café de wine！

《第２話》得意料理はビーフシチュー

小柄な女店主が一人でやりくりしているカフェは、彼女の名前の頭文字が付いている＿＿

　そう楽しげに話していた後輩がいた。

　そんな話で、オフィスから近いから行かないかと声をかけられたのが先週。

　日にちを合わせて一週間後の今日に出かけることになった。

「いやぁ、マジで巧と見つけたとき感動したんだよねー」

　そう話すのは後輩の瑞樹だ。

　巧は、瑞樹の同期になる。

「絶対、連藤さん、気に入ると思うんだよね、

　ね、巧」

「うん、絶対そう。マジやばい」

「何がやばいのか全然ワカンねぇけど、やばいんだな」

　そうこぼすのは、連藤と同期の三井だ。彼も気になり付いてきたクチである。

「しかし、俺が行っても大丈夫なのか？」

　連藤が言うが、後輩の二人は何も感じていないようである。

「別に平気っしょ」巧はいつもの調子だ。

　三井は軽く肩をすくめて見せるが、連藤も小さく溜息をつくだけで、後輩の後ろをついていく。

　確かにオフィスビルからはそう遠くなかった。

　正面の公園を過ぎて、並木道沿いにそこはあった。

　今まで気づかなかったのがおかしいぐらいだ。

　だが気にとめなければ気付けないのだ。

　アルファベットでＲとしか書かれていない。

　カフェであると目を凝らせばわからなくもないが、パッと見は雑貨屋のような、おしゃれな家であるような、本当に何気ない雰囲気でそこにある。

「あ、いらっしゃい」

　彼女は軽く手を上げ、挨拶した。

「ちゃんと席、取っておいたから安心して」

　２人席と、カウンターが数席埋まっていた。

　４名掛けは二テーブルあるが、どちらにも予約のカードが置かれている。

「先輩がごっついっていうから、広く席取っておいたんだけど、

　どっちも背が高いだけでごつくないじゃん」

　彼女は水のグラスを置きながら後輩二人に声をかけた。

「この浅黒くて大きいのが三井で、白くてひょろ長いのが連藤」

　軽く指差し、巧は言うが、三井と連藤は軽く頭を下げて、「いつもお世話になってるようで」なんて言ってくる。巧がどっかの社長の一人息子というのは嘘じゃないらしい。

「こちらこそ、いつも来ていただいてて。

　で、今日は何にします？」

　瑞樹がすかさずメニュー表を取り上げ、

「ここのオススメはランチセットなんだよ。

　特にビーフシチューがオススメ！」

　付け足すように彼女が続けた。

「サラダとドリンクも付いてます。

　ドリンクはコーヒーまたはオレンジジュース、ウーロン茶から選んでください」

「ブレンドコーヒーってのは？」メニューを見た三井が尋ねると、

「ごめんなさい。それは１５時以降となっております」

「したらそれはこの次にとっておいて、

　私はビーフシチューにするかな」連藤が言うと、じゃ俺もと三井も続いた。

「おれは今日はねー、パスタ！

　パスタセットにして」

「はぁーい、今日のパスタはミートソースです」

「したらオレもそれで」巧も合わせてきた。

「したらご注文は、ビーフシチューセット二つと、パスタセット二つね。

　ドリンクはどうします？」

「おれオレンジ」瑞樹が言うと、

「オレはウーロン茶」巧が重ね、

「コーヒー」「私も」三井に揃えて連藤も応えた。

　続けて「いつお持ちします？」

「おれは今飲みたいなぁ」瑞樹が言うと、

「オレ、ご飯と一緒」巧が応え、

「食後で」「お願いします」三井と連藤が文を作る。

「かしこまりました。

　ではドリンクはそれぞれお持ちしますね。

　少々お待ち下さいねー」

　軽やかにカウンターへと向かっていく。

　おしぼりとカラトリー、瑞樹のジュースを置くと、また素早く戻っていった。

「せわしねぇな」三井がつぶやくが、

「一人で切り盛りされているんだろう。

　無駄のない動きだ」

　関心したように連藤は微笑んだ。

「そういうところが千里眼風でなんか嫌なんだよなあ。仕事でもそうだろ？」

　三井は嫌みたらしくいうが、

「俺のお陰でミスのない仕事ができてるんだから感謝してもらいたい」

「本当、連藤さんってきっちりしてるよねー」

「お前はダラダラだもんな」

「巧に言われたくない」

　そんなことを喋っているうちに、

「こちらサラダです。

　ランチセットの方はパンも付きます。

　パンはテーブル中央にカゴで置いておきますね。

　こちらはパスタセットのスープ。ウーロン茶もどーぞ」

　先ほどとは打って変わってテキパキと運び、説明していく。

　先にパスタが届いた。

「はい、どーぞ。粉チーズはお好きに。タバスコも置いときます」

「先に食べて構わない」連藤がいうと、待ってましたとばかりに二人はフォークを摘み上げた。

