閑話:私心と指針

「なるほど」


 男は話を聞き終えてもそれを聞く前とさして変わらない柔和な表情を見せていた。

 ここにもし第三者がいれば、可愛い教え子を見守る教師のようなまなざしだとでも言ったかもしれない。


「話はわかった。その件についてはあまり気に病まぬことだ。これが一般的な内部告発だとしても告発者を保護する法律がある。君や君の会社に迷惑が及ぶことは有り得ないよ。もちろん何事にも完璧という物は存在しないが、今回の件は悪意ある隠蔽とはまた違う話だ。おそらくはあの会社の認識として、そのシステムが違法だとは思っていないのだろう。まぁ特区は色々と特殊な法令もある。まだ確固たる基盤となる決まり事の骨子が定まっていないと言ってもいいだろう。だからこそお互いに解釈の齟齬もあるということだ。そう、ともあれよく私に相談してくれたね、軍警察などに持って行っては法解釈でもめる可能性が高かったからね。ああ、うん。そうだ、わかっているよ。じゃあ、君も疲れているだろう? ゆっくり休みなさい。ああ、おやすみ」


 ブンと、僅かな余韻の共鳴音を残して、今まで通話相手を映していたディスプレイが単なる平坦なメニュー画面に戻る。

 その画面を尚も眺めながら、特区を管理する立場の男、酒匂太一は自分のデスクを人差し指でコツコツと叩いた。

 見た者が少ないゆえにあまり知られていない癖だが、それは彼が苛立っているサインだ。


「やってくれる」


 酒匂はしばし両目を閉じると深く深呼吸をした。

 そうすることで指の動きがぴたりと止まる。

 

「冒険者カンパニーか」


 実のところ、この企業については設立当初から注目が集まっていた。

 ちょうどその企業が設立された頃は、迷宮特別区画特例法の施行に大きな混乱が見られていた。

 特区という特殊な場所に合うように、しかし本来の国法とかけ離れない基本法を作るという作業は、日本という国の特殊性のおかげでかなり困難を極めていたからだ。

 その混乱の原因の一つに、日本がそれまで冒険者をほとんど受け入れることのない国であったという事情がある。

 つまり日本という国は冒険者という存在の行動や考え方をほとんど知らないということだ。

 元々島国で他国人を排除することが容易かったということもあり、他国では考えられない程に、日本はそういった方面に無知であった。

 そのため専門家を招いての法整備の初期の段階では、特区法の大枠は決まっていても細かい法令が決まっていなかったのだ。

 いや、あえて大枠だけ決めて細かい法は流動的に中央が意思決定出来るように幅を持たせていた。

 実際の話、その初期のやや乱暴なやり方は上手く機能したと言っていい。

 おかげで現場判断がしやすくなり、大きな混乱が起こらなかったのである。

 だが、その解釈の自由度は、当然ながら一方的なものではない。

 冒険者側もそれを利用していくつかの行動を起こした。

 その一つが勝手な都市改造であり、初期のいくつかの会社や団体の設立だ。


 本来なら国内には存在出来ないような武器や防具、術式を販売する店舗が開かれる。そのことをこの特区ではあまり強固に規制出来ない。

 なにしろ迷宮に潜るためにはそれに相応しい装備がいる。

 国内で一律に規制している術式などを迷宮を中心に存在する特区で規制してしまえば冒険者は迷宮に潜る準備すら出来なくなっただろう。

 結果として規制を緩めることとなった特区法を拡大解釈して、いくつかの会社が設立してしまったのだ。

 もちろん明らかに犯罪的な物はきちんと規制が入り、対処されたが、今回の冒険者カンパニーなどは冒険者を支援する目的の団体であり決して暴力的な目的の会社ではない。そのため規制対象外だった。

 しかし予言機となればまた話は別だ。

 予知や予言の取り扱いは国際法でかなり厳密に規制されている。

 一個人や一企業が個々でそれを取り扱うことについては規制されていないが、システムとして活動内容に組み込むことは明確に国際法違反となるのだ。


 つまり冒険者カンパニーが本当に予言システムを商売上のメインシステムとして可動させているのだとすれば、それは重大な国際法違反となる可能性がある。

 そして酒匂は、その冒険者カンパニーがあえてその限りなく黒に近いグレーな在り方をわざわざ木村隆志に教えてみせた理由に思い至ったからこそ苛立ちを感じたのだ。


 これは脅迫だ、と酒匂は感じ取った。

 隆志個人への脅迫ではない。

 日本という国に対する脅迫なのだ。

 今まで海外へ決して出すことなく保護し続けていた日本の勇者血統の存在を知っているぞと脅して来たのである。

 それを守りたいなら自分たちのやっていることを黙認しろという暗黙の欲求を突き付けて来たのだ。

 

