第三十四回 屍の魂
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「なぜ、ロンギヌスの槍がここに?」
この場にいた全員が圭士と同じ疑問を抱いていた。
炎のように燃え上がるオーラに包まれた槍に視線が集まり、静かになった。烏丸の表情も固まっていた。
槍は、烏丸と圭士の間ほぼ真ん中の地面に突き刺さった。それでもなおオーラは消えずにいた。
なんでこんなところまで……。自分の力で地中を突き抜けてきたのか?
「京姉さんの意思でここに……」
あきれの声が耳元で聞こえた。
「京が自らここへ」
すると、槍のオーラが爆発するように一瞬大きくなったかと思うと、突き刺さった槍を持つようにオーラが人物を描き出した。その人物は、槍のオーラに包まれていたが、その背の長い髪のある姿は間違いなく京だった。京の心の中で見た時と同じワンピース姿だった。
京は烏丸に向けて手を差し出した。
「何の真似だ。これを渡すつもりはない。君もこれが欲しくてそんな姿になってまで来るとはな」
烏丸はあきれた表情を見せ、遊人から取り上げたクリスタルをぐっと脇に抱え直した。しかし、京はその答えに首を振った。京の手は差し出されたまま。よく見ると、差し出された手の方向は烏丸ではなく隣の亜耶弥に向けられていた。
――亜耶弥を返して。
と、圭士は京がそう言っているように思えた。
「妹に何をしても無駄だ。妹はうんともすんとも言わないよ。亜耶弥の心は、私としか繋がっていないのだからな」
また亜耶弥は、烏丸の言葉に応えるように一度だけ頷いた。烏丸は亜耶弥の肩を引き寄せ、耳元で何かを囁いた。上の空だった亜耶弥の目に正気が宿り、圭士は強く見つめられた。
ハッと息を飲むと同時に一度瞬きをすると、亜耶弥の姿は烏丸の隣から消えていた。
亜耶弥の姿を探す間もなく、圭士の眼前に亜耶弥は現れ、拳をふりかぶっていた。
圭士が避ける動作に入った時、その拳は圭士の直前に――。
目の前が赤くなった。
赤いオーラをまとった京が壁となって、亜耶弥の拳を止めていた。すぐに亜耶弥は拳を引っ込め、身の危険を感じたように瞬時に後方へ飛び退いた。
「京」
「京姉さん」
圭士とあきれの呼びかけに京は振り向いた。その表情は、今までに見たことのない笑顔だった。今から一秒以上先の未来を悟っているかのような、二度と見ることのできない表情だと圭士は感じた。
圭士に視線を合わせてきた京は、一度だけ頷いた。その頷きに何かしらの含みを感じたが、その意図は全くわからない。
ここまでありがとう、ということなのか。あきれのことをよろしく、なのか。Supertailで言うノートの最後の欄外に書いてあるメッセージのあとは全部よろしく、なのか。
何度も言おう。
Supertailは、これから先何が起こるかわからないから、よろしくと言われても困る。
京は気が済んだのか口角を上げて、目線を圭士から背中のあきれに移した。
京の口が動いた。
しかし、声は聞こえなかった。聞こえなかったが、まるで耳で京の声を聞いているかのように、京の言った言葉を見て取れた。それはあきれも同じだった。
たった一言。あきれにとって、とてもとても心に深く染み入る京の言葉。
――ごめんね。
心がぐぅーっと締めつけられた。
「謝らないでください。だから……」
あきれはそれ以上言葉が出せずにいた。泣いていた。
京があきれに謝りたかったことは、どのくらいあるのだろうか。たった一言で許してもらえる程度なのか。
圭士が想像する以上にあきれにはあるだろう。
その一言の言葉は短すぎても、軽すぎない。
そのくらい圭士にも分かっていた。あきれの言葉の続きも。そして、京のその一言が後輩にかけた最後の言葉になることも。
ようするに京の意思が消えてしまうことは、どう考えてもわかる。だが、それがどういう流れでそうなるのか。Supertailのコピーには書かれていない京が最後に書くSupertailなのかもしれない。
京は二人の前から離れていき、先と同じように槍の隣に立った。
「今々、一人や二人守ったところで、亜耶弥と私の物語の結末は変わらない。この場にいる全員鉄となれ」
烏丸は、万年筆の筆先がこめられた銃を向けた。
