第15話 知識と技術を経験で塗りつぶす
2049年、十一月三日――。
昼過ぎに聞こえた音に耳を澄まし、手元の時計に視線を落とせばもうすぐ十五時。ほぼ時間ぴったりだ。
「ん……? 比較的新しいチョッパーだな」
プロペラ音で聞き分けるなんてのは初歩、やがて目視できれば、それがCH-57と呼ばれる輸送ヘリだとわかる。人員輸送用であり、おおよそ四十名の搭乗を可能とする機体だ。新しいと評したのは、払い下げではなく現地でも使われているからであって、使用年数そのものを指したわけではない。
本来ならば滞空からロープを垂らしての降下が一般的ではあるものの、上空でハッチをあけて誰かが飛び降りると、ぐるりと回るようにして来た道をヘリは戻って行く。
「――出迎えが早いわね」
術式を使って落下速度を軽減した少女は、ふわりと降り立ってすぐ、肩の後ろに髪を払いながら、そんなことを言った。
「ジーニアスだ、ジニーでいい」
「
「十日後にもう一度、そいつを言ってくれ」
情けないかな、未だに芽衣の共通言語は汚くていけない。あれはきっともう、覚える気がないか、丁寧にしようなどと思っていないのだ。
「いいけれど……
「おう」
軽く握手をして、ジニーは口元に笑みを浮かべる。
「へえ、さすがランクSS
「褒め言葉か? 俺はもう引退して長いし、現場に出る気もねえよ」
「でも、ちゃんとガードしてた」
「それをあっさり破って読んだろ」
「そこまで理解できたことを褒めたのよ」
ああそうと、苦笑を一つ。確かに握手、肉体的接触から相手の術式を探る技術は、さすがとしか言いようがない。経験を重ねた結果として、普段ジニーがほぼ無意識に展開している防御術式を突破した技量はなるほど、確かにこの少女は魔術師だ――が。
最初、ジニーが笑ったのは、その技量にではない。握手から探りへと入れる行為そのものが、あからさまに露見しており、そこにぎこちなさが介在していたからだ。
なるほど、経験が不足しているわけだ――芽衣と同様に。
「こっちだ」
「ところで、私はここへ何のために呼び出されたのかしら」
「聞いてねえのかよ……エルムの教育は知らないけどな。あー、そうだな、戦闘訓練のためだ」
「そう」
「相手は俺じゃねえよ」
「……、まあ、ちょっと疑問が増えたけれど、すぐわかるでしょう。この場所は?」
「俺の私有地、今じゃベースになっちゃいるが、知ってる人間はほとんどいない。空襲の心配はするな、高い金を支払って、ここらの空域には飛行体がただの一つも存在しないよう手配してる。生活してんのは俺と弟子が一匹」
「弟子――っと、これは同じ疑問ね。田畑の手入れも?」
「俺はほとんどやっちゃいねえが、弟子がやってる。ほぼ自給自足みたいなもんだ。そうやるよう、俺が指示を出した」
「呑気な暮らし?」
「そいつは俺がか? それとも弟子がか?」
「……そうね」
しばらく道を歩いて行けば、白を基調にした家が見えてくる。その庭で、小屋の前に自作のゴザを敷いた芽衣が拳銃を分解して手入れをしており、すぐに顔を上げる。
――瞬間、鷺花が息を呑むのがわかった。
「ほう、来客があると聞いてはいたが師匠、貴様には女の知り合いなんぞいないと、私は確信を持っていたが……?」
「そりゃいい、直接の知り合いじゃないからな」
「どうやら私が正解らしい。聞いたかどうかは知らないが、私が朝霧芽衣だ」
「――、ん、鷺城鷺花よ」
鷺花の戸惑いは、年齢が近い東洋人であったから――ではなく、どこか表情の作り方を忘れたような顔と、その瞳に存在するぎらぎらとした生命感があったからだ。
歴戦の兵隊を想像させられるような、気配だった。
拳銃を組み立て終えた芽衣は立ち上がり、腰の裏のホルスターへ。そしてすぐ、腕を組む。
「さて、釈明を聞こう」
「なに偉そうに言ってんだお前は……」
「私というものがありながら、似たような女を連れてきたのだから、釈明が必要だろう?」
「知るか馬鹿、これからしばらく鷺城がお前の訓練相手だ」
「ほう! 初耳だ」
「うちの師匠と似たようなものじゃない……私だってさっき聞いたわよ」
「つまり師匠ってやつは、どいつもこいつも性格ばっか悪くて気に入らんと、そういうことか鷺城」
「まったくその通りよ」
「気が合いそうで何よりだ」
いつもの定位置、玄関に腰を下ろしたジニーは、頬杖をついて。
「いくつか、俺から言っておくことがある。これからしばらく、お前らには戦闘をしてもらうが――まず一つ目、お互いに殺すな。そして殺されるな。これを厳命とする、いいな?」
