第七十話 礼参 -オレイマイリ-


 ざわざわ、がやがや。賑やかにして忙せわしなく、騒がしくも楽しい。

 もうすぐ始まる文化祭を前に、学校にはお祭りのような楽しげな雰囲気で包まれている。

 そんな校内の廊下を、供助と太一は演劇の背景に使う道具を運んでいた。

 昨夜の依頼で体中に怪我をしている供助だが、肉体を使う仕事柄、体は何げに鍛えられている。この程度の重さの物ならば苦にならない。


「昨日の夜にあんな事があったぁってのに、どいつも元気にはしゃいでんなぁ」

「心配だったか?」

「心配って訳じゃあねぇが……原因に関わっていた以上、なんかあったら寝覚め悪ぃだろ」


 ダンボールを持って歩く供助の横を、忙しそうにすれ違っていく多くの生徒。

 不巫怨口女に生気を吸われ、何十人も生徒が気絶した。顔は土気色になるほど危険な状態にまでなったが、今じゃ誰も彼も汗を流して文化祭を成功させようとしている。


「祥太郎のクラスは食いモンの出店だっけか」

「確かたこ焼きとかって言ってたな。時間が空いたらあとで行ってみようぜ」


 目的地であった体育館に着いて、供助と太一は中に入る。

 今は体育館の壇上で軽音楽部がリハーサルを行っていて、有名な邦楽を演奏していた。

 二人は舞台近くの壁際まで移動する。道具は重い物も多く、使う時なったら持ち運びが少なくなるように、なるべく近い方がいい。

 軽音楽部の次が供助のクラスが壇上を使用できる番で、あと十分程で回ってくる。


「午後イチから開会式で、それ以降はもう練習で体育館は使えないからなぁ。壇上に立って練習出来るのはこれが最後だから、みんな気合入ってるわ」

「そんなのはどうでもいいからよ、これはここら辺でいいのか?」

「相変わらず冷めてんなぁ。丁度あそこが空いてるから、そこに置くか」


 どっこいせ、と呟いて、供助はダンボールを床に置く。

 午前中までが準備期間で、文化祭が始まるのは午後から。しかも、今日は生徒達だけ。一般開放がされるのは明日からである。

 なので、供助のクラスみたいな演劇や今練習している軽音楽部など、見世物の部類は殆んど明日になっている。


「おーい、背景のハリボテや小道具、全部持ってきたぞー」

「ありがとー、太一君。あんなに量があって重かったのに。もう運んでくれたんだ」

「地味に力持ちの供助が手伝ってくれたからな。お陰で早く終わったよ」

「えっ、古々乃木君……?」 


 太一が声を掛けると女性生徒が駆け寄ってきて、二人は軽い口調で話す。コミュ力が高い太一は供助と違い、クラスでは誰とでも仲がいい。

 しかし、太一が供助の名前を出すと、女子生徒は気まずそうな表情に変わった。


「あっ、その……古々乃木君もありがとう、ね」

「……おう」


 クラスメイトは、供助の顔を見るなり少し怯えながら礼を言う。

 普段、供助はクラスメイトとあまり話さず親しくないのもあり、加えて顔の傷。

 それがいつもに増して話しにくい雰囲気を醸し出していて、クラスメイトはおずおずとした反応をしてしまう。


「おい、もう少し愛想良くしろよ。せっかくお礼言ってくれてるんだぞ」

「うっせぇな。俺がそういうの苦手なのは知ってんだろ」

「はぁ、なんだかなぁ」


 相変わらず供助のぶっきらな態度と性格に、太一は困ったもんだと溜め息をする。


「ごめんなー、こいつが無愛想で」

「う、ううん! じゃあ、私は衣装のチェックするから。太一君は練習が始まるまで休んでて」

「あ、そうだ。委員長は? さっきから姿が見えないけど」

「和歌ちゃんなら第二校舎裏の倉庫に行ってるよ」

「第二校舎裏の倉庫? なんでそんなとこに」

