38:終天の見る夢 その七

 トン、と、軽い音に目を向けると、打鍵盤キーボードの横に湯飲みが置かれていた。

 顔を上げるとお盆を持った伊藤さんが笑顔をこちらに向けている。


「あ、ありがとう……って、あれ?伊藤さん、今日お茶当番だっけ?」


 うちのオフィスでは、個々人の飲み物は休憩室に色々なタイプの飲み物の提供器サーバーがあり、自分で淹れる事が出来るようになっている。

 だが、朝や昼の定時のお茶淹れはおつぼね様のたっての希望で、女子社員が淹れてくれることになっていた。

 なんでも、女性の魅力を磨くためとかなんとかいう理由だとか……なんでお茶淹れが魅力に繋がるのか俺には理解出来ないんだよな。

 きっと女の子達がなぜかこっそりと給湯室でお茶とお菓子を楽しんでいるらしいこととは関係なのだろう。うん。

 まあ淹れて貰えるのは嬉しいからいいけどね。

 ともあれ、それは当番制となっている。

 なので、二日続けて同じ人間がお茶を淹れてくれることは無いはずだった。

 しかし、俺の記憶が確かなら、伊藤さんは昨日もお茶を淹れてくれたのだ。

 うむ、なんか既視感デジャヴ、またあの給湯室で何か発生したのか?


「木村さんが最近ずっと元気が無いみたいでしたので、ちょっと代わって貰ったんです。これ、我が家秘伝の元気が出るお茶なんですよ」


 笑顔が眩しい。

 ん?もしかして俺のために当番代わってお茶を淹れてくれたのか?

 なんていい娘なんだろう。

 こんな純真な笑顔とか見てしまうとなんだかもやもやしてしまう。

 もういっそ、この街はヤバいから早く避難したほうがいいとか言ってしまいたい。

 だが、この街の外がここより安全かと言うとそうでもないんだよな。

 ここより封印が強固な結印都市は国内には存在しないし、ましてや伊藤さんの家族は家を購入したばかり。

 伝説級レジェンドクラスの怪異の縄張りには眷属以外の怪異はまず近寄らないし、もし、あいつが一般人を狩りの対象にするつもりが無いのなら、一般の住人にとっては瘴気による汚染以外の不安はほぼ無いことになるのだ。


 そもそもこの話は行政府の判断で一般人への流布は禁じられている。

 当局はパニックを恐れているんだろうな。

 俺達ハンターは怪異についての判断はその土地の政治的意思に左右されない自主裁量権を持ってはいるが、行政府の都市防衛構想にあまり横槍を入れるべきでは無いのもまた当然の話ではあった。


「また溜め息」


 俺の様子に伊藤さんが苦笑する。


「あ、悪い。お茶貰います」


 普段のお茶より茶色が強いお茶を口にする。

 フワッと香るのは薬草っぽい枯れた匂いだ。

 口に含むと、最初は仄かに甘く、じわじわと苦味が広がる。

 しかし、苦いと言っても、決して飲めない程の苦味ではない。

 子供なら辛いだろうが、大人になった今はこのぐらいの苦味なら忌避する程のものではなかった。

 むしろこの程度なら薬湯としては美味しい内だ。

 我が家の秘伝の薬湯なんぞは、飲むとしばらく喋れないぐらい口が痺れるのだ。


「ありがとう」

「苦過ぎませんでした?私は慣れているので感じないんですけど、たまに苦手な人もいるみたいで」

「全然大丈夫。うちの田舎なんかこの百倍は苦い薬湯を飲まされるからね」

「あはは、うちも熱が高い時とかは酷いのが来ますよ。飲んだらプリンを食べさせてくれるって言われて必死で飲んだものです」

「あ、それはちょっと羨ましいな」


 うちもプリンが貰えたならどんなによかったか。


「プリンお好きです?」

「それはもう、バケツプリンは男のロマンです」


 いつか挑戦してやるんだ。

 といっても我が家の冷蔵庫にバケツは入らないけどな!


