121:氷の下に眠る魚 その七

 年末、年の瀬から遡って一週間、二十五日からは人々は新しい年を迎えるための準備に入る。

 仕事の内容も整理と挨拶回り、忘年会にチェンジし、二十七日には一般的な仕事は全てお休みになるのだ。

 故郷が遠い者はそこから帰郷して年末年始に備える。


 長期間の食材の入手と保管、大掃除や餅つきと、やることは多い。

 なにしろ年明けの三ヶ日、特に元旦は働いてはいけない日だ。

 世の理を司る神々に対する禊、欲を忘れて生まれたての赤子のように新しい目で世界を受け入れるのがこの日なのである。

 なので普通は年の瀬から正月三ヶ日は一族の当主や一家の長の元、何らかのその家独自の行事を行うことになる。


 二十六日で年内の営業が終わり、会社を出て駅に向かう道中で伊藤さんが白い息を吐きながら俺を見上げた。


「木村さんは故郷に帰郷なされるんですか?」

「あーまぁ、そんな感じかな」


 実は実家とは絶縁状態であるとは言えない。

 それに、俺には年末年始の長い休みを利用してやりたいことがあった。


「そうですか。我が家は今年は凍える大地に行くとかで、今から寒そうで心配なんですよ。あ、あっちには良質の水精があるらしいのでお土産にしましょうか?」

「え? 凍える大地ですか?」


 凍える大地とは北極近くにある人類最北の村と呼ばれている場所だ。

 なんでも一年中大地が凍っていてほとんど草木が生えないとか聞いたことがある。

 強大な北の海魔に対する防衛ラインでもあるらしい。


 そんな危ない所に行って大丈夫なのか?

 俺は心配のあまりそれを顔に出していたのだろう。

 伊藤さんは俺の顔を見て安心させるように笑った。


「危ないことをする訳じゃないんです。お祭りがあってそれに父が参加するだけで」

「お父さんですか」


 元冒険者だけあって、あちこちに知り合いがいるんだろうな。


「氷山を削ってその年の運勢を占うお祭りなんです。炎と氷の祭典って時々テレビジョンでも紹介されているんですよ」

「へぇ」


 正直想像がつかない。

 あまりテレビジョンを真剣に観ないのも手伝って、俺の見識はそう広くはないのだ。

 雪山なら登ったことがあるんだがな。


 伊藤さんがお土産にと言った水精というのは、精霊の宿る水晶のことで、俺達の使う水晶封印のように人間が封印するのではなく、自然な状態で精霊が宿った天然物のことを指す。

 状態が安定していないし、基本的にごく弱いエネルギーしかないので触媒としてはあまり価値がないのだけど、ちょっとした占いや、精霊との交信、植物などの育成に対しては人工物などよりずっと相性がいいので巫女シャーマンやフェアリードクターなどには人気があった。


 もっと庶民的な話になると、見た目が綺麗ということで、飾りとして人気があるようだ。

 本来は六角柱である結晶体が、まるで花が開いたように六方に広がって、丁度雪の結晶に似た形となっているのだ。

 古来から御守として女子供に好まれるのもこの形ゆえである。


 この水精は自然物であるがゆえに数が多くなく、生産地の多くはその地域のみで消費していて、外国に輸出することは殆ど無い。

 日本でもどこかの湖でほんの僅か採れると聞いたことがあった。


「でも場所が場所だから、危ないと思ったら近づかないようにして欲しい」


 俺の言葉に伊藤さんはちょっと驚いたように目を瞬かせると、嬉しそうに笑ってぺこりとお辞儀をした。


「はい。ご心配ありがとうございます」


 もしかしたら伊藤さんの父親であるジェームズ氏はこの機会に伊藤さんを国外に連れ出してそのまま帰らない気ではないか? と不安がなくもない。

 俺を信じるいわれは彼には無いし、むしろ今まで隠し通したことを思えば用心のためにそのぐらい当然であるとも言えた。

 本当にそうなったら俺はどうするのだろう?