「この野郎を知らない鷺城に言っておこう」
「なあに?」
「続く言葉はこうだ。――そして、殺す気でやれ」
「最初からそこまで求めやしねえよ。だが訓練だ、そのくらいのことは平然とやれ。とはいえ相手がわからなけりゃ、加減は難しい。最初は頭を狙うな、心臓を避けろ、この二つくらいは守っておけ。手の内がわかってきたら、加減もわかるだろ……たぶんな」
「本格的な戦闘訓練か……私は構わんが鷺城、貴様は承諾しているのか?」
「まあそうね、相手になるのなら」
「ほう? 貴様は、相手にならんのならば訓練にもならないと、
「へえ……言ってくれるじゃない。私がピノッキオだって?」
「どうした、心当たりがあるなら言ってみろ。東洋人らしい平らな鼻がどうやって伸びるか、観察日記をつけてやる」
「こいつ……!」
「銃器あり、刃物あり、術式ありだ。見ててやるから、挨拶ついでに一戦交えてみろ。周囲は壊すなよ、俺に過度な期待もするな」
「うむ、貴様に期待しても返ってくるものがこう、なんだ、腹が立つものばかりだからな……?」
「うるせえよ。いいからとっととやれ――繰り返すが、殺すな。わかってるな鷺城」
「わかってるわよ。頭に血が上ってもないし」
「なんだ貴様、平静を装うのが恰好良いと勘違いするタイプの困ったちゃんか?」
「こいつ腹立つんだけど⁉」
戦闘の合図は、芽衣の発砲から始まった。お互いに三歩ずつの距離を取っていたし、銃口を向ける動作もそれほど早くはなかったため、芽衣としても合図のつもりだったろう。それを回避もせず、空中に停止するのを見た芽衣は、二発目もまた同じ位置に向けた。
――だが、その二発目を鷺花は回避した。
自動展開の術式防御だったが、それを〝分解〟しようとした芽衣の動きを読み取ってのものだ。仮に鷺花が回避しなければ、今度こそ二発目は当たっていただろう。
そして三発目の前に、鷺花が踏み込みを見せる。
鷺城鷺花に戦闘の癖があるとすれば何か? ――この時点ではわからないだろうが、結果として鷺花の癖は、まず第一に相手の戦闘方法に合わせることだ。相手の領分に踏み込み、まずはそこで相手との力量の差を明確にしてから、どうするかを考える。そのメリットは、仮に自分が勝っていたのなら教えることができるし、負けていたら学ぶものがあるという確信を得られること――だが。
一つ、大きな問題がそこにはあった。
相手の領域に踏み込んだつもりでも、それが現時点で、鷺花の知らない領域であったのが、実際だ。
鷺花は魔術師としてもそうだが、武術のたしなみも身についている。体術の基礎は幼少期に少しだけ武術を扱う前提で教わっていたし、槍を持たせればかなりの技術を見せる――が、それは言うなれば、武術の領域。
けれど、朝霧芽衣は、――違った。
踏み込まれたと同時に拳銃を後ろに放り投げれば、途中で紙吹雪になって消える。あ、これ
「――っ」
あろうことか、踏み込みの左足を、芽衣の右足が上から思い切り踏んづけた。一瞬の驚きがあった上に、芽衣の襟首を掴もうとしていた右腕は止まることがなく、掴んだ現実を認識したら、死角、真下から芽衣の掌底が顎を穿った。
「んがっ――」
周囲に切断の術式が六つ、小規模だが芽衣の追撃を防ぐ意味合いでの牽制だが、逡巡もなく二本のナイフを両手に持った芽衣は、切断の軌道を変えるようそれぞれナイフで弾きながら、踏んでいた足をどかして距離を取る――。
一拍、鷺花の周囲にいくつかの紙吹雪が舞った。
全てを分解する必要はないし、そこまでは扱えない。そもそも、分解できるかどうかも定かではないほど、鷺花の術式は複雑だと芽衣は感じている――が、それでも、攻撃を通す部分だけを分解してしまえば、今のように打撃は入るわけだ。
この時点で、お互いの思考は合致する――即ち。
朝霧芽衣の体術は筋道がなく喧嘩に近いのに、錬度が高いこと。
鷺城鷺花の術式は基礎もあり複雑かつ、多様性が非常にあること。
――そして、
相手に探りを入れた際に、何を読み取るのかが、いわゆる
隣を歩くだけでわかるものもあれば、軽く踏み込みの挙動を見せた時点でわかるものもある。突き詰めた先に、いわゆる対峙して相手を理解するからこその見である。
さてどうするかと思えば、鷺花は槍を創造して片手に持ち、前傾姿勢になっていた芽衣はナイフを消して姿勢を起こす。
