6

 箱型の飛空艇は、雲海の上を飛んでいる。窓から外を見ている月影。目指す祠はもう目の前だ。


 あそこに貘の脂が……。そして、赤い瞳。自然と胸を打つ音が速くなる。


 そこにバルジットが声をかけて来た。


「嬢ちゃんを祠に下ろしたら、俺らは一旦ここから離れるぞ。赤い瞳と目を合わせたら、俺らも命が危ないからな。あの祠に行って帰って来たやつは誰もいない」


 そして、バルジットは手持ちの打ち上げ花火のようなものを二本月影に渡した。


「これは?」


 月影は聞いた。


「嬢ちゃんの仕事が終わったら、これを天に向けて打ってくれ。俺らがまた祠に迎えに行く」


「わかりました」


 そう言って月影は、花火をトランクの中にしまった。


「それと嬢ちゃんを降ろしてから一時間は祠の近くで待っているが、一時間を過ぎたら一旦本艦に戻る。燃料のこともあるからよ。往復に一時間だ。それまでもっててくれな」


 バルジットは、言い終わると月影の肩を二回打った。


「艦長! 貘の祠に接舷します」


 前方の操縦士が言った。飛空艇は、岸壁にゆっくり近づいた。そして、横の扉が開くとすぐ平地が待ち構えていた。


「着いたぜ、嬢ちゃん」


 月影はトランクを持って扉のところまで来た。飛空艇から地へ渡ろうとした時、突風が吹き、飛空艇が揺れる。バランスを崩した月影は外へ放り出された。


「大丈夫か?」


 バルジットが、飛空艇から身を乗り出して大声で叫んだ。倒れ込んだ月影は振り返って握りこぶしを見せると、バルジットも笑顔で拳を握って見せた。


 そして、飛空艇は祠から離れて行った。


 月影はトランクを持ち直して、口を開けて待っている目の前の祠に歩き出した。


 その入り口まで左右に何本か三角形の石柱が立ち並んでいる。そして、その傍らに横たわる屍たち。その数はおびただしい。宝と称された貘の脂を手に入れようとした人たちの成れの果てだ。


 月影は躊躇なく祠の中に入って行った。祠の中は半円球状の空洞で、そのてっぺんに空いた穴から陽の光が差し込んでいる。そして、その光を浴びるかのように祠の中央に真っ白な固形脂が一個輝きながら、石台の上に浮いていた。


 月影は一歩一歩石台に近づいて行く。


 胸の高鳴りは、祠の中で反響しているようだ。


 その貘の脂は自ら輝くように光を放っている。まるで七色の光線。万華鏡をのぞいているようだ。


 もっと近くで見たい感情が、足を進めませる。


 光はゆっくり回転してさまざまな模様を作り出し、抱えきれないほどの万華鏡の光が月影を包み込む。


 眩しい光の中で、私の目の前を横切る人影。いつの間にか、火の灯る板張りの長い廊下を小走りしていた。前を行く人影は、白い割烹着姿の老婦。


 私は、ただ彼女を追って走っていた。


 彼女は行灯や燭台に乗ったろうそくに灯された畳の部屋に入って行った。私もその部屋に入る。


 うめき声を上げ布団に寝た女性ともう一人割烹着を着た老婦がいた。そして、今にも赤ん坊が生まれそうだった。


 痛みに耐え、声を上げる女性の手を握る男性を私は見た。


 父様――。


 ここは月影家。では、あの人が私の母なのか……。そして、今から生まれて来るのは……。


 ――私。


 すると、私の思考をかき消す女性の叫び声が部屋に響き渡る。


「ほれ。頑張れ。もう頭が見えてる」


 足下の老婦が様子を伝えた。私の母と思われる女には聞こえているのだろうか。


 その一連の流れをただ呆然と私は見ていた。


 一瞬の静寂の後、女のうめき声に変わって赤ん坊の泣き声が部屋に響き渡る。その声を聞いてほっとした。しかし、今まさに母親となった女の手を握っている父様に安堵の表情は見られなかった。


「母として、最初で最後の仕事じゃ」


 赤ん坊を取り上げた老婦は、手慣れた手つきで泣き叫ぶ赤ん坊をたらいの湯につけながら言う。そして、赤ん坊を白い布に包み込んで、母親と対面させた。


「女の子じゃぞ」


 母親は我が子を眺め、やさしく頬に触れた。そして父様はろうそくを二人に近づけて、我が子をのぞき見た。


「さぁ、この子に名前を付けよ。さすれば、呪いはこの子に引き継がれ、汝は解放される」


 老婆は言った。


 父様はぐっと奥歯を噛み締めているように、私には見えた。ろうそくの火の揺らぎがそう見せていただけなのかもしれない。


 母親は、我が子を見ながら泣いていた。悲しそうだ。子供が生まれたのに……。親子を照らすろうそくも涙を流している。


るい……」


 私を呼ぶ最初で最後の母の声を聞いた。


「汝の力、呪いとともに子、月影泪に引き継がれた。そして、汝よ。安らかに……」


 老婆は赤ん坊を抱きかかえ、部屋を出て行った。もう一人の老婆は、部屋の隅に座って様子を見ているだけだった。


 私は、母様をずっと見ていた。私の名前は母様が付けてくれたもの。今まで父様も教えてくれなかった。母様の存在すら意識していなかったから、少し嬉しいかもしれない。


 母様は口を開け何か言っているようだ。父様は母様の口元に耳を近づけた。私にはまったく聞こえなかった。まもなくして、父様は声を押し殺して泣き出した。母様の全身から力が抜けた。息を引き取ったようだ。


 これが現実なんだ。これが呪いを解く方法なんだ。母様は自分の苦しみを私に押し付けた。名前がそう言っている。少しも嬉しくない。


 私は部屋を出ようと振り返った。と、そこに白い兎が一羽いた。浮き立つその赤い瞳。やっと私は気づいた。これは赤い瞳に見せられている悪夢だと。


「泪!」


 私を呼ぶ声。それは父様。また振り返ると父様が私を見ていた。泣いていた父様の目は赤かった。床に置かれたろうそくで照らされ顔。恐怖すら感じるその赤い瞳は、先日、私の前に現れた時と何ら変わらない色をしていた。


「いやーっ!」


 私は叫び散らした。

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