6

 月影と陽向は、電車を降りて依頼主の住むアパートへ向かう。陽も沈み、吐く息もさらに白くなる。団地が立ち並ぶ街の中のとあるアパート。


「橘ハイム。ここね。依頼者の部屋は二階の205号室よ」


 見るからに安そうなアパートではあるが、さしてオンボロでもない。二人は階段を昇り205号室へ。外通路の蛍光灯は接触不良なのか単に古いのか時々点滅する。


 部屋の前に行くと、


「佐藤、ここだな」


 と陽向が呼び鈴を押す。部屋の中で呼び鈴が鳴ると声がした。


「はい。どちら様でしょうか?」


 ドア越しではあったが、覇気の無い声なのが十分にわかった。


「烏丸神社から参りました、夢見の月影と申します。ご連絡を頂戴しましてお伺い致しました」


「今開けます」


 そう聞こえてドアが開いた。中から出てきたのは無精髭を生やし、やつれ顔で細身の男性――依頼主だ。


「……あなたが夢見の方ですか?」


 男は、眼鏡を指先でかけ直した。呆気にとられたような表情。でも月影はいっさい気にしていない。


「はい。こちらは、同じく夢絶の陽向です」


 月影が陽向を紹介すると、陽向は軽く会釈した。


「はぁ。……どうぞ、外は寒いと思いますので、とりあえず中へ」


 男は、二人を中へ招き入れた。


「お邪魔いたします」


 中は十畳の居間と六畳の寝室に台所。バストイレも別にある。意外と広い間取りだが殺風景であまり物がない。二人は居間に通され、


「どうぞ」


「失礼いたします」


 二人は炬燵に座る。


「この度は、おいで頂きありがとうございます。佐藤隆弘です。今、お茶を……」


 隆弘はそう言って、台所へお茶を入れに行った。


「あの、おかまいなく……」


 月影は愛想良く声をかけた。


 すぐに隆弘は戻って来て、お茶を差し出した。


「ははは、まさかこんなに若い方がいらっしゃるとは思いませんでしたよ。その……何て言うか。夢見なんて言うものですから、てっきり老人のまじない師が来るものかと勝手に想像してまして」


「私たちが若いことに問題がございますか?」


 月影の問いかけに隆弘は、戸惑いながら答える。


「いえ、そう言うわけでは……」


「それを聞いて安心です」


 月影はそう答えつつも安心した表情は見せない。


「いえね。気を悪くしないでください。私もね、馬鹿げているとは思ってるんですよ。これでも一応、科学を生業として来た者として、非現実的な世界の力を借りるというのにはためらいがありましたから」


「皆さん最初はそうおっしゃいます。私も同じ立場なら、そう言っていたでしょう。ですが、実際に対象、いえ今の娘さんの状態を聞く限りは悪夢に取り憑かれていると思います」


 そう月影が言うと隆弘の表情は完全に曇ってしまった。月影は話を続ける。陽向はお茶をすする。


「娘さんは、校舎の窓から落ちたと聞きましたが、本当に何ともなかったんですか?」


「はい。友子は校舎の三階の窓から落ちたそうです。頭を強く打ったらしいのですが、脳に異常はなく目立った外傷もありません。奇跡的に命は別状はないと病院の先生は言っていました。しかし……」


 そこまで話して隆弘は、言葉に詰まった。


「眠ったままだと」


 月影は、隆弘の言葉を予測して答えた。悪夢に取り憑かれた場合、大概の事象は眠ったまま目を覚まさないことが一般的だ。


「……はい。脳波を見る限りは睡眠状態の時と全く同じだそうで、危険な状況というわけではないらしく。ずっと病院に預けているのも費用がかかるので、回診という形で自宅で診てもらうことにしました。さすがに一週間経っても目が覚めず、先生にも原因が分からず、しばらく様子を診て行くしかないと言われてしまい」


「それで、あのチラシを見て連絡してきたと言う訳か」


 そう言ったのは、お茶を飲みきった陽向だった。


「えぇ……。たまたま歩いているとき、チラシを見て」


「では、佐藤さん。友子さんに会わせていただけますか。ずっと話をしていても友子さんは目覚めません」


 月影がそう言うと、隆弘は隣の部屋の襖を開けて二人を案内した。電気は消されていて、カーテンの隙間から入るわずかな光と居間からの光で友子が床に引かれた布団にすやすやと寝ていることが分かる。布団の脇に点滴が備えられて、管が布団の中へと続いた。


