第18話 序章4の2 ジーレンルーイッヒ

「えい、やあッ!」


 ハイジが懸命に木剣を振るい、ヴォルターがソレを軽くあしらっていた。

 木剣の剣戟が交わる乾いた音が、グリンデルヴァルトの屋敷の庭に響き渡る。

 数合の剣戟の後、ヴォルターはハイジの一撃を受け流し、彼女の体勢が崩れた隙を突き、足払いをかけた。

 そして、草の上に転がったハイジに彼は、木剣の切っ先を突き付けた。


「まだまだ無駄な動きが多すぎるな。」


「ううー・・・、お父さま、容赦ないですよ。」


 ハイジは上半身を起こし、悔しそうな顔をした。


「稽古だから手を抜く訳にもいかないよ。」


 そんなハイジの顔をものともせずに、彼はキッパリと娘に告げた。


「けち、いけず、いじわる。」


「何と言われようとも、手は抜かないよ。

 それに・・・、口の悪い子には、お仕置きが必要なようだね。」


 ニッコリと彼は笑った。

 そうして、ヴォルターの動きはいっそう容赦のないものとなり、昼頃には、ハイジは物言わぬ姿となって、草の上に大の字で転がっていた。

 只々ハイジは、汗だくになりながら息を切らせていた。

 対してヴォルターは最後まで涼しげな表情を浮かべ、優雅に立っていた。


    ※


「もう、お父さまったら全然大人気ないんだから。

 私ががんばって打ち込んでも、ぜーんぶ余裕の顔で受け切るし、私を何度も転ばせるし、ちょっと文句言ったらすぐに怒って益々本気になるし・・。」


 道中、隣を歩くリーザに、ハイジはずっと父との稽古の愚痴をこぼしていた。

 リーザはにこやかな笑みを浮かべて、そんなハイジの言葉をずっと聞いていた。


 午前の稽古を終え、ハイジは昼食を食べた後に、リーザと家の外へ出掛けた。

 彼女らはバイロイトの家へと向かっていた。

 午後からの魔術の稽古はそこで行われることになっていた。

 村を抜け、野原を越え、橋を渡る。

 そして小高い丘を登った先にバイロイトの屋敷があった。

 二人は入口の門を入り、広い庭に伸びるいしだたみの道を歩いていると、道から少し離れたところにある池の周りで遊んでいる少年を見つけた。


「おーい、レオーン。」


 ハイジが大声で彼に呼びかけると、気付いた彼は手を振り、二人の方へ駆けよって来た。


「こんにちは、ハイジ、リーザさん。」


 近くまで来た彼は、彼女らに挨拶をした。

 赤茶の髪に、利発そうな印象を与える雰囲気を持った少年だった。

 少年の名をレオンハルトと言った。

 ハイジとは同い年の幼馴染であり、遠い親戚関係でもあった。


「リーザさん、今日も宜しくお願いします。」


 そう言ってレオンは礼儀正しくお辞儀をした。

 彼もハイジと同様にリーザから魔術の手ほどきを受けており、時おり三人で集まっていた。

 本来バイロイトの家は、魔術師の家系ではなかったが、数百年前のグリンデルヴァルトとの間の血縁関係を境に、稀にバイロイトの中にも魔術の才を持った子が生まれるようになった。

 レオンもその一人であり、彼に魔術師としての素養があると分かって以来、リーザから魔道の指導を受けてきた。

 

