#033 不死の戦士 ——ノスフェラトゥ——
「見くびるな! おれは、おれこそがまさに勇者ニードル・スパイクの力を受け継ぐものだ! 貴様のようなニセモノに倒されるものか」
怒号とともに、やつの体から
瘴気はキリヒトの傷ついた
「なんだ? あれは……」
皆目、見当がつけられずに状況を見守っていると、ふたたび相手が行動を開始する。
腰をかがめて、右足を心持ちうしろに引いた。
次の瞬間――――。
「いくぞ!」
掛け声と同時に、動かないはずの脚を使ってキリヒトがおれの側へ飛び込んできた。
そして、またしても聞こえてくる人体が破壊された音……。
「馬鹿な! ど、どういうことだ?」
体ごとぶつかる勢いでキリヒトがこちらを押し倒す。
簡単にマウントを取られてしまったおれは、驚きでいまだ現状をつかみかねたままだった。
意思とは無関係に動こうとする右腕は、組み伏された相手の下半身によって自由を奪われている。
「これがおれの真の力だ! 覚悟しろ、ニセモノめ!」
片手でおれの上半身を床に押さえつけ、やつは傷ついたはずの右腕を大きく振り上げた。
続けて横っ
全力での殴打。視界の中で派手に血しぶきが舞う。
それから目の前のキリヒトがまたも表情を険しくさせた。
「ぐっ……」
声には出さずとも振り抜いた相手の拳が砕け散り、傷口から折れた骨が飛び出しているのを見れば、理由はすぐに察した。
解けた拘束を見逃さずにシュトローム・ブリンガーが右腕を大きく持ち上げる。
キリヒトがバランスを崩した瞬間、おれは左手でやつの上着の襟首をつかみ取った。投げ出すように腕を払い、のしかかった敵を振り落とす。
「なんだ? あいつの体に何が起こっている……」
立ち上がり、さらに間合いをはかった。
両足と拳を破壊したキリヒトが、もがくようにその場でうごめいている。
そして、傷口からまたも立ち昇る黒いモヤ。
「まだだ……。まだ、おれは倒れるわけにはいかない」
死を恐れぬ幽鬼のように男が立ち上がる。
狂気を
手のひらを赤く染める鮮血。次に甲の部分でもう一度、顔をなぞる。
今度はうっすらと血の痕が認められるだけだった。
「おれの血じゃない?」
殴られた痛みはいまも頬に残る。
だが、流された血の多くは、みずから拳を砕いた強敵のものであった。
やはりキリヒトの体は弱体化している。
問題はどうやって壊れた肉体を使い、やつが自由に動いているのかだ。
力の
理由はなんだ? 焦点はそこである。
「無駄だ! 何を企もうと、貴様におれは倒せない!」
戦闘態勢を敷いた相手が鋭く叫ぶ。
大きなモーションで右腕を振り抜き、強引に技を放とうとした。
裂けた傷口からおびただしい血液がばらまかれる。
広がる鮮血は渦巻く空気にかき回され、霧状におれの視界を
敵の位置が一瞬で見えなくなり、死角から衝撃波が襲ってくる。
「ウソだろ? 何も見えない!」
間一髪で直撃を避ける。
それでも、かすめた勢いで上着の肩口が切り裂かれた。
同時に開いた負傷箇所から鮮血が吹き出してくる。
「やばいな。いまの一撃はギリギリでも
名付けるなら、”雷迅拳・赤影(ライトニングフィストブロー・クリムゾンファントム)”といったところか……。
「くそ……。血が止まらない」
相手の居場所から軌道を予測することが無理な以上、攻撃をよけるには反応を高めるしかない。
だが、おれの体はこれまでに受けたダメージの蓄積でかなり
悪いことに、頼みの綱のシュトローム・ブリンガーも視界や反応はこちらを通じて共有しているらしい。
つまりは持ち主の感覚が麻痺してくれば、相方の動きも鈍くなるという悪循環だ。
「随分と苦しそうだな。その顔がずっと見たかった」
赤い霧が晴れていき、キリヒトがこちらの様子をうかがいながらほくそ笑む。
