44:おばけビルを探せ! その六

 センター街からビジネス街に向かう道は飲食店と落ち着いた衣料品店、それに書店、雑貨を扱っている店の多い比較的落ち着いたエリアだ。

 区画整理を免れた古い商業地区でもあるので、この都市が結界に護られる前から営んでいるという老舗も多い。

 いわばごく日常的な空間だが、それでも休日ならではの、どこか楽しげな人々が数多く通りすぎて行く。

 そういえば、こっちに出て来てから趣味の機械からくりの材料を買う以外で昼間に外出ってほとんどしてなかったんだよな。

 会社帰りとか飲みに行くとかは大概夜だし、昼に賑わう街というのは最近になって知った気がする。

 俺の世界って結構狭かったんだな。


 などと、ゆっくり感慨に耽っている暇は実は無かった。


「まずはそこの路地からはどうでしょうか?」

「俺の勘が告げている! おばけビルはこっちだ!」

「あ! 駄目ですよ。ちゃんとチェックしながらじゃないと! ……あ、はい、こちらの位置は今E5からF5方面に向かっています。今の所新たな発見はありません」


 見た目は少しヤバげなのに無邪気にはしゃぐガキ共と、ヘッドセットを着けて、まるで独り言のようなものをはっきりと口にし続ける若い女性。

 どっからどう見てもおかしい。

 ここにテレビジョンの中継用カメラでもあれば、良くあるバラエティ番組の収録なのかと思って安心出来るのだろうが、周囲の目は受け入れ難いモノを見る、すごく冷ややかなものだった。

 自然と部外者三人組は距離を空けて他人を装うことになる。


「ここはあれですよ、園田さん、年の功で今の状況から逃れるための方策を授けていただけないでしょうか?」


 面倒な状況を打開するのに必要なのはなにより経験だと思う。

 そこで、俺はこの中で一番年長の園田女史に頼った。


「それはもしかして当て付けですか?」


 園田女史は眼鏡をくいっと持ち上げて俺を睨む。

 いやいや、年齢を重ねることにそんなネガティブにならんでもいいと思うんだけどな。


「わりと切実です。変な意味は無いですよ?」


 そもそも腹芸とか俺無理だから、裏読みとか無駄ですからね。

 園田女史は、はあっと息を吐き、俺に向かって首を横に振った。


「私の経験上、こういう場合はことが始まってからキャンセルすると互いの感情的に最悪の結果を招きます。この場は最後まで付き合うしか無いでしょう。次からはきちんとお断りすれば案外と禍根は残らないものです」

「……すごくためになりました」


 よし、とにかく今回は無難に凌ごう。

 ヤバそうな所はパスすればむしろ危険は避けられるだろうし。


「路地は全部確認するんすか?」

「何言ってるの! 路地だけじゃないわよ、ビル街まで見渡せる隙間は全部よ!」

「やっべえテンションだね、このお姉さん」


 10mそこそこは距離を置いてるはずなのに前方の三人の声がここまではっきりと聞こえる。

 恐ろしい。


「あ! みんな何しているんですか? 遅れていますよ!」


 どうやら離れて歩いているのが見つかってしまったようだ。

 そして、その僅か一声と共に、周囲の人達からの視線が、俺達も同類と認識されたものへと変わる。


「あ、ええ、ごめんなさい。すぐに行くね」


 伊藤さんが俺達を出来るだけ庇うためか、自ら前へ進み出た。

 いやいや、そんな無理しなくても俺だって腹は括ってるから。

 俺はその伊藤さんの手を取ると、一緒に異空間へと突入したのだった。


「もう、デートじゃないんですから二人の世界を作らないでくださいよ!」


 二人の世界だと! デート?

 あ、いやいや、それは嫁入り前のお嬢さんに向かって言っちゃ駄目だろ。

 俺は嬉しいけど。


「御池さん、園田さんも一緒にいるんですが、無視ですか?」

「あら、おじゃまなら帰りますよ」


 俺のツッコミに便乗してのまさかの園田女史の裏切り。

 さっき言ったことと違う。


「もう、遊びじゃないんですからね。真面目にやってください」


 そんな俺達のこまごまとした気遣いのやり取りをまるっと無視した御池さんのその言葉に、俺はかつてない程の衝撃を受けた。

 遊びじゃ、無い……だと?

 え? いや、君達趣味でやってるんだよな? これ。

 まさか命掛けてるとか言わないよな?