また、あえて相手の土俵に乗ろうという姿には拍手を送りたい気分だったが、これが訓練であればこそだろう。それを理解して、芽衣もまた、ナイフを消したのだけれど――。
魔術師。
そもそも魔術と聞いて派手なイメージを抱く者もいるだろうが、大きな間違いだ。これは兵器よりも兵隊の有用性と同じ話にもなるのだが、そもそも、相手を殺すのに山を一つ消す者を、馬鹿と呼ぶのである。
極論を言えば、術式など戦闘補助でしかない。雷系の術式で荒野を作るくらいなら、脳から流れる電気信号を操作して、相手を自滅に追い込んだ方が手早いし、結果が明瞭だ。故に、それは技術であるからこその、魔術。一つの隙を作るのに、どれほど多くの手段を持っていたところで、作られる隙は一つでしかなく、多ければ多いほど良いわけでもない。
――ただし。
鷺花が優位性を捨てているように見えるのは、あるいは、この局面における術式の一手をまだ、探っている最中なのかもしれない。もちろん、前提が〝挨拶〟であることも現実だが、戦闘経験のなさは双方に窺える。
つまり、ジニーは酒を飲んで観戦したくなるくらいには、気分が良かった。
ここからは経験の積み重ね。蓄えた技術と知識を、経験で塗りつぶし、そこでようやく作り上がるのが、自分なりのやり方、なんていう、自己の確立なのだから。
鷺花が踏み込んだ。
芽衣は応じる。
応じたところで、鷺花が選んだよう、これは芽衣の領域だ。領分と言ってもいい――けれど、だからといって隙を作れる余裕はなかった。それを証明するよう、小手調べに限りなく近いような術式を使っているのか、二人の周囲にはいくつかの小さな術陣と、それを分解した紙吹雪が発生していた。
槍は突くもの、範囲攻撃は打撃系になり、突けば点。けれど、そのどちらも〝間合い〟が違ってくるのが難しいところだ。だからジニーは、常に間合いを意識しろと、戦闘では教え込んでいる。
――ゆえに、間合いの〝外〟で槍の突きを完成された瞬間、その直線上から身を捻るように回避しつつ、左の掌を突き出した芽衣の判断は、さて、これも探りの一手か。
二つの衝撃がお互いの中央付近でぶつかり、拡散することで轟音を奏でる。半年前に布陣しておいた防御術式が作動して、家や芽衣の小屋などに被害はない。お互いにきちんと加減をした証左だ。
その衝撃に紛れ込むようにして芽衣が踏み込むと、左手でそのまま槍を掴もうとする――しかも切っ先の延長線上に躰がない、つまり鷺花の選択は引くことになるが、本来は引く動作の方が速くなるはずなのに、
槍を握った鷺花から見れば、自分の外側に芽衣がいる。このままでは薙ぐことは難しく、上下の移動してもそれほどの効果は見込めない。後手を踏んだ原因はわかっている。瞬発を見抜いて、自分も瞬発をして間合いを取るべきだった――。
「――そこまでにしとけ」
両手で握っていた槍から右手を離し、左の袖口からナイフを引き抜いた鷺花が、掴むことを偽装にして拳銃を組み立てて発砲した芽衣の弾丸を受け止めた時点で、ジニーは口を開いて戦闘を止めさせた。
「二つ目だ。俺が止めろと言ったら、どんな状況でも止めろ」
「……ふむ」
「実力行使で止めに入ってもいいのよ?」
「鷺城、それは無茶な相談だ。何しろ一つ目の中に、師匠を殺すなというのは入っていないからな」
「ああ、そういう」
お互いに距離を取り、得物を消して、先ほどの熱気が嘘のように振る舞う――が、あくまでもそう見えるだけで、頭の中ではいろいろと考えているのだろう。
「ともかく、鷺城はしばらく、こっちの流儀で生活してもらう。細かいことは芽衣にでも聞いてみろ、なかなか贅沢な暮らしをしてやがるからな」
「師匠ほどじゃない」
「悔しかったら自分でどうにかしろって話だ。さて芽衣、荷物が届いてるはずだから、鷺城を連れてちょっと取ってこい。あと食料、適当に購入な」
「多いのか?」
投げ渡された車のキーが、荷物運搬でよく使うジープのものだったので問えば、まあなとジニーは一つ頷く。
「遅くても一八〇〇時くらいには戻れ。受け取った荷物はこの庭でいい」
「諒解だ。――行くぞ、鷺城」
「いいけれど、なんであんたそんなに偉そうなの」
「貴様が偉くないだけではないのか?」
「ほんとなんかコイツむかつくんだけど! おい責任者!」
さて、珈琲でも飲もうかと、文句を聞き流したジニーは背を向けて家の中に入って行く。もちろん、これからの訓練内容を考えながら、だ。
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