あの頃、15センチ。そして、0センチから。【絵描きの少年とJK/夏のジュブナイル】

東雲飛鶴

【1】15センチの再会

『キイィィィィィィィィィ――――ッ』


 自転車のブレーキを全力でかけた。

 とまれとまれとまれ。

 緊急事態。緊急事態。

 私は握力のかぎり、ブレーキレバーを握りしめる。

 全身から冷たい汗が噴き出した。


「と、とまった……」


 あやうく人を轢きそうになった。

 その距離、15センチ。


 駅前広場で不快なブレーキ音をまき散らした私は、生きた心地がしなかった。


 とろけそうに暑い、夏休みの昼下がり。

 歩道のアスファルトに、タイヤ跡を焼き付けながら。


「す、すす、すみません!!」


 制動で前につんのめった私の目の前には――

 夏物のライトグレーのズボンと、磨き上げられた革靴。


「いや、僕の方こそ飛び出して……あれ?」

「……なに、か?」


 恐る恐る見上げると。

 どこか見覚えのある面影が。

 はにかんだ笑顔。すこし幼さの残る中性的な面立ち。


「ただいま」


 ただい……ま?

 えっと……?


「僕だよ、僕」

「? 新種のオレオレ詐欺?」

「ぷッ、んなわけあるかよ。こんな駅前で高校生相手に。……ホントに誰だかわかんないの?」

「どちらさま、ですか?」


 私よりも頭ひとつ背の高い、同年代ぐらいで困り顔の男の子は、ズボンのポケットから手帳のようなものを取り出し、開いて見せた。

 それは、県外にある私立高校の生徒手帳だった。


「ほら。わかった?」

「う、うそだあああああああ!」


 そんなはずはなかった。

 だって、最後に逢ったときって。


 ――私の方が15センチ、背が高かったんだから。



                  ☆



 彼と最後に言葉を交わしたのは、中三の春。

 幼馴染みの彼とは、中二で同じクラスだった。

 

 新学期初日。

 校舎前の掲示板前に、黒山の人だかりが出来ていた。

 みな、自分がどのクラスになったのか、探している。


 同じクラスになって、飛び上がって喜ぶ子たち。

 別々のクラスになって、べつにいつでも会えるのに泣いてる子たち。


「お前どこになった?」

「A組」

「そっか。僕はD」

「実技もあるから大変だよね。美術科とか」

「でも、やりたいことだから大丈夫だよ」

「そっか。がんばれ」

「おう」


 それが、彼と最後に交わした言葉だった。

 進路でコース分けされた私たちは、教室どころか校舎も別々になって、私は私で受験勉強が忙しくて、彼のことを思い出しもしなくなった。



                  ☆



 私たちは、駅前のコーヒーショップに逃げ込んで、お互いの近況報告をした。


 学生寮で暮らしている彼は、夏休みに数ヶ月ぶりの帰省をし、私に轢かれそうになったわけで。そのお詫びにお茶でも奢ろうと。


「学校どう? 専門の高校だから授業とか難しい?」

「べつに。おもしろいよ。同じ趣味の奴も多いし」

「へー。よかったじゃん」


 彼はストローを回し、アイスコーヒーの氷をカラカラと鳴らした。


「それなに」と彼。

「本。さっきそこで買った」

「見りゃわかるよ、本屋の袋に入ってんだもん。中身だよ。めずらしいじゃん、そんな厚くて大きい本なんかお前が買うなんて」

「失礼な……」


 私は買ったばかりの本を袋から出して、テーブルの上に置いた。


「私も始めようかなーと思って、絵」

「んだよ、言ってくれれば、その手の本なんていくらでもうちに……」

「受験――」

「あ」

「終わって、一息ついたから、始めようかと思ったわけで。そしたらあんたいないし……自分で買うしかないじゃん」

「そっか、ごめん」


 少し陰のある表情で彼は言った。

 だけどこの時はその理由に気付くことはなかった。


「それより、丁度よかった」

「なにが?」

「明日、あいてる?」

「イヤな予感しかしないんだが……。いいよ、あいてるよ。どこいくの?」


 彼は苦笑しながら、理由も聞かずに快諾した。

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