「みっちゃんさん。そいつ本当にオカルトに詳しいんですか? なんかそれっぽくないってか、はっきり言って嘘くせえ」


 口が悪いこいつは、一見売れないミュージシャンのような見た目で、派手な化粧の彼女を伴って来ていた青年だ。

 中身も見た目に違わぬガキな野郎のようだ。

 どうやら俺が見た会話記録チャットログで、『俺俺』とかふざけたチャットネームを使っていたのがこいつらしい。

 それと併せて聞いたんだが、御池さんの呼び名の『みっちゃん』もチャットネームとのことだった。

 道理でなんか違和感があると思ったんだよな。

 なのでこいつみたいにみっちゃんさんなどというふざけた呼び名でも厳密にはおかしくは無い訳だ。

 いや、実際に耳にするとおかしいけどな。


「本当なんですよ! 木村さんがやっつけたあのおばけ、すっごい不気味だったんですから」


 あれね、うん、正確に言うとおばけじゃないんだけどね。

 思えばあの時会社でカケラとは言え、怪異に関わってしまったことが俺の運の尽きだったのかもしれない。

 家を出る時はあれ程二度と怪異に関わらないと、無難で普通の人生を過ごすことを堅く誓ったのにな。


「じゃあ、何か不思議現象を発見するコツとか教えてくれよ」

「そーねー、ユージのゆーとーりだね」


 何故か急に俺に絡み出すガキ。

 彼女の前でいきがりたいのか? ああん。


「き、木村さん」

「あんた何子供相手にマジでガン飛ばしてんの?」


 伊藤さんがそっと俺の袖を引き、園田女史が俺の頭をはたく。

 ちょ、お局様何をなさるんですか?

 しかし、女史の言葉にカチンと来たのはガキの方だったらしい。


「おばはんはすっこんでな!」


 なんと、命知らずにも女史に噛み付いたのだ。


「なんですって!?」


 オフィスでの地味さとは違って、少し若い印象の装いをしている今の園田女史にとって、それは許し難い言動だったらしい。

 押さえた赤に彩られた唇が、怒りの為にギュッと持ち上がる。


「待ってください! お二方共落ち着いてください。それにそちらの貴方、そもそも木村さんは本来あなた方のグループとは関わりは無いんです。たまたま会社の同僚に誘われたからと純粋にご好意であなた方に協力して下さっているんですよ。そういう言い方は失礼ではありませんか」


 一触即発の二人を押し止めたのは伊藤さんだった。

 しかも彼女はいかにも理屈より暴力といった見た目の『俺俺』くんに向かって、キッパリとした口調で俺を擁護したのである。

 なんかちょっと感動的だ。

 その言葉に、『俺俺』くんは少し怯んだものの、納得したという顔ではない。

 更に何か言って来そうな様子だ。


「ちょい待ち。あのさ、えっと、俺俺、くん?」


 ここで行かなきゃ男としてちっと恥ずかしいよな。

 ということで、俺は伊藤さんとガキの間に割って入った。


「あんだよ」

「君はさ、このオカルト探検ってのが好きでやってるんだろ?」

「そうだよ! だからマジだしよ、いい加減な奴はムカつくんよ」


 しかしトゲトゲしてるな。若いって言ってももう大学生ぐらいだろうに、この年頃ってのはこんな風に大人に突っ掛かるのが普通なのか?

 俺ももしかして学生時代こんなんだったのかな? 親に反抗はしてたよな、確かに。

 そう考えると、こいつを見てるのがなんとなく恥ずかしくなる。


「今の君を見ていると到底そうは思えないな。少なくとも好きなことをやってる奴の顔じゃないね」

「んだと?」

「気持ちはわからないでもないよ。自分の大事な場所にそれを理解出来ない奴がズカズカ入り込んだみたいで嫌なんだろ?」


 俺の言葉に『俺俺』くんはむっとしたように黙り込んだ。

 そういう気持ちは俺にだってわかるつもりだ。

 なにしろ高校までは世界の中心だった家族の中に、俺の求めることに対しての理解者はいなかったからな。


「好きな物を安く見られたくないならまず自分が楽しんでみせろよ。たとえ本当はつまんないことでもな」

「つまんなくねえよ!」

「へえ?」

「くそっ、おっさん、見てろ!」


 そう吐き捨てると、『俺俺』くんはダッシュで建物と建物の隙間を確認し始める。

 どうやら一刻も早くおばけビルを発見して自慢する方向に意識が向いたらしい。


「あ、待ってよ、ユージ」


 そういえばさっきも呼んでたけど、そっか、『俺俺』くんの本当の名前はゆうじと言うんだな。

 変な渾名チャットネームよりはそっちのほうがいいんじゃないか?


「ふ、木村さん、人付き合いは苦手だと思っていましたが、結構やりますね」


 それまで傍観していた御池さんがニヤニヤしながらそう言って来る。

 え? なにそれ、俺、会社で普通に同僚と会話しているだろ?

 そりゃ女子社員とはほとんどしゃべらんけど、それは他の男連中も同じだろ? 佐藤以外……。

 えっと、気づかなかったけど、俺ってもしや付き合いの悪い地味で暗い奴とか思われてた訳?