「演出班と話して、照明がもう一つあった方がいいって事になったの。他に手が空いてる人が居なかったから、練習が始まる前に和歌ちゃんが取ってくるって」

「照明器具って結構な重さだぞ、一人で取りに行ったのかよ」

「うん、私も自分の仕事で手が離せなかったから……」


 女子生徒は申し訳なさそうにして太一に答えていく。


「よし、じゃあ丁度良い。供助、手が空いてるんだから委員長の所に行って手伝っこい」

「はぁ? なんで俺なんだよ。手が空いてんのはお前もだろ。面倒臭ぇ、お前が行ってこいっての」

「俺は俺で運んできた道具が全部あるか確認したり、破損や不備がないかのチェックする仕事があんの。お前じゃ道具全部を把握してないだろ?」

「……わったよ、行きゃあいいんだろ。行きゃあよ」


 大きな溜め息のあとに頭を掻いて、供助は渋々といった態度で体育館から出て行く。

 和歌が居ると言う第二校舎裏の倉庫は外。面倒な事に外靴に履き替えなければいけない。

 体育館から下駄箱は近く、すぐに着いて靴を履き替えて外に出る。教室も廊下も体育館も、もちろん外も。やいのやいのと生徒達が賑やかに文化祭準備をしている。

 昇降口前の広場や中庭など、大きく開けた場所では出店の準備が進められていた。パイプでの骨組みや、看板の設置など。一番ここが活気があるように見える。

 ちなみに。昨夜、供助と猫又が死闘を繰り広げた校舎裏の砂利場は駐車場となっている。

 あと不巫怨口女が激突してひしゃげて破損したフェンスを教師が見付け、誰が壊したのかと少しだけ問題になったという小話があったり無かったり。


「随分と静かなもんだな、こっちは」


 賑やかで騒がしい中を抜けて、第二校舎の裏に来ると一気に人気が無くなる。

 ここは学校の敷地内でも端の方で、文化祭でも使われる場所じゃないのが理由だろう。


「倉庫ってのはあそこか」


 ぽつんとある、小さいプレハブの小屋。少しボロさがある倉庫。

 倉庫の引き戸が開いたままなのを見ると、恐らく和歌は中でまだ照明器具を探しているんだろう。

 供助は背中を丸めて歩き、のそのそと倉庫に向かって行く。


「おーい、和歌。いるかぁ」

「ひゃいっ!?」


 供助が倉庫の入口から顔だけを覗かせると、中から裏返った声が返ってきた。


「え、あっ……供助君? びっくりしたぁ」

「なんでそんなに驚くんだよ」

「だって、ここ薄暗いし、誰かが来るとは思ってなくて……」


 和歌は両手を胸元にやって体を縮こませ、声の正体が供助だと分かるとホッと胸を撫で下ろした。


「探してんのは見つかったか?」

「うん。色々な物に埋まってて手間取ったけど、ついさっき取り出したところ」

「じゃあ和歌は外に出てろ。俺が出して持ってく」

「手伝ってくれるの?」

「太一に言われたんだよ。重いから手伝ってやれってよ」


 和歌と入れ替わりで倉庫に入り、供助は少し埃を被っている照明を見付ける。

 持っていくのは古い型の照明で、最近のとは違って大きさが目立つ。重さは優に五キロは超えるだろう。

 それを供助は手こずる様子もなく、ひょいっと簡単に持ち上げた。


「悪ぃけど、手ぇふさがってるから扉閉めてくれ」

「あ、うん」


 供助が倉庫から出て、和歌は扉を閉めたあとに鍵も掛ける。

 最近は学校施設での盗難事件も珍しくない。この学校では保管場所などは鍵掛けを義務付けられている。


「供助君、一人で大丈夫? 私も一緒に持った方が……」

「一人で大丈夫だ。この方が早く運べるしな」


 先に歩いていた供助を駆け足で追って、和歌は隣に並ぶ。


「怪我、大丈夫? 痛くない?」

「まぁ朝は傷の痛みで目ェ覚めたけど、余程の無理をしなきゃどうって事ねぇよ」

