(12)

 王弟派の騎士たちが蜂起したとの報せは、すぐにゼクサリウス王のもとへ届いた。

 王家への忠誠を誓った貴族たちの屋敷が襲われ、使用人も含めて一家皆殺しにされた挙句の晒し首、おまけに火が放たれたという。その残虐なやり方に民は震えあがって窓と扉を閉ざし、ゼクサリウスは血の気のない頬を引きつらせた。

「皆、この不甲斐ない王によくぞここまで尽くしてくれた。礼を言う」

 謁見の間に集まった王派の騎士は、ゼクサリウスの揺るぎない覚悟を知った。騎士の礼で王に応える。

「今からでも遅くはない、心残りのある者は城を出よ」

 王が騎士や重臣たちを逃がそうとしたのは、これが初めてではない。だが、身動きする者は一人もいなかった。

 命あっての物種と考えた者や内乱の予兆を敏感に察した民はとうにイルナシオンを離れている。ラグナシャスは民の国外流出を防ぐべく、国境の街に騎士を派遣し、関を厳しく見張っていた。遅くはないと王は言うが、すんなりと国境を通過できるとは思えない。城で死ぬか、国境で死ぬかの違いだった。

 ラグナシャスはすでに、民からも恐怖されている。国境の関には国外への脱出を願う民らがひしめいているが、関は開かない。夜陰に紛れて国境を越えようとする者は後を絶たなかったが、騎士らに見つかって斬り殺される者が大半だった。

 ラグナシャスは、この絶望と恐怖が蔓延した国で内乱を起こし、どうしようというのだろう。ゼクサリウスに代わり、王を名乗るつもりか。それで民らに歓迎されると本気で思っているのだろうか。王弟の目指すところは、誰にも理解できなかった。ラグナシャスの進む道には瑠璃騎士の影があり、血と暴力、死の匂いに満ちている。とても国とは呼べぬその凄惨さに、王弟派の者は気づいていないとでもいうのか。

 誰もが同じ考えなのだろう、王弟派の理不尽や矛盾を挙げ、理や倫を説くことはとうに諦めていた。話が通じるなら、こんなことにはなっていまい。

「ルネ」

「は」

 王に呼ばれ、ルネが深く頭を垂れる。王は傍らのミリスディン王子の肩を抱き、前へ押しやった。

「ミリスディンを託す。早く城外へ」

「……ですが」

「猶予がない。さあ」

 王に負けず劣らず血の気を失い、青白い顔をしたミリスディン王子は、精一杯不安を押し殺しているのが傍目にも明らかだった。口を開けば泣き言か、涙がこぼれるのだろう、くちびるを噛んで、小さな拳を震わせている。

「ミリスディン、よいな。ルネに従え。そなたは幼くともイルナシオン王家の血を引く者。どんな困難にも耐えよ。耐えて忍んで……生きて、機を窺うのだ」

「……はい、父上」

「ルネ。王と王妃にのみ伝えられる通路がある。ラグナシャスも知らぬ、城外への脱出路だ。後のことはすべてそなたに任せる。……信じているぞ」

「王子は必ずや、お護りいたします」

 ルネとミリスディン王子は王妃に先導されて謁見の間を退出した。すれ違いざまに向けられた、強い意志の込められた眼差しに頷いてみせる。王子の手を握るルネの指に、交わした約束が煌めいていたのを、確かに見た。