　「いただきまーす」揃った声の次にはもぐもぐと頬張る音が聞こえる。まだ熱いのだろう。冷ます息も鳴っている。

「はい、お二人もお待ちどうさま。

　ビーフシチューです」

　三井の前に置き、そして連藤の前にもゆっくりと置いた。

　香りの蒸気が鼻をかすめ、思わず喉が鳴る。

「連藤さん、えっと、正面にビーフシチューね。

　２時に水、１０時にサラダ、１２時に取り分けたパンを置いてます。

　右手側にスプーンとフォークあるから。

　ゆっくり召し上がってくださいね」

　肩にそっと手が触れた。

　思わず連藤は正面を向くと、

「な、大丈夫だっただろ？」

　巧の弾んだ声が聞こえる。

　そう、連藤は目が見えないのだ。

　かすかな光を感じる程度で、あとは暗闇だ。

　サングラスもかけ、ステッキも持ち歩いているので、目が見えないのは分かりきっているだろうが、これほどスマートにサポートされることは少ない。

「正直、驚いた」呟く連藤をよそに、三井は

「うまいぞ、これ！」感嘆の声をあげていた。

　その声につられるように連藤もスプーンを取り上げ、一口ゆっくりと頬張る。

　切れ長の目が、カッと開く。

「なんだこれは」

　息を飲むのも無理はない。

　味の深みが半端ない。

　肉はじっくりと煮込まれ、ほろほろと崩れるのは当然ながら、パサつきがない。

　野菜はすべてスープに溶け出されているから、デミグラスの味でありながらも甘みと苦味が交互に流れてくる。肉以外に形のあるものがないからか、ブロッコリーとポテト、彩りに焼きプチトマトが添えられている。

　が、野菜と一緒に口に含むと、野菜の青臭さがアクセントになり、香りがふくよかに感じる。

　またトマトの酸味が味の変化を出して、爽やかになる。

　さらにパンにつけて食べてみようと一口ちぎったとき、香ばしい小麦の香りが立ち上がった。

　甘みと香ばしさのバランスがいい。

　濃い味のビーフシチューにほんのり甘い香ばしいパン。食感もさることながら、パンの香ばしさがビーフシチューの味の濃さを際立たせてくれる。

　口直しにとサラダを頬張ってみたら、ドレッシングのまろやかな酸味と野菜の鮮度の良さといったら！

　ここにワインの一杯でもあったらどうだろう。

　はるかにマッチし、この口の中での世界がまた深く広く繋がっていくはずだ＿＿＿

「連藤、めっちゃ震えてる」巧が瑞樹を肘で叩く。ほぼ完食に近い三井も頷き、

「しょうがねぇだろう、連藤の得意料理もビーフシチューだし、だいたいどこぞのレストランより美味いんじゃないか？」

「そんな、たいそうなこと言われたら、恐縮し続けていなくなりますよ、私」

　そういいながら、彼女はコーヒーを運んできた。

「ようやくひと段落したので、カフェタイムのコーヒーにしました。ゆっくりしてってください」

　最後のひと雫すらパンで拭っていた二人の皿を彼女は引き上げ、手を伸ばす。

　後輩二人、三井の皿をトレイに乗せ、連藤の皿に手をかけたとき、唐突に手首を掴まれた。

「はっ？」

　変な声を上げたことで、連藤も反射で手を離した。

「な、なにかありました？」戸惑いながらも尋ねると、

「い、いや、料理がすごく美味しくて……その」

「それならよかったです。目の前にコーヒー置きましたからね」

「あ、あの、これ、作り方とか」

　彼女は、ああ、と小さく返事をし、

「よく聞かれるんですけど、とにかく、炒めて炒めて、煮るだけなんですよ。

　本当に家庭料理の延長なので」

　簡単なんですよ？　そう言いながら戻っていった。

　絶対、簡単じゃない……！

　連藤以外も、そう頭の中で呟いたのは間違いない。

　程よく冷めただろうコーヒーを啜ってみたが、苦味にコクがあり、酸味は穏やかで、油分が強いせいか甘みがあるようにすら感じる。

「よくこんなところ見つけたな」

　連藤が二人に言うと、

「いやまじ奇跡だと思うね、おれ」

　鼻高々に瑞樹が返した。

「でもいつでも満席になってもいいぐらいの店だぞ？」三井は言うが、

「多分みんな隠れ家的な雰囲気を壊したくないのと、あの人も無理しないんだよね」

　巧が視線を飛ばした先には、学生だろうか、４人連れがいる。

　彼女は笑顔で何か伝え、店に入れさせる気がないようだ。半ば押し出すように追い返している。大きくお辞儀をしてたが、肩をすくめてカウンターへ戻っていった。

「今みたいにタバコを吸いながら入ってくる客とか、人数的に難しいときは断っちゃうんだ。

　ここではあの人が神だと思う」

　そう二人は笑うが、

「神でも仏でもいい。

　俺はビーフシチューの作り方が知りたい」

　連藤はまたコーヒーをゆっくりと啜った。