「な、なら私がそれ持つから! 供助君は怪我人なんだから無理しなくっていいって!」

「だぁから、大丈夫だっての。こんくらい無理でもなんでもねぇって」


 照明を持とうと接近する和歌に、供助は足を止めて腕で遮る。

 手伝いに行って手伝われてるのを見られたら、太一に何を言われるか。


「傷が痛くなったら言ってよ? すぐ代わるから」

「痛くなったらな」


 そっけない態度で返して、二人は再び歩き出す。


「猫又さんも怪我をしていたけど、どう? 体調は大丈夫?」

「元気に飯食ってたよ。あいつは怪我よりも妖気が尽きたのが問題だからな。それ以外はいつも通りで食い意地張ってらぁ」

「そっか、良かった。じゃあ、明日から一般解放される文化祭に来るの?」

「あ? 来る訳ねぇだろ。なんでだ?」

「昨日、文化祭に来たがってたから来るのかなって」

「あいつが来たら面倒臭ぇだろ、来させる訳がねぇ。第一、今は人の姿になれねぇからな。来たくても来れ――」


 ガサッ。近くの茂みから、葉が擦れる音。

 二人が目を向けたと同時に、茂みから黒い影が飛び出した。


「にゃあ」


 出て来たのは黒猫。噂をすれば黒い影。

 黄色の目で、赤い首輪をしていて、それに鈴が付いていて、前右足に包帯が巻かれた、ごく普通の黒猫。

 まるで二本の尻尾を絡めて一本にしたように太い尻尾をした、どこにでもいる至って普通の黒猫。


「ね、ねぇ供助君。この黒猫って……」

「知らねぇ。ただの迷い猫だろ」


 和歌が何を言いたい事をすぐに察し、供助は無視して歩き出す。

 しかし、その後ろを付いてくる、見覚えがあるような黒猫。


「にゃー」

「だってほら、前足に包帯が巻かれてる」

「怪我する動物なんて珍しくないだろ」

「にゃーってば」

「なんか、鳴き声に人語が混ざったような気が……」

「気のせいだ。野良猫なんざ無視しろ無視」

「にゃーすけ」

「今度は供助君の名前っぽい鳴き声したけど」

「んな訳ねぇだろ、無い無い」

「のぅ、供助ってば。無視するでない」

「あ、ほらやっぱり猫又さん……」

「てめぇよ」

「ぬ?」


 照明を一旦地面に置いて、振り返る供助。むんず、と。鷲掴むは黒猫の首根っこ。

 そして、供助は大きく息を吸って、大きく振りかぶって、それを……投げた。

 それはもう全力で、加減も無く、出せる力を全部使って。思いっ切りブン投げた。


「家で大人しくしてろっつっただろうがぁぁぁぁぁ!」

「キィライホウッ!」


 遠投。全身全霊、全力全開の遠投。

 昼間の青い空に流れる、一筋の流れ星。


「ちょ、供助君!?」

「怪我してんのに食い意地でここまで来たんだ、あれ位ぇ大丈夫だろ」


 供助は悪びれもせずに照明を持ち直し、さっさと歩いて行く。

 気に止むな。黒き彼女は星になったのだ。





     ◇     ◇     ◇





 なんとか練習開始前に照明を持ってきた供助は、体育館の床に座りながら壁に寄り掛かって演劇の練習を眺めていた。隣には太一が居て、供助と同様に練習風景を眺めている。

 今はクラスメイトの半分が体育館の集まって、文化祭の出し物である演劇の通しと最終確認をしていた。

 壇上には太一達の小道具班が作った演劇のセットの一部。それと衣装を来た出演者が意気込んで演技をしてる。その中には急遽、ロミオ役をする事になった委員長もあった。

 壇上で順調に進んでいく演劇だが、背景は少し殺風景。本当ならもっと大きな背景用のハリボテがあるのだが、今日使って片付けてまた明日使うのが大変だという事で使っていない。なので、今は必要最低限の物だけで最後の練習をしている。

