第四章 夏祭

(1)

「結構暑いなあ……」

 額から流れ落ちる汗を手の甲で拭いながら、ラウルは中天に差し掛かる太陽を見上げていた。

 ようやく北大陸に短い夏がやってきた。その暑さは中央大陸とは比べ物にならない穏やかなものであるが、それでも肌が焼ける程度の強い光が北の大地を照らしている。

「そんな黒い服着てるから、余計暑いんですよ」

 とは、ラウルの隣で寝転がっているマリオの談である。こちらは大胆にも上半身裸になって、太陽の光に素肌を晒している。

 なんでも、日の光に当たらないと体に悪いという考え方から、この地方では短い夏の間に精一杯日光浴を行うのが慣わしなのだそうで、

「いい季節だなあ~……」

 道を歩く女性も、袖は勿論のこと胸元や足元の露出度が格段に上がっており、ラウルの目を楽しませてくれていた。

 もっとも、露出度が上がっているのはむしろ男性陣で、うっかり見回すと汗にまみれた上半身とか、むさ苦しい胸毛などまで目に入ってしまうのは困りものだ。

「ラウルさんも上着脱げばいいのに」

 マリオに言われて、ラウルはひょい、と肩をすくめる。その格好は、この真夏だというのにいつもと同じ黒い神官服。流石に腕はまくっているが、それでも見るからに暑苦しい。

「神官さんって、いつでもそれを着てなきゃいけないんですか?」

「そういうわけじゃないけどな。俺の裸を見ていいのは、いい女だけって決まってんだよ」

「……よく歯が浮きませんね、そんなことばっかり言って」

 ジト目で睨んでくるマリオを鼻で笑い、ラウルはまた、遥か向こうを通る村の女性達に視線を向けた。

「あれ、ミゼットさんとこの奥さんだよな~。あいかわらず可愛いねえ」

 村中の女性の名前と顔はばっちり覚えているラウルである。

「お、あれは……やっぱ夏はいいなあ」

 まさに眼福、と頬を緩ませているラウルに、

「……ラウルさん。にやけてます」

 呆れた顔で指摘するマリオだったが、ラウルの視線の先に歩いている人物を見て、こちらも思わず顔を綻ばせた。

「あら、マリオ! それにラウルさんも!」

 その熱い視線に気づいたのか、少女が大きく手を振ってきた。柔らかい茶色の髪を二つに結わえ、色鮮やかな薄手の服がすんなりとした手足をうっすらと透かして、何とも言えない色気がある。

 ゲルクの孫娘エリナは、軽やかな足取りで木陰に座り込んでいる二人のところまでやってくると、不思議そうに首を傾げた。

「? 二人ともどうしちゃったの?」

「な、なんでもない!」

 ぶんぶんと首を振るマリオ。その顔が赤いのは、ただ日に焼けたせいではないだろう。

「こんなところで何やってるんですか?」

 二人が休んでいたのは、村の外に広がる大麦畑の隅。大きな木が梢を伸ばし、地面に影を落としている。

「畑のお手伝いをしていたんですよ」

 ラウルが答える。そう、こういう積み重ねがやがて大金を生み出すのだ。そうとでも思わなければやっていられない。 村長やレオーナが紹介してくれる細々とした仕事をこなしながら、今まで貯まった金は金貨二十枚ほど。日々の生活費はほとんどかかっていないとはいえ、神殿再建までの道のりは遥か遠い。

「エリナはお出かけですか?」

 ラウルの問いにエリナは首を横に振り、腕に下げた籠を示してみせた。

「出店の飾り付けに使うお花を摘んでたんです。もう明日だから!」

 籠一杯の色とりどりの花。それに負けないくらい輝いた笑顔のエリナ。祭が待ち遠しくてたまらない、そんな思いが溢れている。

「そうだよね。もう明日なんだよね」

 明日は八の月十日。待ちに待った夏祭の日である。

 村の入り口から広場までの通りには飾りがつけられ、広場の周りにはすでに、食べ物や小物を売る出店が設営されている。この日のために小規模ながらも楽団が呼ばれ、逗留している村長宅からは、妙なる音楽が数日前から聞こえていた。

