57:迷宮狂騒曲 その七

 なんだか変な気を張っていたのが馬鹿らしくなるぐらい、俺達は普通の会話をした。

 もちろん普通とは言っても、子供の頃の思い出がほとんど鍛練と討伐の俺と、大森林や山岳地帯で育った伊藤さんなので、どの程度普通の範疇に引っ掛かっていたのかは判然としないが。

 基準の判然としない普通って、いわゆる空想の産物のような気もする。

 つまりここにいる誰も本当の『普通』を知らなかったのだ。


 その上、由美子が結構話に加わって来たのが、意外と言えば意外だった。

 以前は家族以外の前では置物のごとく沈黙していたものだが、さすがは大学生、我が妹も全く未知の他人との交流を経て、社交的に変貌しつつあるのかもしれない。

 未知との交流ということで、うっかりあの変態を思い出してしまったが、急いで脳裏から消し去る。


 話も後半になると、なぜか由美子と伊藤さんが結託して、俺に対して返事に困る質問ばかり投げて来始めたのも、微笑ましい。


 ……いや、嘘です。謝るから勘弁してください。女の子って集まるとなんで凶悪な連携を取り出すんだろうな。


 そんな楽しい時間も、実の所そんなに長くは続かなかった。

 郊外向けのシャトルに関しては、自走式で二十四時間運行されているんだが、妹の寮の門限は二十四時ということだったし、そもそも由美子はともかくとして、伊藤さんをあまり遅い時間に帰宅させる訳にはいかない。

 あの親父さんに殺されてしまう。

 もう既に遅いかもしれないけどな。

 話は尽きないが、早々に二人を送って行くことにした。

 いや、決して追求が激しくなって来たのでそれを逃げ道にした訳ではないぞ。


 本当は家の玄関前まで送るつもりだったのだが、「子供じゃないんですから」と固辞されてしまい、三人で駅まで行って、伊藤さんを見送った。

「なんで抱き合ってチュウをしない?」と、謎の言語を発して俺を困惑させた妹が、本来道じゃないはずの場所(塀とか屋根とか)を辿って帰るのを見送り、精神的な疲労とふわふわとした幸福感を同時に感じながら帰宅したのは、もう日付も変わろうとする時分だった。


 玄関を上がって、何気なく携帯を見た俺は眉を潜めた。

 OFF状態に設定していた携帯に、留守番メッセージがいくつか入っていたのだ。

 そして、記録されたその相手の番号に見覚えがない。

 流でも会社の誰でもなかった。


 部屋に戻って音声を再生させると、落ち着いた男の声が、慎重にゆっくりと告げた。


『協会から連絡は行ったかな? いい返事を期待しているよ』


 お菓子の人、じゃなかった、酒匂さんだ。

 協会と言ったのは誰に聞かれてもいいようにとの気遣いだろう。

 間違なくハンター協会のことだ。

 私事で受信OFFってたのにお気遣いさせちゃってすんません。

 嫌な予感に襲われながら、俺は戦闘道具と一緒にしまい込んでいたハンター証を引っ張り出した。

 案の定、ハンター証はチカチカと通信ランプを瞬かせている。

 俺は、今までのほの甘い幸せな気持ちが、急激にどこかへと消え去るのを感じながら、ハンター証からチップを外して電算機パソコンに接続する。

 認証印が描かれて、すぐさま本部に繋がった。


『やれやれ、やっと繋がったか、君はハンター証の装着義務をないがしろにしているだろう?』

「いえ、依頼行動の時は必ず装着していますよ」


 アジア方面担当官のうんざりした顔を見て、俺もうんざりしながら答える。


『いいか、ハンター証は非常時の首輪でもなければ処刑道具でもない。日常的に装着しておくべきライセンスなのだぞ。ったく、お前達ときたらどいつもこいつも』


 愚痴を聞かせるために連絡してきたんだろうか?


