(3)荷背の二人話

 男二人分の人影は、盛り場の暗がりを逃げるように駆け抜けていく。やがて彼らの所在は、大通りのガス灯並木へと場所を移していた。

 走って荒れた息をそれぞれが整えたころ、男のうち一人があきれたように声を上げた。


「まったく、なんて騒ぎを起こしたんだか! ようやっと気分がよくなってきたところだったってのに。な、おい。酔いがさめちまったのは旦那のせいだぜ」

「何を言うか。貴殿こそ、あんな無用な手出しさえなければ、あの不快極まる奴ばらども、我輩が叩きのめしてやったところ」

「よく言うな! あんな大衆の面前でカッとなって、拍子に抜身の剣まで振りかざしやがって。全員があっけにとられていたからよかったものの、夜警に知らされていたら、俺たちは今頃仲良く牢の中だっただろうさ。まったく、しばらくあの店にはいけねえや」


 盛り場への入り口の角で、酔っ払い二人の言い争いはしばらく続いた。が、やがては興奮も治まったと見え、両者壁に体を預けてしばし夜風に身体のほてりを冷ました。


「すまねえな嬢ちゃん、白湯を一杯ずつくれ」


 男が、――ハゼムを酒場から引っ張り出すとき、ジュートととっさに口走った彼が、すぐそばの張り出し窓のうちに座っていた少女に声をかけた。看板を見るに理髪店だったが、その業態の必要上と、盛り場のそばという立地から、夜は白湯を商っているようであった。


「お支払いは?」


 きっと先ほどからの二人の様子を見守っていたであろう少女は、しかし、酔客の言い争いなど慣れっこであるかのように、落ち着いて訊ねた。


「俺がまとめて払うよ」

「何を勝手なことを。己の分は己で支払う」

「まあまあ固いこと言いなさんな、白湯の一杯くらいで」


 ジュートが二杯分の小金を支払って、代わりに陶器の器に汲まれた白湯が二杯出てくる。手に触れると、熱すぎず、かといってぬるくもない、ちょうどよい塩梅の温度だった。

 これで少し落ち着こうぜと言って、ジュートはグイグイと白湯をあおった。

 一方のハゼムは、ちびりちびりと白い息を吐きつつ飲み進めていく。その間、彼の目はこのジュートという人物を見定めようかとするように、ほとんど逸れなかった。

 ざんばら髪にひげ面で、肌も薄汚れ、あまり小綺麗とは言えない男である。同輩だと彼は言ったが、ハゼムの目にもそれは間違いないかのように思われた。

 そうこうしているうち、ジュートは一息のうちに白湯を飲み切ってしまった。大きく白いため息をつき、目線をしばし宙に彷徨わせたあと、ジュートは独り言のように話し始めた。


「――つい数年前まで、この一帯では内戦が続いていたらしい。俺もここの住人から聞いた話だがな」


 彼は、ハゼムを見て、続けた。


「きっかけは、特権的貴族への不満からくる革命運動だったそうだ。五年近くも諍いが続いて、双方が疲れ切り、ようやく休戦となった。ここに立っていると、今では嘘みたいな話だがな。しかし、傷跡は確かに深々と残っている。だから、貴族と聞くと、妙に突っかかるやつがいるのさ」

「合点がいった。あの者どもの妙に不遜な態度はそれが原因か」

「いかにも、その通り。それに休戦以来、街中では非武装が原則なんだぜ。まあ、俺たち荷背は他所者だからお目溢しをもらっているようだが」

「だが、『明星』とは一体なんだ。連中、いやにそれを気にして、吾輩に目を見せろと迫ってきたが」

「あんた、まだ市庁舎前広場に行っていないな? 明日、行ってみな。それで理由がわかる。金色の眼、『明星』、その理由がな」


 ジュートは空になった湯呑を張り出し窓のほうへ返すと、煙草を取り出してマッチで火をつけた。彼がくゆらせた白い煙はたちまち夜風の中に掻き消えていった。


「ジュートといったか、貴殿。先ほどからの話しぶり、風体を見ていると、どうやらこの街に長く居ついている荷背と見えるが、相違ないか?

