(5)

 夕暮れになると、広場は一転して落ち着いた雰囲気となる。

 遊び疲れた子供達は一旦家に帰り、若者達は意中の相手に思いを告げるべく、広場から離れて待ち合わせの場所へ向かう。あぶれた者は出店で自棄酒に走ったり友人相手に愚痴をこぼし、年老いた夫婦はしんみりと楽団の奏でる静かな音楽に聞き入っている。

「なんだか落ち着いちまってるな」

 少々拍子抜けした表情のラウルは、すでに使者の衣装を脱いでいた。あの衣装だとやたら注目を集めてしまうので、ゲルクに呼ばれたのを幸いに小屋まで戻り、私服に着替えた。いつもの神官服に着替えなかったのは黒づくめで暑いせいもあるが、たまには仕事を忘れて楽しめと言うゲルクのお言葉をありがたく受けたためである。実際、この格好だと一目ではラウルだと気づかれないので、久しぶりに素のままでいられて気が楽だった。

 そんな気楽な格好で、出店を覗いたり軽食を取ったりしていたラウルだったが、いかんせんささやかな祭だ。すぐに一通り見終えてしまい、レオーナの天幕に戻り、エスタス達と他愛もない会話に花を咲かせていた。

「そりゃあ、今は若者達の正念場ですから。もうちょっとすると面白いですよ。がっくりして一人で帰ってくる人と、そりゃもう嬉しそうに二人で戻ってくる人の落差といったらもう……」

 ラウルの隣で早めの夕食にありついていたカイトが、妙にわくわくした顔で答える。

「でも、この村にそんなに若いのがいたか?」

 人口百人に満たない村だ。往診で村中を回ったこともあり、大体の村人を把握したつもりのラウルだったが、若者がそんなにいたとは記憶していない。

「近隣からも来てますからね。宿も人でいっぱいですよ」

 エスタスが苦笑混じりに言う。彼らはずっと、村で一軒しかない宿屋である『見果てぬ希望亭』に寝泊りしている。すでに一年半ほど滞在しているというから、住み着いているといっても過言ではない。普段は彼らくらいしか宿泊客のない宿も、この夏祭と収穫祭だけは満室になるという。

「朝まで騒ぐ連中が多いんで、困るんですよね」

 ふられて朝まで自棄酒して騒いでる者や、恋が実ったことを祝福して朝まで飲む者など、どっちに転んでも騒がれるというのだ。

「安眠妨害」

 きっぱりと言い捨てるアイシャは、さっきからぐいぐいと氷結酒の杯を重ねている。

「アイシャ、またそんなに飲んで大丈夫ですか?」

 昼間からこっち、ずっとこの調子のアイシャに、流石に見かねたカイトが注意するが、顔色一つ変えていないアイシャは、

「大丈夫」

 と一言返して、またぐいっと杯を空にする。その様子はまるで、水か何かを飲んでいるようだ。

「氷結酒って、弱いのか?」

「強いですよ。アイシャが呆れるほど強いだけです。ラウルさんも飲みませんか?」

 普段は昼間から酒を飲まない村人達も、祭の日ばかりは別である。すでに出来上がって家に強制送還を食らっている村人もいるが、皆昼から酒を飲んでほどよく酔っている。 エスタス達も祭にあやかって昼間から氷結酒に舌鼓を打っていたが、ラウルは今まで一滴も飲んでいない。あちこちで誘われていたが、やんわりと断り続けていた。神職に就くものが昼間から酒を飲む訳にはいかない、というのが理由だが、どうやら村人の話を聞いていると、ゲルクは使者の役目が済んだ途端に酒盛りを始める人だったらしい。しかもあまり強くないので、毎年夕方前に酔いつぶれて、村人達が神殿へ運んで介抱していたというのだから、なんともまあ、とんだ使者もあったものだ。

「そうだな」

 ラウルも酒には強い方だ。アイシャのようにぱかぱかと飲まなければ酔いつぶれる心配もないだろう。

「注文お願いしまーす」

 早速エスタスが手を上げると、奥の方からぱたぱたと少年が注文を取りにやってきた。レオーナの息子、次男のピートである。今日はずっと、兄弟達が交替で店を手伝っており、小さいのがちょこちょこ駆けずり回っている姿はなかなか愛くるしい。時々お盆をひっくり返したり、注文を間違えてしまうのはご愛嬌である。

「はーい、お待たせしましたー」

 十歳になったばかりというピートだが、いつも店でお手伝いをしているせいか年齢よりしっかりして見える。

「ええと、ラウルさんに氷結酒と何かつまむものを。あと……」

「私にも」

 アイシャがちゃっかりとお代わりを頼み、酒の飲めないカイトはお茶を注文する。

「はーい、少々お待ち下さいっ」

 ぺこりと頭を下げて天幕の奥に引っ込んだピートだったが、すぐに彼らのもとへと戻ってくると、奥に座ったラウルに、

「ラウルさん、今日は卵ちゃん、お留守番?」

 と尋ねてくる。

「いいえ、連れて来てますよ」

 この質問は今日何度目だろうと思いつつ、ラウルは答えてやった。先日泥棒が入ったことはすでに村中に知れ渡っており、昼間から多くの人に同じことを聞かれている。

「えっ、本当?」

 期待のこもったピートの眼差しに、アイシャが足元からごそごそと大きな麻袋を取り出す。糸で固く縛られていた口をあけると、中にはほんのり光る卵が収まっていた。ラウルが使者の役目を務めている間、ずっと彼女がこの状態で持ち歩いていたのだ。

