第2話「勘違いした恋煩い」
土曜の午前授業はつつがなく終了。だけど、残念ながら沙織と話すことは出来ずじまいだった。さすがにこのまま帰る訳にもいかない。沙織のクラスへと顔を出そうと教室を後にした。丁度その時だった。
「桐原先輩」
「え?」
一人の少女に呼び止められた。沙織にも引けを取らない美少女がそこにいた。沙織に比べると少し小柄だが、クリッとした黒眼と大和撫子を連想させるような長く伸びた黒髪は僕の足を止めさせるに十分だった。
「あの……」
でも、僕はその子のことを知らなかった。ネクタイの色からして後輩なのだろうが、なにより僕のことを認知しているというのが驚きだった。第一、名前まで知っていたのだ。僕は、こんな美少女に目をつけられるような学校生活は送っていないはずなんだが。
「あの、桐原先輩。お話があるんですが、お時間よろしいでしょうか?」
「別に構わないけど」
ついそう答えてしまったが、そういえば沙織に話をしなければならないんだった。
思い直して断ろうとしたのだが、安堵の表情を見せる彼女を前に、やっぱりごめんなどと言えるわけもなく、
「場所を変えても?」
彼女の言葉に肯定の意思をみせるしかなかった。
そのまま、どこに連れて行かれるのかと思いきや、行き先は別館四階の空き教室だった。
今は使われていなく、そのため手入れも行き届いていないのか、器材の山に埋もれたその部屋は埃とカビの匂いで包まれている。気分がいいような場所ではなく、正直早くこの場を後にしたかった。
「あの、桐原先輩。すいません、こんな場所につれてきて」
「あ、いや、そんなことは」
めっちゃある。他の場所じゃダメだったのかよ。
「あの、私のこと、覚えてますか?」
「……」
そういうことを聞くのはどうかと思う。覚えてますかと聞かれて、覚えてないと言うのはどうにも失礼な気がしてならない。かといって、適当な名前をいう訳にもいかないのだ。はたして、どう答えるのが正解なのか。
「ごめんなさい、こんな質問。……覚えている訳ないですよね」
「……ごめん」
そんなふうに謝られると、急に僕が悪かったような気がしてきてしまう。まあ、全く非がないといえば嘘になるか。
「私、小鳥遊奈央っていいます。中等部の時に転校してきて、桐原先輩に助けてもらって……その、あの。覚えていませんか?」
「……ああ!」
思い出した。そうだこの娘、前に一度だけ話したことがある。
たしか、あれは中学三年の秋ごろだったろうか。随分と変わった時期に転校してきた女の子がいた。第一、こんな田舎に引っ越してくる人自体まれで、一時期は注目の的になっていた気がする。それでもやっぱり小さい頃からの顔見知りばかりの学校で、新参者への接し方が今一分かっていないという状況だった。
しかも、その転校生が可愛かったことも手伝ってか、周りは近寄り難そうに距離をおいていった。
その時も、僕はただ傍観者であり続けていた。転校生などに興味はなかったし、いくら可愛くてもそれが周りのはやし立てる存在だというだけで、僕はかかわりを持とうとしていなかった。
そんなある日の放課後。僕は、転校生が階段で一人寂しそうにしているのを見かけたんだ。あれは、理科棟の螺旋階段だった気がする。
「どうしたんだよ」
なぜだか、僕は話しかけていた。きっと魔が差したんだ。
「私、みじめですよね」
「……どこが?」
本気でそう思った。彼女のどこがみじめなのか、僕にはさっぱりわからなかったから。
「馴染めなくて一人ぼっち。可愛いなんて褒められて、舞い上がっていたからですかね」
「……」
なんでそんなにも周りと仲良しごっこがしたいのだろうか。確か、そんなことを思った気がする。
「一人でいるのは別にみじめなことじゃないよ。必死に仲良くしようとしている人の方が、余程滑稽だと思う」
「え?」
別に慰めるつもりはなかった。でも、僕の方を見上げてきた転校生に、つい何か言いたくなってしまったのは事実だった。思いのほか可愛かったことが理由の一つであるというのもあながち間違いではないと思う。
「顔色ばかりを窺って、自分を押し殺し続けているんだよ、集団っていうのは。だから、別に一人でいることがみじめだなんて、そんなことはないよ。自分がいいと思えれば、それでいいんじゃないかな、たとえ一人でも。それでも、集団に溶け込みたいなら、周りを知って合わせればいい。そんなの、正しいとは思わないけどね」
普段では考えられない程に喋ったからだろうか。何となく気恥ずかしくなって、そのままその場を後にした気がする。名前になんて興味はなかったし、知りたいと思ったわけではなかったのだけれど、転校生がどうなったのか少し気になって、様子をうかがっていた。