 ……うわあ、笑えない。


 そんなふうに悶々としていると、えらい勢いで突っ走っていったはずの前方の賑やか組が、更に賑やかに何か騒ぎ出していた。

 気づいた御池さんがそれを確認に走る。

 凄く嫌な予感がするぞ。

 万が一の不安につき動かされるように、御池さんに続いて走り出した俺の後にさらに二つの軽い足音が続く。

 あー、出来れば伊藤さんとお局さまの二人には離れて待機していて欲しかったんだけど、仕方ない、取り敢えず確認が先だな。


「どうした?」


 騒いでるカップルはひとまず放置で御池さんに尋ねる。


「あ、木村さん、俺俺さんの彼女さんが、あそこに路地があるって言うんですよ」


 御池さんの示す場所には、古い八百屋と酒屋が軒を連ねている昔からの商店街といった感じの一画があった。

 長屋造りのそこには、一見隙間などなく、ただ店舗を分ける為の壁が二枚分の厚みで仕切りを作っていて、その曖昧な場所の前に、お互いの店の商品が箱やケースに入った状態で積んであり、下手に触ると崩れ落ちそうになっている。


「マジ、ここに通路があるんだって! 狭くて汚いけどあっちまで抜けれそうなんだよ!」

「おいおいマジか? 俺にはどう見ても荷物と壁にしか見えねぇぞ。ほら、箱にだって触れるし。って、やべえ、グラついてる。あのさ、お前またあのなんとかってヤベー煙草やってるんじゃねえよな」

「あれはユージがヤベーってゆーからやめたじゃん。アタシの言うことが信じらんねーの?」

「お前だってこないだ俺がおばけビル見えたって言った時嘘だって言ったじゃんよ」

「だってアタシには見えなかったし、アタシ嘘言ってないよ」

「俺だって嘘なんかつかねえよ!」


 なんか段々険悪なムードになっているんだが、大丈夫か?

 通行人は異様な集団に関わり合いになりたくないのか、かなりの距離を空けて道の向こう側を流れていて、このままでは営業妨害にすらなりそうだった。


「あ、あの」


 おずおずと伊藤さんが手を上げる。

 殺伐とした空間に一服の清涼剤だな、マジで。


「どうしたんですか?」

「私もそこに通路が見えます」

「本当に?」


 俺の確認に伊藤さんはコクンと小さく、しかしはっきりと首を縦に振った。


「おい、そこの彼女」


 何かお互い日頃の不満をあげつらい始めたカップルの女の方に声を掛ける。


「何?」


 いかにも苛ついた返事が返って来るが、俺に当たるなよ。


「もしかして君、無能力者?」

「そだよ」


 俺の問いに軽く答える彼女。


「おっさんだせえ、ブランクって言いなよ。それって差別入ってるっしょ?」


 今の今まで喧嘩していた『俺俺』ことユージ君が彼女を庇うように突っ掛かってくる。

 はいはい、仲が良くていいですね。

 無能力者ブランクである二人に見えていて俺達には見えないということは、この目に見えている荷物と壁は何らかの術で作られた偽りの物ということになる。

 マズイ、お遊びで済まない場所にぶち当たったっぽい。


「そっか、まあ喧嘩しててもしょうがないだろ。とりあえずもう少し先に進んでみるか?」


 なんとか無かったことにしたい俺だったが、さすがにこれは苦しかった。


「木村さん! ホンモノなんですね!」


 御池さんの目が輝いている。

 いや、本物って何の本物よ。

 ダメだから、マジで。

 ブルブル首を横に振る俺に構うこともなく、御池さんは例のヘッドセットのスイッチを入れて何事か向こうと交信を始めた。


「ええ、そうなんです! 俺俺さんの彼女さんが発見して、ええ、はい、はい、これから突入してみます。そうです、確実になったら合流で、ええ、はい、とにかく調査を続行します!」


 ヤバイ、どうしよう、今場を外して由美子に連絡したらその間にこいつらだけで突入してしまいそうな勢いだ。

 さすがにこいつらだけ行かせる訳にもいかないし、衆目の中で堂々と事情を説明する連絡を入れる訳にもいかん。

 とりあえず胸元を探ってハンター証の追跡信号ビーコンのスイッチを入れるが、事前連絡無しでこれが意味を持つかどうかはわからない。

 なんともマズイ状況になった。

 出来ればなんとか足止めをしたい所なんだがな。


 しかし、現実は過酷だった。


「へへーんだ、アタシ入っちゃうよ? 捕まえてごらんよ!」


 俺がそんな考えにとらわれている間に、自分の言葉を身を持って証明しようとしてか、『俺俺』ユージくんの彼女がその見えざる路地に突っ込んで行ったのだ。


「おい、待てよ~」


 続いて『俺俺』ユージくんが突入。

 頼むよ、そんな恋人同士のじゃれ合いは、夏の砂浜ででもやってくれよ!


 そうして、恐らく何者かの術によって隔離された場所へと、ひどく間の抜けた突入が開始されたのだった。

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