(3)

 エストにはもともと、小さいながらも歴史のあるユーク分神殿が存在した。

 古くはルーン遺跡探索者の拠点として賑わったこの村にとって、ユーク分神殿は夢半ばで息絶えた者が眠る場所であり、夢を諦め平凡な日々を選んだ者にとっては人生の終着点でもあった。

 そんなユーク分神殿の様子がおかしくなり始めたのは、悲劇の始まる五年ほど前だったという。

 旅の若きユーク神官を迎えたユーク分神殿が、次第に不穏な雰囲気を醸し出し始めたのは、その若きユーク神官の少女が神殿に居ついてしばらく経った頃だった。

 若いながらも優れた力を持ち、また温厚で心優しいその少女は、あっという間に村の人々から慕われるようになった。その人柄が評判を呼んで、分神殿にも多くの神官が集まってきたという。

 ところが。

 次第に神殿の雰囲気が荒み、村で不審な死を遂げる者が続出し始めた。それは徐々に範囲を広げ、周囲の村でも被害が出始めた頃には、すでに神殿は完全なる「影」の支配を受けていたのである。

 神殿内でも死者が続出したのは、意にそぐわぬ神官を彼らが抹殺したためだろう。そして死したはずの彼らが蘇り、村人を襲うようになる。

 そうして、少女を頂点とする「影」は村を完全な支配下に置いた。村人は死の恐怖におびえながら、彼らの監視下での暮らしを余儀なくされた。

 村への出入りも彼らによって制限され、訪れる旅人や商人に『影の神殿』の正体を明かすことのないよう、それは窮屈で苦痛に満ちた日々を送らされたのだ。

 監視の目を掻い潜り、救援を求めようとした者は全て殺され、そして物言わぬ配下に仕立て上げられる。昨日まで隣に暮らしていた者が、次の日には死人となって操られる恐怖。時折行われる儀式の度に、一人また一人と連れて行かれ、そして変わり果てた姿となって帰ってくる村娘達。

 まさに、それは恐怖の日々だった。

 エストを隠れ蓑に、活動範囲を広げていく『影の神殿』。次第にその存在は人々の噂に上り、首都の守備隊も乗り出したが、彼女らは巧みに守備隊の目を掻い潜った。

 まさに打つ手なし、と村人達が絶望に襲われていたその時、思わぬところから救いの手は差し伸べられた。


 それは、物見遊山の旅の途中という貴族の青年とその護衛達。

 しかしてその正体は、闇の神ユークに仕える神官ゲルク=ズースンとその仲間達だった。


 村を訪れた彼らはすぐに村人の置かれている現状に気づいたが、そうと気づかぬ振りをして村に滞在し、情報を集めた。それだけでは埒が明かないと見ると、ゲルクは身分を明かして堂々とユーク分神殿に乗り込み、強引に神殿に籍を置いて彼らの様子を探った。

 ゲルクがユーク神官と知り、彼を裏切り者と罵る村人もいた。仲間が襲われ、物言わぬ躯となって帰ってきた日もあった。ついには神殿を追われたゲルクだったが、仲間達と協力して地道に影に蔓延る根を絶ち、戦力を削り、儀式を妨害し続けた。

 そんな彼らの戦いぶりに奮起し、決起した村人達と共に、最後の戦いへと向かったのが、昨晩のこと。

 夜を徹して続けられた戦いは、まさに死闘と呼ぶべきものだった。

 多くの村人が、そして仲間が倒れた。たくさんの血と涙が大地を濡らし、多くの命が儚く散っていった。

 それでも。

 自分を、そして仲間を信じて戦い続けたゲルクは、ついに「影」を束ねる「巫女」と呼ばれる銀の髪の少女へと挑み、そしてゲルクの放った渾身の一撃は、少女の胸を刺し貫いた、はずだった。