『空しいものだな。どうせ聞いてくれないとわかっていながら君達に常識を問うのは。まあいい、本題に移ろう』


 俺がそんな疑いの元、ややひんやりとした目で画面を眺めていると、どうやらやっと愚痴を零すのに飽きたらしい相手が話題を変えて来た。

 あ、帰りにビールを買えばよかったな。

 俺、自宅にあんまり買い置きしないんだよな。


『本題だが、貴君の母国、大日本帝国より我が協会に正式なオファーがあった。自国に属するNK1から3の構成するパーティに対する指名依頼だ』

「ちょ……」


 え? 何言っちゃってんの? この人。


「待ってください。俺達の昔のパーティは既に解散していますよ? 今は浩二と由美子のそれぞれソロ登録だけのはずですが?」


 つまり俺の立場は現在由美子のサポーターであって、実の所、仕事の決定権は由美子にある。

 よくよく考えれば、そもそもこうして俺が依頼について話を聞いている時点でおかしかったのだ。


「いや、君達のパーティの解散届けは提出されていない。提出されているのは待機届であり、待機解除条件は君がハンターの仕事に復帰することとなっている」


 なんだと、どういうことだ?

 大学受験前に確かに……浩二に、任せた……な。うん。

 あの野郎!


「ともかく指名依頼だ。断るにしろ、相手方と話さない訳にはいかないぞ。あの、サコウとかいうジェネラルはなかなか食わせ物のようだからな、まあせいぜい頑張るように。資料はいつものように端末に転送しておく。言っておくが、うちとしては新しい条件を持った迷宮に関して、手出しをせずに指を咥えて見ているつもりは無い。ショバを荒らされたくないのならせいぜい本格復帰を大々的に内外に示すんだな」


 いかにも腹に何かありそうな顔でにこやかに言ってみせる。

 酒匂さんは将軍じゃねえよとか、とっくに餌付けされてんだよ、とかの言葉はこっちも腹に納めて、表面上愛想良く、しかし別れの挨拶もせずに断固として通信を切断した。

 野郎、翻訳術式を使わずわざわざ語学を学んだのは、絶対随所にわざとらしい嫌味をちりばめるために違いない。

 本当に本部の連中はどいつもこいつも始末に負えない曲者ぞろいだ。

 しかし、今はとにかくまず浩二だ。

 あいつ、いったいどういうつもりなんだ?


 俺は携帯を取り出すと、前にうちに来た時に登録していった弟の番号を通話対象としてセットした。


『はい?』


 って、ちょ、おい、今、呼び出しコール前じゃなかったか?

 あいつ、コール前に電話が掛かって来たのがわかるのかよ!


「俺だけど、ちょっといいか?」

『俺さんですか? 今流行りの詐欺のように思えますが、申し訳ありませんが間に合っています』

「誰が俺さんだ! それに詐欺が間に合ってるってのはどういうことだ!」


 あまりといえばあまりな弟の言い草に思わず切れそうになる。

 いかん、落ち着け、クールだクールになるんだ。


『うるさいですね。大体電話のマナーも知らずに社会人として自立していると言い張るつもりですか? 社会人というのも案外いい加減な人種なんですね』


 社会人は人種じゃねえし、お前絶対相手が俺だとわかってるだろ?

 くそっ。


「悪かった。隆志だが、ちょっとお前に確認したいことがあったんだ」


 俺は努めて冷静に話を進めた。


『それで、こんな時間になんの話です?』


 言われて、よく考えたら突然電話をするには随分遅い時間であることに今更ながら気づいた。

 そういう周囲の状況を考慮出来てないのだから浩二に悪し様に言われても当然なのかもしれない。

 自分の駄目な所に気づいて、かなりヘコんだものの、話を続けない訳にもいかないので聞いてみる。


「悪い、明日かけなおそうか?」

『いえ、家を出て以来まともに連絡一つ寄越さない兄さんがわざわざこんな時間に電話をしてきたんですからよほどのことなんでしょう。たとえ忙しくても時間を作りますよ』


 そういう遠回しに俺を責めるような言い方はやめてくれ! 俺の精神の耐久値はもうギリギリだ!


