《第45話》鮮やかな景色

 今、何時だろう。

 腕時計をかざすと、針は10時を指している。

 その時間に思わずため息がもれてくる。

 目の前の書類は山のままであるし、確認しなければならない報告書も積み上がったまま、コーヒーのカップには年輪のようにフチに輪が描かれ、すっかり冷めてしまっている。

 もう何もかも詰まっている。

 そんな今日なのに同僚の三井は新しい3番とデートと言って定時で上がっていった。

 あいつがいればまだ仕事が捗ったのに___

 そうは思うが、今の時点でこれだけ詰まっているのだ。彼の手がはいったところで締め切りは1日縮むぐらいだろうか。

 ……結構違うか。


 椅子から下に敷いていたクッションを抜き取り、背もたれに当て、身体を反らしていく。

 固まった肩がほぐれる気がして気持ちがいいのだ。

 ほぐし終わったら、コーヒーを入れに行こう。

 さらに腕を大きく伸ばしたとき、入れたてのコーヒーの香りが鼻腔をかすった。

 静かに置かれた紙カップは白く、湯気が舞い、それがいれたてであると教えてくれる。

「連藤部長、お疲れ様です」

 黒い革のヒールにネイビーのスーツが目の端にかかった。

 ゆっくりつま先からなぞっていくと、白シャツの襟を緩めながら立つ、最近入ってきた莉子である。途中入社であるのだが、彼女を引き抜いてきたのは自分だ。

「相変わらずの処理量ですね……

 書類の作成なら手伝いますが」

 思わず笑ってしまう。

 彼女に手伝う余裕などあるはずないからだ。

 こんな時間まで仕事をしているのに何を言うのだろう。

「君に手伝える余裕などないだろ?」

「いえ、まぁ、そうでもないですよ?」

 彼女は笑ってごまかしてくるが、彼女のこの気遣いと優しさがよくて、引き抜いたのは否めない。

 改めてぐるりとオフィスを見回すが、すでに莉子と自分だけになっていたようだ。

「このフロア、私と君の他に、誰かいるか?」

「いえ、もう私達だけみたいですが……」

 莉子はそう言いつつも、「誰か他に残ってるー?」フロアに響く声を上げた。

 彼女の声にエコーがかかっただけで、それ以外に返事はなかった。

「やっぱり、いないみたいですね」

「そうか」

 莉子の手にはファイルが握られている。それを見つめながら、入れてくれたコーヒーを飲み込んだ。

「で、遅くまで残っていたのはそれか?」

「そう、なんです……

 部長、お忙しいのに、ご相談なんて無理ですよね……?」

 おずおずと差し出してきたのは、明日にある会議資料の企画書だ。

「この企画は問題なかったはずだが」

「……それが、あの、崎川チーフに駄目出しくらっちゃいまして。明日プレゼンなんで内容をみていただけたら」

「あいつが? よっぽど君の方がまとまったプレゼンをするし、問題はないと思っている」

「そうは言いましても、こっちとしても納得させたいので」

「なるほど。

 では、ここじゃなんだから、奥の商談室で聞こうか」

「ありがとうございます」頭をぺこんと下げ、泣きそうな笑顔を作る。

 自分は彼女のこの顔が、なぜか唆られる。思わず、喉が鳴った。



 個室の商談室は6畳程度の広さで中央にテーブルと椅子が4脚組まれている。

 扉からすぐの椅子を引き、彼女にすすめ、自分もその横に腰を下ろし、左手を出すと、彼女は素直にその椅子に腰掛け、左手に企画書を渡してきた。

 中身に目を通すが、どこに落ち度があったのだろう。

「崎川から言われた箇所はどこの部分だ?」

「えっと、その付箋がついてるページで……」

 莉子は身体を乗り出し、そのページをめくり、指摘箇所に指をさしてくる。

「……莉子君、君は誘ってるのか?」

 メガネを直しながら視線で教えてやる。

 彼女は慌てて胸元の布をかき集めた。顔を真っ赤に染めながら謝る彼女がまた可愛らしい。

 先ほどシャツのボタンをほどいたせいで、屈み込んだ結果、中が開いて見えてしまったのだ。普通にしていれば問題はなかったが、前屈みになる際は、女性は気にしなければならないだろう。

 耳まで赤い彼女は俯いたまま、すみませんと繰り返している。顔を上げさせるようにそっと顎に指をかけると、ぴくりと肩が震えた。まるで小動物のようだ。

「な、なんですか……?」

「いや、からかってみようと思って」

「はぁ?」

 彼女は不満の声を上げるが、身を固めて見つめるだけだ。

「それだけじゃ、逃げられないぞ?」

 シャツを掴む手を左手で握り、ゆっくり顔を近づけると彼女は身体を仰け反らせた。

 そのまま右手で彼女の内股をさすると、驚いた彼女の脚の力が緩み、すぐに彼女の膝と膝を割るように自分の右膝を滑り込まる。そのまま左足で床を蹴って椅子を押しだした。

 小さな部屋のため、すぐに壁にぶつかり、がつんと揺れた衝撃で顔が一段と近づいた。

 頬と頬が触れそうだ。彼女の白い肌は、頬の血管が浮き出ているのか、薄紅色に染まり、それが鼻先まで続いている。さらに黒髪のショートが少し乱れ、長めの前髪が目にかかりながらもこちらを見つめていた。ただ視線は切れることなく、じっと睨んでいる。

