第3話「逸らした瞳」
きっと、父さんや母さんがいたのなら、どちらかが呼ばれていたのだろう。連絡が付かない為に僕が呼ばれたらしい。そう茜の担任は言っていた。
案内されるまま生徒指導室へ足を運ぶ。つい二年前まで通っていた校舎なのにもかかわらず、どこか全く別の場所のように感じられた。
「どうぞ、こちらにおかけください」
「失礼します」
既に用意されていたパイプ椅子に座る。長机を挿んだ対面に、茜の担任が腰かけた。
「それで、あの」
はたしてどう切り出すのが正解なのだろう。僕が困惑したまま口ごもっていると、茜の担任が優しい声音で説明を始めた。
「坂本千秋という生徒をご存知ですか」
「……はい」
その名前には聞き覚えがあった。僕がこの中学校にかよっていた頃、何度か顔を合わせたこともあったはずだ。茜の友人だったと記憶している。
「今回、桐原さんがけがをさせてしまった生徒というのが、その坂本さんなんです」
「……」
無言で言葉を待つ。何を言えるわけでもないし、余計なことを考えられるほどの余裕もなかった。
「今回の件でわかったことなんですが、坂本さん、クラスでいじめにあっていたらしくて。桐原さんは、いじめをしていたグループの一員だったらしいんです」
「……本当ですか?」
「はい」
信じられない。しっかり者で頼りになって、いつも元気を振りまくような、そんな笑顔を見せてくれる茜が、いじめをしていただなんて。
ふと、田中さんをいじめていた女生徒たちの姿を思い出した。その光景に、茜はどうやっても当てはまらない。何かの間違いなんじゃないのだろうか。でも、事実がしっかりしていないことをこうして話すとも思えない。
「いじめは、二年生の後半ごろから始まっていたらしいんです。桐原さんの家庭での様子はどうでしたか?」
「……」
なんて答えたらいいのか全くわからなかった。ありのままの茜を伝えようと思ったが、それがどんなものなのかと問われると言葉に詰まってしまう。
「とても明るく振る舞っていました」
きっと表面的な部分でしかない。でも、今の僕が言えることなんてその程度だった。
「そうですか」
「……はい。あの、それでケガというのは?」
茜が感情に任せて暴力を振るうとは考えにくい。いや、僕が勝手にそう思いたいだけなのかもしれない。でも、茜はそんな人間じゃないはずだ。
「いえ、少し擦りむいた程度でたいしたことはないんです。ただ、それを見ていた先生が桐原さんが坂本さんを突き飛ばしたって言ったもので」
「……」
突き飛ばした。その単語はあまりにも茜に不釣り合いな気がした。まだどこかで、何かの間違いなんじゃないかって思っている。でも、そう思い続けても、その希望は茜の担任によって軽々と消し去られた。
「いま、生徒指導の先生が桐原さんと坂本さんの話しを聞いているはずです。この後、桐原さん本人の話しも聞いてみて、相手方の親御さんに電話をいれてください。あまり大事にはしないほうがいいと思いますので」
「はい」
その後、担任は学校での茜の様子を話してくれていたようだ。普段は真面目だった。とか、こんなことするとは思えなかった。とか、そんな言葉を聞いた気はするが、頭には入ってこなかった。
これも、僕が招いたことなんじゃないかと思った。ずっと一緒にいたのに、僕は茜の変化に何一つ気付いてやれなかった。最近の様子に何かを感じていれば、もしかしたら少しでも何かが変わったのかもしれないのに。僕は結局、無力だ。何もできない。何も知らない。何も理解できない。僕が見ていたのなんて表面だけで、内を見ようとはしなかった。
だから、僕には成長がない。
何も成し遂げられず、それどころか自分の無力さを突き付けられる。前の僕だったらそんなことも考えなかったかもしれない。今は、その事実をしっかりと認識できるようになった。けど、僕はこれ以上どうにもできない。これが、僕の限界なんだ。
茜の担任が話しを終えると僕は部屋を出た。来た時に使った来客用の玄関で、高校指定のローファーに履き替えていると、正門を出ようとしている茜の姿が目に入った。
「っ!」
気付けば僕は走っていた。こんな僕が茜にかけられる言葉なんてないのに。何かをしてもらってばっかりだった無力な僕が、茜にしてあげられることなんて、なにもないのに。無策で僕は茜の元に走った。
「茜っ!」
「っ」
正門を少し出たあたりの、はずれにある小道でようやく追いつく。僕の声を聞いて茜の身体がこわばったのを見逃すことはできなかった。
「……」
