《第19話》お悩み相談 :後編
「先生、ちょっとお願いします」
巧がぺこりと頭を下げた相手は、奈々美である。
「莉子さんにはお世話になってるんで、私でよければ……」
「一体どういうこと?」莉子は騒ぐが、
「あまりの落ち込み具合だし、
雰囲気、男じゃ相談できないんだと思ってさ。
だから奈々美呼んでみた」
さすがというべきか。
確かにこの問題は男性には話しづらい。
そして、何も知らない人にも話しづらい。
ある程度の状況がわかっている相手に話すことで、荷が軽くなる可能性がある。
解決はできなくとも、何かが変わるかもしれない。
「ありが」莉子が言いかけたところで扉が大きく開かれた。
「莉子さん、大丈夫?」
優だ。
「奈々美からちょっと聞いちゃって。
心配だから来ちゃった」
「みんな、本当ありがと」
じんわりと目頭が熱くなってくるが、ごまかそうとチーズケーキを切り分けてみた。
「コーヒー入れるね」
平日の夜のためお客が自分たち以外にいないこともあり、勝手知ったる常連たちは営業終了の看板を表に出し、鍵を閉めてしまう。
なんとなく来そうな連藤と三井に、巧が『女子会やってるから来るな』と連絡を入れた。二人からは「了解」の文字が送られてきたのを見て、巧は小さく頷き、瑞樹もそれを確認すると、
「巧、したら俺たちも今日は席はずそっか」
「そだな」
二人は話しながら身支度を整え始める。
「ケーキぐらい食べて行きなよ?」莉子はコーヒーカップを差し出すが、
「いいから、いいから。
女子ならこれぐらい食えるだろ?」
そういいながら、軽く手をあげ、裏口から出て行った。
慣れすぎている__
見送り終えると、
「したら莉子さんもテーブルでケーキ食べようよ!
ここのケーキなら、何切れでもいけちゃうよね」
優がカップを取り上げ、席へと移動していき、奈々美も残りのコーヒーとケーキを運んでしまう。
だが莉子の動きがピタリと止まり、
「……ごめん、コーヒーじゃ話せない」
そう言い切ると、裏に走り、すぐにでてきた。
「アスティのスプマンテ。
イタリアのスパークリングワインなんだけど、
チーズケーキにめっちゃ合うから、これ飲みながら話そ」
奈々美と優も、にやりと笑顔を浮かばせた。
スプマンテは軽やかなスパークリングワインだ。華やかな香りはそのまま、チーズのコクともうまくマッチする優れものだ。
それの2本目の栓がすでに抜かれているが、3人の顔色は変わらない。
ただ微妙に深刻な空気が漂っている。
「……その尾野さんってのがね、結構前のめりな感じでさぁ…」
「本気モードなわけかぁ」優がふた切れ目のケーキを突きつつ、そう言った。
「でも、本当難しいっていうか、面倒ですよね。
莉子さんも言ってたけど、付き合ってます! なんて言えたものじゃないし」
「もう、言っちゃえば?」優はあっけらかんとしている。
「言えたらこんなに悩んでないってば」莉子はそう言うと、一気に飲み干した。
「だいたい美人なんだもん……」
本当に小さな声が落ちていく。
「でも連藤さん、目、見えてないですよ?」
奈々美の言う通りではあるのだが、そこじゃないのだ。
「美人な人ってね、どんな男性にも自信があるものなのよ。
見えてなくても、美人っていうオーラが肌で感じられるものなのよ。
その絶対の自信があるから、きっと彼女は明日、行動に出ると思うんだ」
大きなため息がでてきてしまう。
「莉子さん、よくそこまで読んでますね」奈々美が感心したように言うが、
「奈々美さんも実際の表情とか口ぶりをみたらわかると思うよ?
あ、次動くなって」
「確かにそれわかります」
「でもさぁ、連藤さんに言うのが、一番手っ取り早いよねぇ」グラスをくるりとまわし、優が呟いた。
「それさ、それさ、なんて言えばいいの!?
