33:終天の見る夢 その二

「まあいいか、本日は取り敢えずはご挨拶ってやつだ。どうだ、俺は案外礼儀正しいだろ?」

「自慢か?バカみたいだぞ」


 ゾッとするような強大なプレッシャーが時と共に重く伸し掛かる。

 こいつに攻撃の意思がないのは確かだが、閉じた空間内でこいつの放つ瘴気を浴び続けるのは、いかに耐性の強い俺でも負担になる。

 耐性の無い者なら気が触れてもおかしくない凶悪さなのだ。

 だがしかし、色々考えたが脱出の方法が見えない。

 こういう場合、考えてもわからないんなら、とりあえず一番なんとかなりそうな方向に一度突っ込んでみるというのが俺の身上だ。

 ということで、俺は足に力を溜めた。


「よーい、……ドン!」


 口の中でカウントを取り、ダッシュする。


「おい、いきなりどうした?新しい遊びか?」


 呑気な問い掛けを無視して、ヤツの気配が濃いと見当を付けた辺りにひたすら突き進んだ。

 やがて来るやんわりとした抵抗。

 閉じられた場が外へと向かうものを内側へと押し戻そうとする条件反射のような反応が来る。

 柔らかい大きなゴムのボールをひたすら押しているような感触だ。

 細かい理屈はともかくとして結界の臨界点と思えばいいだろう。

 その抵抗の最中に、俺は懐から札を一枚引っ張り出すと、それに気を通した。


「つっ!」


 手の中でたちまち燃え上がったそれを前方に叩き付ける。

 あちい。

 発生している術力と発生した術力とが接触した。

 この程度の術なぞ、ヤツにとってはぶつかった小石にも劣るだろう。

 だが、どんなに僅かでも揺らぎは揺らぎ、振り子の最初のひと押しになる。


「破!」


 片足を引き、足場を押しやったその力を、身体を捩じりながら臍を経由して腕に巻き付けた。

 ガアアアン!と、いつか戯れに殴り付けた鐘撞き堂の鐘のような音と手応えが来る。

 耳と手の痺れに閉口していると、押し包む空気が変わった。

 ふわと風が流れ、風景が戻る。


「呆れたもんだ。力ずくかよ」


 そう言ってクックッと喉を鳴らして笑う声。


「うるせえよ」

「他人を巻き込まないようにというこの俺の優しさを無下にするもんじゃないぞ坊や。まあいい、今夜はさっきも言ったが挨拶だけだ。丁度退出の時間だあな。じゃあな」


 厚みのあるバリトン、すらりとした長身。無駄の無い、いかにも俊敏そうな肉体。

 伝承に伝わる、たちどころに万人を虜にしたと言われる顔形。

 尊大な、いかにも王候然とした風格と謳われた姿が、街灯のほの青い光にちらりと照らし出される。

 仕立ての良い今風のスーツに包まれて、まるで人間と変わらない風体だが、だからこそ、その異質さは拭い切れなかった。

 その姿が垣間見えたのは一瞬で、宣言通りその姿はたちまち掻き消えた。


「最悪だ」


 俺はどこともしれぬ壁に寄り掛かると、ぐったりと脱力した。


 ―― ◇◇◇ ――


 俺は別に真面目一徹じゃないが、一身上の都合で仕事を休む日が来るとは思って無かった。

 しかも詳しい事情は話せないで押し通したし、明日の出社が憂鬱だ。


「まさか有り得ない」


 そんな憂鬱な気分のままに、俺の説明に対する反射的な否定を述べた発言者を見る。

 連絡係的ポジションの公務員には珍しく、いかにも現場の人という雰囲気のゴツいおっさん。

 これは俺達の担当官だ。

 驚くべきことに、俺達の担当のくせにどうやら勇者血統しゅごしゃが嫌いらしい。

 酒匂さんの何らかの企み……じゃなかった、思惑が透かし見えるようだ。


「こないだ全域停電があっただろう。あの時に入り込んだんじゃないかな?」


 テーブルの反対側からの発言。

 俺もかねがね同意だ。


「あの停電はほんの数分の出来事だったはずだ。そんな短時間で入り込める訳がない」

「そもそも全域停電自体が本来有り得なかったはずでは?保安システム的には」


 相手の言葉に返事に詰まるその男を眺めながら、実の所、俺も同じように考えていたのだから気が重い。

 停電を奇妙に感じはしても、あの時、全く危機感は抱かなかったのだ。

 それはそれとして、目下の問題はこの目の前のカチカチ頭ではない。


「それにしても酒天童子とは因縁ですね」


 なぜか当然のように会議に混ざっている変態野郎がいるんだが、どういうことだ?

