154:好事魔多し その十二
「ぐぅっ!」
触手は単純に宙に放り投げたりはしなかった。
絡みついたまま巻き戻しの紐のようにより巻き付きながら引っ張り上げ、その勢いのまま天井に叩き付けられる。
天井は言うなればトリモチの罠のような状態で触手の巻き付いた左半身がべったりと天井に張りつくこととなった。
すかさずナイフで左腕の触手を切り離すが、その頃には周囲から滲み出るように湧いて出た繊毛のような物に取りつかれてしまっていた。
地に足がついていない状態では踏ん張ることも出来ない。
これはあれだ、フリーフォール状態? いや、落ちてる訳じゃないから違うか。
単純に宙ぶらりんという感じだな。
わさわさ絡んでくる繊毛みたいな奴が気持ち悪い。
もうなんとなく気づいているんだが、これはきっと繊毛じゃなくって全部口なんだろうな、うわあ。
「兄さん」
耳元で声がする。
由美子の操る蜂が寄って来たのだ。
「どうにか出来るか?」
一応聞いてみた。
「出来る。けど、痛い?」
痛いのか、疑問形だからわからないのか、どういうことだ? と思っていると、蜂が俺の左半身に突っ込んで来た。
そしてそのまま爆発する。
「ちょ! 待てや!」
妹からの信頼が熱い。
すごく、マジで。
次々と突っ込んでは爆発する蜂のおかげでトリモチはどんどん外れて行ったが、俺自身も燃えている。
「あちっ! あちい! くそったれ!」
半身を炎に包まれたまま俺は体を反転させると、燃えている天井部分を蹴って、囚われの人間らしき塊部分を目指して、落ちるというか勢いをつけて飛び込んだ。
ズシンとした感触は感じたが痛みは無い。
本来は敵の罠であるトリモチが俺の突っ込んだ衝撃を殺してくれた。
そして俺の体の火がそのトリモチを溶かす。
髪の燃える嫌な匂いに戦慄する。
おいおい、まさか、俺の髪、大丈夫か?
とにかく、確認だ。
チリチリ、ジュゥ、という不安気な音を立てながらトリモチが焼け溶けるのを払いつつ、繭のようになっている中身を確認する。
女、若い、男、これも若い、もう一人……うっ……。
「くそっ」
もう一人は大柄な、その筋肉と体格からおそらく大人の男だったのだろうと思われた。
だが、既に大半が溶けていて、外に出ていた足と、繭の中にあった部分の骨と筋肉を僅かに残すのみとなっている。
念の為呼び掛けるがぴくりともしなかった。
トリモチの大半が燃え溶けてずるずると繭が崩壊し、その三人と共に今度こそ
「由美子! これはかなり燃えやすい、全部燃やせ!」
「わかった」
蜂が花の蜜を求めるかのようにこの大広間を覆うトリモチに突っ込んで行く。
そこかしこに紅蓮の炎の華が咲き乱れた。
俺は三人を抱えたまま体を入れ替え足から地面に降り立った。
天井から壁からのべつ幕なしに火の塊が落ちて来る。
「うわっ! やばい! 全員早くこっちへ!」
「全く、もっと考えて指示を出すべきでしょう」
「ぎゃあ! 火が! 火が降ってくる! ちょ!」
大騒ぎでトリモチ触手野郎の罠部屋を通り抜け、通路へと抜けた。
と、いきなり目前に壁が下りて来る。
なるほど、無事通り抜けたと安心したら今度は出口が塞がって絶望する仕組みなのか。
「なめんなぁ!」
回し蹴りを叩き込むとその石で出来ていたらしき壁が吹き飛んだ。
いい加減俺も苛ついてるんだよ!
「ナイスっす!」
「馬鹿力」
軽い男の軽い賞賛と、弟からの心の篭った毒舌をいただく。
心が寒い俺はちらりと愛する妹の顔を見た。
ちょっと褒めてくれないかな?