「その、色々悪かったよ。俺の身勝手で」

『それは兄さんとしては自分の選択が間違っていたことを認めるという話ですか?』

「いや、そうじゃなくて、お前達に、その、嫌な思いをさせたと思うから」

『そうですね。兄さんの身勝手にははっきり言ってムカつきましたね。いえ、過去形ではなく、今もムカついています』


 だめだ。

 この話題は果てしなく不毛だ。

 喧嘩になる前に話を変えよう。


「それは今度じっくりと話し合うとして、今回突然電話した要件なんだが。お前、俺がハンターを辞めるって言ったのに、パーティ解散を申請してなかったそうじゃないか。どういう訳なんだ?」


 俺の言葉を受けて、通話口の向こうで浩二が鼻で笑ったのが聞こえた。

 この野郎。


『人は時々、自分でも思いもよらない行動を取るものです。兄さんがいざ正気に戻った時に、戻る場所が無くなっていたとなったら困るでしょう』

「俺が自分の夢を叶えようとしたのが気の迷いだったと言うつもりか?」


 もう何度繰り返したかわからないやりとりに、苛立ちがつのる。

 この件に関して、お互いの間に理解が存在しないことはわかっていたのだが、身内の甘えなのか、理解して欲しいと思ってしまうから苛立ってしまうのだ。

 わかってはいても、やっぱりどこかに期待があるんだろうな。


『現にこうやって復帰したではないですか。僕にそのことを聞いて来たということは、つまりはそういうことなんでしょう?』


 ぐっと言葉に詰まる。

 成り行きとはいえ、確かに俺は捨てたはずの場所に戻ろうとしていた。

 どうしようも無かったと言い張ることは出来るだろう。

 しかし、絶対に避けられなかったか? と言われると即答出来ないのも確かだ。

 だが、だからと言って、俺が選んだ未来を、気の迷いと言われてうなずくことは出来ない。


「今回は仕方ないからハンターとしてやるべきことをやるつもりだけど、だからといって元に戻ったつもりは無いぞ」


 はっきりと断言する。

 こいつに迷いがあるなどと思われる訳にはいかない。


『兄さんはあの頃、何かを恐れているようでした』


 突然の浩二の言葉にギョッとする。

 何を言い出すつもりだこいつ。


『そしてそれを誰にも、家族にすら相談もしなかった。僕も由美子も気づいてはいたけれど、いつかきっと兄さんの気持ちが落ち着いたら僕達を頼ってくれると思っていました。それなのに、突然、ハンターを辞めて一般人として生きると宣言した。結局、兄さんは逃げる道を選んだだけではないのですか?』


 身内ならではの、鋭すぎる指摘だった。

 だが、それは真実ではない。

 その二つのことはそれぞれに別の問題なのだ。

 そう言いたいのに、とっさに言葉が出て来ない。

 おいおい、まさか、俺自身もそう疑っていたとでも言うのか?

 違うだろ?


「それは違う。絶対に」


 浩二が溜め息を吐く。


『そうですか。なら、そういうことにしておきましょう。ともかく、僕は拘束時間の長い仕事は受けていません。パーティとしての要請があるならいつでも大丈夫ですよ。中央もきな臭くなっているようですしね』

「わかった。ともかく詳しい話は日を改めてしよう。遅くに突然悪かったな。おやすみ」

『社会人とやらになって、前よりは分別が付いてきたのは確かですね。あっさり謝られるとは思いませんでしたよ。それではおやすみなさい』


 最後まで嫌味を振り撒いて電話を終えやがった。

 だが、まあそうだよな。

 浩二や由美子には本当に悪いことをしたという思いは前からあった。

 なので俺はどうしても二人には引け目がある。

 何もかもを上手い具合に収めるのは本当に難しいことなんだと思う。


 あ、酒匂さんどうするかな? 夜中に連絡するのはさすがに不味い気がするし、逆に連絡しないのも不味い気もする。

 俺は電話をしばし睨んだ後、下手に考えるよりは行動したほうがいいとの結論に達して、リダイヤルで酒匂さんに電話を入れた。

 そして、俺は今までの悩みなど、むしろ贅沢な部類の出来事だったのだと、思い知ることとなるのだった。

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