(10)

 夕焼けに照らされた神殿は、荘厳な雰囲気を漂わせていた。

 エルドナの街外れにひっそりと佇むユーク分神殿。死者の眠りを守る神聖なるその場所は、頑丈な黒い鉄格子に囲まれ、まるで外部の人間を拒んでいるかのようにも見える。

「なんか、陰気な感じですね」

 エスタスの率直な感想に、ラウルはこんなもんだろ、と肩をすくめる。闇と死を司る神の神殿だ、そう明るい雰囲気では困る。

 エストの村を出て三日と少し、夕日と共に街に入ったラウル達は、何はともあれまずゲルクの手紙を届けようと、この街外れまでやってきていた。

「しかし、鍵がかかってるってのはちょっと変だよな」

 神殿全体を取り囲む鉄格子の高い柵。その一部は扉になっているが、やはり硬く錠で閉ざされている。

 馬車に卵とアイシャを残し、門の前で待っていたラウル達三人だったが、誰も出てくる気配はない。仕方なく辺りを見回すと、呼び出し用らしい小さな鐘が目にとまった。

「……鳴らすぞ」

 その鐘を鳴らしてようやく、鉄格子の向こうに建つ神殿の扉が開き、一人の男が応対に出てきた。

 その腰紐の色で、彼が司祭の位に就く者であることが分かる。もしかしたらお目当ての人物かと一瞬思ったが、それにしては少々若すぎたし、どうにも陰気な雰囲気で、ゲルクから聞いていたバルトス司祭の印象とは違う。

 そんな司祭は鉄格子の扉を開けもせず、格子越しに彼らを一通り見回してから、ようやく口を開いた。

「ユーク分神殿にご用かな」

「こちらに、ヨハン=バルトス様はおられますか?」

 丁寧に尋ねたラウルに、しかし司祭は、

「生憎だが、バルトス司祭は亡くなられた」

 と言ってくる。それも、まるで感情のこもらない冷ややかな言葉でだ。 ラウルは眉をひそめつつ、冷静を装って尋ねた。

「亡くなられた? それはいつのことです」

「およそ二月ほど前のことだ。さあ、用がないならお引取り願おう」

 そう言ってさっさと踵を返す司祭に、慌てて制止をかける。

「ちょっと待って下さい。バルトス司祭様へと預かってきた手紙があるんです」

 懐から取り出した手紙を差し出す。しかし司祭はそれを一瞥しただけで、受け取ろうとさえしなかった。

「預かることは出来ない」

「ちょっと、なんですかそれ! こっちはわざわざ……」

 ラウルよりも早く、横にいたカイトが食って掛かろうとして、エスタスに止められる。

「落ち着け、カイト」

「だって!」

「おい、ちょっと待てよ」

 えっ、と隣を見るエスタス。そこに佇むラウルの顔からは、先程まで被っていた猫が完全に拭い去られ、怒りの表情を隠そうともしていない。

「何かね?」

 澄ました顔で振り返る司祭。その表情には、態度を変えたラウルに対する侮蔑の表情がありありと見えた。このごろつきが、と言わんばかりだ。 こんな相手に猫を被るなど無駄もいいところだ。本当なら手紙を渡しがてら挨拶をするつもりだったが、名乗る気も失せた。名乗りさえすれば、ラウルは曲がりなりにも同じ神に仕える神官であるから、そう邪険に扱われることはない。しかし、そうまでしてこの慇懃無礼な司祭と長々話したいとは思わなかった。

「これはバルトス司祭の古い知り合いから預かったもんだぜ。墓前に供えるだけでも構わないし、どうしても受け取ってもらえないってなら、せめて家族か誰かに――」

「礼拝の時間ゆえ、墓参は遠慮願おう。それに、バルトス司祭にはご家族はおられない。では失礼」

 言うことだけ言って足早に去っていく司祭。まるで取り付く島がない。その後姿が神殿の扉の向こうに消え、がちゃんと鍵のかかる音がしてから、ラウルは盛大に舌打ちをした。

「なんだありゃ、偉そうに」

「ほんとに頭に来ますね!」

 憤慨するラウルとカイトをまあまあ、と宥めて、エスタスは二人を馬車の方まで引っ張っていく。扉の前で悪態をついていたら、またいつ、さっきの司祭が出てくるか分かったものではない。

 一方、馬車で三人を待っていたアイシャは、彼らの顔を見るなり無表情に肩をすくめてみせた。

「嫌な感じ」

 そう言っている辺り、どうやら彼らの会話が聞こえていたらしい。

「珍しく、アイシャに同感だな」

 馬の首を撫でながらエスタス。普段温厚な彼もまた、憤りの表情を浮かべている。

「でも、どうしましょうか……」

 ラウルを窺うカイトに、ラウルはふん、と鼻を鳴らしてみせた。

「仕方ないさ、死んでるってんじゃな。しかしせめて、墓参りぐらいさせてくれたっていいだろうに」

 ユーク神殿の墓地は、いついかなる時でも開放されているはずである。それを礼拝の時間だと突っぱねるのは、ラウル達を神殿内に立ち入らせたくないための方便か、それとも……。