「ハッチが勿体無かった」
ああ、式を無駄遣いしたことへの抗議ですか? マジでごめんなさい。
結局俺の心は絶対零度の境地へと至ったのであった。
通路の途中、罠や敵影が無いのを確かめると、抱えていた連中を下ろす。
半分溶けた人間に、浩二は眉を寄せ、由美子は目を伏せた。
心臓の位置には骨と筋肉がついている。
触れてみるが鼓動はやっぱりなかった。
残りの二人、下手をするとまだ二十歳前じゃないかとさえ思える男女の様子を見る。
どこの国の人間だろう? アジア人種とは違うようだが、肌は赤銅色に近い色合いだ。
髪は黒いのでなんとなく親近感を覚えてしまう。
心臓の鼓動を聞いてみると、弱々しいながらもなんとかふたりとも動いている。
捕らえられていた体勢から見て、この大人の男が二人を抱え込むようにして守っていた感じだった。
「かなり衰弱している。
ポーションは肉体のポテンシャルを引き上げて傷の治りを早く、疲労を素早く回復させる力がある。
しかし、代償として肉体の持っているエネルギーを引き出して使うので、消耗している人間に使うと逆に危険な場合があった。
「ポーションはやめたほうがいいっすね。とりあえず水を飲ませてあげましょう」
大木は雑嚢からペットボトルに入った経口補水液を取り出した。
海綿のような物にそれを浸して、それぞれの口に触れさせる。
「ん……」
女の子のほうから声が上がる、男の子のほうも唇が動いたようだ。
大木はゆっくりと海綿を絞って水を口の中に落としこむ。
「がっ! ……は?」
まず少女が目を開けて口をパクパクと開け閉めした。
大木はその手にペットボトルを渡そうとするが、力が入らないのか彼女はそれを掴めないようだ。
「ゆっくり、飲む」
由美子が大木から少女を引き継いで水を飲ませに掛かった。
大木は残る少年のほうに力を入れる。
こっちは口を動かして水はなんとか飲むものの、目が覚めない。
やがて咳き込み出したので、大木は水を飲ませるのを止めた。
「キモ?」
誰がキモいって?
少女がぼんやりとした顔で呟いた言葉に心の中でツッコミを入れた俺だったが、どうやら倭国語じゃないっぽい。
誰かって聞いてるのかな? それともどこか? かな?
「どうも翻訳術式使ってないっぽいな」
「同国人とパーティを組んでいるなら必要ありませんからね」
由美子が取り出した懐紙に筆ペンで何か細かい文様を書き出した。
そしてそれにハサミで切れ込みを入れると、ふっと息を吹き込む。
「これ使って」
それは小さな白いてんとう虫となって少女の肩に留まった。
少女の方はぎょっとして思わず払い落とそうとしたが、由美子が何かを囁くと、びっくりして手を止める。
「言葉わかるよね?」
「うん、……可愛い、虫?」
言葉より虫のほうが気になるようだ。
世の中の女性には虫嫌いが多いと聞くが、この子は大丈夫そうだな。
少女はしばしぼんやりと俺たちを眺めていたが、はっと気付いて周辺を見回し、傍らの少年を見つけると揺すった。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
兄妹か、ってことは。
俺はもはや元の顔など分からなくなった大人の男性を見た。
この人は彼女らの父親か兄かそれに近い立場の人なんだろうな。
「う、ん?」
少年のほうも目を開けて一安心だ。
既にその肩には白いてんとう虫が留まっている。
少年は覚醒してしばしぼんやり目前の妹である少女の顔を見ていたが、ふと、何かを感じたように一動作で跳ね起きると、腰からナイフを取り出し構えた。
ほぼ無意識に行ったらしい一連の流れるような動作が、この少年がかなり鍛えられていることを示していた。
「落ち着け、今は安全だ」
「誰だ!」
鋭く叫んで、ふと自分の口元に手をやる。
そして妹と周囲の人間に順に視線を移して行くと、ナイフを仕舞った。
「悪かった」
謝るんだ。
俺はどうも冒険者に対してあまりいいイメージを抱いてないんだが、この子は冒険者にしちゃあ礼儀正しいな。
きっと親のしつけがいいんだな。
「どうして警戒を解いたんだ?」
俺の疑問に少年は顔をこちらに向けると、その視線をペットボトルに移す。
「糧を分け与えてくれた相手に対して礼儀を忘れては
ん? ビーストって言うのは聞いたことがあるぞ。
たしかどっか大陸のほうの古い怪異の呼び名だったような。
「なるほど。今は安全だからちょっと座ってくれ。それから、この……」
俺がもう一人についてどう切り出そうかと口籠っていると、少女の声が割り込んで来た。
「お父さんどこ?」
一瞬静寂がその場に満ちる。
彼女の視線が、物言わぬ変わり果てた姿に止まり、しばらく首を傾げてそれを見つめ続ける。
少年も釣られたようにその視線を追い、その姿にはっと息を呑んだ。
誰も言葉を口にしない。
口にしてしまったらもう、それを現実と認めなければならないと誰もが知っているからだろう。
それでも、やはり、現実を変えることは誰にも出来ないのだけれど。
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