 昼休みが終わったら、この体育館で午後一から開会式。それ以降は練習に舞台を使えない。なので、これが最後の通し練習の為、全員が気合を入れていた。


「今からやってんのは通しと最終確認だろ? なんでわざわざ衣装に着替えてんだ?」

「各々が試着してサイズ確認はしたけど、衣装を来た状態で演劇をした事はなかったからな。動いて破れたりしないかも確認してるんだよ」

「本番が明日だってのに、今からやる通しで破れて直せんのかよ」

「一部が破れたり穴が空いたり、切れた程度ならすぐ直せる。ウチの衣装班の裁縫レベルは結構高いんだぞ」

「ふーん……てかよ、つまりは演劇に出ねぇ俺等は見てるだけって事じゃねぇか。居る必要ねぇなら帰りてぇんだけど」

「そう言わずに見とけって。練習で小道具が壊れたら俺達の出番なんだからさ」

「そんなのお前一人で直せるだろ」


 不貞腐れるように胡座をかいた足に頬杖を突き、暇そうにする供助。やる事もなく、興味が無い物を見せられていてはそうもなろう。

 早速、運んできた照明も活躍しているようで、和歌が演じるロミオが舞台に立てばスポットライトが当てられていた。


「もしも私の心のこの愛の気持ちが……」

「でも、やっぱりお誓いにならないでください。私はあなたがとても好きですけれど……」


 壇上では主役であるロミオを演じる和歌が声を大きく張り、最後の練習は滞りなく進んでいく。

 このまま衣装や小道具に問題が無ければ、明日の本番は成功するだろう。


「そういえば打ち上げの件は考えてくれたか? 文化祭の閉会式が終わったあと、駅前の定食屋でやるんだってよ」

「定食屋ぁ? なんでまたそんな所でやんだよ」

「クラスメイトの親がやってる店で、貸切にしてくれるんだってさ」

「と言ってもなぁ……俺なんかが行っても気まずくなるだけだろ。文化祭準備をろくに手伝ってねぇのによ」

「こうして何事もなく文化祭に臨めるのはお前のお陰なんだ。参加する資格なら十分にあるって」

「はっ、昨夜の事なんざ誰も覚えていねぇのに、俺のお陰もクソもねぇだろ」

「俺等が覚えてる。それだけじゃダメか?」

「……ったく、なんだかなぁ」

「それに多分、お前が嫌がっても委員長が無理矢理にでも連れて行くと思うぜ」


 太一が言うように、供助の頭には和歌がしつこく付きまとって誘ってくる絵が浮かんだ。

 昨夜の一件を知っているからこそ、参加すべきだと強く言ってくるのも簡単に想像できる。


「わあったよ。俺も行けばいいんだろ」

「参加費は一人五百円な」

「金取んのかよ!?」

「当たり前だろ。でも、料理を沢山用意するって言ってたから、夕飯代だと思えば安いだろ?」

「五百円ありゃ半額弁当を二食分買えんだけどな」

「あぁ、悪かった。そもそもの俺とお前の基準が違ってたわ」


 打ち上げを誘ってくる和歌の相手を長時間するのは面倒臭いと、供助は半ば諦める形で参加の意を表した。

 それでもまぁ、参加費は五百円と安い。これくらいの金額ならば財布に響くこともない。

 ただ、猫又の分はどうするかが問題であった。これで何も持って帰らなかったら、家で喚き散らして不貞腐れるだろう。


「余ったモンを持ち帰りすりゃ、まぁ大丈夫か」

「なんか言ったか?」

「いや、なんでもねぇ。こっちの話……」


 ――――バァン!