「おうよ。それがどうした?」

「ならば、同じ荷背のよしみとして訊ねたい。この街の地産、染料の『青金』とは、いかにすれば手に入るだろうか」


 それを聞くと、ジュートは一度オッと声を上げ、それからニンマリと笑みを浮かべた。


「やっぱり、旦那も『青金』目当てか。うまく手蔓がなくて、さっきの酒場で管を巻いていたってとこかい」

「あれはただ夜食にありついていただけだ。手掛かりに困っていたというのはその通りだが」

「わかるぜ旦那。俺も同じ口だからさ。しかし――」


 と、ここまで言いかけて、ジュートはあたりを見回しだした、そして、火の番につきっきりの張り出し窓の少女しかいないのを確かめると、ハゼムの耳元で小声で続きを語った。


「今晩の俺は祝い酒だったのさ。確かな手掛かりが見つかった。『青金』を手に入れられる」

「本当か。だが、それならなぜそれを我輩にわざわざ打ち明ける?」


 ハゼムはジュートの告白に一瞬目を見開いたが、すぐに違和感を覚えた。それも当然の話だ。いい稼ぎ話があるのなら、わざわざそれを他人に言いふらす必要はない。同業者たる荷背同士であっても、それは同じだ。

 すると、ジュートは今度は困ったように眉根を寄せた。


「計画実行に人が足りなかったんだ。だが、旦那が一枚かんでくれれば事が成る」

「荷背でなければならなかったと?」

「ああ、しかも旦那みたいな剛毅な荷背じゃないとな」


 そこまで言うと、ジュートはハゼムから離れた。彼の吸った煙草の残り香だけがハゼムにまとわりついていた。

 香ばしい、独特な匂い。

 ハゼムには、その香りをどこかで嗅いだような覚えがあった。しかし、どこでまでは容易に思い出せそうにはなかった。


「まあ、無理にとは言わない。今晩もう一度考えてみて、乗る気があるなら、明日の昼前に市庁舎前広場へ来てくれ。中心に目立つ銅像がある。そこで落ち合おう。――ああ、それと、これは旦那を見込んでのことだ。他の荷背には他言無用で頼むぜ」


 ジュートは人差し指を唇に寄せて秘密の仕草(ジェスチャ)をし、悪戯っぽく笑みを浮かべた。そして簡単な別れの挨拶をすますと、彼の背中はたちまち夜の闇へと溶け込んでいくのだった。


「なかなかに面白い男だな、ジュートとやら」


 ジュートを見送ったハゼムはひとりごちた。

 先ほどひょんなことから出会ったというのに、まるで他人のような気のしない男だ、と彼は思った。おそらくは生来、人の懐に飛び込む才に恵まれているのだろう。まあ実際、文字通りの意味で懐に飛び込まれたハゼムなのではあるが。ハゼムはまだ少し痛むわき腹を労わるように撫でた。

 さて、ゆるりと口にしていた白湯もいつしか底をついていた。

 酔いはいい加減にさめていたが、ハゼムはまだ何か口寂しさを覚えた。


「貴嬢、白湯のお代わりを頼めるか」


 彼は張り出し窓まで近づき、少女に声をかけた。

 その時、彼は少女が手元に置いていたものに気が付いた。

 それまでは窓枠お陰に隠れて見えなかったのであるが、少女は白湯の火の番とともに、

 手元にランプを置いて何か書物に目を落としていたのである。


「え? ああ、すみません、よそ見をしていて」


 少女は不意を突かれて慌てて顔を上げた。少し長い前髪が目にかかっていたが、その瞬間、きらりと少女の目が光を放ったような気がして、ハゼムはおやと感じるところがあった。

 一方、少女はというと、慌てたまま、何を勘違いしたか出窓においてあった湯呑に手を伸ばした。すなわちジュートが飲み干した器である。それを手にとって白湯を汲み、ハゼムに差し出したのだった。ハゼムが彼の湯呑を少女に向かって差し出しているにもかかわらず、である。


「……ああ、礼を言う」


 ハゼムは間違いに気が付いていたが、差し出されたそれを受け取って、一杯分の小金を出窓に置いた。それをランプの光の下で二度三度数える彼女を眺めるハゼムの脳裏には、ある推測が出来上がっていた。しかしこの時、それにもまして彼の注意を引き付けたのは、彼女が読んでいた書物であった。


