿道カテーテルを抜くときのそれを超越して飛び上がるほどの痛みは今でも忘れない。

 俺の主事医や、加藤さんも最初は気を使ってか、富士宮の状況についてあまり多くを伝えようとせず、俺も強いて知ろうとはしなかった。

 とにかくまずはリハビリをして動けるようになろう、と主治医は言い、加藤さんが今してくれているマッサージもリハビリのためのものだった。

 リハビリも順調に進み身体は回復してきている。

 そして目覚めてから半月ほどして俺の身体もどうにかこうにか動くようになった時、俺の街の現状を詳細に伝えられた。

 

 街はなくなってしまった、と。

 そして、これからの身の振り方を考えてくれ、と。


「柊斗くんは、これからどうしたいとかありますか?」

「いやぁ、特には……」


 いまだに実感はなかった。

 だってそうだろう。目を覚ましたら、あなた以外の町の人はみんな死んじゃいました、なんて。家族も友人もみんなみんななくなっちゃいました、なんて。

 まぁ実際には俺以外にも生き残ってる人たちはいるらしいけど。

 テレビや写真で、富士宮の現状が写されることも多かったが、それだってなんだか映画とかドラマのできごとみたいで、全然実感がなかった。

 なんとなく夢見心地で、そうだとわかっていても信じ切れず、あいまいなままだった。


「そうですよね、困っちゃい、ますよね」

「アハハ、ホント、困っちゃいますね〜」


 俺の心ない曖昧な返事に、加藤さんが申し訳なさそうな顔をするのをみて、こちらも申し訳ない気持ちになる。

 だけど、ただの平凡な高校生であった俺に、自分のこれからを決めろ、と言われてもどうしたらいいのか、さっぱりわからないというのが本音だった。

 しかし、ここは病院だ。

 今はまだ好意で置いてくれているが、もう身体もほとんど癒えた身である俺がいつまでもいるわけにはいかない。

 国からの支援などの書類ももらっていた。

 でも、どうにもそれらを読んだりするのもできず、ただ毎日リハビリを懸命に必要以上に取り組むことしか出来なかった。

 苦笑いしか出来ない僕の顔を見て、加藤さんはなにか思い詰めたように口を開いた。


「あの……もしも、もしもですけど」

「はい」

「もしも、もうどうしても病院にいられなくなって、それでも行き場が決まらなかったら……うちに来ませんか?」

「え?」


 加藤さん。下の名前は、愛(あい)さん。今年で二十一歳になる、新米の看護婦さん。ふわふわパーマでまつげが長くて目がくりくりしていて、いつも笑顔で可愛くて、胸が大きい白衣の天使。

 尿道カテーテルを引き抜かれたり、全身を拭かれたり、恥ずかしい部分含めて全部見られ、現状俺が頼り切っている年上のお姉さん。

 そんな彼女から、まさかの愛の告白を受けて、俺は、俺は——


「ち、違いますよ!? 変な誤解とかしないでくださいね? ただ、なんていうか……私、そのほら! 捨て犬とか放っておけないタイプで——」

「す、捨て犬……」


 抱いた希望を即座に予想以上に打ち砕かれしょげる俺に、加藤さんは慌てたように手を振った。


「ご、ごめんなさい! 違うんです、そうじゃなくって、そうじゃないんですけどええと……なんていうか、そのほら! 私も元々静岡県民ですし、これもなにかの縁っていうか、柊斗くん放っておけないっていうか……」


 加藤さんは顔を真っ赤にしてモゴモゴといった。


「ええと、はい! マッサージはこれでおしまいです!」


 俺の足を最後にぎゅっと強く揉み、加藤さんはこちらを見ずにいった。彼女の手の平が熱を持っているのが伝わってきた。


「さっきのは、もしも! もしも本当にどうしようもなくなったときの最終手段とか、そういう風に考えてくれればいいので!」

「は、はい! ありがとうございます!」

「じゃ、じゃあ。失礼します! なにかあったら呼んでくださいね!」


 彼女はそういうとパタパタとサンダルを鳴らして出て行った。

 俺は彼女が去った際に残ったシャンプーの残り香を感じながら、これからについて考えはじめたそのとき


 ——prrrrrr


「うわっ」


 俺のスマホが鳴った。これまで広告メール以外にはまったく来ることのなかったスマホに、着信が来ていた。

 しかし、非通知発信となっているその着信に、俺はためらい、しかし通話ボタンを押した。


「もしもし?」

『その女には、気をつけなさい』

「は?」


 ——ピッ、ツーツーツー。



 謎の着信は、若い女の声でそれだけをいうとすぐに切れた。

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