来ないでって言ったら極端だし、
こんな女の人いるんだよって言ったら自意識過剰とか思われそうだし、
どうしたらいい?」
3人でしんみりとグラスを口元へと運んでいく。
そんな中、奈々美が顔を上げた。
「連藤さんを信じることも大切なんじゃないですか?」
「あぁ、そうだね、最後の砦になってもらっていいんじゃない?」優が続くが、
「どういう意味、それ?」管を巻いている莉子がテーブルに寝そべり言った。
「連藤さんなら、うまく解決してくれると思うんです」
奈々美の言葉に優も大きくうなずき、
「だから、今日は楽しく女子会しましょ!」
ボトルの中身が半分となったワインを三等分に分けてしまう。
そして莉子の手に持たせ、持ち上げさせると、
「久しぶりの女子会に、かんぱーい」優がかちりとグラスを鳴らす。
奈々美もそれに倣い、二人のグラスにかちりと合わせた。
莉子は音が鳴らされるものの、そんな明るく切り替えるだけの力が出てこない。
いつもならとっくに切り替わっているのだと思うが、割り切れないのは自分のことだからなのか、
五月、だからなのか____
季節の変わり目なんて、クソ食らえだ!
注がれたワインを一気に飲み干し、
「よーし、今日は飲むぞー!」
もう一本、ボトルを取りに莉子は腰を上げた。
____だからか、今日は頭が痛い。いや、重い。なんとなく胃も重い……
なんだかんだと夜中まで飲み明かし、2人をタクシーに乗せたことまではなんとか覚えている。
そのあとは戸締りをしてはいたが、部屋のソファの下で死んでいた。
床に寝転がったせいで痛い体を無理やり起こし、引きずるようにしてなんとかランチの仕込みを終わらせたが、今日の夜は営業をやめようかなとまで思っている。
これぞ、経営者の醍醐味。
今日も連藤は来店するそうだ。
朝のメールで連絡が来ていた。
どうも昨日の女子会のことが気になるとのこと。
巧から何か聞いたのかな……
余計なことを。
そうしているうちに、あっという間にお昼時。
今日の天気は晴れているが、風が強い。
昨日の雨のせいだろう。
澄み渡る空は青くくり抜かれ、洗われた空色のようだ。
雨上がり明けは、どこも輝いて見えてくる。
___そんな輝きにも負けない女性、尾野の登場だ。
「いらっしゃいませ」
「オーナー、いつものランチで」
「かしこまりました」
莉子はそういうと、カウンターに腰掛けた尾野にいつも通りに水を出し、カラトリーを添えた。
奥に一旦下がったとき、カランとドアベルが鳴る。
「いらっしゃい」
声をかけると、薄く微笑む連藤がそこにいた。
軽く手を上げてくるが、その手は挨拶の意味と、席まで案内をして欲しいという意味が込められている。
「ちょっと待っててー」
入り口横に避けていた連藤の手を取り、いつもの席へと誘導し、椅子を引いて肩を叩く。
それを合図に連藤は隙間に足を差し込むと、ゆっくり腰を下ろした。
「もう自分で席までいけるんじゃない?」水とカラトリーを置いたときに聞いてみるが、「この、案内されるというのがいいんだ」満面の笑みで返してくる。
彼の中の幸福感がこの一連の流れにあるようだ。
ここまでの笑顔を見せるのなら、仕方がないか。
「ビーフシチュー?」
「もちろん」
連藤の肩を叩き、彼女は厨房へと向かう。
他のお客のオーダーもさばきながら、淡々と動いていくが、尾野の視線は連藤にしばられたままだ。
「はい、本日のパスタセットになります」
尾野の前に差し出すと、「今日も一段と美味しそう」彼女の顔が明るくなる。
再び厨房へ下がったとき、扉が開いた音が鳴った。
「莉子ちゃーん、コーヒーねー!」ご近所のおじいちゃんだ。
「はーい!」目一杯大きな声で返してみる。
ビーフシチューの準備を整え、カウンターにトレイごと置き、コーヒーカップのセットをしたとき、
「ね、オーナー、これ、あの人の?」
指さした先は、連藤だ。
「そうだけど?」
「じゃ、私持ってくね」
止める前に取り上げられたと言ってもいいだろう。
手からすり抜けたトレイは、連藤の元へと運ばれていく。
瞬間、昨日の『信じることも大切なんじゃないですか』奈々美の声がリフレインする。
なんでこんな時に聞こえてくるのだろう。
顔をしかめながらも、おじいちゃんのためにコーヒーを挽き、ドリップ用フィルターに移していく。
が、視線の端の二人のやりとりが引っかかる。
気になる、あー気になる……
でも見ないようにしよう。見ない見ない見ない……
「莉子ちゃん、奥の席、なんか変だぞ?」
「え?」
おじいちゃんが指差した先は、連藤と尾野だ。
なんとなく、揉めてる……?