 突如として体育館に響く、大きな音。供助の言葉も途中で遮られてしまう。

 その音に驚き、戸惑う、体育館に居た多くの生徒達。演劇をしていた和歌も当然その一人で、音によって演劇は中断された。

 唯一、驚きも戸惑いもしなかったのは供助だけ。いきなり姿を現すだけでなく、攻撃までしてくる幽霊や妖怪と戦うのが日常茶飯事。

 たかだかいきなり大きな音がした程度では、驚くような事じゃ無かった。


「オイオイオイなんだよ、今日は文化祭だってぇのを聞いて来てやったってのに……まぁだ準備中じゃねぇか!」


 鼻にピアスをした茶髪を先頭に、ぞろぞろとガラの悪い奴等が入ってくる。


「あん? なんだ、あいつ等」

「学校で見た事ない顔だな。制服も着てないとこを見ると……他校の生徒か?」


 数は全部で五人。全員が髪を染めていて、顔のどこかしらにピアスを空けている。

 制服じゃなければ金髪で耳にピアスをしている太一が混ざっても違和感がなさそうだ。


「おぉ? 綺麗な衣装を着てお遊戯会かぁ?」


 周りの反応など関係無い。最初に扉を蹴り開けて入ってきたリーダーと思わしき人物を中心に、舞台の方へと近づいて行く。

 ニヤニヤと笑みを浮かばせ、または音を立ててガムを噛んでたり。その程度ならばよくある空気の読めない不良で済むのだが、それだけでは済まない理由があった。

 生徒達が怯えている大きな理由は一つ。不良達が全員、その手に何かしらの凶器を持っていた。


「バットにチェーン、あとバールのようなもの……そんなもん持ってきて何する気だ、あいつ等」

「漫画でよく見る凶気が出揃ってらぁ。さすがに丸太はねぇか」

「どうする? なんかヤバそうな空気だけど」

「下手に手ぇだしたら逆に面倒臭そうだ。こんだけ騒いでりゃそのうち先公が来んだろ」


 供助はいつもと変わらない態度で太一の答え、鼻を鳴らして不良達を一瞥した。


「せっかく文化祭をブッ壊してやろうと思ったのによぉ、これじゃ興醒めじゃん」


 そこいらに置いてあった椅子や机、他のクラスや部活が使う為に置いてあった道具を蹴り飛ばす不良達。

 せっかく作ったであろう小道具や用意した機材が床に倒されていく。


「でも供助、放っておくのはさすがに無理だろ。こうも物を壊されちゃ堪ったもんじゃない。それに……」

「なんだよ?」


 供助が太一へと目をやり、続きの言葉が気になっていると。 


「ちょっと、なにするのよ!」


 体育館に響く、女性の声。体育館に居た生徒達の視線がその人へと注目される。

 供助と太一も同じく反応して、目に映ったのは眼鏡を掛けた茶色い大きなポニーテールの女子生徒。


「委員長の性格上、何もせず黙ってる訳が無い」

「あんの馬鹿……」


 和歌が怒鳴るのを見て、供助は思わず手を額に当てて項垂れてしまう。


「なんなんですか、あなた達は!?」

「俺達ゃたかだか煙草吸っただけで石燕高校を辞めさせられてよぉ? だから、そのお礼参りに来てやったんだよ」


 言って、リーダー格の不良は足元にあったダンボール箱を思い切り蹴飛ばした。

 中に入っていたハサミやガムテープは外に放り出され、床に多くの道具が散らばされる。


「んん? お前、どっかで見た気がすんなぁ?」

「ちょ、やめて……離して!」


 和歌の腕を掴んで顔を突き出し、舐め回すように和歌の体と顔を見る。


「……思い出した。お前、前に夜の駅前にいた女か!」

「えっ? あ、あなた、あの時の!」


 よく見ると和歌にも見覚えがあった。下品に笑う度に見え隠れする、舌に開けられたピアス。

 それは数日前。演劇の話し合いで帰りが遅くなった時、駅前で絡んできた不良二人の一人だった。


「丁度良い。なら、先公共が集まるまでお前が相手してくれや、なぁ?」

「いや……やめて、離してってば!」

「おぉい、お前等も派手に騒いでやれ!」


 リーダー格の不良が大声でそう叫ぶと、周りにいた仲間達がそこら辺にある物を手当たり次第に壊し始める。