 と、神殿の扉が開いて、まるで追い立てられるように出てくる親子連れがいた。

 格子の扉を開けて、さあ出て行けとばかりに立っている神官に何か話しかけるが、神官は首を横に振る。うなだれて格子のこちら側へ出てきたのは、若い母親と小さな子供だ。二人して名残惜しそうに神殿を見つめるも、扉は無情にも閉められる。

「おかあさん、もうちょっとおとうさんとお話したいよう」

「ごめんね、お祈りの時間だからもう駄目なのよ。さ、帰りましょう」

「やだやだぁ~」

 駄々をこねる子供を困ったように宥める母親。まだ年端もいかない少年は、納得いかない様子で頬を膨らませている。

「まったく、酷い話だよ」

「そうだよなあ、いくら礼拝の時間だからって、参拝者を追い出すなんて」

「以前はこんなことはなかったんだがねえ。神殿長様が替わられて、急に雰囲気が悪くなったというか……」

「へえ、そんなこと……って、誰だ、あんた」

 ぎょっとして横を見ると、いつからそこにいたのやら、手に箒を持った老婆が親子連れを見て溜め息をついている。一方、まだ駄々をこねている子供を抱き上げて歩き始めた母親は、ラウル達に気づいて申し訳なさそうに頭を下げてきた。

「すいません、騒がしくしてしまって……」

「いえ、お気になさらず。あの……お墓参りですか?」

 カイトの言葉に、母親は寂しそうな顔で答えてくれた。

「ええ、一月前に主人を亡くしまして……。それから毎日のようにお参りに来ているんですけれど、あまり長くはお参りさせてもらえないんです」

「あの新しい神殿長ときたら、慈悲の心がすっかり欠けてると見える。どうしてあんな人間が神殿長になったのか分からないよ」

「まあ、おばあさんったら」

「あんただってそう思ってるだろう? バルトス様の時はこんなことなかったんだからさ」

 憤慨する老婆は、どうやら近所の人間らしい。この親子とも顔見知りなのだろう、抱っこを嫌がる子供が母親の手からすり抜けて地面に降り、老婆に走り寄ってくるのを、慣れた様子で抱きとめて頭を撫でている。

「ばあさん、その新しい神殿長ってのは、どんな奴なんだ?」

「さっきあんたらを追い返したあのいけ好かない男さ。二年前くらいからこの神殿に仕えてるんだが、どうにも陰気臭くて人当たりの悪い男でね。バルトス司祭様が急にお亡くなりになって、事もあろうにその司祭が後任の神殿長に収まったんだよ。それからどうも雰囲気が変わっちまってね。バルトス様は温和で気さくな方だったから、評判が良かっただけにねえ」

「なるほど……」

 まあ、長が変われば神殿の方針も変わる。仕方のないことかもしれないが、何か気にかかった。

「ところで旅人さん達、さっきバルトス司祭宛の手紙を預かってるとか何とか言ってなかったかい?」

「なんだ、聞いてたのかばあさん。ああ、俺達はエストの村から来た。村のユーク分神殿に仕えるじーさんから手紙を預かってきたのさ。なあ、バルトス司祭には家族がいないって、ほんとなのか?」

「ああ、本当さ。生涯独身を貫いた方だったからね」

「そうか……それじゃやっぱり、持って帰るしかないな」

「でも、おかしいですよね」

 唐突にカイトが言い出す。

「何が?」

「だって、ゲルク様とそのバルトス司祭様って、古い知り合いで、お互いユークに仕える方でしょう? だったら、そのバルトス司祭様が亡くなったことくらい知らせてくれてもおかしくないと思いません?」

「まあ、確かにそうだな……」

 いくら分神殿同士の交流が乏しいとはいえ、五十年来の友人で、普段からも手紙のやりとりをしていた相手である。それが神殿内に知られていないとも考えにくいし、相手は曲がりなりにもエストの分神殿長だ。訃報くらい伝えてくれてもいいはずなのだが。

 と、その疑問には老婆が答えてくれた。

「ああ、それはみーんな怒ってるさ。何しろ急に亡くなられたと知らされた挙句、葬儀はすでに神殿内で済ませたからといって、親しい人間も参列させてくれなかったんだからね」

「なんだって?」

 思わず目を見張るラウル。そんなことがあっていいはずがない。いくら家族がいないと言っても、神殿長たる者の葬儀を勝手に済ませるなど、前代未聞である。

 葬儀は故人を偲ぶ儀式。そして、決別の儀式でもある。生きる者の未練を、そして死したる者の未練を絶ち、天上へと死者の魂を送り出す。そうして初めて、命は輪廻の輪に戻り、いつしか地上へと生まれ落ちる日まで、安らかな眠りにつくことが出来る。それを内々で済ませるなどということは、まず考えられない。

