第七章 闇

(1)

「さみぃなあ……」

 暖炉に薪をくべながら、ラウルは独りごちる。

 収穫祭が終わってこっち、急激に冬の気配が濃厚になってきた。空は白く、風は身を切るように冷たい。時折風に混じる風花に驚くラウルに、村人達は笑って、この辺りでは十の月半ばに初雪が降ることも珍しくないのだと教えてくれた。

 もう冬は目の前に迫っている。人々は本格的な冬の到来に向け、薪を補充したり家畜の飼料を蓄えたり、冬を無事に越すための保存食を作るのに余念がない。ラウルもそんな彼らに混じって、日々を忙しく過ごしていた。

 卵が沈黙して、そろそろ半月になる。最初の頃はラウルの心の中でそれはもう無邪気にあの声を響かせていた卵だが、収穫祭の辺りからめっきり口数が減り、そしていつしか何も答えなくなった。余りにも唐突な孵化の予兆だが、間近に迫ったその時をラウルはまさに心待ちにしていた。

 贋物が盗まれてから、卵を背負って暮らす日々から解放されたラウル。本物はともかく贋物は彼の行動を制限するほどだったが、そんな重りがなくなった反動であるかのように、ラウルは忙しく働いていた。

 村人と一緒に薪を割ったり、はたまた寒さで軽い風邪や節々の痛みを訴える村人達を往診したりと、なんだかんだで毎日を慌しく過ごしている。

 卵についている必要がなくなったから、エスタス達もあまり小屋に入り浸ることはなくなっていた。冬の間は遺跡探索が出来なくなるので、その前に行けるだけ行くのだと頻繁に遺跡に向かい、また遺跡から見つけてきた品物を鑑定してもらうために、エルドナへも向かっている。

 そして今日、エルドナから戻った彼らはラウルに、とある話を持ってきた。

「エルドナ近辺で、失踪事件が起こってるみたいですよ」

「失踪事件だ?」

「ええ、街の人間や近隣の村の人間が、何人かふらりと姿を見せなくなっているそうです。警備隊が調査に当たっているみたいですけど、まだ……」

 カイトの言葉に答える代わりに、ラウルは顎に手をやる。

「怪しい、よな」

「ええ、ちょっと気になって。ギルドの方から情報、来ないんですか?」

「ああ、それがな……」

 収穫祭からこちら、二度ほどやってきたシリンだったが、どうにも振るわない。

「今、なんか情報が来ないんだよ」

「なんだ、何かあったのか?」

「ここんとこギルドが別件で忙しく動いててさ。俺はまだ新入りだからってそっちに加えてもらえなくってよ。なんか奴らの手がかりを掴んではいるらしいんだけど、まだはっきりしたことは言えないから待てってさ。てなわけで、今は情報なし」

「別件、ねえ」

 まあ手がかりを掴んでいるというのだから、待つしかない。

「ま、このまま奴らが動く前に卵が孵ってくれさえすれば、こっちのもんだしな。また何かあったら頼む」

「ああ、任せとけ」

 そう言って窓から去っていったシリン。しかし、それからいくら待ってもシリンからの情報はもたらされず、ラウルをやきもきさせていた。

「なるほどね……。でもラウルさんの言う通り、彼らが動く前に竜が孵ってくれれば、言うことありませんよね」

「ああ、そうなんだがな」

 卵が孵る気配は今のところ全くない。声も聞こえなくなって久しく、またどんなに意識を凝らしても、卵を宿した時に感じた太陽のような輝きを察することも出来なかった。

 まるで、卵など最初からなかったのだと錯覚すら覚えるほどに、ラウルの身辺は至って平穏である。それが逆に怖い。

「で、ラウルさんの方は何か、分かったことありますか?」

 机の上に散らばった地図やら雑記帳やらを覗き込んで、カイトが尋ねてくる。

「いや、あんまりないが、これまでの目撃情報を元に印を付けてみたらこうなったんだ」

 ラウルが示す地図には、いくつかの点が打たれていた。シリンやエスタス達、そして以前ラウルに助太刀してくれた魔術士リファからもたらされた情報を元に記された印は、大まかに分けて二つの地域に集中している。

 一つは、ローラとライラの間に広がる荒野。そして、現在どうにもきな臭いエルドナ周辺だ。

 突如消えた村。目撃される不審な人物に、先ほどエスタスが言った失踪事件。警備隊の動きもいまいち悪い。まして、王立研究院と首都の守備隊を動かしたのだ。あのフォルカの宝石商だけでなく、他の力ある商人や権力者などの後ろに「影」がちらついているのが感じられる。

「そう言えば、他の神殿に協力を求めたりしないんですか?」

「ああ、ゲルク様に言われて手紙を送ってはみたが、どこも分神殿とは名ばかりの墓場ばっかりでな。この辺りで一番大きいのは、あのエルドナの分神殿だが……」

 見ると、地図上に大きくバツ印が付けられていた。

「あそこは駄目だ。返事も来ないし、前に言ったときのあの様子からして、とても協力してくれるような雰囲気じゃない。というよりむしろ、あそこも怪しいもんだぜ」

「怪しいって、まさか……!」

「ああ、もしかしたらだけどな。と言っても確証もないのに乗り込んでっても仕方ないし、表向きは特に動きもない。だからギルドに頼んで調べてもらってるんだが、その返事も来ないんだ。ギルドで何かあったんじゃなきゃいいが……」

「あの……こんなことは言いたくないんですが……」

 伏せ目がちに、カイトは苦々しく言葉を吐き出した。

「……盗賊ギルド、本当に信用出来るんですか?」

「おい、今更なにを言ってるんだ、カイト」

「だってエスタス、相手は盗賊ギルドですよ? お金さえ出せば汚い仕事もこなすような人達が、『影の神殿』の方に加担することだって、ありえないとは言い切れないでしょう?」

 ぽりぽりと頬を掻くラウル。

「まあ、確かにそうなんだが……。でも、今までは少なくともこっちに味方してくれてるんだ。頭から信用出来ないと決め付けるわけにも行かないしな」

「ラウルさんがそう言うなら……」

 まだ納得がいかない顔で、しかしカイトはその話を打ち切った。

 そんなカイトの背中をぽんと叩くアイシャ。

「信じていい、と思う」

 いつものように短いアイシャの言葉。ラウルは頷いて、再び雑記帳との睨めっこを始めた。

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