 おんぶ紐で背負ってもいいのだが目立ち過ぎるので、アイシャがどこからか調達してきたこの麻袋に入ってもらっていたが、意外に居心地がよかったのか卵の苦情は聞こえてこなかった。

 それからずっと、何とはなしにアイシャが管理してくれている。精霊使いだからか分からないが、ラウルの次に卵に好かれているのは間違いなくアイシャのようだった。

「うわぁ、光ってる」

 嬉しそうに卵を覗き込むピート。卵もそれに気づいているのか、静かに明滅する。

「この卵、いつ孵るの?」

 ピートの素朴な質問に、しかしラウルは答えようがなかった。

「それが分かればいいんですけどねえ」

 残念そうに言うのはカイトだ。

「そっかあ。でもでも、孵りそうになったら教えて下さいねっ」

 一生懸命なピートに、ラウルは勿論ですと頷く。と、そのピートの後ろから、

「はーい、お待たせ」

 とレオーナがやってきた。手にはお盆を持ち、しまったという顔のピートに、

「おしゃべりもいいけど、ちゃんと手伝ってね」

 と一言釘を刺す。

「ごめんなさい、お母さん」

 バツの悪そうな顔のピート。

「まあ、今はお客さんも少ないからいいけど……そう言えばトルテを知らない? さっきから姿が見えないのよ」

「姉ちゃん? さあ、知らないけどなあ」

「もうじき暗くなるってのに、どこへ行ったのかしら」

 口ではそう言っているものの、あまり心配しているような様子のないレオーナに、ラウルは、

(ははぁ……こりゃ、トルテも誰かと約束を取り付けてるってか)

 と内心溜め息を漏らす。

 と、天幕の入り口からひょい、と顔を覗かせるものがあった。

 中に入ってくればいいのに、その状態のままキョロキョロと首を巡らせているのは、村長その人である。

「あら、村長さん。誰かお探し?」

 それを見つけたレオーナに、村長はいやぁ、と頭を掻きながら中に入ってきた。

「マリオを見かけませんでしたか? さっきから姿が見えないんですよ」

「さあ、こっちには昼以降来てないけど……。誰か、見なかった?」

 レオーナの言葉に、店内にいた客がそれぞれ、首を振ってみせる。

「ラウルさん達は?」

 その言葉に、村長はようやっと店の奥にいるラウル達に気づいたようだった。おやおやと笑顔で近づいてくる。

「ラウルさんでしたか。もう着替えてしまったんですね」

「はあ……。何分、あの格好ですと目立ってしまいますんで」

「そりゃあそうでしょう、格好よかったですからねえ。ああ、ところでマリオを見かけませんでしたか? 実は家の鍵を渡しておいたんですが……」

 用があって戻ろうとしたが、肝心のマリオがいないために家に入れずに困っているのだという。

「まあ、そう急ぐ用でもないんですけどね」

「私は昼以降、見ていませんが……」

 三人組も揃って首を横に振ってみせた。彼らは昼間から、ほとんどこの天幕に入り浸っている。

「困りましたねえ……」

 ますます目を細める村長に、しかしレオーナは、

「きっともうすぐ帰ってくるわよ。今の時間にいないとなれば、相場は決まってるじゃない?」

 と村長の背中を叩いてみせた。村長は一瞬きょとんとしていたが、すぐにぽん、と手を打つ。

「なるほど、そう言えばそうですねえ。そういう年頃ですか」

 ラウルもそこで合点が行った。

(なるほど。エリナに告白してる頃か)

 この日のために精魂込めて描いたあの絵を、ようやく渡せる日が来たということだ。

「しかし、子供が成長するのは早いものですねえ」

 しみじみと呟く村長に、レオーナも腕を組んで深々と頷いてみせる。

「そうよねえ。ついこの間までよちよち歩いてたと思えば、もう恋するお年頃だなんて……こっちが年取るわけよねえ」

 ふう、と同時に溜め息をつく二人。こればかりは、子供を持つ親でなければ分からない心境だろう。

「しかし、外も大分暗くなってきましたし、やはりちょっと心配ですねえ。最近は何かと物騒ですし……」

 村長の言葉に、ラウルが席を立った。

「どうしたんですか? ラウルさん」

「ちょっとな」

 小声でカイトに答えて、ラウルは、

「ちょっと小屋に忘れ物を取りに行ってきます。すぐ戻りますから」

 と周りに告げ、そのまま天幕を出て行った。

「忘れ物?」

 唐突なラウルの行動にエスタスが首を傾げたが、村長が、

「まあ、もうしばらく待ってみますか。レオーナ、私にも氷結酒と何か軽い食事をお願いします」

 と言ってラウルが座っていた席に腰を降ろし、三人相手に他愛もない話を始めたので、話上手な村長の会話に引き込まれた三人は、すぐにラウルのことなど気にもしなくなった。

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