確かにあれで鉄となってしまえばどうしようもない。一旦、ここを離れるか。戻るか。
圭士が思案した一瞬のあと、京のオーラが大きくなって京の姿はオーラの中に消えてしまった。そして、オーラは竜巻のように天井に届くほど伸びて、風がなくなってしまったように静かに消えていった。
――京。いったい何をしたんだ。
「ハッ!」
烏丸が虚を突かれたような声を上げる。こわばるその顔は、幽霊を見ているかのように怯えて苦しんでいる。
銃を握った手はガタガタと震え、ゆっくりその手が開いていく。局地的ユニバースを生み出すその銃は地面に落下した。しかし、烏丸はそれを拾おうとしない。いや、できなかった。自分では拾いたいようだったが、体の中で動きを抑えこまれているようだ。
次第に烏丸の全身を赤いオーラが包み込む。
「まさか、京が中に」
「
あきれが震え声で言った。
亜木霊降魂。亜木霊になった日影遊馬がバー・ブラック・ローズ店主古井龍に行った人格を乗っ取る行為。それを今、京が烏丸に行っている。
そして、亜耶弥の周囲に赤い火の玉が五つ浮かび上がり、ぐるぐると飛び回っている。
亜耶弥は消し落とそうと掌打や回し蹴りをするが、亜耶弥の物理攻撃は火の中を通りすぎてしまう。
次第に火の玉は大きくなり、それは人の姿となる。
五人の人物。
皇英士、有皇川聖士、刃隠零士、八唐司真琴、吾妻弥里が、それぞれ亜耶弥の動きを封じるように腕や足、体を押さえこんだ
圭士たちは、まるでSupertailを読んでいるような出来事をただ目の前で見ているようだった。
亜耶弥は激しく抵抗しているが、五人にはまったく歯がたたない。
「きょう……。わた……しの亜耶弥に……なに……を」
烏丸も人格を乗っ取られることに抵抗し、力を振り絞った声。
――亜耶弥を返して。
先の京が、烏丸ではなく亜耶弥に手を差し出していたことを思い出した圭士。
――そういうことか、京。
圭士はポケットに入れてあった銃を出して、身動きの取れない亜耶弥に向けた。
「圭士。いったい何を?」
あきれが問う。
「亜耶弥を京の元へ返すんだ。そうすれば、いつもの六人になる」
「いつもの六人?」
「京の作り出したキャラクターなのか、本当に実在する人物なのかはもうよくわからないけど、京は自分の世界に終止符を打つため、Supertailを飛び出した登場人物を回収しているんだ」
「京姉さん……」
圭士は、狙いを亜耶弥から少し下、亜耶弥の足元に。そして、引き金を引いた。金属音を弾く音とともに、銃口から高速で亜耶弥の足元に万年筆の筆先が飛び出した。
地面に赤い字がカリカリと書かれていくと、それを理解した亜耶弥が一段と動きを強めた。真琴と弥里は振り飛ばされそうになったが、突然亜耶弥の動きが止まった。
足元から赤茶けた鉄の層が上へ上へと迫っていく。亜耶弥は、言葉を発せず、ただうなり声を上げ、嫌がるように首を振っていた。
下半身が完全に鉄化すると、赤いオーラをまとった英士たちは亜耶弥から離れ、亜耶弥の斜め上に浮いて手を伸ばした。笑顔で亜耶弥に、こっちへおいでと言っているかのようだった。
体の動かなくなった亜耶弥は、叫び声を上げつつも、涙を流して目の前の五人に手を伸ばした。そして、亜耶弥の頭のてっぺんまで、伸ばした手の指先まで鉄となってしまった。
シーンと静まり返った空間。寒さすら忘れていた。
五人の赤いをオーラは、手を伸ばす亜耶弥の手を握るようにして消えていった。
- 2 -
静寂を突き破るように、烏丸が地獄の叫喚かと思わせる声でわめき始めた。狂ったようなその声は全く聞き取ることができなかった。
京が押さえ込んでいるはずの烏丸の体は、ゆったりと動き出す。地面に落ちた銃を拾い上げ、鉄化した亜耶弥へと近づいていく。
――しまった。あれを使われたら……。
「あの、何か近づいてくる音が聞こえませんか? ゴーって?」
ゆりなが何かに怯えるように声をかけてきた。
圭士とあきれは、耳をすます。空間に響く烏丸の声に混じって、地中を伝って聞こえてくるような地響きを感じた。
「まさか。城の鉄が、流れ込んできている」
「あの縦穴じゃ、一直線に」
圭士は脳裏に真っ暗な海に沈む自分の姿が思い浮かぶ。そして、すぐに烏丸に視線を戻した。全て失ったように泣きわめいて、鉄化した亜耶弥に抱きついている烏丸。哀れな姿だった。