 マイクスタンドやパイプ椅子、他のクラスが準備していた色々な道具。供助のクラスが演劇で使う小道具や背景のハリボテの一部も、足蹴あしげにされて壊されていく。


「おい、供助! 委員長がヤベェ、さすがに黙って見てんのは無理だろ!」

「待てよ、太一」

「なんだよ!? このままじゃ……」

「お前が居なくなったら誰が小道具を直すんだよ」


 和歌を助けようと飛び出しそうな太一を声で抑え、供助はゆっくりと立ち上がる。

 そして、太一の肩を軽く叩いて――――。


「わりぃな。打ち上げ、やっぱ参加できそうにねぇわ」


 そう言い、供助は自嘲するように小さく笑った。

 一瞬だけの笑みを太一の目に残して、供助は不良達の方へと歩んでいく。


「お前よぉ、いいモンもってんじゃねぇか。もっと胸元を見せた衣装にすれば沢山のお客さんが来るぜぇ?」

「な、やめ……! やめてったら! 手を離して!」

「親切な俺が手伝ってやっからよ? なぁ?」


 そう言いながらポケットから出て来たのは、不良御用達のバタフライナイフ。

 手首のスナップでグリップ部分を回転させ、納められていた刀身が姿を出した。

 不良はゲスな笑いをさせて、その凶気の先端を和歌の胸元へと……。


「すんませーん、そういうのが好きなら夜の街に行ってくれませんかねぇ?」


 刃先が和歌の衣服に触れる寸前に、供助が不良の腕を掴んだ。


「い゛っ、つ……!」


 凄まじい握力に、不良は思わず短い悲鳴を漏らしてナイフを床に落とす。

 同時に和歌の腕を掴んでいた左手を離し、今度は痛みをどうにかしようと供助の手を掴み返してきた。


「早く行け」

「あ……う、うん。ありがとう」


 供助は小さな声で礼を言い、和歌は小さく頷きを見せて離れていく。


「こんな刃物モンに頼らねぇとお礼参りも出来ねぇとか……情けねぇと思わないんすか?」


 供助は床に落ちたバタフライナイフを軽く蹴飛ばし、ナイフはどこかへと滑っていく。これで簡単に回収されない。

 格好良いだけで使い勝手は悪いバタフライナイフだが、それでも刃物である事には変わりない。

 手にされて振り回されれば面倒で、なにより他の生徒に向けられたら危険だ。


「そんなんだから退学になるんじゃないんすか、先輩?」

「お、前……さっきの女を捕まえた時に邪魔してきた野郎……! やっぱ知り合いだったか!」


 馬鹿にした口調で不良をおちょくる供助。周りに仲間が居て囲まれていても関係無く、悪戯な笑みを浮かべている。

 単純な奴には単純な挑発が有効で、不良は簡単に怒りの沸点に達した。


「おい、お前等! 先にコイツをやれ!」


 腕を掴まれている痛みと、おちょくられた怒りから。不良は額には血管を浮き出て大声を上げた。

 それを合図に周りにいた仲間達が各々の凶器を握り締め、供助へと走り襲い掛かってくる。


「そんじゃまぁ……」


 供助は不敵な笑みを見せ、迫ってくる不良達を一瞥。 


「やられる前にやり返すってなぁ!」

「うぐ、がっ!?」


 そして、リーダー格の腹に膝を一発、足が崩れたところに足の裏を押し出すヤクザキックをお見舞いする。

 演劇の小道具は多少ではあるが自分が関わって作られたもの。それを汚い足で壊されたとなれば、供助も腹立たしさを募らせていた。


「ほら来いよ、リーダーの仇討ちだ」

「てめぇ、調子のんじゃねぇそ!」


 ゆらり。供助は体を大きく、ゆっくり揺らして。さらに相手を刺激する。

 感情をつつかれた不良達は眉間に皺を寄せ、ドスを利かせた声と鬼のような形相で凶器を振りかぶる。

 ……が。不安定に揺れていた体は機敏に反応し、供助はいとも容易くそれを避けた。


「ほっと!」

「ぶっ、ふ!?」


 固く握られた供助の拳による反撃が、相手の顔面。鼻の頭を直撃する。

 払い屋の仕事をする時の五割にも満たない力で振るった拳。だが、相手は化け物と違って普通の人間。それでも十分な威力を放つ。

 証拠に、一撃を喰らった不良は鼻血を出して床に倒れ込んだ。


「どいつもこいつも……手応えねぇな」