 こいつは確か大学教授の助手やってるんじゃなかったのか?

 隣の由美子に目で問い掛けると首を横に振られる。

 知らないから聞くなということだ。

 由美子が知らないなら仕方ない、まあいい、発言はいいとして存在は無視しとこう。

 変態の投げ掛けた話題に誰も反応を返さなかったので、場に不自然な沈黙が落ちた。


「酒天童子つったらあれか、大江山の。あれはとっくに退治されてたんじゃなかったか?」


 変態のパスはスルーして、肝心な部分を確認しようとするカチカチ頭。

 実に役人の鏡だ。


「怪異担当官としてはその認識はいささか不見識なのではないでしょうか?」


 ところが、場など読まない変態は、ずばっと指摘してカチカチ頭の顔色を赤黒く変色させた。


 驚いた。

 いかにも研究畑の年を取り過ぎた学生といった感じの線の細い男が、肉体言語で生きてるような強面相手に堂々と非難を浴びせるとは。

 俺はフリークとやらを舐めていたのかもしれん。

 そうだ、こいつは国家機密をアイドル画像のような気軽さで持ち歩くような変態だった。


「なんだと」


 怒りを耐えているような低い声で唸るカチカチ頭を今度は変態がスルーして、滑らかにその口を動かし始める。


「酒に天、或いは酒に呑むと書く大怪異ネームドモンスター酒天童子。しかしてその真命を終わりの天と書く終天童子は、我が国の建国の頃には既に存在したと言われる大怪異であり、伝承に伝わるヤマタノオロチがその本来の姿であるという研究者さえ存在するような化け物です。もしそれが事実なら、この化け物は千年とは言わず二千年近く存在することになるのですからね。怪異は古いモノ程強大な力を持つのは周知の通り、千年を超えたモノになると到底人間の力でどうこう出来るような相手ではありません。しかし、平安時代に一度討たれたことになっている。これは一体どういう訳なのか?と史書を紐解けば、平安の世に存在した英雄達が、旅人に化けてその館に潜入し、油断をさせて毒酒を盛り、首を落としたとある。まあ化け物相手に堂々とやる必要は無いのでこれはいいでしょう。しかし、首を落としてもその化け物は死ぬことなく術を使って彼らを苦しめた。そこで仕方なく首と胴体を別々に封印したのです。つまり全く退治などは出来ていないのですよ。ただ封印していただけの話。滅びてはいない上に、こんな大怪異に人間の封印ごときがどの程度意味があったか……。その直後にそこらを闊歩していたとしても、私は全く不思議には思いませんね。ちなみ、この騙し討ちで酒天童子を討伐した英雄のお一人が、こちらの木村殿のご先祖でもあります」


 あまりに滔々と語るので、カチカチ頭はいっそ呆気にとられたらしい。

 怒りを忘れてなんと質問をした。


「真命とはなんだ?」


 これには流石に俺も驚いた。

 この人、怪異担当の部署にいて大丈夫なのか?

 事務方だから知識があんまりなくても問題無いのかな。


「真命はその響きの通り真の名前です。むしろこの場合聞くべきは隠し名の方ではないのですか?よくもまあその程度の知識で、勇者血統の、しかも我が国が誇る木村の本家の御血筋に関わろうとか思われましたね」


