73:蠱毒の壷 その七
蔦は明子さんの片腕と胴体に絡み付いて、恐ろしい力で空中に引っ張り上げてそのまま猛スピードでどこかにある怪異の本体に引き寄せている。
いわば人間の一本釣り状態だ。
語感はおかしいが、実際笑えない事態である。
蔦が首に絡んでいなかったのが不幸中の幸いだったな、首だったら釣り上げられた時点で終わっていた可能性もあった。
樹海に踏み込むと、四方八方から濃厚な瘴気が押し寄せる。
これのせいで個々の怪異の判別が付かなくなってしまっているのだ。
ともかく明子さんの姿を目と気配で追いながら出来る限りの速さで突き進む。
周囲の怪異の気配を探る間もなく、ギャッギャッ、と、耳障りな叫びと共に、小さな鳥のような怪異が集団で降るように襲いかかって来る。
まともに相手をしていたら明子さんを見失ってしまうので、顔面をガードしながら強行突破した。
まあだいぶなぎ払ったが、ほとんどが中途半端に残っているだろう。
そういう破壊しきれなかった連中は、しばらくすれば完全復活をしてしまう。
しかも自分が受けた攻撃を学習して復活するので中途半端な攻撃は不味いのだが、今はその辺に構ってはいられなかった。
しかし、こちらの焦りなど怪異側からすれば知ったことではない。
連中からすれば無防備に突っ込んで来る人間など飛んで火に入る夏の虫であるに違いなかった。
目前で木々の枝がしなり、下生えの草が意思を持ってうねる。
盛大な歓迎の気配だ。
人気者は辛いな。
何もかも蹴散らすのはそう難しくはない。
だが、その僅かな遅滞が、今は致命的な遅れになりかねなかった。
焦りと怒りでカッと目の奥が熱くなり、気が付いたら俺は叫んでいた。
「
空間に逆巻く波のような動揺が走るのを感じる。
一瞬で、正に波が引くように、目前に進路が大きく拓かれた。
ちっ、と思わず舌打ちをしてしまうが、今更だ。
自分が何者であるのかで思い悩むようなナイーブな時代はとうに通り過ぎた。
大事なのは目の前の現実だ。
俺はあれこれ考えるのは止めて、これ幸いと拓かれた道を突き進み、視界の片隅で明子さんの消えた方角を測る。
急がなければ。
到着までそれ程間は置かなかったはずだが、それでも見ただけで事態が切迫しているのがわかった。
彼女の全身に蔦が食い込んでいる。
もちろん首にもだ。
しかし、蔦と思ったが、そいつの本体はとうてい蔦という感じの姿では無かった。
イソギンチャクのように木の枝に貼り付いたソレは、おびただしい数のツル状の触手をうねうねと揺らしている。
しかもこいつナメクジが這うようなやり方で、なかなか速い速度で移動してやがる。
その頭上に触手で締め上げられている明子さんの様子は、表情が面防越しでよくわからない。
まだ弱々しく手足が動いているので、なんとか大丈夫だろうと思いたい所だ。
幸いにも生真面目な彼女は、この蒸し暑い環境下にも関わらずコンバットスーツをぴっちりと着込んでいた。
軍部の触れ込み通りなら、あれは相当な性能らしいので、それを信じるならまだ無事なはずだ。
しかし、その触手に絡みつかれた部分から怪しげな白煙が上がっているので全然安心出来ないけどな。
俺はそいつの貼り付いている木と、その隣の木を三角跳びの要領で交互に蹴り登ると、一気にその樹上のイソギンチャク野郎に肉薄した。
ヒュッと風切り音を立ててツル状の触手が伸びて襲って来るが、これ幸いとそれを引っ掴み、その反動で上空に持ち上げられている明子さんの所まで跳ぶ。
しかし、実際掴んでみてわかったが、こいつのこの触手の力は、細っこい見た目とまるで違って恐ろしく強い。
まるで太い鋼材を掴んだような感触だったぞ。
こんなんで締め上げられるとか冗談じゃないんだが。
明子さん大丈夫か? ほんとに。
と言っても、ここで焦っても仕方が無い。
俺は明子さんの胴を横抱きにすると、絡み付いてもはや緑の繭状態になりかけているその触手を一気に引き千切った。
案の定それらからは溶解成分のようなものが分泌されていたらしく、手袋から煙が上がる。
明子さんよりだいぶ装備の薄い俺は、むき出しの腕や顔がヒリヒリし出した。
これはやばい。
絡み付くのと千切るのとの攻防で遅々として進まなかった作業だが、時間にして五秒後ぐらいには国軍色であるモスグリーンというかカーキグリーンというか、そのような色合いのコンバットスーツの形が見えてきた。
表面はかなり溶けているが、何重かの構造で作られているであろうそれはまだまだ機能としてはきちんと本来の役割を果たしているようだ。
「大丈夫か?」
面防の向こう、外からはあまり中が窺えないようになっているのでわかりにくいが、僅かに動きが見えた。
「だ、大丈夫。オールグリーン、問題ありません」
空気穴から聞こえる声はひどく弱々しい。
おいおいオールグリーンって、それって触手まみれっていう状態を表現したシャレの一種か? 冗談言えるなんて余裕があるな。
と一瞬思ったが、この生真面目な人がここで冗談もないだろう。
おそらく真面目にそう言っているのだ。
いや、今現在あなたはレッドゾーンに片足突っ込んでいますよと指摘しても仕方がないので本人の主張をそのまま流すことにした。
この人、ハンターから一番嫌われるタイプのクライアントだな。
逃げるべき時にちゃんと逃げてくれない責任感の強すぎるタイプは死にやすい、それが俺達の常識だ。
取り敢えず、千切っても千切っても触手を伸ばして来るウザい陸ギンチャクをなんとかしたかったので、彼女の頭と手足をなんとか開放した時点で明子さんを片手に掴んだまま無理矢理飛び降りた。
飛び降りた、ん、だが、……やばい、思った以上に装備に深刻なダメージが及んだ。
明子さんの装着しているお国自慢のコンバットスーツの胴体部分が裂けやがった。
あの野郎の溶解物質のせいだな。
俺は陸ギンチャクへの怒りを露に、夏のビーチぐらいでしかお目にかからない露出した白い肌から目を逸らした。
「きゃあ!」
自分の状態に気づいてやたら女の子らしい声を上げた明子さんから急いで離れ、こちらへと這いずって来ている陸ギンチャクの伸ばして来る触手を引き千切りつつもう一度接近すると、その本体を力任せに蹴飛ばした。
ズバン! と車のタイヤがパンクした時のような破裂音が響く。
ベチャベチャと飛び散った陸ギンチャクだったソレは、しばし強烈な刺激臭を撒き散らし、小さな破片から消滅して行った。
「あ! サンプルが!」
「うおっ! 直接触るのは危ないですよ!」
汚物のような肉片に果敢に飛び付こうとした明子さんの腕を慌てて掴んで引き戻す。
どさりと、柔らかで温かい感触が、先程手袋が溶けて素手になった俺の手に押し付けられた。
おおう、役得。
「……兄さん」
……なんでお前らこのタイミングなのさ。
すっかり油断して身内の気配に気づかなかった馬鹿な俺が悪いのか、ガッションガッションと妙な音を響かせているなんだか怪しげな物体に乗ったパーティメンバープラスワンが、それぞれの表情で半裸の女性を抱え込んだ俺を見下ろしていたのだった。
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