 未だ手を繋ぐ時におずおずと恥ずかしそうにする伊藤さんをそっと見つめる。

 お互いに手袋をしているので素肌が触れることはないが、それでも手の中にほんのりとした体温を感じると、今まで知らなかった小さな幸福を実感出来た。


「帰って来なかったら迎えに行くから」


 俺は思わずそう言って、自分の言葉に照れてしまった。

 何言ってるんだか、俺は。


「……はい!」


 伊藤さんがそんな俺の顔をじっと見て、ちょっと照れたように、しかし元気よく返事をした。

 びゅうと吹く北風がお互いの頬を赤くしていたのか、火照ったような互いの顔を見合わせながら、俺達は互いに照れ笑いを交わしたのだった。


―― ◇◇◇ ――


 列車が結界石の敷き詰められた線路の上を進む。

 ぎゅうぎゅう詰めだった列車も、いくつかの大きな都市部を過ぎると人もまばらになる。

 その時間を狙ったかのように携帯が震えた。

 いや、実は家にいた時から数えると、もう十回はこの携帯が震えているのは知っていた。

 相手は身内だし、しかも仕事の連絡ではないのは理解っている。

 仕事ならハンター証を使うだろうからな。


 俺は携帯に表示された弟の名を見ながら、仕方なく列車の最後尾の展望デッキへと移動した。

 このなま寒い上にそれなりのスピードで走る列車で、展望デッキに敢えて出ようと思う人間は俺だけだったらしい。

 そこに人影はなかった。


「やあ」

『やあ、じゃないでしょう。電話に出るぐらい出来ないんですか?』

「人がぎゅうぎゅう詰めだったからな」

『列車で帰省するつもりですか?』

「いや、俺は家に帰るつもりはないぞ」

『……』

「去年帰ったらだまし討ちに遭った」

『成人の儀でしょう? 僕はとっくの昔にやりましたよ』

「お前がいるんだから家はいいだろ」

『子供ですか、まったく』


 弟はどうも俺を我儘放題の手の掛かる子供だと思っているらしい。

 まぁ客観的に見ればそうなんだろうな。

 俺も自分を他人の視線で見たらムカつくと思うし。


『仕事には復帰したんです。意地を張るのももういい加減にしましょうよ。そろそろ家長として、いえ、族長として学ばなければならないことがあるでしょうに』

「お前、ブレない奴だよな」

『ブレブレの兄さんからすればそうなんでしょうね。僕はごく普通ですよ』


 俺は溜息を吐いた。

 周囲の景色は真っ白で、眩しいぐらいだ。


「俺には無理だよ。自分のことで精一杯だ。とても一族を率いる器じゃない。それはお前が一番よく知っているんじゃないのか」


 俺の言葉に浩二が黙る。

 機械と電波という霊的な物の何もない通信だが、その向こうで怒りに震えるあいつの姿が見えるようだった。


『由美子はずっと兄さんを信じていますよ。今も、ずっとね』


 プツリと通信が途切れる。

 俺はもう一度溜息と吐いた。


「俺が悪いってのはとっくにわかってるんだよ。でもな……」


 どうしても諦められなかった。

 ガキの夢だ。バカバカしいと言われればそうなんだろう。

 でも、あの日見た、パタパタと空に羽ばたく小さな手作りの飛行機や、ただの凹凸があるだけの金属の筒を回して奏でる優しい音楽の世界。

 それは魔法ではなく、人間が自ら考え工夫した技術によって生み出された玩具からくりの世界だ。


 知らなかったその世界は俺を魅了して離さなかった。

 ただただ憎しみに引きずられるように魔物を倒す世界と、玩具からくりの小さく優しい世界とは相容れない。


「まぁ我儘なのは間違いないよな。言い訳できねぇや」


 空に巻き上げられる白い雪のカケラ。

 こんなブレブレの奴に誰かを幸せにする資格があるのだろうか?

 そう考えると気持ちが重くなる。


 列車は魔除けの汽笛を鳴らし、北に向けて走り続けた。

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