「……では、我々も行こうか」

 ゼクサリウスが立ち上がり、王位を示す冠とマントを脱いで玉座に置いた。金剛騎士団長が恭しく差し出した宝剣を、目を細めて受け取る。

 翡翠騎士団長、瑪瑙騎士団長、真珠騎士団長が段取り通りに騎士たちを率いて城内に散ってゆく。デュケイもまた、謁見の間を出て、扉を背後にして立った。

 剣を抜き、目を閉じてその時を待つ。

 黒炎と煙の匂い、獣じみた咆哮と断末魔、まとわりつくような血と死の気配。

 幾重にも連なる淀んだ絶望と殺意と憎悪の先で、ルネが甘やかに微笑んでいるのが見えたような気がした。






 促されて立ち上がる。思ったよりもずっと、全身に力が戻っていた。人間というものは案外頑丈にできているらしい。

 薄暗く湿った地下道を進むと、手燭を持ったジェスティンが壁に背を預けて立っていた。

「ルネはどこだ」

 一切の無駄を省いた問いかけに、彼の焦りが見て取れる。王子はどこだ、ではなく、ルネはどこだ、と訊く不自然さに気づかぬところにも。

 さあな、と応じる。苛立ちを隠そうともしない舌打ちに、彼の限界を見た気がした。

 少なくともジェスティンは、理想や理念を持ってラグナシャスについたのではない。欲しいものを手に入れるため、したいことをするため、欲望の実現ためだけにこの騒ぎの渦中にあるのだ。

 先は永くない。デュケイは直感する。

 ラグナシャスの懐刀たるジェスティンでさえ、こうなのだ。ラグナシャスがいくら国を憂いていたとしても、このままでは立ち行かなくなる。

 儚いものだ、と同情にも似た憐みが胸に広がり、弟から視線を外した。ジェスティンは何も言わなかったし、デュケイも何も言わなかった。彼に通じる言葉を、デュケイは持たない。

 地下道が終わり、階段を上る。射し込む真昼の光の眩しさに涙が滲んだ。素足に触れる土は温もり、春の訪れを感じさせる。

 地下から現れたデュケイを見て、王城前の広場を埋め尽くした人々がどよめく。金剛騎士だ、と囁く声が聞こえた。立ち止まることなく壇上に進み、見るとはなしに群衆を見回すと、驚いたことにルネがいた。目が合う。

 気のせいかもしれない。広場に集まった人々は五千を軽く超えるだろう。その中からルネただ一人と目が合うなんて、そんな偶然、幸運があるはずがない。だが、豆粒ほどにしか見えないルネの青い眼が真っ直ぐこちらを見つめていることが、デュケイにはわかった。

 生きていたのだ、という喜びが、何もかもを塗り替えていくようだった。ルネが、生きていてくれた。生きて、民らに混じり、王派の騎士の公開処刑場にやって来た。恐らくは、デュケイに会うために。

 ならば、応えよう。デュケイは知らず、微笑んでいた。広場が水を打ったように静まり返り、数千、数万の眼がデュケイを見る。縋るように、あるいは、哀しみとともに。憎悪の炎を燃やす眼もあれば、絶望に色を失っている眼もある。

 その一つ一つが生きて、イルナシオンという国を支えている。この、斜陽の国を。

 騎士の国、とイルナシオンは掲げてきた。だが、王亡きいまのイルナシオンを救うのは騎士の力ではない。民たちだ。

 騎士は御旗を護る。御旗を支える民を護る。この単純な真理を、どうして誰もが忘れてしまったのか。

 ――いいや、ルネがいる。ルネは知っている。護るべきものを。

 力を欲し、剣として生きることを願ったルネだからこそ、気づいたはずだ。剣として生きる、それは誰の剣であるのかということに。

 風の音さえもない静寂の中、永遠にも思える距離を隔ててこちらを見つめるルネの眼は乾いていて、そのこともデュケイを安堵させた。

 大きく頷く。言葉は自然にこぼれた。

「生きるのだ、何があっても。顔を上げよ。死んではならぬ、生をつなげ」

 一瞬の空白の後、広場が音を思い出したかのようにざわめいた。ルネは凛と、その場に立っている。デュケイを見つめている。

 大斧を担いだ男に小突かれ、デュケイは膝をつく。

 祈る神はない。

 代わりに、愛した女の名を唱え、携え、はるかな旅路の末に親友との再会が果たされることを夢見た。



【第二部  完】

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