 祭は正午ちょうどから始まるという。そして大人達は明け方まで酒を酌み交わし、子供達もこの日ばかりは夜更かしを咎められることもない。

「口上、暗記できそうですか?」

 心配そうに尋ねてくるエリナに、ラウルは苦笑するのを何とかこらえて、

「ええ。暗記は得意ですから、心配しなくても大丈夫ですよ」

 と答えておいた。去年まで、ひやひやしながら祖父を見守っていたエリナとしては、やはり心配どころなのだろう。

 暗記が得意なのは嘘ではない。呪文や儀礼文句は全て暗記しなくてはならないのだから、暗記が苦手では神官などやっていけないのだ。もっとも、ゲルクのように高齢になってしまえばそれも仕方のないことだ。

 その言葉を聞いて安心したらしいエリナは、そうそう、と手を打ち合わせる。

「ラウルさんの衣装、仕上がりましたから! 明日の朝一番に、持って行きますね!」

 よく見れば、エリナの両目は少し充血しており、目の下にもうっすらと隈が見えた。恐らくはここ数日、寝る間も惜しんで衣装作りに勤しんでいたのだろう。

「ありがとうございます。しかし、私の衣装にそれほど手をかけていただいて、エリナ達の衣装は大丈夫なんですか?」

 尋ねるラウル。しかしエリナはにっこりと、

「もっちろん! 私達の衣装は、お母さん達に手伝ってもらって先に作っちゃいました。だから、心置きなくラウルさんの衣装に手をかけられたんです」

 と言ってのける。仮縫い段階で、かなり手の込んだ衣装になっていることは想像できたが、果たしてたった半刻ほどの儀式のために、なぜエリナがこれほど熱を入れているのか、いまいち分からない二人だった。

 それじゃ、と言って広場に向かうエリナを見送って、二人は同時に深い溜め息をつく。

「あの熱意はどっから出てくるんだ?」

「知りませんよぉ。でも昔っからエリナ、こうと決めたら一直線に突っ走る子だからな~」

 なるほど、さすがゲルクの孫だけあって意志の強さは人一倍という訳か。

「そういやマリオ、例のものは仕上がったのか?」

 最近は外で働いたり往診したりで小屋を空けることの多いラウルに代わり、マリオがお留守番をしていた。その時間を有効に使って、例のものを完成させるべく頑張っていたようなのだが。

 マリオは良くぞ聞いてくれましたとばかりに胸を張ると、

「勿論ですよ! じっくり時間をかけましたからね。満足のいくものになりました」

 と答える。

「そうか。それなら後で見せてくれよな」

「やですよ」

 即答するマリオ。何を、と眉を釣り上げるラウルに、

「あれはエリナへの贈り物なんですから、他の人が先に見ちゃうなんて駄目ですよ」

「描きかけのは見てるんだからいいじゃねえか」

「駄目ったら駄目ですっ。そんなに見たいんなら、エリナが受け取ってくれた後に彼女から見せてもらって下さいよ」

「そんなこと言ってお前、受け取ってくれなかったらどうするんだよ」

 冗談で言ったその言葉に、マリオはがっくりと肩を落とす。

「そうなんですよねえ……」

「おいおい、情けない顔すんなよ」

 思いがけずマリオを落ち込ませてしまい、慌てるラウル。

「受け取ってくれなかったらって考えると、ほんと怖くって……。何しろエリナ、顔のいい人が一番って言い切ってるし、ちょっと僕、自信ないですよ」

 いじけるマリオに、ラウルは苦笑しながら宥めるように背中を叩いた。

「女の子はみんな、そう言うんだ。だけど実際選ぶ男となると、意外に普通だったりするんだぜ」

「……なんか、妙に現実味のある言葉ですね」

 鋭い突っ込みに一瞬笑顔が凍りつく。

(そうだよ、顔が良くたって、意中の相手を射止められるとは限らねえのが世の中さ……)

 首都では結構知られた、名うての女たらしだったラウルだが、実際浮いた話ばかりかというとそうでもない。女性に人気があるのは確かだったが、特定の女性と付き合っていたことは意外に少ない。それでも夜毎違う女の部屋で夜を明かし、朝早くに神殿に戻って待ち構えていた神殿長にこっぴどく叱られる日々を繰り返していた。

「……ま、当たって砕けてみろよ。骨は拾ってやるから」

 マリオの言葉を受け流して言うラウルに、マリオは溜め息混じりに頷いてみせた。

「何はともあれ、頑張りますっ」

 勝負の日は明日。もう迷っている暇はないのだ。

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