茜は立ち止まったままこちらを向こうとはしない。このままじゃ埒が明かないことはわかっているが、だからといって回り込むほどの勇気はなく、僕もまた無言で立ち尽くしていた。このままじゃいけない。きっと、何かを言わなきゃいけない。でも、膝が笑って動かない。口は開く事を拒否していた。
「……茜」
駄目だ。ただ、名前を呼んだって意味なんかない。そう、思っていた。
「茜ちゃんっ!」
「っ!」
僕の背後から聞こえた少女の声に、茜は振り返った。その目は恐ろしいものでも見たかのように驚愕と恐怖に染まっていた。
僕の後ろ。そこに立っていたのは坂本千秋。いじめの、茜のおこなった行動の被害者である少女だった。ボブカットをさらに短くしたような黒髪からは汗が滴っていた。そんなに必死で追いかけて来たのだろうか。そういえば、茜も何かに怯えてそれから逃げるように歩いていた気がした。少し遠回りになるはずのこの小道を使ったのも、そのためかもしれない。
それはそうだろう。このタイミングでいじめていた相手に会いたいなんて思うはずがない。だが、それは被害者側も同じ、いやそれ以上のはずだ。また、何かされるかもしれない。そんな恐怖は普通拭えないものだろう。なのに、坂本さんは茜を追いかけて来て、呼び止めもしたのだ。茜にとって、精神の許容量を超える出来事としては、十分なものだっただろう。
「あのね、茜ちゃん。えと、あのさ……。私わかっているから。茜ちゃん、いつもいじめが悪化しない様に歯止めをかけてくれていたこと、知っているから。だから、あのね。ありがとうって、私もこんな大事にするつもりじゃなかったの。……だって私達」
「っ」
茜の表所が歪む。その先の言葉が何なのか、僕にだって推測できた。
「私達、友達だから」
「あっ……ああっ……そんな、違う、だって……」
もうきっと限界だった。言葉にならない、そんな呻きに近い言葉を発して一歩、二歩と茜は後ずさり。
「私は!」
「茜っ!」
茜の気持ちを落ち着かせてやりたかった。こんな場面を目の前にして、妹のこんな姿を見て、それでも逃げられるほど、僕は屑じゃない。だが、それでも僕は無知だった。
「おに、い……。違うの、これは、違うっ! 違うのっ!」
茜は走り去ってしまう。僕の言葉は逆効果だった。僕の存在は茜を混乱させるだけだった。
「茜っ⁉」
結局、僕の言葉は何も生まない。生むのは悲しみと苦しみと、無意味な負の感情だけ。
だいたい、この少女のせいだ。坂本千秋。やさしい茜が自責の念に堪えられる訳がない。罵倒された方がまだましだったはずだ。自分のことを友達だなんて言われるのは、茜にとって罪の意識を強くするだけだ。そんなこと、僕にだって分かったのに、なのに何で……
「お久しぶりです。お兄さん」
「……」
この少女にお兄さんと呼ばれる筋合いはない。別に彼女が悪いわけじゃない。悪いのは間違いなく茜なんだろう。だけど、僕はこの少女に苛立ちを覚えていた。
「そう、怖い顔しないで下さいよ。お兄さん」
「……」
なんなんだ、この子は。さっきまであんな必死な顔して、茜に優しい笑顔と共にあんな惨い言葉を投げかけたのに。今は、すごく冷静な顔で、薄く笑みをこぼしながら僕を見ている。
「お兄さん、変わりましたねぇ。中学の頃のお兄さんはそんなに周りに左右されなかったのに。私、お兄さんのこと、結構気に入っていたんですよ?」
「……」
だまれ。うるさい。耳障りだ。いったい何がしたいんだ。この子は何で楽しそうなんだ。茜があんなにもつらそうな顔をしていたのに。なのに、この子は何で。友達だって言ったじゃないか。そう言っていながら、何でそんな顔が出来るんだ。
「うふふっ。あ、すいません。つい、笑いが。そんな困惑の表情を向けないで下さいよ。そんな顔されたら、もう笑いがこらえられなく、なっちゃうじゃないですか。くふっ」
「っ!」
怖気がした。何で笑っている。何がおかしい。今までのやり取りの中で、そんなにもおかしいことがあったと言うのか。僕には理解できない。
「よくいる悪役でも、刑事ドラマの最終回でもないんですよ? なのに話したくなっちゃった。もう、お兄さん。いいですよその顔。とぉってもそそります」
「……来るなっ」
ゆっくりと近寄って来る坂本千秋が怖かった。でも、反射的に発した言葉は彼女を喜ばせるだけの行為だった。
「茜ちゃんいい顔してましたよねぇ?」
「……なに、言ってる」
あれがいい顔だっていうのか。冗談を言うな。確かに茜が悪かったのかもしれない。恨むのは当然かもしれない。でも、何でそんなことが平気な顔で言えるんだ。
「私がいじめられ始めた理由。教えてあげましょうか?」
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