50:おばけビルを探せ! その十二

 黒光りする壁面に幾筋かの白い光の走査線。

 その白い光が集まって来たと思ったら、人の手の形をした印が浮かび上がった。

 何をしたいのかわからないが、取り敢えずそこに自分の掌を押し当ててみる。

 スウッと沈み込む感覚と共に周りが闇に包まれ、いきなり現れた巨大な二つの光のリングが、交差するように周囲をぐるぐると回った。


「どういう演出だ?」


 この迷宮ダンジョンはありとあらゆる部分が癇に障る。

 意味があるのかないのかわからない無駄な演出が多すぎるのだ。

 まあ造った奴からして相性最悪なことだけははっきりしているんだけどな。


 地面に足が着いた感覚と共に闇とリングが消え去り、新たな光景が目前に広がった。

 演出が過多でわかりにくかったが、どうやら空間転移エリアチェンジだ。

 迷宮のボス部屋というのは、迷宮を形成するための意識の在り処であり、迷宮それ自体とはまた別の空間となっている。

 なので、ボス部屋へと入る時には必ずこの空間転移エリアチェンジが行われる。……んだが、

 普通は扉を開けるという代替え行為によって空間の切り替えが行われるだけで、こんな派手な演出はない。

 まあ、確かにこの演出なら誰でも別空間だとわかるだろうな。


 俺が動けるようになると同時に、前方に闇のような黒い煙が渦巻き、それが凝って巨大な怪異が姿を現した。

 この階層のボスだろう……な。

 妙な演出についてはもう突っ込まないからな。


 現れた怪異は、キシャー! とかグギャー! とかいう叫び声を上げて体をくねらせて全身を見せ付ける。

 いくつもの関節と脚を持ち、金属の光沢を帯びた外骨格に鎧われたムカデ、それがソイツの姿だった。

 虫系の怪異はハンターや冒険者には敬遠されがちだ。

 痛みに対して怯まない上に、恐ろしくタフなヤツが多いのである。

 その中でもムカデタイプは特に面倒だ。

 堅くてタフな上に十中八九毒持ちだからだ。

 正直、武器の無い状態でやり合いたい相手ではなかった。


「チッ、せめてナイフぐらい持って来るんだったな。ってぼやいても仕方ないか」


 唯一、持って来た武器をベルトポケットから取り出して装置する。

 繋がった武骨な指輪のようなそれは、いわゆるメリケンサックと呼ばれる拳闘用の武器だ。

 だが、もちろんただそれだけの物が怪異に通用する訳がない。

 これは、俗に言うところの呪器、呪いを帯びた武器なのである。

 怪異は想念の化身。ならば呪いをぶつけて対消滅させようという発想の下で開発された武具類があり、これもその一つなのだった。

 もの凄く使い勝手が悪いが、見た目で武器らしくない武器といったらこれぐらいだったんだからしょうがないよな。


「忌まわしきえにしよ、解き放たれよ」


 呪言と共に茨のような波紋様が浮かび上がる。

 しかしどうでもいいが、付与の呪いのほとんどが茨の波紋様なのはどうしてなのだろうか?