「貴嬢、迷宮共通語エスペルが読めるのだな」

「えっ、はい」

「書くことはできるのか」

「ええと、読むほどではありませんが、ある程度は」


 ハゼムの顔にうっすら笑みが浮かぶ。

 彼には『青金』と、もう一つほど、この街には求めるものがあったからだ。


「貴嬢、名は何という」

「ル、ルーリエ・アナロミシュです」

「ルーリエか、よい響きだ」


 ハゼムは張り出し窓にずんずんと近づき、わざと自分の顔が明かりでよく見えるように、窓から中へ顔を突っ込んだ。

 当然、少女ルーリエは驚いて、後ずさる。前髪こそ長めに残しているが、全体として肩までに切りそろえられた髪が揺れ、彼女の動揺を示していた。


「我輩の名は、ハゼム・アルーシャ・クレイウォル・エ・ラ・ヴィスカシエ。ヴィスカシエ伯爵家の十二代目である。貴嬢に頼みがある。ぜひ我輩の旅の随行者にはなってくれぬか――?」

「何やってんだい! この変態おやじ!」


 果たして長い名乗りがあだになったか。

 突如として飛んできた第三者の強烈な張り手一発を、ハゼムは避けることができなかった。横っ面を思いっきり張られ、頭の反対側を窓枠の角にしたたか打ち付けたために、彼は昏倒した。

 意識を手放す直前、彼は心配そうに自分に呼びかけるルーリエと、その背後に立つ鬼がごとき人物を見たような気がした。




「畜生! 何だってんだ、あの似非貴族! いきなり兼なんか抜いてきやがって」


 深夜の路地裏の暗闇の中で、四人組が千鳥足で歩いていた。中でも先頭を歩くダンは肩を怒らせ、ぶつけようのない憤りを酒臭い悪態にして周囲に振りまいていた。


「まあ、ダンよ。実際危なかったぜあいつは。どっちにしろ頭がいってる野郎だ。邪魔が入らなけりゃ、本気で切られかねない勢いだったからな」

「だとしてもだ、ジンナー! どうして俺たちまで物笑いの種になっちまう?」

「そりゃあ、お前。俺たちみんな腰を抜かしちまったからに仕方ねえだろうが、ガハハ」


 そう、彼らは『ダッカ―の樽置場』で女給に絡み、そしてハゼムに絡んだあの四人組だった。彼らはあの後、ジンナーの言う通り、驚愕のあまりに足腰が立たなくなり、周囲の客の見世物になってしまう恥辱を受けたのだった。当然それ以上飲むわけにもいかず、すごすごと退散し、別の店で自棄酒をかっ食らってきた帰りであった。


「チッ! いつもの調子ならあんな奴はわけないさ。今夜はたまたまだ」

「――ほう、そうですか」

「……あん? 誰だ今の、ジンナーか?」

「いんや、俺じゃねえぞ」


 ほかの二人も首を振る。

 すると、ふわりとたばこの白い煙がたなびいてきて彼らの鼻をくすぐった。彼らが目を移すと、路地の先に細身の男が一人、壁に背を預け、たばこをくゆらせていた。


「誰だ、てめえは?」

「先ほどの騒動を見ていた者ですよ。ずいぶん怒り心頭のようで」

「当たり前だ! あんな恥をかかされて、このまま引き下がれるかってんだ。奴は荷背のようだったが、この街を出る前に探し出して、落とし前付けさせねえと気が済まねえ」

「それならば、よい提案があります」

「なんだと」

「私の話に乗っていただきたいのです。私も彼には消えてもらいたいと思っている者。ゆえに、協力したいのです」

「その話、本当なのか?」

「理由はどうあれ、彼に一泡吹かせたいという目的はあなた方と共有できます」


 四人組はちらりと目配せしあった。それだけで彼らの話はついたらしかった。


「よし、乗ったぜ、その話。奴に報復できるならそれでいい」


 ダンは細身の男に近づいて行った。


「俺はダンという。で、俺たちは何をすればいい?」

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