 これで、終わる。そう確信したゲルクの目に映ったものは、それでも尚空虚に笑い続ける少女の姿。



 体を伝った夥しい量の血が、地面を赤黒く染めている。

 周囲を埋め尽くすのは黒い装束を纏った屍。そして変わり果てた姿の死人、その成れの果て。

 そう。この地に立つ者は最早少女と青年の二人だけ。苦しい戦いの幕はすでに閉じられたかのように見えた。

 しかし、少女は笑っている。痛みなど感じていないかのように、ただただ唇を歪ませ、青年を見据えて笑っている。

「……何を、笑う」

 そう問うた青年もまた、無傷とは行かなかった。左肩から流れ出た血で左袖は黒く染まっているし、傷ついた左足はもう、立っているだけで精一杯だった。

 それでも。青年は右手に抜き払った剣を地面に突き刺し、体を支えながら少女を見つめている。

「……それで終わりか? 若き闇の使徒よ」

 嘲るような笑みを浮かべ、少女は言い放つ。配下はすでに全滅し、彼女自身も息絶えておかしくないほどの傷を負いながら、なぜ少女は笑っていられるのか。

「終わりなんかじゃ、ない」

 剣の柄を握り締め、青年は一歩、また一歩と少女に近寄って行く。左足から流れる血が青年の足跡を刻みつけるかのように大地に染みこんでいく。

「無駄なこと。何度討たれようと、影は滅びぬ。我は永遠、不滅の定めをもつもの」

 歌うような少女の言葉に、しかし青年は歩みを止めない。そればかりか、その瞳には憐憫の情が溢れていた。

「愚かな……なんと悲しい命だ」

「悲しい? 何を馬鹿なことを……」

 思いがけない言葉に動揺を見せる少女。青年は尚も言葉を投げかける。

「そんな呪われた生を、お前は望んだというのか。限りあるからこそ美しい命を、死と恐怖を糧にただ在り続ける浅ましい命へと変えることが、お前の望みだったのか?」

「言うな!!」

 激昂のあまりぐらりと体勢を崩し、自らが流した血だまりの中に膝をつく。

「誰が望んで、このような……」

 唇をかみ締める。ぷつり、と唇の端が切れて、鮮血が滴り落ちる。

「そう、だろうな」

 ようやく少女の目の前に辿り着いて、青年はまっすぐに少女を見つめ、そして言い放つ。

「お前もまた、影に踊らされた一人。そうなのだろう?」

 少女の目が驚愕に彩られる。

「なぜ……それを……」

「本神殿にいた頃、聞いたことがある。かつて、『影の神殿』は不滅の肉体を求め、ついにその秘術を完成させたと。その秘術によって不死となった者は、決して死することなく、永遠の闇を彷徨うのだとな」

 それはユークが禁じる領域。死は尊厳すべきもの。決して逃れられない定め。それはどの命にも平等に与えられた権利。死して魂は輪廻の輪に戻り、やがて新しい生を受けて地上へと宿る。その繰り返しこそが、久遠の時を紡ぐものなのだと。

「お前はその術によって、呪われた生を得たのだろう。それがお前自身の望みだったかは知らん。しかし、結局のところお前もまた、被害者なのだな」

 哀れむようなゲルクの言葉に少女がかっと目を見開いた。

「私を……哀れむ資格があるというのか、何も知らぬお前に!」

 憎しみを凝縮したかのような少女の悲痛な叫び。その心の闇を、ゲルクは垣間見た気がした。それでも、言葉を続ける。

「確かに、私はお前のことなど知らない。ただ、お前が歪んだ闇に囚われ、もだえ苦しんでいることは分かる。だから、私はお前を解放しよう」

「お前に何が出来るというのだ。お前如きの術で、私の魂を解放することなど出来ようはずがないわ!」

 たかだか神官の身で何が出来る。そう嘲る少女。

 ゲルクは、体を支えていた剣を無造作に投げ捨てると、両手で印を結び始めた。その複雑に組まれた印に、少女の顔色が変わる。

「な、何を……まさか……」

 動揺する少女を、ゲルクは穏やかな眼差しで見つめる。そして瞼を閉じると、朗々とした声で聖句を唱え始めた。

『夜を統べる王

 闇の衣を纏いしもの

 紡がれゆく魂の守護者』

「……馬鹿な! お前如きに、そんなことが……」

 少女が叫ぶ。しかしゲルクは一心に聖句を紡ぎ続ける。

『今、この大地に舞い降り

 闇の御手にて 安らぎをもたらしたまえ

 我、闇司る神の僕

 御身を地上へと召喚し

 御身を宿す、仮初めの器とならん!』

 傷ついたその身で、残った気力を振り絞って、ゲルクは願った。

 それは、神殿に仕える中でも高位の者のみが、それも一生のうちただ一度きりだけ使うことが出来る術。魂をかけて行使する、究極の神聖術。

(ユークよ! 何とぞ、聞き届けたまえ!!)