 イメージの問題か、伝統なのか、はたまた開発者の趣味なのか。

 そんなことを考えながら右にステップを踏む。

 このムカデボス、本体が平たくて長いんだから平面移動をすれば間合いが取りにくいものを、わざわざ半身を立ち上げて突っ込んで来る。

 まるで避けてくれと言わんばかりだ。

 まあ多層構造である迷宮の最下層ということらしいから、序盤としてはこんなものなのかもしれない。

 とりあえず、時間を掛けて小突き合いをする気はさらさらないので、相手の隙がデカイのはありがたい話だ。


 床を穿って突っ込んだ相手の、動きの止まったその頭に体の回転を加えたストレートを食らわした。

 バキッと、堅いものが割れる手応え。

 頭にひびを入れることに成功したようだ。

 そして、その傷口に呪いの茨の波紋様が、黒々とした影の生き物のように絡み付く。

 呪いが想念を侵食しているのだ。


 キキキ……! と、鉄の車輪がレールを削るような音を立て、ムカデ型の怪異はのたうつ。

 痛みには怯まない怪異であっても、己の存在の根幹を食い荒らされるのはさすがにこたえるらしい。

 悶えてぐっとのけ反ったところを、その顎下に潜り込み、捻りを加えたアッパーを顎と胴の継ぎ目に叩き込んだ。


 腹側のほうが背中よりは柔いとは言っても、動物タイプと違ってそれなりに堅いんだが、当たり所が良過ぎたのか、拳がそのまま相手の体内に潜り込んでしまった。

 ギクリとして即左の拳を叩き込み、浮いた相手の体から右手を抜くと、バックステップで逃れる。


 ちらりと右の拳を見やるが異常は無いようだ。

 いくら耐性が高いとは言え、あまりにも深い接触はさすがに少し怖いものがある。

 下手に戦闘力が高いだけに対怪異として造られた俺たちのような人間が汚染されて怪異化したら手が付けられないのだ。

 情けないことに、無意識にハンター証に触れていた。

 もしも、汚染されても、いざとなったらこれが始末を付けてくれるはずだ。

 そう信じていないとやってられない。


 ムカデボスは頭と腹とに呪いを受け、上半身を茨に絡みつかれた形になっている。

 その姿はまるで縛られているようだ。

 無駄にデカイ体がなんとか逃れようとドッタンバッタンとあがくせいで、そこそこ広いボス部屋のあちこちは抉り取られ、酷い有様となっている。

 がんがん飛んでくる破片をはたき落とすのも面倒くさい。


「苦しいのならこれで終わっとけ!」


 今や緩慢な動きとなった巨体の、その頭を一息に叩き潰す。

 ビクビクと、生き物じみた痙攣をした後、ムカデボスはゆっくりと崩れ落ちた。

 同時に、俺の拳に嵌っていたメリケンサックもバラバラに崩れ落ちる。


「十八万円が一回でパァか」


 普通の武器として使うならかなりの耐久がある得物なんだが、呪いを開放した場合は、対象と共に消滅する仕様なのだ。

 呪いを開放したままだと危なすぎるための安全措置である。

 うん、まあ、個人の懐具合より人類の平和だよな。

 なんの慰めにもならないけどな。

 いやいや、素晴らしきかな人類、人間万歳。

 ……今回依頼じゃないけど、経費で落ちないか一応聞いてみるか。


 俺がそんな個人的悲嘆に暮れている間に、階層ボスであった怪異の姿は崩れきり、後には迷宮の怪異独特の、美しく淡い光を放つ夢のカケラが残された。

 本来、経済的な話をするならこれ一個あれば十八万円の武器の消耗など問題にならない実入りとなる。

 冒険者ならこれ一つで文字通り数年は遊んで暮らせると小躍りするらしいが、いかんせんハンターは怪異関係の物品の個人取得は出来ないので、拾った所で自分の物にはならないのだ。


 本部に連絡して、どう取り扱うかの指示を仰がないとならんし、そうなると何があったのかの報告も必要で、はっきり言って拾うのが面倒臭い。

 しかし、ボス部屋まで到達する途中で放置した分は不可抗力で通用すると思うが、これを放置したらきっとあちこちから文句が出るだろうことは明らかだ。

 なにしろ、この都市ぐらいだったら向こう五年ぐらいの電力がこれ一つで賄えるのだ。

 でも提出したら最後、嫌になる数の報告書を書かされる羽目になるんだろうな。

 どうにかこれ見なかったことにして、事の顛末を探検隊とかなんとかいう連中に押し付けられないものだろうか。


 たっぷり五秒は迷った挙げ句、溜め息と共にそれを拾い上げた。

 周辺の風景は既に崩壊を始めていて、どうやら迷宮の解放は成ったらしい。

 やつらも嘘は言ってなかったようだった。


―― ◇◇◇ ――


「こおら! なにしとるんじゃ!」


 怒鳴り声。

 全身に痛みと重圧がある。

 咄嗟に状況を判断しようと顔を上げて固まった。

 あまりにも近く、目と鼻の先に伊藤さんの顔がある。


「きゃああ!」


 悲鳴を上げられた。

 ……なんか凄くショックです。

 伊藤さんは勢いよく身を起こそうとして失敗した。


「あいた! 待って、優香ちゃん動かないで!」


 その瞬間、自分の上にいる御池さんから苦情を言われたのである。

 よくよく見ると、俺達はビールの空き瓶とケースに埋もれるように転がっていた。

 しかも、見事に折り重なるように。


「いてえ! 早くどけよ!」


 うん、俺俺のユージくんよ、一番下でよかったな。

 女性二人の間に挟まれでもしていたら、俺はお前を一瞬でオトしていた自信がある。

 そんな不穏な思いを吹き飛ばすように、最初に聞こえた怒鳴り声がもう一度響いた。


「はやくどいてくれ! まったくいい大人が馬鹿な真似をしくさって!」


 怒りつつ呆れているという感じのおじさんの声だ。

 察するにこのビール瓶の持ち主、酒屋の店主か従業員なのだろう。


「え? あれ?」


 御池さんは山のてっぺんにいて、この集団の命運を握っているのだが、まだ現状を把握しきれていないっぽい。

 さすがに全員分の体重を受けることとなったら俺俺ユージくんが洒落にならない状態になるので、さり気なく重心を逸らしてやりながら、改めて伊藤さんと顔を見合わした。


「酷い目に遭いましたね」

「木村さんが無事でよかったです」


 同時に言った互いの言葉に苦笑する。


 しかしなんだ、こう顔が近いとなにやらよからぬ気持ちになるものだな。

 具体的に言うと、唇に目が吸い寄せられる。ヤバイ。

 伊藤さんの唇に塗られた口紅はすごく淡い色で、それにちょっとツヤツヤしている。

 触ったらどういう感触がするのだろう?

 ほっぺたもなんだか柔らかそうだな。


 俺が犯罪に走る前に、御池さんのパニックが収まるか、通りの向かいから慌てて走り寄って来るお局様による救出が始まってくれるといいな。

 うん、いや、正直に言うと、このままでももうちょっとはいいような気がしないでもないんだけどな。

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