第五章「僕の心と君の気持ち」
第1話「僕の決別」
坂本千秋の言葉を学校側に伝えても、まともには取り合ってもらえないだろう。それに、そんなことをしてもまた茜を傷つけるだけだ。それを理解したうえで坂本千秋は僕に話したのだろうし、事実そのとおりだろう。僕自身そんな方法をとるのは間違いだと思ったし、嫌だった。
坂本家にはあの後、電話をかけた。だけど、母親に逆に謝られてしまった。察しはつく。いじめは良くないけど、絶対にうちの娘にも悪い所が多々あったはずだから。そう言われてしまった。それについ、僕は返した。自分を突き通しただけだと思います。本人が納得しているのなら、僕達が善悪をつけることはできません。
自分の偉そうな言動に気付き謝るが、坂本母はあまり気にしていないようであった。
茜の中学校での問題は、いじめという点について解決していない。それについては学校側が、どういった形であれ収束してくれるはずだ。でも、きっと茜自身の精神はそう簡単に癒える状態ではない。
昨日、僕が作った夕飯を自室でではあったが食してくれたことに安心つつ朝を迎えた。
強い決意と共に茜の部屋をノックするが返事はない。
「茜?」
やっぱりまだ話したくないのだろうか。一人寂しく一階へ降りると、いつものようにダイニングテーブルに朝食が用意されていた。
「……おそかったか」
いや、茜が顔を合わせたくないのならこれでよかったのかもしれない。
茜は先に学校へ行ったらしい。それは今の僕にとって、朗報以外の何物でもなかった。今日登校するのは結構な勇気がいるはずだ。
でも、単純に学校へ行く気力があったのだと思うのは危険か。
一回不登校になると、学校での立ち位置が極端なものとなる。だから、登校したのだというふうにも考えられる。いや、茜の場合その可能性の方が高いんじゃなかろうか。何よりも、自分を守ることが茜にとっては重要なのだから。
朝食を済ませ僕は家を出た。自分で鍵を閉めてでたのなんて初めてだった。
気分に反して学校への足取りは重くなる。いや、別に気分がいいわけではもともとなかった。
自分が出来ることは何なのか。自分の行動はどんな意味があるのか。未だにそんなことを考えてしまう。でも、自分がしようと思ったことが納得出来ることならそれでいい。勇気を出すために、やるべきことを成す為に偽善を並べるのは、手段の一つとして間違ってはいないのだろう。
でも、勘違いしちゃダメだ。僕の感情は、僕が行動し納得するためのものだということを。他人への善意は優越感に浸る為のものだということを。
彼女も言っていた。人間はそんなに出来た生物じゃない。
自らの考えを持ったって、感情というものを理解したって、結局それも動物的な本能を論理的に言い訳するためのものでしかないんだ。自分が大事なのは当たり前だ。なら、その上で納得する自分になればいい。
でも、それはきっと難しいことだ。そんなことが簡単に出来るのなら、悩みなんてないはずだ。僕も、茜も、きっと沙織だって壁にぶつかり続けてる。結局は、その壁を乗り越えようとするのか、避けて通ろうとするのか。そこがきっと違うんだ。
視界の前方で揺れている青みがかった黒髪ポニーテール。その存在もまた、僕にとっての壁なのかもしれない。なら、
「沙織っ!」
何かしなくちゃ壁を乗り越える方法は解らないはずだ。
「……基?」
足を止めた沙織が僕に見せたものは驚愕の表情だった。
「……」
何を言おう。何を言うのが正解なんだろうか。いや、僕の言いたいことは何だ。
沙織に伝えたいことは何だ。分からない。そこまで、自分を理解することは出来ない。でも、きっと謝罪の言葉じゃない。そう、僕は彼女に嫉妬しているのだから。自ら負けを認めることが、正しいのだとしても、できるわけない。だからと言って逃げてちゃ変わらない。感情をただぶつけるのは甘えているのと同じだ。今は甘える時でも頼る時でもない。かといって、特別なことを言う必要もない気がした。
「おはよう。沙織」
きっと、これだけでいい。今はこれだけで、大丈夫だ。
「……基。お、おはよう」
度肝を抜かれたような沙織の顔を見ているだけで、何故か勝ち誇った気分になれるのだから。
僕が歩き出す。沙織も歩き出す。歩調を合わせて一緒に登校する。言葉は一言も発さない。何か、独特の空気がそうさせた。気づくと学校についていて、無言の時間だったはずの登校がとても短く大事な、大切な時間だったように感じられた。それは、きっと僕と沙織の間にあった壁。いや、違うな。僕が、自分で作った沙織との壁。それを自ら壊したからだろう。
壁がなくなったからといって、僕が成長したわけじゃない。だから、きっと沙織にはこれからも心配されるだろうし、頼らなきゃならない時も、甘えてしまう時もあるかもしれない。でも、彼女は言っていた。心境の変化は見える世界を全く違うものへ変えると。進むことを選べば、新たな僕が歩くべき道を見つけられるはずだ。
「それじゃ」
「……うん」
前に同じ言葉を言った気がする。その時は逃げの言葉だった。でも、今は違う。いや、僕が違うと思いたいだけかもしれない。でも、それでもいいじゃないか。僕は変ったのだ。他人がどう言おうと僕は自分でそう暗示をかけ続ける。逃げる為でなく、進むために。
そして……
「優越感……。偽善の自己犠牲。いいや違うか」
この世界すら僕の気分に合わせてもらう。
坂本千秋が言っていたことは本当だ。僕は彼女が言ったような人間だ。きっと、このまま自分を貫き続けたら坂本千秋のようになってしまうのかもしれない。それでも、きっとそこには違いがある。
僕は茜の兄だ。ならきっと、自分自身がそんな人間になることを納得しない。どんなに弱くても、小さくても、兄としての自分が納得しない。僕の納得はきっと承認だ。僕の承認欲求がこうさせる。だから、茜に兄として。沙織に同い年として。そして、咲良に僕として。認めてもらうまでは、きっと僕が僕を認めない。
僕は自己評価が甘いから。自分を簡単に認めようとするから。それでも僕は僕だから。だから僕は今日、あのいじめに対して僕をぶつける。何があっても絶対に。
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