「……どうする気ですか」

「言って欲しいのか?」

 掴んだ手をほどこうと抗うが、それが叶うことはない。

 彼女の手を自分の両手で包むように握ると、怯えた瞳がこちらを向いている。

 それは、泣きそうな、困ったような、そんな表情だ。

「……そんな顔しないでくれ」莉子の耳元で囁くと、身を一瞬よじった。その健気な雰囲気が強気な目線に重なり、自分の首筋が、背筋が、ゆっくりと粟立ってくる。


 もっと、イジメたい……


 目を細めながら見つめるが、彼女は一切視線を緩めることはない。その視線がどれだけ煽っているのかわかっていないようだ。

 顎から耳にかけて指を滑らせていく。

 本当に細い首だ。

 筋が浮き出た綺麗な首である。

 今ならヴァンパイアの気持ちがわかる。

 連藤は耳をかたどるように舌の先を這わした。耳朶をしゃぶると息が漏れてしまう。彼女はその自分の息の度に小さな声がもれるが、それは悲鳴なのか、なんなのか___

 まるで自分の舌が別の生き物に感じる。耳の裏をなぞり、そこから首へと辿っていく。彼女の細い首筋はほんのりと熱い。彼女の焦りからなのか、汗の味も滲んでくる。鎖骨のラインを舌で描き、さらに浮き出た骨をしゃぶるように舐め上げながら、左手で彼女の細い手首をまとめておいた。細い両手首だから片手で掴むことが出来てしまう。それだけでもか弱い彼女が浮きたって、なぜか興奮してくる。貪りたくなる衝動を抑えながら、右手で彼女の襟をめくりあげた。華奢な肩があらわになり、抗議の視線が注がれるのだが、それがさらに唆る結果になってしまう。なだらかな肩の流れに合わせ、吸い付いたとき、

「お、大声だしますよ!」

 その声に1度顔を上げたが、諭すように静かに言った。

「ここのフロアの鍵を閉めるのは私だし、大声を出して夜警に聞こえると思うのか……?

 君ぐらいの頭ならわかると思うが。


 ……なら、こうしようか」


 両手で莉子の顔を包みこむと、そのまま顔を持ち上げた。

 近づいていくと彼女は目を、口を、固く閉じたが、そのまま瞼、鼻筋と、自分の唇を沿わせていく。

 最後にたどり着いた彼女の唇はとても柔らかい。

 思わずついばみ、湿らせた唇を割り入って、彼女の舌をからめてみた。

 抵抗するように握りしめていた手に力が抜けてくる。

 最初からこうすればよかったか……

 首をささえて、彼女の奥までじっくりと味わい、離れていくと、彼女の目が薄っすらと滲み、頬の赤みが先ほどとは違う雰囲気に見えてくる。うっとりとした、女の顔だ。

 生唾を飲みながら、さらにシャツのボタンに手をかけていく。

「部長……これ以上は」彼女の理性はまだ生きているようだ。

「これ以上は……?」そう言いながら、もう一度、唇を啜ってみた。今度は素直に舌が絡んでくる。

 シャツのボタンをゆっくりと外し、さらに首筋から手を滑らせた。胸は小ぶりだが、形はいいようだ。

 身体をなぞるたびに、彼女の身体が生きた魚のようにうねうねとよじる。さらにあばらに触れ、柔らかな脇腹が手のひらにたどり着いた。そこから背に向け手を差し込み、背骨に沿って指を滑らせていく。

 思わず背筋が伸びた彼女の隙間に手を差し込むと、胸を支えるホックを外した。

 塞がれた口から何か声が漏れるが気にはしない。

 左の手で腹をなぞり上がっていくと、先ほどは触れられなかった柔らかな山に、直接指先があたった。

 優しくそれを手のひらで包むが、その手をのけようと彼女の手が伸びてくる。

 御構い無しに柔らかなそれを優しくこねていくと、彼女の顔がだんだんと赤らんでいく。

 両手の中にあるそれは、本当に柔らかく吸い付くような肌で、また気持ちがいい。

 じっくり堪能しながらも、右手を下へとずらしていった。

 彼女のベルトに手をかけながら、さらに胸元へと自分の顔を埋めていく。

 小さな彼女の悲鳴を聞きながら、

 なだらかな丘の温かみを感じながら、

 彼女のショーツの中に手を差し込んだ____


 ………わぁぁっ!」


 起き上がったが、世界は暗い。

 顔を抑え、目が開いていることを感じると、携帯から時間を確認する。

 3時42分と携帯が言ったことから、午前の時間であるようだ。


「……俺は、欲求不満なのか……?」


 連藤は誰もいない部屋に呟いてみる。

 これからある昇進試験のストレスのなのか、部長にだなんて自分がなっていたり、莉子がまさかの部下になっていたり、目が見えているという設定の夢も久しぶりな気がする。


 あまりに唐突な夢に戸惑いながら、


「どうしたらいいんだろ……

 これは俺の欲求なのか?

 いや、そんなことはない、はず、

 いや、まずない、いや……」


 枕元に置いてあるミネラルウォーターを飲み干し、もう一度ベッドに身体を沈めてみるが、


「なんであんな夢見るんだ……

 ……どうしよう……莉子さんにあんなことしたい願望とか、そんなのが俺にあったりしたら……」


 延々悩み、一人ベッドの上を転がり続ける連藤だった。

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