結局、転校生は学校に溶け込んでいった。持ち前の明るさと気さくな性格。勿論、容姿も助けになったのだろう。
そんな姿を見て、自分がした行動が馬鹿らしく思えてきたものだ。所詮、他人。なのに、僕は何を言っていたのだろう、ってね。
その転校生が、今、目の前にいる少女。小鳥遊さんってわけだ。
「思い出していただけましたか。よかったです」
だけど、それと今の状況はあまり関係があるとは思えない。だいたい、助けたっていうのも身に覚えのない話だ。あの時はまだ何も知らなくて、自分が逃げていることを自覚もせずに、価値観を押し付けただけ。きっと、迷惑だったに違いない。
「それで、何か用なのかな?」
とにかく、ここにこうして連れてこられた理由はサッパリわからなかった。
「え、えと。私、あの時の言葉に勇気づけられたんです」
小鳥遊さんは頬を赤らめながら、そう切り出した。
「私、親の都合で引っ越してきて、どうしても馴染めなくて。そんな私のことを、桐原先輩は、みじめじゃないって言ってくれて。それが、とっても嬉しかったんです」
「……そうなんだ」
わるいけどこの娘の気持ちが全くわからない。僕はただ、気持ちを押し付けただけなのに。
「自分がいいと思えばそれでいい。私、この言葉を頼りにここ数年間学校生活を送ってきたんです」
「……それは、うん、まあ、えと」
随分と壮大な話だな。
「私は、やっぱり友達がほしくって。でも、自分がいいと思えばいいんだって、臆せず話しかけるようにしたんです。そしたら、溶け込めて。桐原先輩のおかげです」
「……おかげということはないと思うけど」
だめだ。どうにも、何て返したらいいのか見当もつかない。
「それで、あのっ! ありがとうございました」
「あ、うん」
どうしよう。とにかくこのままじゃ失礼だよな。何か言わないと。
「僕なんて、ずっと一人でいるだけの臆病者だよ。そんな褒められるような人間じゃないよ」
「そんなことないです。いつも一人でいて、凄いなって思いました。自分がしっかりしていて、私にはとてもまねできないなって。あの、それに、かっこよくて……」
「……そんなことは、ないと思うけど」
何か、馬鹿にされているような気さえしてきた。いや、そんなつもりがないのは重々わかっているんだけれども。
「あの、失礼かと思うんですが、いつもいる、あの、秋本先輩は、その、……彼女さんですか?」
「へ? あ、いやいや、違うよ」
いきなりどうにも素っ頓狂な質問に、つい変な声で答えてしまった。いけないな、これは。それに、あまり否定するのも沙織に失礼だ。
「それじゃあ彼女さんとかは」
「いないよ」
こんな僕に彼女がいる訳がないだろう。第一、学校どころかクラス内ですら僕を認知している人間が数少ない。因みに、彼女さんとかの、〝とか〟の部分は何なのだろうか。
というより、この娘はなぜそんなことが知りたいのだろう。
「あの、それでは桐原先輩。あの、私と……お付き合いしてくださいませんかっ!」
「……え?」
さて、これは何の罰ゲームなんだろうかと、つい考えてしまった。仕込んだのは佳奈あたりだろうか。それならこの状況もうなずける。だけど、ここまで名演技の役者を送り込むのは佳奈らしいやり方じゃない。
それに、何より僕の反応を待つ彼女の姿が可愛かった。それはきっと、嘘でない証拠なのだ。
なのに、何でだろう。僕にとっても悪くない話、いや、いい話のはずなのに。
僕は素直にうなずけなかった。
「あの、やっぱり、私じゃダメですよね」
「いや、そんなことは」
僕の無反応から何を感じ取ったのか、小鳥遊さんは自ら僕に最後の確認をとってきた。それでも僕は、はぐらかすこと以外出来ない臆病者。きっとまた逃げようとしていた。それに気づいても、僕の口は開かなかった。
「それじゃあ、その、明日、お出かけしましょうよ!」
「え?」
「デ、デートですよ」
そんな小鳥遊さんの提案は、僕の心を安心させた。でも、これは一時的な逃げ場でしかない。そんなことはわかっていた。
「私のことを知って、それからでないと答えは出ないと思うので。明日の朝十時に駅前で待ってます! それでは、失礼します!」
「あ……」
僕の答えも聞かずに部屋を飛び出していく小鳥遊さん。一人残された僕は、はたしてどうしたものかと首をひねることしかできなかった。
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