#45 ピンチと希望と、時々、火消し屋


 ……甘さ。


 甘い、と言われればそれまでだろう。

 先ほどの攻撃に、殺す気なんてない。


 人殺しは悪。してはいけない。

 そう遺伝子レベルで刻み込まれているのに、たかが数日で殺しの価値観など変わるはずがない。


 ――だが。


「次の攻撃は容赦はしない」


 少なからず覚悟はしている。

 背中の少女を護るために、血塗れられる覚悟は。


「――浅い覚悟ですね」


 それの言葉を受けてもまだ、シンシアは笑う。

 まるで、俺の言葉が偽りだと言うように。


「殺さなくていいなら殺さない方法を選んだ――そんなあなたの言葉ですから、軽いです」


 先ほどの攻撃のことを言っているのだろう。

 もちろん、先ほどの攻撃で圧倒的な力の差で相手が怯んで、諦めてくれるのが一番だった。


 だがその俺の力を見ても、シンシアはその微笑みを崩さなかった。

 彼女は既に生に執着していないかもしれない。それとも、恐怖という感情がないのか。


「でも、そうですね」


 そんな不変の彼女だが、一つだけ明らかな変化はあった。

 それは、言葉だ。


「そんな甘いあなたに、よいことをお教えします」


 正攻法の攻撃よりも、言葉を発することを選んだ彼女の真意。

 嫌な、胸騒ぎがした。


「大司教の命令は、私が死んでも一生残り続けます」


 心臓の鼓動と共に。

 小さな不協和音は、次第に大きくなる。


「――そもそも、邪鬼は始末するのはマリス教の絶対使命です。例え私が死んでも、マリス教が一人になってもその邪鬼は狙われ続けます。それにマリス教がいなくなっても、その邪鬼は虐げられます」


 その言葉は剣よりも重く、鋭利だ。

 そして、救いのない事実は、何よりも重い。


「あなたがもし、その邪鬼を本当に救いたいのであれば、私たちを皆殺しにしてください。そうでもしない限り、私たちは一生その子を殺しにいきます」


 単純に、彼女はこういっている。

 選べ、と。


 ナナを助けるために皆殺しにするか、ナナを見捨てるか。

 その選択しかお前には与えられていないと。


「そうでなくては、一生戦禍は終わりません」


 背中の後ろにいる、少女の荒い息遣いが、俺の鼓動と重なる。

 強く噛みしめた口の中に、薄らと血の味が広がる。


 ――なんで、この少女をこんなにも苦しめるんだ?


「なんで、そこまで、こいつを苦しめるんだ?」


 息をしている、心臓が動いている、生きている。

 ただの少女を、なんでそこまで虐げる。


「こいつが、お前らに何をしたんだよ?」


 俺の言葉に、シンシアは間髪を入れず答える。


「"神に愛されなかった者"だからです」


 人は何故死ぬのかという質問をされたかのように、シンシアは答える。


「それ以外の理由はありません」


 抑揚のない言葉が、全く同じ間隔が流れた。


 言葉を発した直後の一瞬、そのシンシアの笑みが崩れた気がしたが。

 すぐにその表情は、微笑みへと戻った。


「それでは、おしゃべりは終わりにしましょうか?」


 シンシアが、両手をあげる。

 多分、攻撃が始まろうとしている。


 そんな中、俺の心に芽生えた火種。

 釈然としない、納得できない思いが徐々に強くなる。


 ――この世界は、理不尽だ。


「総員」


 シンシアが、俺たちに手を向ける。


 ――この背中にいる少女に対して、あまりにも理不尽だ。


「逆方円の陣」


 ――世界の全てが、理不尽だ。


「光の矢」


 ――ルール。常識。決まり。全てが全て、理不尽だ。


「攻撃準備」


 ――そう、あの元凶スキルも含めて、全て。

 ――そんな理不尽なもの、全てを。





 ――× × × × て し ま え ば い い の に。






「――え?」


 俺は今、何を考えた?

 何を? どう考えた?


 必死にそれを思い起こそうとするが、それはすぐに霧散した。

 何かを考えたはずなのに。そして、何かが見えたはずなのに、それは消えた。


 一瞬だけ、見えた気がした。

 希望の、救いの、奇跡の、答えのヒントが。


 だが、それは消えた。


 あともう少しで、届きそうな気がしたそれが。

 その"答え"が、するりと俺の手から逃げていった。


「――っ!」


 その熱っぽい思考の後に残ったのは、もどかしさとどうしようもない現実。

 視界に映る、分厚い包囲網で完全にマリス教に囲まれた光景。


「さあ選んでくださいね、あなたの答えを」


 どこから突破しようとしても、無事では済まないだろう。

 さらに運の悪いことに、その包囲網のほとんどが"普通"の教団員で構成されている。


 彼女に攻撃を見せたのは、最大のミスだったらしい。

 加減ができないという弱点を見抜かれている。


「――全員、一斉攻撃準備」


 俺の甘さに付け込む、そのシンシアの策。

 俺の"本当の覚悟"を試すように、彼女は笑う。


「さあ、血まみれになりましょう」


 ――覚悟は、できている。

 ――一人や二人くらい。


 護るために、覚悟の拳を握り締めた俺。

 噛みしめた唇がぷちりと切れた瞬間、血の味が広がった。


「……」


 静寂は、嵐の前の静けさ。

 その攻撃の予兆が最高に高まった瞬間。



 場違いな、

 それは聞こえた。



「――ピンチの時に、現れる」



 その聞き慣れた、甲高い声は。



「それが火消しリリーフエースやで!」



 救いの鐘のように、俺の心臓を鳴らした。

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