第14話 美術館にて4

 十五年間てっきり女だと思ってた幼馴染みが実は女装した男だと思ったら誤解で酷い目に遭った。

 そんな長タイトルの小説は嫌だあああ~っと目覚めた俺は、突き付けられた現実を直視せざるを得なかった。


「言っとくけどあたしはれっきとしたレディですから!」

「はい、重々承知しております」


 美術館内の休憩スペースで、俺は固い床に正座させられ、更には土下座し、その正面にはゆめりが仁王立ちしている。

 奴の声はまだ低いが、女子だという事に最早反論は許されなかった。

 休日で家族連れも案外多く、行き来する人々が俺と奴を一瞥しては「えっ!?」と二度見していく。中には五度見くらいしてった人もいた。

 そんなにこの光景がシュールですかね?

 だがしかし、相手はアレだが俺、俺……っ、女子の膝枕クリアーーーーッッ!!


 一人にやけつつ感涙にむせぶ俺を気味悪そうに見下ろして、ゆめりは嘆息する。


「あんた本当に具合大丈夫なの? あたしが男だとか脳みそ発酵してんのってくらいワケわかんない事言い出してたし。今日は帰る?」

「なっ! 貴様っ、発酵食品をなめるな! ヨーグルトに納豆にキムチ、健康にいいんだぞ! 俺は好きだ!」


 ってやべえええっ、こいつに貴様とか言っちまったあああ!

 昏倒魔王三度目の襲来かーっ!?


「……えっ、そっ、そうなの、好きなの、へえ」


 ん? あれ? 鉄槌が降って来ない?

 しかも何故に目を泳がせる?


「ついでに言うと、ぬか漬けやしば漬けなんかも好きだ」

「そ、そう」


 ただ、ぬか床にキュウリをうずめながら母さんが「お休み伊藤さん」とか呟いていた姿が忘れられないんだ……。

 いつもは夕食後に漬け出すのにその日に限ってはやや遅い夜の十時頃だった。

 ご近所の伊藤さん(夫・一男一女あり)と何かあったんだろうか……。

 今も真相はぬか床の……いや闇の中だ。


「とりあえず、じゃあもう本当に具合はいいのね?」


 見上げた先で、ジャイアンさんは心配そうな顔をしている。

 ジュースも俺のために買って来たんだろうな。

 一言買ってくるって言えばいいのに。

 俺は気を取り直して立ち上がった。


「平気だ。よし展示見に行くか。あとそれいくらだった? サンキューな」


 そう言った俺の顔色を見て奴も納得したのか、大人しく隣を歩き出す。

 ただ付け足したように、


「べ、別にこれはあたしが自分で飲みたかったから買ったものよ。気にしないで」


 なんて言った。

 一〇〇%オレンジジュースって俺の好みじゃん。いっつも自分で買うのはクドいくらいミルクティーのくせに、ホント素直じゃないなこいつは。

 ま、それはいいとして、さーて待望の名画展は~?

 内心某国民的大家族波平いやいや並にテンションを急上昇させた俺の耳にカシュっといい音が入った。

 見ればゆめりが缶ジュースを開けてちびちび飲み始めている。

 人間の証明……じゃなくて前言の証明のためなんだろうが、今から入るのに口開けるなよ……。


「おいゆめり、中は飲食厳禁だぞ」

「大丈夫よ」


 いやいや普通に考えて大丈夫じゃないだろ。係の人間に入場止められるか没収されるだろ。ホントどこまで俺様なんだこいつは。

 すると奴はちろりとこっちを見て、当然って顔で缶を差し出してきた。


「あんたが残り飲むでしょ」 

「え、俺が飲むの?」

「そう。飲むでしょ?」

「…………飲むよ」


 圧力に屈した俺だが、嫌いじゃないし勿体ないし仕方がないかと缶を受け取った。


 ……って、これはまさか。


 ふと気付いた重大事実。

 缶を握る指先にぐぐっと力が入る。


 これは罠か!?


 その証拠に奴は、今か今かと目を皿のようにしている。

 くっ、どうする俺。誘惑に負けてこのまま缶に口を付ければすなわち――間接キス。

 悪魔との契約成立だ。そうなれば奴の思う壺。変態エロとして俺は弱味を握られ、奴に頭が上がらなくなる……ってああ今もか。

 だがここで飲まなければ余計に奴は「あたしの缶が飲めんのかー!」と凶暴化する。

 公共の場でそれは避けたい。もう衆人環視の土下座という辱めは受けたしな。

 飲むか飲まないか、一刻も早く結論を出さないと非常にまずい。時間がない。ほらみろ奴の眉根が徐々に徐々に不穏に寄っていくじゃないか。

 さあ決断しろ俺!

 エロか、死か。


 マイ・ファイナル・アンサーは――――――――……


 ガッ、ジャバジャバジャバ、ごっくん。ケプッ。


 ……解説すると、缶を勢いよく頭上高く持ち上げひっくり返して、進撃する巨人さんっぽく開けた大口の中に、ORANGEJUICE! IN!!

 そして最後に生理現象のげっぷだ。

 間接チュウを回避しつつ中身を飲み干すと言う離れ……てもない微妙なわざをやってのけた。


「さてと、行くか」

「…………そうね」


 シャツの襟もとに点々とオレンジ色の小さな染みを付けて爽やかにいざなう俺。噎せなくて良かったー。

 何だかスネちゃまな顔をしているジャイアンさんは、一生涯確実な下僕獲得の目論見が外れてモヤモヤしているに違いない。

 そういや、学校でよく俺の飲みかけジュース強奪してくけど、こいつは一体どうしてるんだ?

 まさか嫌がらせのためだけに取ってって捨ててるとか言わないよな。

 今度訊いてみようか。


 その後、奴は特に何も文句を言わず、巨匠の名画との触れ合いは無事にかつ有意義に終わった。

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