 勇者血統の存在は各国それぞれの人々暮らしや歴史の根幹に関わっている。

 怪異は絶えず生まれ続け、時に人の手に余る程に強大な存在として人間社会を脅かす。

 それでも人間が日々の暮らしを不安に苛まれずに送っているのはその根底に自国の勇者への信頼感があるからだ。

 いざとなれば勇者が現れて守ってくれる。

 怪異による災害は起こっても、「最悪」は免れる。

 なぜなら自分達のために存在する勇者血統が脈々と生き続けているから。

 親から子へ、教師から生徒へ、言い聞かされることで、いつしか子どもは闇を過剰に恐れなくなる。

 概念の確立。それによって最悪の怪異を生み出す環境は解消されるのだ。

 これがなければそもそも人間の集団が集まる大きな都市など造れるはずもないのである。


 だがその勇者にはたった一つ弱点がある。

 それは人間だ。

 彼らは普通の人間に対して強い攻撃力を発揮することが出来ない。

 国によって違うが、彼らは対人間の場合には強い制約が働くように調整されているのだ。

 怪異に負けない勇者は、しかし人間にはたやすく殺されてしまう。


 無防備に社会人としての生活を送っている隆志などは、正にいい標的だ。もし人が本当の害意を彼に向ければ、最悪は起こり得るのだということを相手は示唆しているのである。

 そういった事態が起こらないためにこそ、国は勇者血統を厳重に保護して普段一般人と接触させずに隔離しているのだ。

 この国でも、とある山奥の村で彼らはひっそりと暮らしていて、外界との接触は限られていた。

 そこから飛び出したのが隆志である。

 とは言え、それは仕方のないことだと酒匂は思っていた。

 隆志自身が言うように、人間はもはや勇者を必要としない力を持っている。

 勇者がいなくても怪異に対抗出来る兵器を手にしているのだ。

 もうそろそろ勇者も人間から開放されてもいいんじゃないか? というのは酒匂自身の考えでもある。


 とは言え、それは無為に勇者を失ってよいという話にはならない。


「要するに迷宮相手に正攻法でやらせるつもりか? という抗議なのだろうな」


 冒険者達の言い分も酒匂にはわかる。

 一時期酷い時には迷宮からの生還率が10%を割った。

 丁度二桁階層を本格踏破しようとしていた時期になる。

 あまりの惨状に担当者は真っ青になり、一時は迷宮の閉鎖も考えられた。

 それがある時期を境に生還率が急上昇する。

 それは丁度冒険者カンパニーが急成長を遂げた時期と重なっていた。

 特区の冒険者の実に六割が冒険者カンパニーの会員となったのだ。

 しかも上層踏破者に限ればその会員率は八割にも上った。

 なんらかの特別な方法を持っているだろうと推測されていたが、冒険者はそれを決して外部に漏らすことはなかったのである。

 それが、最近になって少しずつ噂が出回り始めた。

 人数が増えれば増える程、様々な気質の冒険者全員を管理することはむずかしくなる。

 酔っぱらいなどだったりすればなおさらだ。

 そこで情報統制がむずかしいと見た冒険者カンパニーは政府への働きかけとして、今回のような刺激的なパフォーマンスを行ったということなのだろうと、酒匂は読んでいた。


 国際法違反となれば国際指名手配となる。

 逃げればいいというような話ではなくなるのだ。

 相手はそうならないようになんとかしろと要求して来ているのである。


 酒匂の思考はふっと陰った光によって中断された。

 時間経過でディスプレイが消灯したのだ。

 そしてその暗くなった画面に光が丸く描かれて行く。

 いくつもの丸が描かれて、それが更に一つの文様を描く、そんないっそ美しいと言える程の図柄がそこに浮かんだ。

 酒匂はその画面に自分の手をかざす。

 酒匂の手が近づくと模様が組み替えられ、新しい図形を描いた。


『なにか?』


 画面の向こうから声が聞こえる。


「少し探りを入れて欲しい。冒険者カンパニーの経営陣についてだ」

『了解しました。何かありました?』

「うちの子を利用しようとしてくれた」

『へえ?』

「どうも私は冒険者に偏見があってね。このままだと公人として振る舞えないかもしれないな、と」

『いや、それはダメっしょ? たいっちゃんあの子達を溺愛しすぎよ?』

「まさか、そんなことはない。私はどうせ政府の側の人間だからね」

『昔さ、あの子らに聞いたことがあるんだよね。お菓子の人ってサンタさんみたいなものか? ってさ。そしたらあいつらサンタさんなんてうちの村には来ないよ? って言ってたぜ』

「手土産にお菓子なんか子ども騙しだ。全く、あの子達は簡単すぎて罪悪感を抱いてしまう程だよ」

『はいはい、悪い大人ぶってもしゃーないのにね。まぁ冒険者連中だって別に国とことを構えようとかは思ってないと思うぜ?』

「そうだな」

『そんなに怒んない怒んない、冷静に、ね?』

「そもそも君だって昔私達をさんざんやきもきさせたのだけどね」

『うわ! 怖いわ! こっちにお鉢が回ってきた! じゃ、そろそろ切りますよ。お仕事がんばってね』

「君はその調子だからあの子達に嫌がられるのだよ。まぁいい。とりあえずそっちのほうは任せたぞ。以後は私は公僕として仕事に専念する」

『了解! お仕事ご苦労様です!』


 その言葉と共に画面の文様が薄れていくのを見守りながら、特別区画管理大臣酒匂太一は、新たにメニューを立ち上げると報告書と命令書の作成を始めたのだった。

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