「それなんだけどね・・・、ママ、まだ眠いから今日はお昼寝ってことにしない?」


 リーザが頬に人差し指を当てて、そんな提案をした。しかし、


「何ふざけたこと言ってるのお母さまッ!」


 当然の如く、ハイジは彼女の言葉を一喝した。


「だってー、昨晩の疲れがとれてないんだもん。」


「だってもダンテもありません。前もそう言ってすっぽかしたじゃない。」


「おねがい、ハイジ。」


 リーザは握った両手を口の下に持っていき、上目使いでハイジを見た。


「かわいく言ってもダメなものはダメです。」


「もー、ハイジのいじわる。レオンからも何か言ってあげてよ。」


 そんなリーザのだだにレオンは、


「そうですね・・・、このままウダウダとごねているよりも、早く始めて早く終わった方が良いのではないでしょうか?」


 苦笑しつつ、ハッキリと告げた。


「んもう、二人とも容赦ないんだから。わかりましたー、ママの負けです。」


 ハア、とため息を吐いたリーザは渋々承諾した。


 そして魔術の稽古が始まった。

 始まるまではあれほど面倒くさがっていたリーザも、一度始まってしまえば、それまでとは打って変わって、至極真面目にハイジとレオンの指導に当たっていた。

 魔術師としての矜持なのか、普段のとぼけた雰囲気はなりを潜めていた。


「まだまだ練りが甘いよー。」


「もっと意識を呪文に集中させて。」


「そんなんじゃ、幽霊の一匹も祓えないぞ。」


 さまざまなダメ出しをされながらも、少年と少女は懸命に力を振り絞る。

 そうしてその日もあっという間に時間は過ぎ、気が付くと空が赤く染まり、日が木々の向こうへ沈もうとしていた。


    ※


「はーい。じゃあ、今日はこれくらいにしましょうか。」


 そう言ったリーザの声は、稽古の前の気の抜けるようなものになっていた。


「お疲れさまでした、お母さま。」


「ありがとうございました、リーザさん。」


 ハイジとレオンは、リーザに礼を告げた。


「うんうん、ふたりともお疲れさま。」


 そう言ってリーザは、二人の頭を撫でて、彼女らの頑張りを労った。

 二人は嬉しいような、恥ずかしいような曖昧な表情を浮かべ、されるがままに撫でられていた。


「今日の夕ご飯は何だろうね。」


 リーザは、まるで子供みたいに心のからわくわくするような笑顔を見せ、ますますワシャワシャと二人の頭の上に置いた手を動かす。


「もう、お母さまったら・・・。」


 ハイジは、そんな母のさまに呆れた顔を浮かべた。

 天真爛漫な笑顔のリーザと、苦労がしのばれる呆れ顔のハイジ・・・、まるでどちらが子供か、分からなくなるような光景だった。

 とはいうものの、ハイジも内心では今夜の夕飯を楽しみにしていた。

 あまり感情を表に現し過ぎるのは、貴族の振る舞いとしてはしたない。

 ハイジは日頃からそういう風に思っていた。

 それでも母リーザのさまざまに変化する表情が、ハイジは好きだった。

 純粋で無垢な少女を思わせる可愛らしい表情と、そしてその中でも猶損なわれない優しさと母性が、ハイジはたまらなく好きであり、敬愛していた。

 もちろんハイジは面と向かってそんなことは言えない為、今のように呆れ顔でごまかしているのだが。

 

