はぐれ王子辺境譚(7)
騎兵と重装兵からなる隊列が鎧と馬具の物々しい金属音とともに南へ進んでいた。その列の中央をゆくハウランの蹄猫馬にはひとりの少女が同乗している。
ハウランは親衛隊の面々、そして黒髪の少女を連れて偵察隊を組織し、一方荷馬車と雑兵、馬係、それに奴隷をギョトオに任せてその場で待機させ、何かあれば構わず北へ退却するように命じたのだった。
女奴隷を連れて偵察に出ると言った時、ギョトオは睨みつけるように少女を見た。怪しまれればなにか気のきいた言い訳でも、と考えていたハウランだったが、彼の忠臣は結局なにも言わずに兵を集め、ハウランに装備品と木製の小さな小箱を手渡したのだった。また薄衣のままの少女には厚手の毛のローブを与えさえした。
ハウランは初めそれをいつも通りの彼のやり方だとしか思わなかったが、南へ進む道中、馬上で少女が背中のハウランを見上げて言った。
「あのギョトオとかいうお主の
「じいや《・・・》じゃない」
「似たようなもんじゃろ。このローブを渡された時、あやつに言われたのじゃ。殿下をお頼み申す、とかなんとかの」
「……ふん」
偵察隊はいくつかの丘を越え、岩場をさけて谷間の道を進んだ。左右には低く緩やかな崖が迫り、道は僅かに上り坂になっている。坂を上りきって丘の上に出ればあとは平坦な道が続くはずだったが、少女によれば幻術が作用している限りその平地に出る事は出来そうにないらしい。おそらく誰も気づかぬうちに、いままで通って来た道のどこかに戻されてしまうという。言われてみれば確かに、今歩いている道も数時間前に馬車の窓から見たような気がする。しかしその堂々巡りも終わるのだった。
「やってくれ」
ハウランに促され少女がしたのは、自らの傷口に異なったのと同じ、簡単な印を虚空に切っただけであった。それで十分だった。ハウラン以外はその一部始終に気づく事もなく、偵察隊の一行は難なく坂を上りきり、谷間の道を抜けたのだった。
……が、道の先で目の前に姿を現したのは平地ばかりではなかった。
道と言っても石で舗装されているわけでもない。商隊がたまに通るので、踏みしめられて草が生えずにいるというだけだ。そのぼやけた白い道の上に男が立っていた。黒衣の男、ではない。銀鼠の大仰なマントに身を包み、足下をぴかぴか光る革のブーツでかためた、ブロンドの男である。ハウランにとっては見知った顔だった。
待ち受けていたのは彼一人ではない。男のマントと同じ銀鼠色の制服を着た大柄な男達が左右にそれぞれ四人、ハウラン達の行く手を塞ぐように——実際にそのために現れたのに違いなかったが——横に広がって立っていた。皆帯剣はしているものの、抜いてはいない。捕り物の道具も持っていないようだった。
「やあ、奇遇ですね、兄さん」
ブロンドの男の、まだ若者らしさを残したよく通る声が草原に響いた。男の表情はにこやかだが、口の端に込められた力がその自信の大きさを物語っていた。
「お久しゅうございます……兄上。いや、ホブエス
そう応えたのはハウランであった。
「ん? なんじゃと?」
と小声で言ってハウランの脇腹をつついたのは傍らの少女である。部外者が首を傾げるのも無理はなかった。王家の権力争いに端を発する書類上の縁組みが相次いだ結果、腹違いの弟である目の前の男が、今はハウランの兄という事になっている。その兄たる弟はハウランの知る限り、安寧庁と呼ばれる組織の宰相に就いていた。そのポストは王族の出世街道の中継点でもある。……が、そんな事を説明している場合ではない。ハウランはごく手短に、
「王室の男だ。司法と警察の
とだけ説明した。すると少女は
「ほう。では妾みたいなものか」
と勝手に納得したようだった。
「なんですか、水臭いなあ。兄さんは僕にとってはいつまでも強くて優しい兄さんですよ」
相変わらず馴れ馴れしい態度の彼……ホブエスに、ハウランは皮肉めいた笑みで見据え返す。
「ふん。そのかわいい弟が何ゆえ我々の行く手を阻むのですかな。しかも忌まるべき怪しげな術まで持ち出してとなれば、これは穏やかではない。その胸の聖なる紋章が泣きますな」
「はっ」
ホブエスは堪えきれぬという風に哄笑した。
「それはお互い様ではないですか、兄さん。もちろん、僕が言っているのはそこなる小さな淑女の事だけではありませんよ」
「なるほどな。調べはついているというわけか」
そこまで聞くと、ハウランの顔から笑みは消えていた。
「ちゃんとお仕事をしにいらしたって訳だ」
「ええ。僕は仕事熱心ですからね。……あるいは少々やり過ぎてしまうかもしれません。本音を言えばね、兄さん。僕はこの手で兄さんを捕らえたり、酷い目に遭わすなんてしたくないんです。何も知らずお国のためにこの丘陵地で殉職してくれれば、僕の心も痛まずにすんだのですが……いえ、でもわかっていますよ。そんなのは僕の汚い利己心だ。どんな痛みも償いとして、罰として、抱えて行かねばならないんでしょうね」
「まるで酷い目に遭わされるのが俺だけみたいな言い草だな」
「……どういう意味です? 場合によってはこの場で追加せねばなりませんよ、あなたの
「好きにしてくれ。どうせ俺がどう出たところで、そっちも引けないんだろう」
「……結構です」
ホブエスはそういうと、煌びやかなマントを翻して懐から巻いた書状を取り出し、陽に透かすように広げて高らかに読み上げた。
「神聖フリナリカ王国第四王子ハウラン二世、貴殿を墳墓発掘罪と重窃盗罪の疑い……」
そこまで読んで書状は投げ捨てられ、
「および殺人予告と王室侮辱の現行犯でその生死を問わず拘引する」
ハウランが驚きたじろいだのは、自らの罪状を聞かされたからではなかった。
……それがいつ起こったのか、ハウランには分からなかった。十人足らずだったはずの役人の数が、いつのまにか倍、いやそれ以上に増えていたのだ。この何もない草原で、どこに隠れていたというのか。これもまた幻術の類いかと、ハウランは傍らの少女にちらと目をやった。それに応える代わりに、黒髪の少女は何処からか現れたその男達を睨みつけるように見据えていた。
「あやつら……
そう彼女の言う通り、ホブエスとはじめの八人以外は制服姿をしていなかった。制服ではないが、みな似通ってはいる。下は漆黒の革ズボンに、上半身は素肌に悪趣味な毛皮のジャケット。少女に言われるまでもなく、それはマフィアたちのお決まりの仕事服だった。
安寧庁とマフィアが行動を共にしている事について、ハウランは何も言わなかった。……否、嫌味の一つを言ういとまもなかった。マフィアたちの手にある武器が視界に入った瞬間、軍人としての本能が身体を動かしたからだ。
「撃ち方、はじめぇ!」
「密集うーーーっ!」
二つの絶叫が丘陵に響いたのは、ほとんど同時であった。
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