(5)片足貴族との邂逅
「会ってほしいお方がいる」
窘め窘め、ようやく機嫌を直したジュートが言い出したのはそんなことだった。
彼に連れられ、ハゼムは市庁舎をより川沿いへと向かう。ジューク曰く、そこは旧市街というらしく、戦乱の影響で、今や貧民街となっている場所だった
やせた犬猫、ぼんやりと地面に座り込む歯抜けの男、やせっぽちの身体で声をかけてくる娼婦。そんな中を黙々と歩くと、やがて一軒の集合住宅にたどり着いた。
古ぼけた階段を上がり、二階のある部屋の前で立ち止まる。すすけた扉を、ジュートは恭しくノックした。
「誰かね」
部屋の中から帰ってきたのは、低いしわがれ声だった。
「ジュートです。頼まれていた人間を見込んで連れてまいりました」
「入りたまえ」
「失礼いたします」
ハゼムとしてはジュートが急に仰々しい口調になったのにも、こんな危ない街中で鍵ひとつかけずに暮らしている部屋の主人にも驚かされていた。しかし、部屋の中にはもっと驚くべき者が彼を待ち受けていた。
「やあ、ジュート。そして君がわが協力者かな」
部屋の正面には窓があり、その手前には今にも壊れてしまいそうな机があった。
その机に向かっていた男が、ゆっくりとゆっくりと立ち上がり、ようやくこちらを振り返った。
男には左目と左脚がなかった。左目は眼帯で隠されていたためおそらくであったが、左脚には膝上から先がなかった。簡素な義足すらももなく、彼は左手に持った杖でようよう身体を支えていた。
「お呼び立てしてすまなかった。この姿には驚いたことだろう? 私はラスバンガ・ミンス・ホルテルという。今や没落してこのようなありさまだが、元々は貴族で軍人でもあった。さて、君の名を聞こうか」
「これはご丁寧に、痛み入る。我輩はハゼム・アーシュ・クレイウォル・エ・ラ・ヴィスカシエ。荷背に身をやつしてはいるが、十二代ヴィスカシエ伯である」
「フム? ヴィスカシエとは聞いたことのない名だが」
ホルテルは訝しげな表情を見せたが、すぐに平生の表情に戻り、ハゼムの名乗りに関心を移した。
「お聞きになったことがないのは当然であろう。この狭界には存在しないであろう土地であるから」
「ほう」
「わが先祖はかつて領地を故あって追われた。しかしその一族は迷宮へと飛び込み、代を重ねつつも、ただ故地ヴィスカシエへの帰還を目指して旅を続けている、そのような一族なのだ。」
ホルテルはそれを聞き、笑った。しかしそれは嘲りではなく、単純に面白がっての笑いだった。
「そうか、いや実に面白い。かつて失われたものに対する熱情、君と私では何か近しいものを感ずるよ。――さて、君とはちょっと話をしたい。ジュート、客人の椅子を用意してから、席を外してくれるかな」
ジュートは待っていたかのように素早く椅子を用意し、「後は頼むぜ」とハゼムにささやくと、踵を返して退室していった。
「単刀直入に言おうか」
ホルテルは、ハゼムが椅子に掛けると自身も腰を下ろし、早速口火を切った。
「私の依頼を引き受けてほしい」
ハゼムにとってそのような申し出は予想の範囲内のことであった。
というのも、荷背が訪れた狭界で、見知った相手から何かを依頼されるということは珍しいことではないからだ。そして、その依頼というのが荷背という流れ者をあてにする程、後ろ暗いものであろうということも、また予想できることであった。
「内容にもよるが、お聞かせ願えるか」
「私には娘が一人いる。たった一人の愛する娘だ。しかし、彼女は今、私のもとにはいない」
ホルテルは苦虫を噛み潰したような表情をした。
「君も知っていようが、この街の数年前までの内乱で離れ離れになってしまったのだ」
「行方も知れぬのか」
「いいや、場所はわかっている」
「ならば、どうして会いに行かぬ」
「彼女の母のことで不義理を働いてな。娘の面倒を見ている彼女の叔母が、決して会わせようとしない」