「お兄ちゃんたちも、お話しにきたの?」

 唐突に、少年が会話に混ざってきた。どうやらラウル達に興味を持ったらしい。

「ううん、違うんだ。お手紙を届けに来たんだよ」

 子供教室の先生だけあって子供慣れしているカイトが、屈み込んでそう答える。

「ふうん、そうなんだ。僕はね、おとうさんとお話ししにきたの。おとうさんはね、ここで寝てるんだって。ずーっと起きないの。だから僕、毎日来て色んなこと話すの。でも、すぐにもう帰りなさいって言われるんだよ。なんでかな?」

 たどたどしい言葉から、少年の寂しさがひしひしと伝わってくる。

「えっと、それは……」

 言葉に詰まるエスタス達。と、ラウルがカイトに倣って少年の前にしゃがみ込むと、顔を近づけて言った。

「あのな坊主。お父さんは今、あそこで神様とお話してるんだ。神様って分かるか?」

 思いがけないラウルの言葉に、エスタス達が目を丸くする。

「分かるよ。この世界を作った、すごい力を持ってるひとたちのことだよね。おとうさん、そんなえらいひととお話してるの? なんで?」

「そりゃ、お前のお父さんがいい人なもんだから、神様に気に入られたんだ。お話はものすごく長くかかるし、お前が横から話しかけたりすると、気になってちゃんとお話できないだろ? だから、今はお話が終わるのを待つんだ。できるか?」

 しばし考え込んだ少年は、こくんと頷く。

「うん、できる!」

「それじゃ、お父さん達のお話が終わるまで、お母さんと一緒に毎日楽しく暮らすんだぞ。そうしたら、楽しかったことなんかを後でいっぱいお父さんに話してやれるだろ」

「分かった!」

 笑顔を浮かべる少年。その手をぎゅっと握り締めた母親は、笑顔でラウルに頭を下げる。それにそっと頷いてみせるラウル。

「さあ、おうちへ帰りましょう」

「うん! じゃあね、お兄ちゃんたちとおばあちゃん!」

 元気よく手を振って、仲良く手を繋いだ親子は家路につく。その姿が街中に消えていくのを、ラウルは穏やかな瞳で見つめていた。

 夕暮れが街を染めていく。石畳に踊る親子の影が彼方へ消えると、それを追うように夜の帳が街を覆い始めた。

「僕、感激です!」

 そんな声に振り返ると、カイトが目を潤ませていた。その隣ではエスタスとアイシャが珍しいものを見たような顔をしているし、更には老婆まで、

「ほほぉ、あんたまるでユークの神官さんのようなことを言うねえ」

 などと感心している。

「そりゃどーも」

 ラウルは照れ隠しのように頬を掻きながら 受け取る相手のいなくなった手紙を荷物の中にしまい込んだ。エストに帰ったら、事情を話して返すしかない。なんとも気の重い話だが仕方ないことだ。それを聞いたゲルクが驚きのあまりぽっくり行かないか心配だ、などと不謹慎な思いが脳裏を掠めたが、あの強心臓なゲルクのことだ、そんな心配は無用だろう、とすぐに考え直す。

「さて、それじゃ僕達も行きましょうか。宿を探さないとね」

「そうだな」

 馬車に乗り込むエスタスとカイト。明日はルファス分神殿から鐘を借り受け、エストへと戻ることになる。 ラウルも続いて乗り込もうとして、ふと神殿を振り返った。

 夕闇迫る神殿は、どこか空虚な雰囲気を漂わせている。それが何故か不気味に感じてならない。もともと闇と死の神を奉る場所ゆえに、近づき難い印象を与えるユーク神殿だが、同じユーク信者のラウルから見ても、ここは何か違う。そう感じさせる雰囲気があった。

(……いや、気のせいだよな、きっと)

 そう自分に言い聞かせて、ラウルは馬車へと乗り込んだ。

「それじゃあな、ばあさん。あんたも早く家に帰りなよ。夜風は体を冷やすぜ」

「ああ。そっちこそ、早く行かないと宿の部屋が埋まっちまうよ。急ぐんだね、旅の人」

「そうするよ」

 言いながら、卵の隣に座り込む。それに気づいたらしい卵が喜びの鳴き声を上げていたが、ひとまずは無視をした。

「さ、行こうか」

「はいっ」

 エスタスが手綱を取り、馬車はゆっくりと動き出す。

 今夜はとにかく、あの胸くそ悪い神官のことなど忘れて、この気のいい三人組と飲むに限る。

「腹減ったなあ」

 呟くラウルに、卵がぴぃ、と相槌を打ってみせた。

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