「この野郎ぉぉぉ!」


 言うなら映画のワンシーン。格好良いアクションなんかじゃなく、数秒のダイジェスト。

 地上波での再放送ならカットされそうなシーンのように。続いて襲ってきた不良も蹴りの一撃で吹っ飛ばされた。


「残り二人。文化祭をブッ壊すんだろ? 早く来いよ」


 辺りに伸びた不良が倒れ、床には鼻血の赤い汚れ。さらには射殺すような眼付き。どちらが悪者か分かりゃしない。

 五人中、早くも三人を打ちのめした。予想外の状況に、残りの不良は完全に勢いを無くしていた。


「こいつ、かなり喧嘩慣れしてんぞ……!」

「いやいや、喧嘩こっちはからっきしの素人だんだけどな」


 喧嘩慣れはしていないが場馴れはしている。喧嘩ではなく幽霊や妖怪との戦闘が、だが。

 気圧されて立ち竦む不良に対し、頭を掻きながら独りごちる供助。

 しかし、昨夜の怪我で今は顔に大きな絆創膏やガーゼが貼られている。確かに、一見すれば喧嘩慣れしているように見えよう。


「まぁいいや。さっさとお帰り願いま……」


 残り二人。面倒事は早く済ませてしまおうと、供助が利き足を一歩前に出そうとした時。

 その足に違和感を感じ取った。動かそうとした足が動かせなかったのだ。


「んっだ……」

「今だ、やれっ!」


 どうしたのかと目線を下にやると。

 そこには供助の足をがっしりと掴む、リーダー格の男が居た。


「供助君、後ろ!」


 目を下に向けた矢先、死角にいた不良がフルスイングする鉄バット。

 和歌の叫びも間に合わず。供助の頭部を強打し、斜めになった体はそのまま倒れ――――。


「……ってェな」


 ――――ない。


「はっ、アイツの細腕に比べりゃまだ可愛いか」


 あいつ、と言ったところで頭に浮かぶは不巫怨口女。

 あんな化け物の腕、それも数十本。あれと比べればこの程度、倒れるまでもない非力さだった。


「っらぁ!」

「ぶげっ!?」


 全力で、それもバットで殴ったというのに倒れなかった供助を目の前にして。不良が化物でも見たかのように固まっていた所へ、供助はお返しのテレフォンパンチ。

 足が竦んでいた不良は見事に吹っ飛び、持っていたバットを床に転がす。ワンパンチでのノックアウト。これがボクシングのイベントだったら歓声とブーイングの嵐だろう。

 しかし、今あるのは生徒の悲鳴のみ。その理由は血を流している供助への心配なのか、それとも暴力を振るって暴れる奴等に対してなのかは分からない。

 おまけに足を掴んでいた邪魔なリーダー格も爪先キックを顔面にお見舞いし、声もなくその場で気絶した。


「ちっ、せっかく昨日の怪我の血が止まってたってぇのによ」

「ひ、っひ……」


 渾身の一撃を喰らって倒れなかったとは言え、供助も人間。バットで殴られれば怪我はする。

 昨夜の不巫怨口女との戦闘で負った怪我が再び開いてしまい、塞ぎかかっていた頭の傷口から額から顎へと血が滴っていた。

 普通ならば手負いで格好のチャンスなのだが、足元もしっかりして平然と立っている供助は、相手をする残り一人の不良からしては恐怖でしかない。

 あまりの規格外を見せられて不良は尻餅を突き、腰を抜かして完全に戦意を失っていた。


「こらぁぁぁ! お前等、なにやってんだぁ!?」


 残り一人の所で、体育館の異変に気づいた生徒に呼ばれてきた教師が数人やってきた。

 体育館内は荒らされて、しかも人が血を流して倒れているという異常事態。体格のいい体育教師は威嚇と威圧を含めた怒声をあげる。

 当然、その声を向けたのは事件の中心に居た人物へ。言うまでもなく、その相手は供助。

 そんな遅れてやってきて威勢だけがいい教師に対して、供助は。


「なんに見えます?」


 悪気も、反省も、弁明も無く。近付いてくる教師達に向けるは、さっき太一に見せたあの表情。

 自嘲を含めた笑みを、供助はまた、わざとらしく作るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る