 友子を見た月影と陽向の表情が一転した。


「泪!」


「これは、まずいわね。ドリームストリームが溢れ出している。ギリギリってところかもしれません」


 月影の発言が何を意味しているのかわからずにいる隆弘。月影の視線はとても鋭く友子を注視している。


「月影さん……。どういうことでしょうか? 友子は寝ているだけのようにしか見えないのですが……」


「確かに寝ている様にしか見えませんが、私たちには見えるのです。友子さんを包み込んでいる光を……。陽向、私の鞄を」


 陽向は居間にあるトランクを取り、月影に渡した。月影がトランクを開ける。おせんべいが入っていそうな鉄の缶箱と丸々と膨らんだ麻袋を陽向に手渡した。


「はい、すぐに組んで!」


「えっ、組むって?」


「篝火よ!」


「あぁ!」


 陽向は箱の蓋を開けると、いつ使ったのかわからない燃え残った木屑と真っ黒な炭が入っていた。それらを中央に集め、麻袋から取り出した木片でそれらを囲むように四角く重ねて行く。


「あの、一体何を? 友子が光っているとはどういうことでなんですか? そもそも悪夢って怖い夢とかそういうものではないんですか?」


 隆弘はまくし立てるように言った。すると、月影が友子の布団をはぐ。隆弘の目には、光を放っているようにはいっさい映っていない。しかし、月影の目には友子の体中から緑色の光を放つ水のようなものに包まれている姿として映っているのである。


「怖い夢のそれとは違います。私たちが言う悪夢とは、基本的には本人が逃げこむための理想世界を作ってくれる夢の生物です。その悪夢に取り憑かれた状態になると、体内で人間エネルギーと悪夢のもつエネルギーがぶつかり合って体外へと光が放たれます。通称ドリームストリームと言われています。そのドリームストリームが長時間放出し続けたり、広範囲に溢れ出していると命に関わる危険な状態と言えます。それだけ悪夢そのものが強いという尺度になるのですが……」


「で、友子はどんな……」


 隆弘は、月影の言っていることを完全に理解できなくとも、なんとなく危機感を感じている。


「友子さんのドリームストリームは、身体全体を覆っている状態です。広範囲に広がっている状態ではありませんので、悪夢自体は強いものではありませんが、悪夢の作用によって夢世界がとても居心地良いものになっているのかもしれません。この状態が続くと本当に命を落としかねません」


「でも、安心しな。だから、俺たちがいる。そのための夢見だ!」


 木組みを終えた陽向が笑顔を見せ、


「泪。篝火の準備ができたぜ」


 月影が篝火を確認すると、小さなキャンプファイヤーができる程に木片が重ねられていた。


「なぜ、友子に悪夢なんてものが」


「悪夢は人の弱きところに取り憑きます。佐藤さん、親ならわかるんじゃありませんか」


 隆弘は何も言えなかった。


「陽向。灯して」


 月影の了解を聞いて、陽向は両手にもっていた火打石を数回打った。すると、火の粉が木組み全体を取り巻き、瞬時に燃え上がる。


「部屋の中で火を使うのはちょっと……」


 困ったように隆弘が言った。


「ご心配なく。これは特殊な火ですので何かに燃え移ったり、煙が感知されることはありません。ただ、私たちが出て来るまでこの火を決して消すことのないようお願いします。私たちの道標となりますので」


 さらに困った表情を見せる隆弘。


「えぇと、月影さんたちはどこかへ行かれるのですか?」


「えぇ、これから友子さんの夢の中にいる悪夢を片付けに行きます。陽向、行くわよ」


「おう!」


「もし、篝火が小さくなりましたら、木を足して下さい」


「これ、足し木」


 陽向はそう言って、木片の入った麻袋を隆弘に強引に手渡した。


「え、あなたも行かれるのですか?」


「もちろん。俺は泪のパートナー夢絶だからな。もし泪が悪夢を片付けられなかったとき、直接俺が戦って悪夢を絶つ」


 そう言いながら、陽向は剣を振り回す真似をした。隆弘は、それ以上何も言わなかった。いや言えなかった。もう任せてしまおうと。


 月影はトランクを片手に持ち、友子の額にそっと触れた。まもなく月影と陽向は、友子の傍らに立ち並んだ。


「佐藤さん。次に我々を目にしたとき、友子さんは目を覚ますでしょう」


 月影は背中側に居る隆弘に、振り返ることはなかった。


「……お願いします」


 と一言だけ隆弘が言った。


 それを聞いた月影は、トランクを持つ手とは逆の手を胸の前に持って行き指を立て、スッと友子に向かって指差した。すると月影の髪を止めていたかんざしの玉が光り出す。


 そして、月影の影がグニョグニョと形を崩し始め、影が友子を包み込むと月影と陽向が影に引き込まれるように光を放って消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る