第5話「ボートとコーヒーカップ」

“ギーコ…ギーコ…”


「…やっぱり、先輩はボート漕ぎもうまいですよね♪」


「そっ、そうか?」


 ボートに乗るための列の最後尾に並んでから30分後、俺と美琴はようやくボートに乗り込むことができ、小田切城の堀を一周することにした。


 堀の水面には無数の桜の花びらが浮かんでいて、俺がオールを漕ぐ度に発する水の波紋に合わせ、花びらが一斉に水面を舞っている。


 時折、満開に咲いた遅咲きの桜の木が強風に煽られ、辺り一帯が桜吹雪に包まれた。そして、その度にその場にたまたま居合わせた観光客が歓声を上げている。


「…綺麗…」


「…そうだな…」


「まるで、『あの時』みたいですね」


「ああ!『舞っているもの』は違うけどな…」


「はいっ!!」


 昨年の秋、黄色に紅葉した銀杏の葉が舞う公園で、俺は美琴に告白し、恋人同士となった。


 あの時のことは、今でも鮮明に覚えている。


 美琴もその時のことを覚えているからこそ、事情を知らぬ者が聞いたら疑問に思ってしまうような会話のやり取りになったのだ。


 そして俺はこんな会話を美琴とできることに、何物にも代えることのできない幸福感を覚えていた。


「美琴…いつまでも一緒にいような!」


「言われなくても、私は先輩の傍を離れたりしませんからねっ♪」


「ああ!!」


 数十分後、堀を一周した俺たちはボートを船着き場に戻すと、小田切城内にあるという小さな遊園地を目指すことにした。


 この遊園地には豆汽車やコーヒーカップ、豆自動車等の小さなアトラクションがあり、主に親子連れが多いのだという。


 遊園地に近づくにつれ、確かに子連れのファミリーとすれ違うことが多くなった。そして遊園地に到着した俺と美琴の目に映ったのは、小さな子ども達がはしゃぎまわっている姿だった。


「…1回80円か…安いな!」


「ねぇ先輩!コーヒーカップがありますよ!!乗りましょうよ♪」


「よし!乗るか!!」


 俺は券売機で80円の乗り物券を2枚購入すると、美琴と共にコーヒーカップへと向かった。


「お二人様ですね。券を2枚頂きます」


 係員に券を2枚渡し、美琴が乗りたいと言ったピンク色のコーヒーカップに乗り込む。


 中央には、お決まりの回転を速くする円形のハンドルがあり、対角線上に座った美琴は早くもそれに両手を添える。


「…美琴、また回す気か…この前、別の遊園地でそれやって、懲りたんじゃなかったのか?」


「折角のコーヒーカップなんです!超速回転させて楽しまないと!!」


“ブーー”


「それではショータイムの始まりです♪皆様、回し過ぎにはくれぐれもお気を付け下さい」


 ブザー音と係員のアナウンスで、コーヒーカップが回り始めた。



***



“ブーー”


「間もなくショータイムが終わります。動きが完全に止まるまで、そのままお待ち下さい」


“シュウ”


「はいお疲れ様でした~忘れ物のないようにコーヒーカップから出て下さい」


“フラフラ”


「楽し…かった…か?」


「はいっ!!とっても!!!」


 フラフラになりながら、それでも平静を装う先輩を見て、満面の笑みで応える。


 前回、先輩と別の遊園地でコーヒーカップに乗り、調子に乗って超高速で回転させた際は酔ってしまい、終わってしばらくは動けなかった。


 そしてある日、フィギィアスケーターが高速回転しても目を回さないようにするため、回転前に遠くの何か一点を選んでそれを見つめ、回転が始まってもぎりぎりまでそれを見続け、頭を回す際には一気に回して、最初に選んだ一点を見つめるという『スポッティング』という技術があることをテレビで見た私は、今回それを実践してみた。


 この方法は私の性に合っていたようで、前回の遊園地以上に今回はコーヒーカップを回し続けたが、私は目を回さずに済んだ。


 そんなことを露知らない先輩は、私が超高速で回したコーヒーカップにフラフラになってしまった、という訳だ。


「…美琴………今後の運転に支障が出そうだから、少し休憩させてくれ」


「先輩!!大丈夫ですか?」


「ああ…休めば大丈夫だ…」


「(…ちょっとやりすぎちゃったかな…)」


「…先輩!あそこにベンチがあります。そこで休みましょう」


「ああ、それはありがたい!」


 フラフラになりながらも、私の手をしっかりと握って先導する先輩。


“ハラッ…ハラッ…”


 ベンチに着くと、先輩は座る部分に溜まっていた砂や落ち葉を手で払うと私に座るよう促し、私が座るとそのすぐ横に座った。


“トスン”


「!!先輩?大丈夫ですか?」


「…ちょっとだけ、このままで居てくれないか?」


「先輩が望むのなら、いつまででもこうしていますよ♪」


 ベンチに腰かけた直後、先輩は私に肩枕をしている状態になった。


 その光景を祝福しているかのように、春の暖かい風が私たち二人を包み込む。


「…何だか、いい匂いがするな…」


「これはきっと薔薇の香りです。風が運んでくれたのかなぁ…」


「いや……俺が嗅いだのは…きっと…美琴の匂い…」


「えっ!?」


「いやっ…何でもない!」


「…ならいいですけど………ちなみに、どんな匂いでしたか?」


「はちみつとレモンを合わせたような…甘酸っぱい匂いだったよ」


「♪♪♪」


 数分後、完全に回復した先輩と私は、この小さな遊園地を待ち合わせ時間ギリギリまで堪能し、その後お姉たちと合流すると、再び先輩の車に乗り込み、熱沼を目指した長距離ドライブに戻ったのでした。



 第6話へ続く

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