「あ、そうだ・・・。」


 一通り撫でて、満足して手を放したリーザは思い出したように、


「今度の見回りには二人にも同伴してもらいまーす。」


 と軽い調子で言った。


「・・・。」


「はあ・・・。」


 唐突にそんなことを言われた二人は、そんな曖昧な声しか出て来なかった。


    ※


「そろそろ、二人にも実践を経験しても良い頃だと思ったんだけど・・・。

 二人ともあんまり反応が良くないねー。お母さん、ちょっと寂しいな。」


「だってお母さま、いきなりそんな風に言われても・・・。」


 確かに、嬉しくはあった。以前ハイジは、自分も夜の見回りに同行してみたいという意思をリーザとヴォルターに告げたことがあった。

 その時は二人から時期尚早とつっぱねられたが、今こうして当の本人から許可が下りたことに喜びを感じずにはいられない。

 感じすにはいられないのだが、しかし、


「もう少し言うタイミングというものがあるでしょう。」


 そんな重大なことを晩御飯のついでみたいに言われてしまっては、どうにも実感に欠けてしまい、素直に喜ぶことが出来なかった。


「でもリーザさん、そんな大事なこと今決めてしまって良かったのですか?」


 レオンは疑問を口にした。


「問題なし。」


 そんな彼の不安を払うように自信満々の顔で即答された。


「そもそも今、私が考えた訳じゃなくて前々からお父さんと相談して決めたしね。

 もちろんレオンの両親とも話し合っているし、許しも頂いてあるのです。」


 両手を腰に当て、”ふふーん”、と鼻をならすリーザ。

 その得意げな母の顔に、ハイジは少しイラッとしつつも、”なるほど”、と思った。

 家の中ではそんな素振りは見せなかったが、実は陰でやることはちゃんとやっていたのだろう。


「わかりました。では、当日は宜しくお願いします。」


「どーんと、任せなさい。」


 レオンは礼儀正しくお辞儀をし、リーザは更に胸を張っていた。


 ハイジとリーザは、バイロイトの家の門を出て、帰路を歩いていた。

 日は既に沈んでおり、空は茜色から深く濃い青色へと染まりつつあった。

 レオンは二人を門まで見送り、


「お菓子は、100億マルクまでよ。」


「お母さま・・・。ソレ、冗談になってませんよ。」


 などと冗談めかして言ったリーザの背を、ハイジが強引に押して門から離れて行った。


    ※


 道中横切る村の家々には、温かな光が灯っていた。


「ねえ、お母さま。私達が付いて行っても本当に大丈夫?」


 ハイジの口からポツリと、そんな不安がこぼれた。


「なーに、ハイジ。もしかして怖いの?」


 リーザはからかうように言った。


「べ、別に怖くなんかありませんッ!ただ少し聞いてみただけです。」


 思わず口調が強くなった。

 リーザの言葉がちょっとした悪戯めいたもので、深い意味が無いことはハイジにも分かっていたが、どうしても、思わずこういった反応を返してしまうのだった。

 そんな自らの面倒な性格が、ハイジはときどきうらめしくなる。


「ごめんなさいね、ハイジ。あなたの反応が可愛すぎて、ついつい。」


 フフ、と微笑んだリーザは、隣で頬を膨らませてそっぽを向いているハイジをなだめた。


「むー、本当に謝る気があるの?」


 眉間にしわが寄っていた。

 ますます不機嫌になったようだった。

 ハイジの拗ねた様子もリーザにとっては微笑ましい姿だった。

 そんな我が子の可愛さに思わず抱きしめそうになるのを、リーザは何とかこらえる。

 そしてリーザは歩みを止めてハイジの方へ向き直ると、ハイジの目線の高さに合わせるようにしゃがみ込む。

 リーザは優しく両の手で、ハイジの小さい手を握った。


「ええ、大丈夫よ。ハイジとレオンちゃんは、私が、私とお父さんが絶対に守るから。

 何があっても絶対に守り抜いてみせるから。

 だから安心して。怖がることなんてないのよ。」


 優しく、力強い言葉だった。


「絶対に・・・?」


「ええ、絶対に。」


「誓って?」


「ええ、神に誓っても。何なら、悪魔に誓っても良いわ。

 何人たりとも指一本触れさせないわ。」


 どこまでも真っ直ぐにハイジを見据える眼差し、どこまでも真摯な誓いの言葉。

 これこそが、ハイジが愛し、尊敬する母の姿だった。

 だから、そんな強く優しい母の姿に、


「ふ、ふーん・・・。それなら、さっき私をからかったことは許してあげてもいいわ。」


 ついつい心にも無いことを言ってしまう。


「それと、私が指の一本も触れなかったら、それこそ訓練にならないでしょ。」


 心の中では分かってはいても、そう簡単には素直になれないのだ。

 だがリーザは一瞬だけ目を白黒させた後に、直ぐにふっと頬を緩め、


「それもそうね。じゃあ、2、3本触れさせる、でどうかしら。」


 そんなハイジの胸中を見透かすかのように、ハイジの頭を撫でた。


「それじゃあ、もうお腹もペコペコだから、急いで帰りましょうか。」


 リーザはハイジの手を引いて、子供のように駆けだした。

 二つの影法師は橋を越え、村を抜け、野原の向こうへと進んでいく。

 並んで歩く二つの後ろ姿は、だんだんと小さくなり、黄昏の向こう側へと消えていく。


 それから瞬く間に日は過ぎ、当日の夜を迎えることとなる。

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