「なんで?」
「行った方がいいんじゃないか?」
「コーヒー入れてからいくわ」
「早く行け!」
おじいちゃんにせっつかれ、渋々とカウンターを出た。小声だがやりとりが聞こえてくる。
「オーナー忙しそうだったんで、
私、手伝いたくて」
「先ほども言ったが、あまり私に触れないでくれないか?」
「いや、私もここの常連なんでぇ」
「常連だとなにかあるのか」
薄い色ガラスの先から尖った視線が越えてくる前に莉子が横に割り込んだ。
「すいません、連藤さん、ご迷惑をかけまして」彼の肩に触れると、何故か連藤もその手に触れてくる。
「莉子さん、驚きましたよ」強く握られた。
どうも怒っているようだ……
「私としては料理を作られた方に料理の説明をいただきたいので、
今後このようなことは控えていただきたいのだが……」
「連藤さん、大変申し訳ありませんでした。
尾野さんも、ご迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい」
莉子は言葉尻に合わせて何度も頭を下げる。
すると尾野も頭を下げてきた。
「あたしも出しゃばっちゃったみたいでごめんなさい」
しおらしく彼女は言いながら、自然な動きで連藤の手を剥がしていった。
しなやかな連藤の手を、か弱い色白な手が包んでいく。
「でも、れんどうさん、あの、あたし、お手伝いできると思うんです。
これでも職場では責任者の立場を任せられてて、」
「君、家事、しないだろ」
絶句する彼女を置いて、連藤は続けた。
「よく手入れの行き届いた手だからな。
それに君は自信があって堂々としている。
きっと君は見た目が綺麗なんだろう。
だが生憎私は目が見えないので、君の身綺麗さなど無意味だ」
連藤の目は彼女の目を捉えている。
見えない目は、人の痛いところを見透かすのか___
「結論から言おう。
君は仕事ができるのかもしれないが、
料理もできない人間に興味はない。
私は莉子さんの、小さく、乾いた、冷たい手が好きなんだ。
君にはわからないだろうが」
だから莉子さんが運ばないとな。そう言って彼の肩に置き忘れていた莉子の手を連藤が握った。
その途端、尾野は地団駄を踏むように自席まで戻ると、財布からお金を抜き取り、カウンターへ叩きつけた。
「もう、来ないから、こんな店!」
大きな音を立てて閉められた扉をみやり、常連のおじいちゃんは鼻で笑うと、
「おい、莉子ちゃん、コーヒー」
「あ、はい」
連藤の肩を叩き、カウンターへと素早く戻り、コーヒードリップの続きを行う。
横目で見ると連藤はいつもと変わらずビーフシチューを頬張っている。
周りの視線が見えないから、何も感じないのか?
彼の心のメンタルは、鋼以上な気がする。
ひとつため息をつきながら、カップをセッティングしていると、
「莉子ちゃん、」
「はい?」
「いい兄ちゃん、捕まえたな」
「そーなんですっ」
笑顔で返すが、
「でも、一人、常連が減ったな」
「そうだね……」
確かにそうだが、でもいいのだ。
連藤さんが幸せにランチを食べられたら、それでいいや。
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