161:好事魔多し その十九

 ぬらりとした体表面を見ただけでもう嫌な予感しかしない。

 見た感じはオオサンショウウオに似ているが、あんなのんびりとした感じではなく、色合いも毒々しい赤紫だ。

 一見した所は動きはにぶそうなんだが、どうかな?


 そのエリアボスであろう相手は、俺達の方に顔を向けると、まるで岩が割れるようにバクンと口を開けた。


「やばい!」


 俺の声より早く浩二の絶界が展開する。

 だが、相手が発したのは物ではなく音だった。

 ズンッ、と突き上げるような衝撃に体が固まる。

 その瞬間、目前の界のずれた向こうに赤紫の粘着性の物質がねちゃりと広がり、同じ程の勢いで消えた。


「な、なんだ?」


 ようやく、固まっていた状態から抜けだした俺は声を絞り出す。


「舌です。おそらくカエルとかカメレオンのような用途なんでしょう。叫びハウルも絶界でかなり防いだはずなのにアレですからね。油断ならない相手です」


 うわあ、えげつない。

 相手を叫びで足止めして、舌で絡めとって食うって訳か。

 

「アイツの体、ありゃあ毒かな?」

「ぬらぬらしていますからね、少なくとも粘液のたぐいであることは間違いないでしょう」

「防ぐに難しく、攻めるに難しいという、嫌な相手だな」


 ブーンというお馴染みの羽音が響く。

 由美子の操る虫型の式、白い大きな蜂達が仕掛けたのだ。

 蜂達は群がり、次々とオオサンショウウオもどきに針を刺していく。が、少しも効いている風には思えなかった。

 しかしさすがにわずらわしかったのか、オオサンショウウオもどきは太くて長い尾を振り回し、それでは埒が明かないと感じたのか、グオッと声を上げると、突然、横に転がり始めた。

 何しろデカイ、しかも横幅が特に大きいので、転がることで体表近くに群がっていた蜂達はその体に巻き込まれて轢き潰されてしまう。


「転がる、とか」


 俺は見物の間に装備したグローブの具合を確かめると、でかくて平たいボス野郎に向かって走った。

 お試しにヒートナイフを突き込んでみる。

 ジュッと嫌な臭いがして皮膚の表面を切ったと思ったら、すぐにその傷が埋まった。


「うっわ、たまんねえな!」


 ぼやく。

 今度は広範囲に切り裂いて、素早くナイフを収納すると、その切り裂いた部分に拳を叩き込む。

 ズッ、と嫌な感触があって、ほとんど手応えがない。

 グローブからは紫の怪しい煙が上がったが、無事だ。

 ハンター協会のお墨付きの防具は、ただ高いだけじゃないということだ。


 と、ボス野郎がグオッと声を上げたので急いで下がる。

 またまたローリングの開始だ。

 ん、転がっている時に見える腹には粘液が無いぞ。


「なんとか奴を持ち上げられないか?」


 敵は平べったい、つまり重心が安定しているということだ。

 よしんば腹が弱点だとしても、それを晒すのがローリング中だけでは攻撃の隙がなかった。


「やってみる」


 由美子の言葉と共に、白い大きなムカデくんがやつに向かって行った。

 俺たちを乗せられる程大きなムカデだが、オオサンショウウオもどきに対峙すると大人と子供以上の差がある。

 しかしムカデくんも重心の低い安定した体の持ち主だ。素早い動きで敵の腹の下に潜り込もうとするも、敵もさるもの素早く尾を動かす。

 俺も牽制に反対側から攻撃を加えてみるが、割りとあっさり無視された。

 おのれ。


 ダダッと動いた敵さんは白いムカデを踏み潰した。

 これが生物なら動けなくなっていたのだろうが、ムカデくんは生物ではないのでそのまま敵の短い足に絡み付いて締め上げる。

 ゲゲッとかググッとか言う声を上げて、オオサンショウウオもどきはそれをなんとか振り解こうとするものの、足が短く首が無い作りなので自分の足に噛み付くことが出来ずに、結果として足を振り回すこととなった。

 瓦礫が飛び散って危ないだろ!

 だがおかげでやつの体が浮いた。

 俺はその隙間に体を入れると、アッパーの要領で下からやろうの体を打ち抜く。


『グオオオッ!』


 さすがに安定がいいな、ほとんど浮き上がらねえ。

 もう一発!

 更にもう一発! 追い打ちでもう一発!

