contents ~短篇・ショートショートまとめ~

甲乙 丙

冒頭には死体を 結末には探偵を(2627文字:ミステリ)

縞パンが舞っている。水色と白の横縞模様が入った三角とも台形ともいえないくにゃくにゃと頼りないそれが、ひらりひらりと、まるで紋白蝶のように真夏の空を舞っていた。


「冒頭で読者を引き込むには死体が必要だって話さ」と眼の前の気取った男は得意気に言った。仕事にも就かず本ばかり読んでいる男だった。男は自分で「吾輩は書生である」と鼻を高くして名乗っていたが、前時代の書生と今時代の無職が同じものなのか僕には分からない。多分違うと思う。他にも「ああ、空から美少女が突然降ってきてめくるめく大冒険が始まらないかなあ」だとか「実は友人が人間じゃなくてなにやら壮大な愛憎漂うスペース・オペラめいた物語が生まれないかなあ」だとか言っているが、基本的には善人で、僕は楽しく友人をやらしてもらっている。

 ひと通り推理小説に於いてのありふれた講釈を聞いてから僕たちは喫茶店を出た。駅前T通りにある少し懐かしい雰囲気を持つ僕達のお気に入りの店だ。

「ありえない。ありえないよ。いくら待ってもツカミの一つも訪れない平々凡々の日常じゃないかあ」と、まだ友人は僕たちの境遇に文句を垂れていた。

「平凡な日常も悪く無いと思うけどな」と僕は励ましなのかよくわからない言葉を言った。

 通りは賑わっている。お洒落な服を並べた店ではお洒落な店員がお洒落な客をお洒落に接客している。なぜか「炭焼き」と書かれたのぼり旗を立てている移動クレープ店は甘い匂いを漂わせながら若者層を集めている。瑞々しい食材を売る店は声を張り上げて安さと旨さを叫んでいるしそこに並ぶ主婦層はなにかと理由をつけてさらに安さを追求している。

「Q君、Q君」と友人が僕を呼んだ。「ひとつ疑問があるのだけど、只今午後の四時過ぎといった所ではあるが吾輩は今無性にクレープが食べたい。しかしここから下宿先に帰る頃には、大家さんが既に夕御飯を作り終えていて吾輩たちは帰るなりそうそう食堂に赴きそれを食べるだろう。つまり吾輩の胃弱な体質から鑑みればここはクレープを我慢して大家さんの作る美味しい家庭料理を食べるのが正解なのだろうがちょっと待ってほしい。吾輩たちは先程喫茶店において、コーヒー一杯をチビチビと二時間かけて飲んだだけで三時のおやつを食べていないではないか。吾輩は三時のおやつを食べるという習慣を愚かにも忘れていたのだ。ここは一刻も早くクレープを食べて崩れかかった習慣を修正するべきなのではないだろうか。そうして胃が悲鳴を上げてのたくりまわろうとも大家さんの作る美味しい家庭料理を食べるべきなのではないだろうか。そういう状況や吾輩の心境を踏まえて一つQ君に尋ねたい」

「なんだい」と訝しげに僕は応えた。

「ソーセージ入りツナサラダクレープは果たしておやつなのだろうか」

「知らないよ」僕は噴き出した。


 下宿先に帰る道程で近道となる河川敷を通った。隣町に繋がる橋の下を通る頃になっても、友人はブツブツと不貞腐れていた。「まさか答えを決めあぐねている間にクレープ屋が店じまいを始めるとは思わなかったよ」

「しょうがないさ。あのクレープ店隣町から出張して来てるらしいし」と僕は苦笑しながら友人を励ました。

トボトボと歩く友人の前を歩きながら少し大きめの丸石を拾って意味もなく川へ投げる。トプンという音がなんだか心地よかった。

「そういえば、来週開かれる祭りの事だけど……」

 と友人に振り向いた所で、背後からドサッと大きな音がした。ゴミ収集車の職員が目一杯の力で袋を車に叩きつけるときの音に似ていた。

「うっ」僕は慌てて落ちてきた物を見た。

 そこには制服を着た少女が落ちていた。ピクリともしない。真っ赤な頭からなにかが飛び出している。得も言われぬニオイが漂ってくる。酸っぱいような、甘いような。血の匂いだろうか。

 明らかに彼女は死んでいた。

 のろのろと後ずさった。友人が僕の隣まで歩いてきて、空を仰ぎながら言った。

「どうやら、物語が始まったようだ」

 僕は友人の視線に誘導され、同じように顔を上げた。

 ひらりひらりと、縞パンが舞っていた。




 事情聴取は三時間に及んだ。どうやら通報したまでは良かったが、警察が到着するまでに目撃者が僕たちしかいなかった事と友人が「吾輩には守らねばならぬ習慣と、待っている大家さんがいる」といって無理矢理帰ろうとした事が裏目に出たらしい。友人はひどく憔悴してしまっている。無理もない。眼と鼻の先で凄惨な死体を見てしまったのだから。決して習慣を守れなかったからではないと、信じている。

 被害者は町内の高校に通う女生徒である事と、警察は言葉にして出さなかったが暴行の痕がある事、失踪届けを出す間もなく突然訪れた凶事で、両親は僕たちを疑っている事、等がその場の雰囲気や人の動き、僕たちを見る眼でわかった。

「もうちょっと、時間かかるそうだよ」と僕は友人に話しかけた。友人は「そっか」と珍しく言葉少なに答えると騒がしい署内の廊下に置かれているスツールに深く身体を沈み込ませた。

 僕は先程から、なにか頭にひっかかる感覚があってどうにもそれが何なのか分からなかった。

 きっと僕たちは何かを見落としている、という直感だけが働いていた。

「こんな事なら、ソーセージ入りツナサラダクレープ食べとけば良かったなあ」と友人が暢気な事を言っている。すこしは心も回復してきたらしい。

 あ、と僕は言葉を漏らした。何かが腑に落ちたのだ。僕は立ち上がって友人に向かって、「きっと、すぐに帰れるようになるよ」と言うと、近くにいる刑事を呼んだ。

「あの、思い出した事があるんですけど」




「結末を語るには、探偵は欠かせない存在だと吾輩は思うわけだよ」と友人はストローを加えながら不平を垂れていた。「それなのにどうだい。僕たちが巻き込まれた物語はスピード解決。山も谷もないままスピードエンディングだよ」

「そうだね」と僕は短く返して友人の返事を待つ。

 僕たちが警察署から開放された後、下宿先へ戻った頃にはすでに犯人は捕まっていた。知らせを受けた僕と友人はあっけない幕切れに拍子抜けな気持ちもしたし、少し安心もした。

「ああん」とうなだれて変な声を出した友人が「結局又僕たちはツカミの一つも訪れない平々凡々の日常を過ごすのか」とアイスコーヒーの氷をカラカラと指で回した。

僕も真似をしてストローで氷を回してからガラス窓の外を見て言った。

「平凡な日常も悪くないと思うけどな」

 ひらりひらりと紋白蝶が舞っていた。

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