今のうちに、身動きの取れない日影遊人をなんとかしないと……。
「お前らは絶対に許さない。俺の亜耶弥をよくも」
烏丸の声は、泣き声に没れて汚かった。
圭士は、自分が亜耶弥を鉄化させたとはいえ、烏丸への同情心などなかった。一応、烏丸と仲間だったあきれはどう思っているのかまで感じている暇は今はない。
烏丸は、圭士たちにゆっくりと銃を向けてきた。体はこわばっていて、銃を持つ手は震えている。狙いは定まっていない。しかし、筆先はリモート制御されるとはいえ、直接狙い撃ちされては、逃げ場ない。
通ってきた横穴に戻ったとしても、おそらく縦穴からの脱出は無理だ。
「あきれさん。あのマシンの先、穴が空いている。俺たちの施設の通路につながっている。ミチルさんに空けられて俺が見つけられちまったが。そこを通って行け。昇降機がある。ゆりな、案内しろ」
日影遊人が叫んだ。烏丸との距離は圭士たちよりも近い。
烏丸は、震える銃口をゆっくり遊人に向け直す。
「遊人」
「あきれ、クオンはあきらめろ。生きることの方が先決だ」
「でも、遊人は……」
「行け、深和圭士。ゆりな」
Supertailの登場人物もそうだが、どうしてそんなに自己犠牲ってのが好きなんだ。だけど、囮になってくれるのは感謝するが、俺らが動けばどうだ。そう簡単には行けそうにないぞ。もう少し、京、頑張ってくれないか……。
圭士は心の中で願った。
「ぐぎゃぎゃげはばぎゃばばが……」
烏丸をとりまくオーラが大きくなった。オーラが蛇のように烏丸の体をシュルシュルと縛って、烏丸の腕を左右に広げていく。腕が広がりきると、また銃が手から落ちた。もう片方に持っているクリスタルはまだしっかりと握られていた。
烏丸は十字架に張り付けられたように動けなくなってしまった。
「圭士。遊人のところへ」
「あ、あぁ」
圭士はすぐに立ち尽くしている日影遊人に駆け寄った。あきれは圭士の背中から降りて、片足で立ち、遊人の様子を見る。
遊人の足は、地面とくっつくようにして鉄化し、両手首がくっついた状態で鉄化していた。
「
「私、持ってます」
と、ゆりながズボンの側面にあるポケットから1112のスプレー缶を取り出した。
「さすが、ゆりな。準備がいいな」
鉄化した手首と足元にスプレーを吹きかけると、みるみる錆が落ち、鉄は溶けていった。
「問題なさそうだな」
遊人は手首と足首をくるくる動かした。
「ミチルさんが動けないんじゃ、善は急げだ。クオンは取り返す」
遊人はそう言って、一目散に駆け出した。体が十字となって動けずにいる烏丸が片手で握っているクリスタルに手をかけた遊人。なかなか手から離すことができず、固く硬直した指を一本一本クリスタルから放していき、クリスタルを奪うことに成功した。
「無事だったか」
クリスタルに閉じ込められた黒い虫・クオンを確認した。子供がおもちゃのお宝を手に入れたような笑顔で遊人は戻ってきた。
「結果オーライだったな。さぁ、行こうか」
「深和圭士。ありがとう。亜耶弥を私の元に返してくれて」
京の声だった。しかし、京の姿は見当たらない。
すると、ロンギヌスの槍にもう一度赤いオーラが灯った。槍のオーラと呼応するように烏丸のまとうオーラも力強く光り、烏丸と重なるようにしてオーラの中に京の姿が見て取れた。
「京」
「これでL.S.の登場人物たちは私たちのもとへ戻ったわ。ありがとう。こんな形で物語を締めくくらせちゃってごめんなさい」
「私たち?」
「私と遊馬。L.S.とあの六人は私たちのものだから。過去の時の中に取り残された屍の魂でしかなかったのだけど」
「屍の魂って。あんな素敵な登場人物をそうなふうに言うなよ」
「ふふ。そう言ってくれて嬉しいわ。L.S.、途中で止まっちゃったけど、書いた甲斐があったようね。私はもう一度あの登場人物たちと遊びたかっただけなのかもしれない。でも、すでに亜耶弥たちはノートの中で記憶の屍になっていた。
いいえ、彼女たちは何も変わってはいなかった。そう、私の心が屍になってしまっていただけ。だから、こんな結末を導いてしまった」