 神官の位しか得ていないゲルクには、到底使えようもない高度な術。しかしあえてゲルクは挑んだ。自分の力を信じ、一心に祈り続ける。

「神を、召喚するだと……!!」

 震える少女の声が、どこか遠くから聞こえているように感じた。

 目の前を薄い紗で覆われたように、目に映る景色がどこかぼやける。

 そして。

 彼は少女を見つめた。

 激しい憎悪に顔を歪め、傷ついた肉体を引きずってゲルクと向かい合う少女。 しかし彼女は今、なぜか期待に満ちた瞳でゲルクを見上げている。

「お前を、呪われた生から解放してみせる」

 そう言ったのを最後に、ゲルクの意識が薄れていく。

『もういい、休め』

 そんな声が聞こえたと思った瞬間、大いなる力が彼の体に満ちて行くのを感じる。

 それは、十年以上前に聞いた、少年の声。彼に闇とは何か、と問いかけ、眠りをもたらすものだと答えた彼に、素直な奴だ、と屈託のない笑いを返した黒衣の少年。それこそが闇と死を司る少年神ユークであると聞かされた日から、彼の神官としての人生が始まったのだ。

 そして今、その人生も幕を閉じようとしている。神を宿した魂は消滅する。それほどまでに神は強大な力を秘めており、人の器では到底受け止めきれるものではない。

 だからこそ、この術は一生に一度きりしか使えない。術を使えば、成功しても失敗しても術者は死ぬ。それを覚悟して使う、まさに究極の奥義。

(しかし……悔いはない)

 やれることは全てやった。そしてこれが最後の仕事。呪われた魂を解放し輪廻の輪に戻すことこそ、ユークに仕える彼の使命。そしてその力が自分にない以上、神に委ねることが、今の自分に出来る唯一の策。

(ユークよ……この悲しき魂を……どうかお救い下さい……)

 暗闇へと落ちて行く意識の中、清廉なる青い力が彼と少女を包み込んだのを感じた。

「……これで……終わる」

 どこか安堵したような少女の呟きが聞こえたのを最後に、ゲルクの意識はそこでぶつりと途絶えた。


 そして。彼が思いがけず再び目を開いた時、少女は地面に倒れ伏していた。

 その横顔は眠っているかのように安らかで、激しい憎悪と狂気めいた笑みに彩られていた悲しい少女は、もういなかった。

 残った力を振り絞り、少女に手を伸ばす。かろうじて触れた指先からは、冷たさだけが伝わってきた。

 終わった。そう感じた瞬間、疲労感がどっと彼を襲う。

 今まで忘れていた肩や足の痛みが蘇り、その鈍い痛みに顔をしかめる。

 と、その時。村の方角から呼び声が聞こえてきた。

 次第に近づいてくる声と足音。それも一人や二人ではない、かなりの人数が、彼を目指して走ってくる。

 そして。彼を取り囲み、涙に濡れた瞳で見つめてくるのは、生き残った仲間や村人達だった。どの顔も泥と血にまみれ、疲労感に溢れていたが、その瞳には希望の光が満ちている。

「ゲルク! よかった、生きてたんだな!」

「神官様、奴を、倒したんだな……」

「あ、ああ……」

 なぜ、生きているのだろうと考える暇もなく、彼は仲間や村人の歓声に包まれる。傷ついた彼を労わりながらも、肩を叩き、手を握り、涙を流して喜びを分かち合う。

 終わったのだ。そして再び手に入れたのだ。平和を。自由を。平穏なる時を。

(ユーク様……)

 喜びに浮かれ踊る村人達にもみくちゃにされながら、ゲルクはふと遠い空を見上げる。

 いつもなら例え昼日中でも感じられる闇の波動が、微塵も感じ取れない。おかしいな、と思いかけて、ふと思い当たる。

(命の代わり、か……随分と粋な計らいだな)

 術が使えなくとも、生きていける。この村を立て直すことも、仲間や村人を弔うことも、この身一つあれば出来ることだ。

 そして、この少女。悲しき運命を背負わされたこの少女もまた、丁重に弔ってやらなければ。村人は反対するかもしれないが、死者に敵も味方もない。その命を終えた亡骸を弔うことも、ユーク神官の使命なのだ。

「し、神官様……。これで、終わったんだよな?」

 不意に、村人の一人が不安げに問いかけてきた。周囲は喜びに湧きかえっているが、その中には未だ不安を完全に捨て切れていない者達がいることに、改めて気づく。

 仲間の手を借りて立ち上がり、ゲルクは力強く頷いてみせた。

「ああ、終わった。我々は勝ったんだ!」

 再び湧き上がる歓声。そして、仲間に支えられながらゲルクは、しっかりと大地を踏みしめて歩き出した。

 まだ村に残る人々にこのことを知らせるために。

 そして、彼らと共に明日に向かって歩き出すために。

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