すでにやつが負ったはずの傷は何事もなかったように
「あの力は一体、なんだ?」
そして、ようやくひとつの答えにたどり着いた。
「その尋常ではない回復力。ひょっとすると、ニードル・スパイクの【
おれの推測にキリヒトが小さく笑った。
まるで、ようやく気づいたのか、とでも言いたげに……。
どうやら間違いなさそうだ。
やつが負傷を恐れずに戦い続けていられる理由は、初代『ブレイブ・ワールド』に実装された
ブレイブ・ワールドは先に相手の
初期HPは各キャラクターによって異なり、基本的に回復手段はないものとされていた。唯一の例外は吸精鬼ラーミアによる相手の体力を自身に変換する特殊スキル【ドレインタッチ】ぐらいなもの。
必然、試合内容は全力で相手のHPを削り取るパワープレイが主流となり、それがゲームの爽快さであったが、すぐに飽きが生じるという弱点も
メインは各キャラクターに設定された固有の体力回復技。
そして、スパイク・ニードルが持つHP回復技は【
「こいつは参ったな……」
設定書によれば、細胞の過活性によって傷口を瞬時に修復してしまう超人スキルらしい。本当にそんなことをしてしまったら、どこからエネルギーを補充しているのか怪しいところだが、そこはご都合主義の成せる技というしかない。
「すっかり忘れていたよ、そんな設定」
いまさらながらに思い出した不明を恥じる。
ただ、いまのいままですっかり失念していたのだ。
理由はある。実は公式でも、それらはすでになかったこととされている明確な失敗作という位置づけだからだ。
「なにせ、対戦形式のゲームで消失したHPを回復するのは、致命的に相性が悪いシステムだからな」
これは何もブレイブ・ワールドだけの話ではない。
他の一対一で勝敗を争うゲームにおいても、一旦減少した体力をプレイヤーの操作によって戻せる場合、例外なく一試合の所要時間が延びてしまうからだ。
ルールはシンプルに、仕掛けは大胆に、演出は豪華であるべきとする、いまどきのゲームのセオリーが創り出される以前の試行錯誤であった。
「どうした? 小細工はもうおしまいか」
動かないおれを見て、キリヒトが勝ち誇るように問いかけてくる。
「くそ、なめられたものだな……」
とは言え、状況は限りなくこちらが不利だ。
あちらは受けたダメージを即座に無効化する。
対して、おれの側には魔法で援護をしてくれるはずのサクヤも、なんだかよくわからない術を使って相手を
蓄積されたダメージは疲労と同時に、正常な判断力をおれから奪っていく。
「転生勇者ってのは、意外と孤独なんだな。それでも戦い続ける気力を持つものだけが勇者になれるわけか……」
人生、やってみると本当によくわかることだらけだ。
少なくとも、おれは転生勇者なんて存在がここまで過酷であるとは夢にも思っていなかった。
『並み居る敵をチート技能でなぎ倒し、リアルでは決して出会うことのない、ヒロインたちと愉快な冒険の日々を送る』
そんなふうに想像していた。
だが、実際になってみれば、この有様だ。
さして強くもなければ、格好良くもない。
チート級なのは自分じゃなくて武器の方だ。
ヒロインたちからは小馬鹿にされ、出てくる敵はやたらと強い。
さらに異世界の人間ですら、したたかにおれを出し抜こうとしていた。
誰も彼も必死に生きて、そして死んでいく。
――この世界には転生勇者なんていらない。
覚悟を決めて挑んでみても、現実はいまにも負けてしまいそうになっている……。
「ああ、これがマイナス思考ってやつだな」
人間、疲れてくると、ろくな考えが浮かんでこない。
「さて、どうする?」
迷っているおれを尻目に、キリヒトがふたたび攻撃態勢を整えた。
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