「こんなって……。まだ終わってないだろ。自分の友となる魂をもう一度そばにおいておくことが出来たんだし」
「えぇ。あなたのおかげね。深和圭士。遊馬があなたを守った理由がわかった気がするの。だから、私もあなたを守りたくなった。……正直言うと、こうする他なかった」
ロンギヌスの槍は、一段と強くオーラを放ち、ここに現れた時と同じように燃え上がる炎に包まれているよう。地面に刺さった槍は一人でに宙に浮き、その鋭い切っ先は烏丸に向いていた。
圭士はハッとした。
「京、どうする気だ」
「L.S.と世界をない交ぜにして、あっちにもこっちにも都合のいい顔をした登場人物を作ったのは私。全ては私の責任。そして、あなたやあきれ、Little Storiesのメンバーには悪いことをしたわね」
圭士は一人ふらふらっと足を進め出す。
「圭士?」
と、あきれの声。
「だから、烏丸ミチルを私の血で葬る」
槍は、静止した状態からいっきに加速し、十字を形作る烏丸に向かっていく。
「やめろ!」
「何をする、深和圭士。そんなことをしたら」
矛先を烏丸の心臓―京の心臓―に向けたロンギヌスの槍を圭士はつかんでいた。
「京。それだけはさせない。烏丸は、とどめなんて刺すほどの奴じゃない。亜耶弥を失った時点で奴の負けだ」
槍は、京のあらゆる感情が入り混じり熱を帯びていた。握った手からじわじわ伝わってくる。そして、それ以上に不安定な京の心情が圭士に影響を与える。
「深和圭士。その手を放せ」
「あの時の止まったままのヤツしか愛せない奴を殺したければ、もう一度、京が書くSupertailの中でやれって言ってんだ。俺たちはもっとSupertailが読みたかったんだ」
圭士は槍から手を放すつもりは毛頭なかった。もし、放してしまえば、槍は烏丸の心臓を貫いていただろう。
槍に触れてわかった。L.S.の登場人物が自分の元に戻ってきて喜んでいる京がいたこと。同時に、京の心を飛び出して、手のつけられなかった烏丸ミチルを殺したかった京がいること。
それらは、京の心情を激しく乱し、京の心は錆びてしまった。その京の心を直接触れた圭士は鉄化していく。ノンユニバースの圭士といえど、ユニバースの発生源である京の心の錆に触れてしまっては、鉄化を防ぐことはできなかった。
圭士の鉄化はみるみると進んでいく。槍を握った手が鉄化してしまえば、槍を放すどころの話ではない。
鉄化していく意識の中、圭士は京の錆びた心を見た。
口のない試験管のようなガラスに赤い透き通った液体が四分の三ほど入っていて、それが横になった状態で、シーソーのごとく左右に傾き合っている。ひどくどちらかに傾く時もあれば、波も立たないくらい平静にしている時もある。
しかし、少し風向きが変わるだけで、だんだんと右側に赤い液体の量が多くなり、液体の濃さは濃く、そして赤黒く固まっていく。
次第にガラスを突き破るように錆が溢れ出す。
京はそれを何本も集めていたが、どれひとつ同じものはなかった。ガラスの大きさ、液体の色や量、傾きの角度、どれもがバラバラだった。
自分と同じ心を見つけたかった京。
双子の妹、亜耶弥ではなかった。
L.S.を一緒に書いた日影遊馬ではなかった。
京を慕うあきれではなかった。
Supertailの登場人物ですら、同じではなかった。
同じ心を持つ者はどこにもいない。
もし、それを今そうだとわかったら、それは良かったことだと思う。
しかし、同じ心、繋がらない心の世界で一つの光りを一緒に見ることはできたじゃないか。Supertailという物語の光を一緒に見ることで繋がれた。
Supertailの向こうとこちら側。
書き手と読者。
京の心を全部受け止め、理解することはできない。けれど、Supertailの中で少し京を見れたような気がする。気になったから、作者を探したんだ。
どうしたって、こんな形で終わらせたくないから。
ひとつだけ、アイデアがある。きっと気に入ってくれるはず。
圭士の意識が硬化する寸前、あきれの自分を呼ぶ声が聞こえた。まるで、眠りにつくようにあきれの声が遠ざかっていった。
そして、圭士は幻想の彼方で二人の後ろ姿を見ていた。
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