「その娘の名は?」
「ルーリエだ。今はきっと、母方の姓で、ルーリエ・アナロミシュと名乗っている」
「ルーリエ・アナロミシュ!」
ハゼムは驚愕せざるとをえなかった。何と世間の狭いことか、と。
「もしや、知っているのか?」
「昨晩、ふとした拍子に知り合ったところだ。大通りに面した理髪店の娘である」
「そうだ。その娘こそ、私の愛しきルーリエだ!」
かき抱くように自由な右手をわななかせ、ホルテルは呻くように言った。
ハゼムの眼には、ランプの薄明りの中でも、彼の執着が色濃く見て取れるようだった。
「依頼というのは、そのルーリエを私のもとへ連れてきてほしいというものだ」
ハゼムはホルテルの様子を伺い、問うた。
「それはつまり、吾輩に誘拐まがいのことをせよということに相違ないか。先ほどの話だと、叔母の許しなどまず得られまい。直接本人にあたるしかあるまいに」
「しようがないのだ!」
老貴族の声に怒気がこもった。
「あの頑固な義妹、彼女の叔母は、貴族をひどく嫌っている。そうせざるをえぬのだ」
「なるほど。しかし、あってどうしようというのか。失礼ながら、貴殿の暮らしぶりでは、たとえばルーリエ嬢と一緒に住むなど、とてもなるまい」
そこでホルテルの表情は、なぜかいくらか和らいだ。
「そこに関しては問題ない。まもなく返り咲くアテがあるのだ」
「そんなことがあるのか?」ハゼムはいぶかしんだ。
「この街の状況が変わりつつあるのだ」
彼は左目の古傷を撫でた。
「私はかつて上級軍人だった。ゆえに内乱後、勢力を握った革命派の連中に放逐された。――しかしだ。時勢とは容易に移り変わる。現状に不満を持つ極端な連中が守旧派にも革命派にもいるのだ。彼らを押さえつけるのには、今の市政府も手段など選んではおれない。つまりは、武力を用いてでもだ。そのお鉢が今や傷痍軍人となった私にも回ってきたということだ」
老貴族の身体は打ち震えていた。その様に、ハゼムは彼がきっと味わったであろう幾年もの辛苦と恥辱とを思い描いた。近しいものを感ずると、ハゼムもまた先ほどホルテルが述べた心情に類するものを感じていた。
「私はかつての地位を取り戻す。そうすれば、愛しきルーリエとも一緒に暮らせるだろう。それに、もし万が一この街が戦火にまみれても、守ってやることもできよう」
ただ、と老貴族は唇をかんだ。
「それでも、彼女の、ルーリエの意思は確認したい。復権貴族の娘の地位を受け入れてくれるのかは彼女次第だ。私自身、納得はできぬかもしれんが、今の暮らしで満足ならばそれはそれでもよい」
彼の寂しげな表情に、ハゼムの心は決まった。
彼は生来、こうした事情に見てみ無ふりはできぬ男であった。
「よかろう。その依頼、承った」
「まだ謝礼のはなしもしていないのに、よいのか」老貴族は驚いたようだった。
「貴殿の娘を思う心意気に感じ入ったまでのことだ。もちろん報酬は報酬としていただくが、我輩も人である以上、親子のつながりには同情の念を寄せざるをえぬ」
ホルテルは喜び、大声でジュートを呼んで、彼を隣に立たせた。
「ジュートは先に雇った荷背だ。ルーリエの所在を探してくれたし、色々な用向きにも動いてもらっている。ただ、まずいことにルーリエの叔母に目をつけられたようでな、怪しまれているのだ。だから、もう一人協力者が欲しかった。――報酬の件だが、ジュートから『青金』を欲しがっていると聞いた。私の復権を援護してくれる貴族仲間を通して、いくらかは融通ができよう。それでよいか」
「大いに結構」
その後は、早々に老貴族宅からお暇し、ハゼムとジュートと道すがら段取りを話し合った。
話は早いほうがいいということで、早速翌日には決行ということになり、二人は旧市街を抜けたところで別れた。
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