 駄目だ、こいつヤバイ。

 引き合いに出されて大いに波打った気分を紛らわそうと、俺はこの会議の出席メンバーの顔を目視で一巡した。

 議長席には怪異対策庁のお偉いさんらしき壮年男性。

 どこかフリーダムなところがある酒匂さんと違ってぴしっとした印象の人だ。

 ずっと苦虫を噛み潰したような顔をして変態男を目の端に捉えている。

 その右手側にいるのがその下位機関、いわゆる現場担当の怪異対策室の室長さん。

 なんか額に脂汗が浮いてる。お疲れ様というかお気の毒様な中年男性。

 そして、反対側に国家機動部隊の制服を着用した、階級章からすると将官クラスの人。

 雰囲気からすると現場の人ではなさそうだ。

 その人を筆頭に、俺から見てテーブルの反対側に、制服の軍属さんが他に三人並んでいらっしゃる。

 一方のテーブルのこちら側は、室長さんの隣にカチカチ頭、次に変態、俺、由美子という、実に精神衛生上良くない席順だった。

 まあ変態が由美子の隣よりはいいか。

 ちなみに由美子が一緒に呼び出されているのは、ハンターの活動は登録されている単位で行うのが基本だからだ。

 つまりハンターとして由美子と俺は一蓮托生なのである。


 この会議は俺の昨夜の報告によって招集された緊急会議だ。

 いかにも急場という感じで、面子は対処部門しかいない。

 本来は都市運営方面との打ち合わせこそが重要なんだが、そっちにはこの会議で決まったことを文書で回すそうな。

 いいのか?大丈夫なのか?それで。

 まあ俺らハンターは実の所、全くの外部組織であり、こういう場ではオブザーバーに近く、国や地方組織の運営や決定事項に口を出すことは出来ない。

 逆にこと、怪異に対する対処に於いてはハンターの行動に国や地域組織は口出し出来ないので、その辺はイーブンだろう。


「隠し名が存在するのは真命に強い影響力が認められた場合です。或いは逆に真命によって影響が出るのを避ける場合もあります。今回の酒天童子の場合は隠し名に相手を倒した決め手である酒を被せることによって、その威力を削ぐ意味がある訳です。まあ実際は人間側の心情的な意味合い以上の効果があるかどうかは微妙な所ですけどね。それとは逆に影響力を避けるための隠し名は、そこの木村の一族の方々がそうです。彼らは一様に真命を持たず隠し名で一生を過ごすと言われています。一説によるとその生誕の際に真命を身体に刻むとも聞きますね」

「おい」


 変態がとんでもないことを言い出した。

 こんなオープンな場で言っていい話じゃないぞ。

 俺の呼び掛けに振り向いた変態は、たちまち顔を青くして、いきなり、こともあろうに床にひれ伏した。


「申し訳ありません!どうも私は考えたことを口にしないといられない質でして、我が不明、どうかこの卑賤の身に御手ずからの御処罰を賜りたく!」


 やべえこいつ変態過ぎる。

 どんだけブレない変態だ。

 俺は当然のようにそれ以上関わるのを止めた。


「議長、質問よろしいでしょうか?」

「あ、はい、どうぞ」


 議長もさすがに動揺したのだろう、一瞬びくりと体を震わせてそう返答した。


「この会議の目的は、酒呑童子の中央都市侵入による影響に対する対策を検討するということだと伺ったのですが、どうも話が前提の確認から進んでいません。我々からの要望としては、一刻も早く対応策をお願いしたいのですが、まず前提条件を肯定した上での議事進行をお願い出来ないでしょうか?」


 ざわっと、制服組と、カチカチ頭が不穏な気配を纏う。

 言われて嫌ならさっさとすればいいだろうに。


「その前提が信じられないからこその確認だろうが」


 さすがに軍部に口を開かせる訳にはいかないと思ったのか、カチカチ頭がやや高圧的な物言いでそう言った。

 俺はすっと立ち上がると、誰もが怖いと言い、子どもが見ると泣き出す顔で、居並ぶ面々を見渡す。


「こと怪異案件に於いて、ハンターの言動はあらゆる組織的判断に優先される。というのが国際法に明記されたハンター条約の一項ですが、その発言は私の資格をお疑いであると判断してよろしいのですか?」


 カチカチ頭はぐっと言葉を呑んだ。

 色々とあって赤黒かった顔から段々色が抜けていく。


「わかりました。ご提案を容れて議事進行をいたしたいと思います」


 議長が場を納めるようにそう言った。


 早くしてくれよ。マジで。

 こんなことやってる間にもヤツの瘴気の影響で通常の何倍かのスピードで怪異が成長してるに違いない。

 初期の初期段階のモノでも鬼が顕現したらとんでもないことになるぞ。

 苛立つ俺の脳裏に酒匂さんの言葉が蘇った。

 平穏な時代による危機感の無さ、か。

 ……確かに恐れるべきは人間の中の怠惰なのかもしれない。


 ただでさえ頭が痛いのに、隣の変態が何やら熱い視線を送ってくる。

 お前どんだけお気楽なの?

 反対隣の由美子が気の毒そうに俺を見ているのもまた胸中に寂しさを生む。

 いや、お前、ひとごとみたいに突き放すのは止めてくれ。

 そりゃあ、終天童子アイツは昔から俺に付き纏っていたけどね、アレが生み出したアレ以外の怪異はお前にも関わって来るからね。


 俺は会議室の窓をぼうっと眺めて今頃会社の連中はどうしてるかな?と、埒も無いことを考えたのだった。

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