「うおっほん!」


 薬湯を飲みながら、プリン談義になだれ込もうとした俺達の斜め後方から、わざとらしい大きな咳払いが聞こえた。


「あ、課長」

「君達、ここが会社だということを忘れて無いかな?」

「も、申し訳ありません!」


 伊藤さんが慌てて謝り、女性陣が打ち揃って待ち受ける(二人だが妙な迫力がある)待機場所へ逃げ込んだ。

 なぜかそのままおつぼね様を始めとしたうちの三人娘(一部語弊あり)がそこに勢揃いして何事か囁きながら佇んでいた。

 そしてこっちを睨んでいる。

 ……怖いんですが。


「課長、伊藤さんは気遣ってくれただけで」

「わかってる」


 課長はちらりと女性陣に目をやった。

 課長も女性達が怖いんですね、わかります。


「それより今回の企画商品の回路周りは特殊な機構になるんだろう?間違いないようによく詰めてくれよ」


 話題を無難に仕事内容で纏めた課長は、大きく溜め息を落とすと電算機パソコン打鍵盤キーボードに向かった。

 どうでもいいことだが、課長のタイピングは一本指打法である。

 あれで書類とか作成しているんだから逆に凄い。いつも見るたびに感心してしまう。


 ちらりと先程まで女性陣のいた場所を窺うと、話が穏やかに収まった様子に満足したのか、女性のみなさんは固まり状態を解除してそれぞれの席へ戻ったようだった。

 早めに抜けていたのか、既に席に着いていた伊藤さんに視線を向けると、軽く目礼されたので薬湯の湯呑みを掲げて見せる。

 おし、いい笑顔を貰ったぞ、仕事するか。


 今回の開発商品は給湯ポットだ。

 これは謳い文句を「置いとけポット」と言って、水を入れる必要が無いことを売りにしている。

 とは言っても、お湯が無くなってすぐに次を沸かしたいという場合にはやっぱり自分で入れないとちょっと時間が掛かるんだよな。

 忙しい時にはその限りではないとかどっかに注意書きを入れておかないと訴えられるんじゃないか?まあ俺の考えることじゃないけどさ。

 結局の所どういう性能かと言うと、ある一定量より減ると、組み込まれた術式によって生成された水が補給され、それを電気で沸かすという仕組みだ。

 そう、魔法のポットなのだ。

 うん、本当のことなのになにか響きがいかがわしいぞ。

 術式とか言い出すと何故か途端に胡散臭い仕様に思えて来るが、それもそのはず、こういう日用品に魔術式を組み込むのは実の所あまり行われないことで、いうなれば画期的なのだ。

 要するに今まで家電には魔術要素はあんまり無かったのである。

 何事も馴染みのないモノというのは胡散臭いものなのだ。


 なんで魔術が日用品に使用されにくいかと言うと、基本的に術式符は武器に分類され、武器は一般市場では取り引き禁止品目であり、流通には乗せられないからだ。

 つまり、筆記、或いは印刷、または刻印された術式の商取引は法律で禁じられているのである。

 そこで魔術的な商品を売りたいメーカーは、主に形式術式、つまり形状による認識魔術を組み込むことで商品化を図った。

 健康器具メーカーの開発した肩こり解消器具の握り珠なんかはその代表的なヒット商品だ。

 だが形状魔術では複雑な指定が出来ない。

 そこでうちの発明王、流様の出番だ。

 今迄に他社でも基板の電子回路を使って術式図を作ろうという試みが無かった訳では無いだろう。

 しかし下書きで術式を描くプリント基板を作ると法律に引っ掛かるし、電子部品の配置のみでそれを形作ろうと思っても、それを可能にするために製品を歪み無く均一に配置するには膨大なコストが掛かる、といった具合に、なかなか上手く行っていないのが現状だった。

 それを、流は全く違うアプローチで解消し、まんまと特許登録したのだ。


 流が考えたのは、絶縁体カバーという方法だ。

 電子回路の上に術式陣を象ったカバーを被せ、その内側を流れる電流によって術を発動させようという考え方である。

 これの特許取得自体はかなり前の話になる。俺もヘルプとして実験に散々付き合わされた。

 そもそもあいつは発想は良いが実機試験では抜けている部分が多々あるので、フォローに疲れるのだ。

 それにしてもやっと商品化か、やっぱり術式の選択に苦労したんだろうな、家電としては。


「木村くん、スイッチの位置だけど、これだと従来の上蓋の部分には組み込めないよな」


 おお、佐藤がお仕事モードだ。

 やる気になれば仕事出来る人なのに滅多にやる気にならない所がどうしようもない人なんだよな。


「ええ、術式カバーが結構かさ張りますからね。底部に入れ込むしか無いでしょうし、電源のみのスイッチでよければサイドに線を通して繋げれば良いんでしょうけど、この術式カバーのオンオフの切り替えが案外厄介で」

「電源とは別系統に纏めれば良いんじゃないの?センサー連動っしょ?」

「デザイン部門からは術式の発動はユーザーの任意に出来るようにと指示書来てましたよ。読んで無いんですか?」

「あっちはあっち、こっちはこっちでいいじゃん」

「いやいや、それやったら確実に出戻って来ますから」

「両方出して市場調査するとか」

「大企業でもやりませんよ」


 いつもこんな風なやり取りになるんだが、佐藤は恐らく既に図面を描き終えているはず。

 そしてグダグダ言う割にはちゃんと要点を押さえているのだ。

 つまり俺は意味の無いやり取りをさせられている訳だ。

 ……全くこの人は。


 それにしても、こうやって仕事に没頭していると、今迄と何も変わっていないような気持ちになる。

 ふと視線を窓へ移すと、学生時代に憬れた高層ビルの立ち並ぶ風景が変わらずそこにあった。

 この先、この風景が変わるようなことがあるのだろうか?

 政府お抱えの預言者辺りなら何かを見ているのかもしれないが、一介の平サラリーマンたる俺には、この時点では全くもって未来への展望などなかったのである。

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