《第37話》羨ましくなる気持ち

「ちょっと、ここで口説くのやめてくださる?」

 莉子の顔がぬぅっと現れ、三井は思わず仰け反るが、

「お嬢さんも、お嬢さんですよ。

 何番目の彼女になるか聞きましたか?」

「これから話すとこなんだよ。何邪魔してんだよっ」

「何番目かの話の先に落とせる何かがあるんですかね!?」

「それが俺の腕の見せどころじゃねぇか」

「ここで何人泣いてきたか知ってんのか?」


 そんなやり取りをしているうちに、落とされかけていた彼女はきっちりお金を置いて出て行った。


「また一人の女性を救った……」

「これで3人客が減ったな」

「あんたから3倍貰えば問題ないから」

「口が減らねぇなぁ」

「軽く営業妨害ですから、あんたのやってること」


「二人とも、そこまでにしろ」

 冷たい声がぴしゃりとなる。

 連藤の声だ。


 硬直する二人に、 

「本当に二人は仲がいいな。

 羨ましいよ」

 少し悲しげに微笑んだ連藤だが、不服の声をあげたのは言うまでもない。


「仲がいいとは違うと思うぞ、連藤」

「ただあけすけに物が言えるってだけです」

「それが仲がいいとは言わず、なんというんだ?」

 珍しく三井と莉子で悩んでみるが、答えは出ないようだ。

「だって連藤さん、紳士だし、そんなこと言わなくても大丈夫だし……」

「何、モジモジしてんだよ」

「うっさい!」

 そう言いながら莉子は二人の空いたグラスへワインを注いだ。

 グラスに注がれたワインは艶のいいルビー色をしており、香りは華やかさと快活な印象、一口含むと程よい酸味と後味に残る渋みが舌に広がり、しっとりとした甘みが余韻となる。

 まるで少女のような、少年のような、そんな可愛らしさがこのワインからは感じられる気がする。

 莉子は自分のグラスにもワインを注ぎ、飲み込んだ。

「でも、連藤さんが羨ましいだなんて、なんか珍しいですね」

「それもそうだな。

 なんかあったのか?」

「いや……」語尾を濁しているのだから、何かがあったのかこれからあるのか、なんにせよ、何かある。

 先ほどから唇が揺れるが、言葉にならないようだ。


「連藤さん、泊まってく?

 それとも、泊まりに行こうか?」

 莉子がそういうと、連藤の表情に急に明かりが灯った。くすんだはっきりしない表情から、少しだけ柔らかな表情へと切り替わる。

 こんなセリフをいうとすかさず三井がいやらしい顔をしながら茶化してくるのだが、すぐに空気を読んだのか彼は黙ってワインを飲み込んだ。

 連藤は少し悩みながらも、

「……泊まってもいいだろうか?」

「いいよ。

 今日はもうすぐしたら閉めようと思ってたから。

 したら、はい、ボトル、空にするよー」

 連藤と三井に一気にワインを飲みこませると、これで最後とボトルを空にした。

 他のお客もドリンクなど動いていなかったため、あと30分後に閉店と告げると、皆慣れたものでお代を置いて席を立っていく。

 最後に三井が立ち上がり、莉子を手招きで呼ぶと、

「……あいつ、頼んだぞ」小声で任務が下される。

「わかってるよ……」莉子も小声で返事を返すと、三井が握りこぶしを水平にあげた。莉子はそれにコツリと拳を当てる。

 満足げに頷き、三井はゆっくりと去っていった。


 ……しかし、なんとなく理解した。

 自分は間違いなく友人の部類であり、男と同じ立ち位置にいるのだと。

 だから、あーいう、対応なのだ。


 だがこれは連藤は理解しがたいことかもしれない。


 そんなことを思いながら、いつもどおりに扉に鍵をかけ、ガスの元栓を閉め、レジに鍵をかけて、食器の整理を終えると、カウンターに座ったままの連藤に声をかけた。

「連藤さん、上であったかいものでも飲みましょうか」

 左手を掴むと、彼が力一杯握ってくる。

 階段を上りきり、ゆっくり扉が閉まる。

 その音を合図に連藤が後ろから莉子を包みこんだ。

「なんなんだろな……

 すごく寂しいんだ」

 莉子は小さく頷いた。

「そんな日もありますよね」


「もう少し、このままでいたいんだが……」


「好きなだけ、そうしてて下さい」


「すまない」

 耳元で囁かれた言葉だが、それが重く聞こえてくる。

 謝らないでほしいと思うが、今それを訂正するのは野暮かもしれない。

 特段何もない日でも、そういう気持ちに満たされる日もあるものだ。


 連藤も完璧なようでいて、小さな心のささくれに悩むこともあるのである。


 そんな人間らしい連藤が莉子は好きなのだ。

 完璧に見えて、どこか脆くて、それを支えたいからそばにいたい。

 自己満足なのかもしれないが、今はそれが彼の隣にいる理由でもある。


 莉子は何か思い出したのか、連藤の腕を解き向かい合うと、

「いい生ハムが手に入ったので、白ワインでも飲みませんか?

 こういう時はさっぱりした味がいいと思うんです。

 ……お嫌いですか?」


 連藤はこんな莉子が好きなのだ。

 共感しながらも、切り替える手段を知っている。


 口元をほころばせると、

「莉子さんのオススメならそれで」

 連藤の言葉に莉子も笑顔で頷くと、彼の手をさらに引っ張った。

 ソファへと向かうためだ。

「さ、連藤さん、お座りになって。

 今、白ワインと生ハム持ってくるから!

 今日の白ワインはオーストラリアのにしてみたいんだけど、どうかなぁ。

 生ハムに合わないかなぁ?

 でもね、ミネラルが強い辛口なんだよね。

 酸味も程よくあるから、桃も添えてみるのでそれと合わせてみない?

 合わなかったら赤ワインに切り換えよっか」

 一息にしゃべったのがいけなかったのだろうか。

 連藤が見つめたまま、微笑んでいる。意味がわからない。

「莉子さんはワインになると饒舌になるな」

「……そ、そうかな……?」

「でもそれは俺と飲むからなんだと思うと、すごく嬉しいんだ」

「うん、私、連藤さんとワイン飲むの好きだもん。

 ちょっと支度してくるね」


 あの優しい眼差し。

 目が見えていなくとも目元の緩み、頬の優しさ、どれを取っても、


 眼福です!

 今日もいただきましたぁー!!!


 手早く用意をしながらも、今日のハイライトを胸の奥で叫ばずにはいられない莉子であった。

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