第13話 先生

「なかなか面白いことをやってるじゃねぇか」


 僕の向かい側に座った南禅寺先生はそう言うとにやりと笑った。


 防爆実験施設での再実験から一週間後、僕は南禅寺先生と大学近くの喫茶店で面会していた。


 白髪交じりの長髪を後ろで結び、作務衣のような服装に足下は草履という、まるで刀鍛冶か陶芸家のような出で立ち。大学にいた頃から見慣れた先生の姿は民間に移ってもまったく変わりがない。もう初老に差し掛かる皺の刻まれた顔はしかし綺麗に日焼けしていて、その眼は未知のものに対する好奇心でいまだギラギラと輝いていた。年齢が倍ほども違うであろうこの人から発せられるエネルギーに、僕は会うたび圧倒されてしまう。


 話では今日は古都大学の白魔法学部に仕事の打ち合わせに来たついでということだった。宮廷大学の教授との面会でそのような格好が許されるというのも彼のこれまでの実績とその風格がなせる技なのだろう。


「おまえさんの推察通り、あれは10年ほど前に軍から依頼された術式の並列化に関する研究だよ。従来の範囲指定型攻性黒魔法に代わって標的指定型の魔法を並列に発動させることで、標的撃破の正確性の向上と戦力の効率化を同時に達成することを意図したものだったが……」


 先生はそこまで話すと好物のメロンソーダをストローで啜った。


「結局、術式が複雑すぎて現場で使える人間が少なすぎるって理由でお蔵入りになっちまった。いいぜ、もし、おまえさんとその共同研究者が本当に“あれ”を使いこなせるのなら、自由に使ってくれていい」


「本当ですか!? ありがとうございます!」


「ああ、帰ったら、うちのサーバーから当時作った術式並列化に関するライブラリとドキュメントを自由にダウンロードできるようにしておく。ただし、論文化する際には適度な改変を加えてくれ。そのまま使うとさすがに軍の奴らが五月蝿いからな」


 そう言うと先生は豪快に笑った。


 先生の申し出は願ってもないものだった。おそらく標的の座標指定に関わる部分はそのまま使用することはできないだろうが、それでもこれまでに先例の少ない術式並列化の骨格部分は先生のライブラリを使用させて貰うことによってほぼ解決できるはずだ。


「ところで、菅原んところの居心地はどうだい?」


 話が一段落したところで、先生はメロンソーダに乗ったアイスクリームを食べながらそう尋ねた。


「はい、とても勉強になってます。紹介して頂いた先生には感謝してます」


「ははぁん、あそこはうちと違って女子学生が多いからな」


 先生はにやりと笑いながら僕を見た。僕はなにか見透かされているような気がして、少し顔が熱くなった。


「まぁ、あのおっさんも今では温厚で真面目な教授のふりをしているが、若い頃は俺と一緒に相当な武闘派で鳴らしてたんだぜ」


「え、そうなんですか?」


 僕は菅原教授のことを思い返した。春に研究室に配属になって以来、話すのは月に一度の進捗報告のときくらいだったが、静かな物腰と時折発せされる鋭い質問は僕が想像していた典型的な宮廷大学の教授だった。


「ああ、学会の基調講演で海外から呼んだ超大御所を二人して質問でボコボコにやり込めて、後から大会長にこっぴどく怒られたりな。当時は二人とも呪研のヒラ研究員だったし、他の同世代の連中も交えて研究所近くの居酒屋でよく深夜まで議論したもんよ。これからの魔法研究についてだとかなんとか。結局、あの当時の仲間で今もこの業界で生き残ってるのはあいつと俺の二人くらいになっちまったが……」


 先生はふと目を細めて黙り込んだ。


「まぁ、同世代の仲間っていうのは貴重なもんだよ。特に若い頃を一緒に過ごした仲間っていうのはな……」


「はい」


「で、おまえさんは博士を取ったらどうするつもりなんだい?」


「まだ、そこまではなにも……」


「うちにこないか? 実は今、事業を拡大しようとしてるんだが、まともに使えそうな人間がなかなか見つからなくてな。おまえさんの能力は十分に分かってるし、やることは実際のところ、大学での研究とそう変わりはない。本来なら、今すぐ大学を辞めて来てくれてもいいくらいなんだが」


 突然の先生の提案に僕はどう返事をしたらいいかわからなかった。黙り込む僕に先生は体を乗り出しながら続ける。


「はっきり言うが、もし情報魔法学の研究を続けたいのならアカデミアはジリ貧だぜ。うちは今年に入ってからもうNGSdを新規に10台導入した。これからの情報魔法学に必要なのは金と機動力だ。大学にはそのどちらもない」


「少し考えさせてください」という僕の言葉に、「ゆっくり考えてくれればいい」と先生は答えた。


「ところで、先生。『マクスウェルの悪魔』ってご存知ですか?」


 僕は話を変えるためになにげなく先生に尋ねた。アイスクリームを掬っていたスプーンを持つ先生の手が止まった。


「急にどうした? 『マクスウェルの悪魔』といやぁ、おとぎ話に出てくる悪魔だろ。現実世界の理を歪めるとかいう」


「いや……、最近、ちょっと気になることがあって……」


「そういや、昔馴染みにその言葉を好んで使う奴がいたな。呪研時代に知り合った理論魔法学者だが、常々、『自分はマクスウェルの悪魔について研究している』って吹聴していたよ」


「どういうことです?」


「そいつの話ではな、マクスウェルの悪魔はおとぎ話の世界のものではなく現実世界に存在しているというんだ。なぜなら、この世界の理はすでに歪んでいるからだと」


「歪んでいる……」


「なんでもそいつの理論によると、この世界の出来事というものは幾多の方程式を組み合わせることによってほぼ完全に説明できるんだそうだ。ただし、ある一つのことを仮定しなければな」


「それって……」


「『魔法』だよ」


 先生はそう言うとメロンソーダのグラスに残った氷を口に流し込み、ガリガリと噛み砕いた。


「この世界の理の中で魔法の存在だけが異質なんだ。実際、俺たち魔法研究者も魔法の存在を前提としてその利用法やメカニズムを研究しているが、魔法や魔力が一体なんなのかということについては全くわかっちゃいない。これまでにもそこにアプローチしようとした人間は大勢いたが、結局、みんな刃が立たずにそのうち資金が途絶えて研究者を廃業しちまった。今ではそこに手を出すのは自殺行為と思われて誰も手を出したがらない」


「その人はどうなったんですか?」


「案の定、呪研での任期が切れて次が見つからず、そのまま研究者を廃業して田舎に引っ込んじまったよ。頭はべらぼうに切れる奴だったんだがな……、如何せん世渡りが下手だった。いや、世渡りなんてしようもないこと考えてすらいなかったんだろう。名前はなんて言ったっけな……、たしか、いま……、そうだ、今村だ。今村総士だよ。そういえば田舎は第75行政区のはずれだとか言ってたな」


 嫌な汗が出た。


 どうしてここでその名前が出てくるんだ。


 今村零士は今村総士の身内なのだろうか。


 今村総士のマクスウェルの悪魔に関する研究。僕が祇音祭りのときに聞いたマクスウェルの悪魔という言葉。このところ僕の周囲にまとわりつく今村零士の影。そして現実世界での今村零士の失踪。


 何かが繋がりそうな気がしていた。僕は以前、烏丸先輩から聞いた今村零士の研究について思い出そうとした。しかし、まったく思い出すことができなかった。


 もう一度、烏丸先輩に問い質さなければ、僕はそう考えていた。

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