 でかいコンニャクか何かを殴っているような感触だが、なんとか俺が入り込めるぐらいの高さまで体を浮かせることに成功した。

 ヒートナイフで一気に腹を切り裂く。


『グワアアアアッ!』


 怒りとも悲鳴ともつかない声を上げて、オオサンショウウオもどきはまた転がり出した。


「バカの一つ覚えか、いい加減にしろよ!」


 だが、さすがにその巨体を武器にした攻撃は効く。

 潰されることはまぬがれたものの、俺は大きく跳ね飛ばされた。

 床に叩き付けられると、その勢いのままにごろごろと転がる。


「ちいっ!」


 転がった俺に向かって舌が飛んで来たのを浩二が防ぐ。

 咄嗟の発動では人一人をカバーする程度だが、それで十分だ。

 と、転がった俺の横をタネルが駆け抜ける。


「おい、待て!」


 タネルのムチがオオサンショウウオもどきの目に届く。

 それを嫌がって振った頭から粘液が飛び散り、タネルが悲鳴を上げた。


「タネル!」


 俺は立ち上がってタネルを担いで他の連中の待機している場所まで戻って、渡す。


「兄さん!」


 ビナールが泣きそうになりながら近づくのが目の端に映る。

 

「くそがっ!」


 俺はまたオオサンショウウオもどき野郎に突進した。

 やつは腹と目が痛いのかのたうっている。

 ベルトから金属の筒を取り出し、引き伸ばしてこんの状態にすると、先ほどのタネルの攻撃で傷ついた目を狙ってその頑丈な金属の棒を繰り出した。

 ズンと、今度こそ、肉を刺す感触が手元に伝わった。


『シュー! シャー!』

「リーダー避けて!」


 見ると大木が例の術式銃を構えている。


「おう!」


 俺は大慌てでオオサンショウウオもどきの側を離れた。

 シュンという音と共に、やつの体に術式が書き込まれる。

 ぐるりと巡った術式が効果を発動、敵の抵抗力とのせめぎあいが発生してその摩擦が光として目に届いてやたら眩しい。

 かなり弱っていたオオサンショウウオもどき野郎だが、それでもまだ抵抗を続けていた。


「ったく、頑丈な野郎だな!」


 俺は走り寄ると、今はすっかり見えている腹に渾身の拳を叩き込む。

 ズ、ン、と重く沈み込む感触、と、同時に、


『ガ、ハッ』


 怪物は赤紫の体液を吐いて沈黙した。


 ボロボロとその形を崩し、元々の虚無へと戻って行く。

 俺はそれを確認すると、仲間たちの所へ戻った。


「タネルは大丈夫か?」

「なんとか」


 見ると由美子の解毒の符と、ビナールの腕輪が光ってなんらかの術を展開中らしい。

 やれやれ、ひやっとしたぜ。

 オオサンショウウオもどきのいた所には巨大な夢のカケラと肉片の一部が残っている。 

 

「大木、封緘あるか? 素材が残っているぞ」

「おお、すごいっすね」


 大木は封緘を取り出したが、配置に手間取っている。

 明子さんのようにはいかないようだ。


「あー、あのさ、聞かれたくないことだったら答えなくていいけど」

「あ、はい」

「明子さんとは上手くいってないのか?」


 大木は俺の顔を見て苦笑いすると、自分の異形と化した腕を示してみせた。


「めいちゃんはすっごい怖がりさんなんっすよ。本当は軍隊なんか入れないぐらいのね。それが偶々異能持ちだったから他に選択肢はなかったんです。そんなあの人を助けたくって強くなりたかったんですけどね、かえって怖がらせちゃって」

「そう、か」


 上手く励ます言葉が出ない。

 一般の力の無い人が異能者を見る目を知っているなら、大木のことだって受け入れられるはずだ。

 理屈としてはそれは間違いではないだろう。

 でも、人の感情は理屈ではどうにも出来ない。

 明子さんが異形を恐れたのなら、自分を恐れる彼女を見続けることに大木が耐えられるはずがない。それは俺にもわかる。


「でも、彼女にチャンスをあげてくれ」


 だが、俺はするっと、そんな言葉を口にしていた。

 

「へっ?」

「その、俺は上手く言葉に出来ないけどさ、人は時には自分でもどうにも出来ない感情に突き動かされる時がある。だけど、それが全部じゃないからさ、ちゃんと話をしたほうがいいと思うんだ」


 大木はきょとんとした顔をした後、唐突に笑い出した。


「あははは、了解っす、リーダー」


 そしてニヤニヤ笑いに変化する。


「そもそも諦めるって言ってないっすよね、俺」

「あー、余計なお世話でした、失礼しました」


 俺は投げやりにそう言うと肩をすくめた。

 大木はほんと、軽いのにタフな男だ。

 それに、いつだってムカつく奴だ。全く。


 俺は、きっと優しい声で俺を慰めてくれるであろう女性の顔をふと、思い浮かべた。

 あそこには日常がある。

 結局俺たちは、命を賭ける世界には馴染めない日常の世界の住人なんだと、そう強く思うのだ。

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